しばしば、ある妙な感覚に陥ることがある。
それを、日本で外国人を見たときに経験する。
そのとき、自分の頭から自分自身が外国人であることが抜け落ちている。
そこには、目の前の人だけを 「外国人」 と認識している自分がいる。
それは、日本人が僕を見るときに思っているであろう感覚におそらく似ている。
本来、僕にとっては日本人も外国人である。
なのに、日本人を見たときは 「外国人」 という意識が欠けている。
つまり、日本人という外国人を除くその他の外国人を見るときに限って頭が勝ってに 「外国人」 と認識している。
もちろん、わざとやっているわけではなくて、気づいたらそうなっている。
まあ、話しはそれだけである。
それが何か?
日本が戦争に負けて極東国際軍事裁判にかけられたときインドのラダ・ビノード・パール判事が日本の無罪を主張してくれました。
とても偉大な人で靖国神社にはパール博士顕彰碑があります。
またサンフランシスコ講和条約に対してインドは、日本に対する懲罰的な条約に反対して参加を拒否し、
日本に対する賠償請求権も放棄しています。
(これは永久的に謝罪と賠償をしろとたかってくる中国・朝鮮と正反対です。)
その他にも歴史的にインドにはたくさんの恩があります。
そして現在は日本でインド人がいろいろな分野で活躍していることを嬉しく思っております。
インドとインド人たちに感謝です。
日本では確かにインドについて概ね良い評判しか聞きませんね。その度に嬉しくなります。