名古屋グランパスのストイコビッチ監督とタレントのセイン・かミューがなんか似ていない? (そっちかよ...)
日本の外務大臣がまた変わる。 (Jリーグ開幕とは無関係だけど、気にせずにはいられない)。 日本の小学校レベルで 「現職の○○大臣の名前を書きなさい」 みたいな問題が出るかどうかは知らないが、3つ前までの大臣の名前を書いても正解にすべきだ。
今日は 「メンチカツの日」 だそうだ。 (それが何か?)
名古屋グランパスのストイコビッチ監督とタレントのセイン・かミューがなんか似ていない? (そっちかよ...)
日本の外務大臣がまた変わる。 (Jリーグ開幕とは無関係だけど、気にせずにはいられない)。 日本の小学校レベルで 「現職の○○大臣の名前を書きなさい」 みたいな問題が出るかどうかは知らないが、3つ前までの大臣の名前を書いても正解にすべきだ。
今日は 「メンチカツの日」 だそうだ。 (それが何か?)
民主党の小沢元代表が政治資金規制法違反事件で強制起訴された。
したがって小沢氏がその事件において被告人となった、というふうに理解していた。
にもかかわらず、日本のメディアが概ね 「小沢元代表」 みたいな言い方に徹しているように感じた。
その心は?、と首をかしげたくなった。
民主会派離脱関連のニュースを読みながらそんな疑問がわいてきた今朝のザ・インド人であった。
日本で、シャンプーをしてくれる美容師がどうしてそういう質問をするのかがずっと理解できていなかった。
質問の意図が分からなくても必ず 「いいえ、大丈夫です」 としか答えなかった。
シャンプーのアレルギーについてでも確認したいのかと考えたりもした。
もしもそうなら、逆に、せっかくシャンプーをしてくれているわけだから、ちょっと痒かったりしても我慢しなきゃと思ったりもした。
一度美容師に聞けば済む話しだったが、なぜかずっと聞けずにいた。
最近になってようやく、痒い所があったらそこをかいてくれるサービスとしてそう質問するという事実を知ることになった。
そんなことも知らずに、ただ単に 「大丈夫です」 とだけ答えていた僕はやっぱりあほだった???
日本人形 (又は衣裳人形)。それは、僕のある種の既成概念かも分かりませんが、「日本女性」 という特徴を絶妙に捉える伝統工芸品。
様々なサイズに制作されるが、等身大日本人形を目にすることがなかなかありません。
昨日その機会を得られた気分になりました。振り袖姿の浅田真央ちゃんを見たときに。
本当にそう思ったんです。実は以前からそう思っているんです。
それをどう説明したら良いのかな...説明しても伝わるかな...
真央ちゃんを見るたびに、「おぉ、日本人だぁ!」 という気持ちがわいてきます。なんというかな、真央ちゃんにどこか本来の日本女性らしさを勝手に感じてしまいます。
ここで、「本来の日本女性らしさ」 とは何かという問題があります。でも、そんなのはうまく言葉にできません。そもそも、理解していない可能性が高いです。ただ、自分の感性がそうだから仕方がありません。
僕の言う、いかにも抽象的な 「本来の日本女性らしさ」 ですが、その対象となる女性が他にもいます。たくさんいます。
なのに、衣裳人形制作のためモデルにしたい人となれば、真央ちゃんだけかもしれません。
それをどう説明したら良いのかな...説明しても伝わるかな...
お店に入る
メイン・メニューを見る
8種類の米とその詳細のみが載っている
その中から 「ミルキークィーン」 と 「登米ササニシキ」 という正反対の2種類を注文する
炊き上がるまでに30~40分かかることが通告される
へえ~と思う
その間のつまみとして一品料理のメニューから適当に頼む
談笑しているうちに30~40分が過ぎる
注文した米が炊き上がってくる
それぞれが一人用の釜で炊き上がってくる
それぞれが炊き上がる時間は少しずれている
1つの釜に茶碗2杯分のご飯ができている
食してみる
一品料理はつまみ感覚でしか口にしないでいる
納豆・生卵かけご飯が好きなのにもかかわらずこの日は遠慮する
なぜなら、この日のテーマは白米を味わい、その違いを実感することである
個人的には、やわらかくてコシヒカリより糖度の高い 「ミルキークィーン」 よりも、少し固めで甘さ控えめの 「登米ササニシキ」 が気に入る
あっという間にご飯を平らげる
米についてまた少し詳しくなったことで妙な優越感が生まれる
日本人のこだわりって見事なものだねぇ、という話しになる
こんなことがあるのは日本だけかもなぁ、という話しにもなる
米の種類を選んで白米を味わうためのレストランなんてインドでは存在しえないのである
だから今日のタイトルはああいうタイトルになっている
でも、タイトルについては読者の皆さんが既に感づいたはずである...
...と僕は確信している
土曜日の 「世界一受けたい授業」 で世界中の児童労働の悲惨な真実を伝えるコーナーがあった。そこに、インドが児童労働に関してはたいへん大きな問題を抱えている現状が紹介された。
それは、インド国内ではずっと前から問題視されていることであり、社会問題としての注目度も高い。政府もただ手をこまねいているわけでもなく、様々な政策を講じて現状打破を図っている。しかし、それらの政策が充分に効果を発揮しているかといえば、まだまだ先の長い道のりです。
ただ、例の番組でも紹介されたように、児童労働撲滅活動が一定の成果を挙げつつあり、うん百万人の子どもが労働をやめて学校に通うようになっているというのだ。そして、それを可能にしている目玉政策は、無料学校給食プログラムというものだ。
結局のところ、貧しい子どもが学校に行かないで働かざるを得ないのは、または貧しい親が子どもに学校に行かせないで働かせるのは、毎日ごはんを食べたいことが目的なのだ。でも、そういう子どもたちが働いたって、腹いっぱいごはんを食べられないという実情がある。そこに目をつけてスタートしたのは無料学校給食プログラム。それによって、満足に食事ができるとあって親も喜んで子どもを学校に行かせるし、子ども好きであれ嫌いであれ勉強することになるから一石二鳥というわけ。
そのプログラムに、日本が大いに貢献できるチャンスがあるんじゃないかと思う。実は以前からそう思っている。
少し前のブログに、食料自給率が40%に過ぎないにもかかわらず、日本で生産した野菜や果物の約4割が規格外として廃棄されちゃうことへの不満を書いたことがある。もちろん、廃棄されないで、日本国内でその野菜や果物が消費されるならそれはそれでかまわない。ただし、見た目が悪いからどうしても破棄するというのなら、一つ提案があるのだ。
廃棄する予定の野菜をインドの無料学校給食プログラムに送ってはどうだ?
なにも腐りやすい野菜や果物を送る必要はない。でも、イモ類やニンジンのように比較的に長持ちするものを送っても良いんじゃないか。もちろん形がどうだって良いんだ。きれいな野菜を見たことがない子どもたちが、規格外のことなんかわかっちゃいないから。
それに、食べられるだけで感謝するであろう子どもたちのお腹に入れれば、廃棄を免れた野菜たちだって喜ぶような気がする。
違うのか?...............非現実的な提案なのか?...............な~んてことで頭がいっぱいの週末なのであった。
いわゆる 「常用漢字表」 が改定された。新たに196字が追加され、5字が削除されたという。
追加された漢字の中に、手書きでは難しい画数の多い字がたくさん含まれているとか。それは、パソコンや携帯電話の普及で、難しい漢字でも簡単に変換して表示することができるようになったことに起因しているらしい。その反面、日本人にとって漢字を手書きする機会がかなり減ったことも事実のようだ。
つまり、新常用漢字には、書けなくても良いから、とりあえず読めれば大丈夫だと意思が反映されている。
もちろん、パソコンとインターネットが普及したため書かなくなったのは日本語だけではない。他の言語でも手書きすることが減っていると思う。ただし、書かなくなったからといって、字を忘れてしまうのは漢字圏特有の現象じゃなかろうか。
僕も手で書くことが少ない一人だ。そしてそれは日本語に限ったことではない。そういえば、最近ある著名の方に日本語で手紙を書く機会があったのだが、漢字が思い浮かばないことはさることながら、手が震えるわ、手の変なところで筋肉痛になるわ、と散々だった。(今思うと、がんばって書いた手紙だから写真を撮っておけばよかったぁ)
とにもかくにも、
難解な漢字は書けないけど読めるかもしれないこのインド人 ・・・ 日本人化したのか。
それとも...
読めるのは読めるけど、書けなくなった日本人 ・・・ インド人化したのか (爆)
車両型ロボット 「エボルタ号」 、通称(?)、 「エボルタ君」 が約500キロの旅を無事に走破した
ご存じのとおり、パナソニックのニッケル水素電池 「充電式エボルタ」 という、繰り返し充電して使える電池の動力のみで旅をする実験のことだ。12本の単3形・ニッケル水素電池を背負い、1日1回だけ充電して走り続けるという試み
これまでも、08年にアメリカのグランドキャニオンを登頂したり、09年にフランスのルマンサーキットを24時で間完走したり、様々なチャレンジをしてきたエボルタ君。
毎日充電し、毎日完全燃焼する...そんなエボルタ君を見習わないと!
歴史的な政権交代で誕生した民主党政権。
その折に、 ”「友愛」を夢に鳩山総理が誕生” したことにかけて 「愛夢総理」 という創作四字熟語も作られたりした。
あれからちょうど一年。
「トロイカ」 のどたばたが繰り広げられる中で、いつのまにか 「愛夢総理」 が 「愛無総理」 に変わってしまっているような気がした。トロイカのうち誰が 「総理」 をやっても日本国民に対する 「愛」 が 「無い」 んじゃないかと感じざるを得なくなった。
なんか直前の自民党時代と似てきたのは気のせいだろうか。それって、裏切られた国民に対して 「アイ・ム・ソーリー」 と謝るべき事態ではないか。
それでも、みなさんは絶えず日本国の 「総理」 に対して 「愛」 や 「夢」 をお持ちですか。
(独り言:余談だが、こうやって言葉と遊べる日本語ってやはりおもしろいなあ...)