チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「Hebon ga tangyō shite kara nihyakunen ga tatsu. (ヘボン生誕200年)」

2015年03月13日 16時19分43秒 | 歴史ーランド・邪図
今日は、幕末から明治にかけて日本で布教活動をした
アメリカ合衆国のキリスト教長老派宣教師・医師
James Curtis Hepburn(ジェイムズ・カーティス・ヘプバーン、1815-1911)
の生誕200年にあたる日である。同人は、
横浜のフェリス女子学院や白金台の明治学院のもとを創った。

ヘボンの祖先はおそらくスコットランド女王メアリの夫だった
スコットランド貴族ボズウェル伯爵家の一族だと思われる。
そのメアリの倅で、テューダー朝断絶によってイングランド王となった
ジェイムズ6世(イングランド王としてはジェイムズ1世)が
対カトリック政策としてアイルランドのアルスターに
プロテスタントのプレズビテリアン(長老派)を入植させた。それが、
スコッティッシュ・アイリッシュと呼ばれることになる。そして、その中に、
ヘボンの祖先は含まれてた。が、
そうした進入を当然ながら快く思わなかったアイルランドのカトリックは
スコッティッシュ・アイリッシュ(プレズビテリアン)を敵対視した。
このアイルランド・カトリックの抵抗はのちにシン・フェインやIRAとなって
対イングランドへの報復テロに発展した。
イングランドの手先として入植させられて対アイルランド・カトリックとの
矢面に立たされたプレズビテリアンはいたたまれなくなって
18世紀になるとアメリカ東海岸へ移住するようになった。その中のひとりが
ベルファストからサスケハナに渡ったヘボンの曾祖父だった。

ヘボンは米国の名門プリンストン大を出てさらにやはり名門の
ペンスィルヴェイニャ大で医学を修めた。
東南アジアへの布教から帰国後NYで開業したが、
開国なった日本に西暦1859年に布教にやってきた。以来、
1892年に離日するまでの33年間を日本で過ごした。その間、
本業の布教活動や医業だけでなく、
ローマ字による日本語表記を体系化した。それが
「ヘボン式」と呼ばれてるものである。

これは戦後の米軍占領政策の効果もあって
現在でも一般的な日本語のローマ字表記だが、
そもそも"五十音"の各段・各行の発音自体が
"混合"されたものであるうえに、日本語の発音が
かならずしも文字づらどおりでないことも併せて、
現状に則さない事案が多いので、たとえば、
「りさ」なんていう外人名由来の女子の場合は
RisaとするよりもLisaのほうが現実的であるし、また、
MatsudaとするよりもMazdaというように
ドイツ語の発音を借用したような表記のほうが
"カッコいい"という認識でそのようにする場合もある。
ともあれ、やはり、
道路標識にヘボン式が使われてることもあって、
慣れ親しんでる表記法ではある。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「琳派誕生400年? そうだ、京... | トップ | 「2枠にオサリヴァン厩舎が帰... »

コメントを投稿

歴史ーランド・邪図」カテゴリの最新記事