京都 洛北の時計師 修理日記

時計修理工房「ヌーベル・パスティーシュ」京都の洛北に展開する時計修理物語。
夜久野高原で営業再開しました。

時計師の京都時間「メーデー!時間」

2016-05-01 09:13:19 | 時計修理

5月一日日曜日 メーデーの日。
写真は昨年の5月一日今宮神社「手作り市」の風景。
今年は1日が日曜日なのでお参りには行けないのが残念でした。

今日はメーデー。メーデー会場の二条城には昭和のにおいがプンプンするおじさんたちが会場造りに忙しそうでした。
平成メーデーは新・労働貴族の集まり風景に変りましたね~。
なんとなくこの会場に参加できる労働者の皆さんの一律、穏やかな表情が目に付きます。

昭和30年代の炭鉱町で育った私はメーデーと言うと怖いイメージがある。子供連れで参加なんてもってのほか!特に炭鉱では24時間フル操業なので24時間を三つに分ける。
「朝から働く一番方は体が大きい、夕方かの二番は睡眠不足で荒れやすい、深夜の3番方になるとシャブを喰っているために一度暴れだすと三人がかりでも抑えられない。強く押さえつけると骨が弱いので死んでしまうので扱いにくい。」
終戦直後まで覚せい剤は違法薬物ではなかった時代が長く特に重労働の炭鉱街では必需品でした。
かまぼこ長屋のゴミ箱にはシャブのアンプルが捨てられていました。きれいなガラスで出来ていたのでゴミ箱から拾い出してぐしゃっとつぶすのが面白い。そんな時代でした。
警察官の父親がこのメーデーの日は前日から警察署に泊り込み、夕方目を真っ赤にしても無事に帰ってくる姿を待って一日すごします。
労働者も警察官もこの時代の男たちは強くたくましくぶつかっていた昭和時代。
インターナショナルを歌える最後の世代が私達30年代生まれか。

穏やかな快晴の京都でのんびりと仕事が出来る日がやってくるとは!
「時計は365日休みなく働いていて当たり前!」の超長時間労働のしごとです。
今なら超ブラック業界「労多く、益すくなし」時代の時計師なのじゃ~。

「時計の針を逆に戻してはいけない!」
この常識を持つのが昭和世代です。
今の生まれたころからクオーツ世代は知らないでいい。

さらにデジタル世代は「時計回り」の右回りの言葉を知らない。
「さあ~龍頭を二段引き出します!」
ー先生!龍頭ってなに?
「時計の3時横にあるボタンの事、日本では龍の頭に似ているのでリューズ、英語では王冠に似ているのでクラウンと言います!」
ー時計回りってどっち?
「右に回すのが時計回りです。文明が北半球から発達したので日時計の影が右に回ることから時計回りと言うようになりました。」
ーどうして逆に回したらだめなの?
「昔、腕時計はほとんどゼンマイの力で動いていました。夜の12時ちょうどにカレンダーの歯車に迫ります。逆に回すとカレンダーを押す上げ鎌が折れてしまうのです。今でもロレックスなどの機械式時計は逆に回すと壊れることがあります!」
ー先生、年収はナンボ?
「???」
デジタル時計で育った子供達はアナログ時計の使い方と敬語と思い遣りを知らない!
貧乏時計師と高齢のメーデー参加者にはつらい時代が来た。

「よ~し!革命じゃ~。赤旗をたかくあげよう、世の中をひっくり返すぞ!明日はメーデーだ。」
映画の深夜食堂「にこごり」編を見ながら涙目でぼんやり考えていました。

3日から伊勢丹で九州物産市が始まります。
定休日4日の水曜日は臨時営業!
 伊勢丹に行ってから工房を開けるのでお昼くらいから開店します。
クマモンのカラシレンコンが出店しているといいな!鹿児島のてんぷらもいいな!福砂屋のカステラもいいな!
元気に行ってきますね~!







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