香里奈女史が出てるnissenのTVCMで使われてる
♪ひとつだけーも、しーも、ねー【が】いー【が】、かーなーうーうなら♪
という歌謡曲は、JAMOSAというタレントが歌ってるらしい。
非鼻濁音の【が】の、私の年代の東京育ちの者にはじつに
粗野で聞き苦しい歌唱である。と思ってウィキペディアで見てみたら、
あんのじょう、1983年生まれ【福岡県出身】、となってた。もっとも、
1954年生まれ・東京都八王子市出身の
あらいゆみ(松任谷由実)女史が【ガ行非鼻濁音】である理由が
未だに解らない拙脳なる私が感じる、取るに足らない感想である。世の中には、
まっとうなことも正論もない、ということの一端かもしれない。
ヴァーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は、
現在、ケント・ナガノが音楽監督をしてる、
ミュンヒェンのバイアリッシェ・シュターツオーパーで1865年6月10日に、
ハンス・フォン・ビューローの指揮で初演された。その
34年後の1899年6月10日は、フランスの作曲家
エルネスト・ショソンがパリから50km弱西に位置するセヌ河畔の
Limay(リメ)という、当時は人口1800人程度の小村にあった別荘で
事故死した日である。44歳。
あとからやってくる妻と息子を、
娘と自転車で駅まで迎えに出ようとした。
少し先に走り出した娘が、うしろから父が来る音がしないので引き返すと、
門を出るところで頭を石畳に叩きつけてショソンは即死してたのである。
弁護士資格も有するショソンは、裕福な家の出だった。
生活のために作曲する必要などなかった。
死の3年前、1896年にショソンが作った「ポエム(詩曲)」は、当初、
1881年、つまり死の2年前という晩年に在仏ロスィア人作家
いわゆるツルゲーネフが創造したオカルト小説、
"Песнь торжествующей любви
(ピェースニ=歌・タルジストヴーユシシェィ=勝ち誇れる・リュブヴィー=恋の)"
に触発されて手がけられた。イタリアのフェラーラを舞台にした、
ヴァレーリヤという女性をめぐるムーツィオ(音楽)とファービオ(絵画)との
恋のさや当ては、ファービオの勝利に終わる。ムーツィオは傷心の旅に出たが、
また二人のもとに戻ってくる。そして、セイロン(現、スリランカ)仕込みの
「勝ち誇れる恋の歌」をヴァイオリンで奏でる。すると……。
現在残ってるショソンの「ポエム(詩曲)」は、しかし、
ツルゲーネフの小説によるインスピレイションからは逸脱したものになってるらしい。
"ムッシュ・アンニュイ"らしい曲想である。が、その主要主題、
***♪【ラー・>♯ソー│<ラー・<ドー・<ミー│ミー・ーー・ーー│
<ラー】・>ソー・>ミー│>ドー・ーー・>シー│>ラー♪
は、ショパンの「pf協奏曲第1番」第1楽章の主要主題、
***♪ミー│<【ラー・ー>♯ソ・<ラ<ド│<ミー・ミィッ・ミィッ│
<ラー】・>♯ソ<ラ・<シン>ラ│ラァッ・>ソォッ♪
にも「触発され」てる。ところで、
ショパンにピアノを習ってた女性に、
Pauline Viardot-Garcia(ポリヌ・ヴィヤルド=ガルスィヤ、1821-1910)
という歌手・作曲家がいる。ショパンの葬儀ではモツレクを歌った。そして、
このヴィヤルドこそが文豪ツルゲーネフの心を虜にした女性なのである。
ともあれ、
フランク一門でヴァグネリアンのショソンであるから、その作品には
トリスタン和音(Tristan Chord)が多くちりばめられてる。
この「ポエム(詩曲)」でも、
[Lento e misterioso、3/4拍子、3♭]から……途中、
3/4拍子と4/4拍子を1小節ずつ2度連続で交替する箇所はあるが……
[Animato、6/8拍子]に変じられる4小節前の第93小節で、
[c-b-es-ges]
という「トリスタン和音(Tristan Chord)」を敷くのである。
ツルゲーネフが「勝ち誇れる恋の歌」を記して130年、
ショソンが「ポエム(詩曲)」を書いて115年、
時は刻々ときざまれてる。
ポエムというよりはドエムかもしれない私は今宵も一人寂しく、
夜食のカップ麺に湯を注ぎ、
砂時計の砂がすべて落ちる3分間を、
まだかまだかと指を咥えて待ってるところである。
♪ひとつだけーも、しーも、ねー【が】いー【が】、かーなーうーうなら♪
という歌謡曲は、JAMOSAというタレントが歌ってるらしい。
非鼻濁音の【が】の、私の年代の東京育ちの者にはじつに
粗野で聞き苦しい歌唱である。と思ってウィキペディアで見てみたら、
あんのじょう、1983年生まれ【福岡県出身】、となってた。もっとも、
1954年生まれ・東京都八王子市出身の
あらいゆみ(松任谷由実)女史が【ガ行非鼻濁音】である理由が
未だに解らない拙脳なる私が感じる、取るに足らない感想である。世の中には、
まっとうなことも正論もない、ということの一端かもしれない。
ヴァーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」は、
現在、ケント・ナガノが音楽監督をしてる、
ミュンヒェンのバイアリッシェ・シュターツオーパーで1865年6月10日に、
ハンス・フォン・ビューローの指揮で初演された。その
34年後の1899年6月10日は、フランスの作曲家
エルネスト・ショソンがパリから50km弱西に位置するセヌ河畔の
Limay(リメ)という、当時は人口1800人程度の小村にあった別荘で
事故死した日である。44歳。
あとからやってくる妻と息子を、
娘と自転車で駅まで迎えに出ようとした。
少し先に走り出した娘が、うしろから父が来る音がしないので引き返すと、
門を出るところで頭を石畳に叩きつけてショソンは即死してたのである。
弁護士資格も有するショソンは、裕福な家の出だった。
生活のために作曲する必要などなかった。
死の3年前、1896年にショソンが作った「ポエム(詩曲)」は、当初、
1881年、つまり死の2年前という晩年に在仏ロスィア人作家
いわゆるツルゲーネフが創造したオカルト小説、
"Песнь торжествующей любви
(ピェースニ=歌・タルジストヴーユシシェィ=勝ち誇れる・リュブヴィー=恋の)"
に触発されて手がけられた。イタリアのフェラーラを舞台にした、
ヴァレーリヤという女性をめぐるムーツィオ(音楽)とファービオ(絵画)との
恋のさや当ては、ファービオの勝利に終わる。ムーツィオは傷心の旅に出たが、
また二人のもとに戻ってくる。そして、セイロン(現、スリランカ)仕込みの
「勝ち誇れる恋の歌」をヴァイオリンで奏でる。すると……。
現在残ってるショソンの「ポエム(詩曲)」は、しかし、
ツルゲーネフの小説によるインスピレイションからは逸脱したものになってるらしい。
"ムッシュ・アンニュイ"らしい曲想である。が、その主要主題、
***♪【ラー・>♯ソー│<ラー・<ドー・<ミー│ミー・ーー・ーー│
<ラー】・>ソー・>ミー│>ドー・ーー・>シー│>ラー♪
は、ショパンの「pf協奏曲第1番」第1楽章の主要主題、
***♪ミー│<【ラー・ー>♯ソ・<ラ<ド│<ミー・ミィッ・ミィッ│
<ラー】・>♯ソ<ラ・<シン>ラ│ラァッ・>ソォッ♪
にも「触発され」てる。ところで、
ショパンにピアノを習ってた女性に、
Pauline Viardot-Garcia(ポリヌ・ヴィヤルド=ガルスィヤ、1821-1910)
という歌手・作曲家がいる。ショパンの葬儀ではモツレクを歌った。そして、
このヴィヤルドこそが文豪ツルゲーネフの心を虜にした女性なのである。
ともあれ、
フランク一門でヴァグネリアンのショソンであるから、その作品には
トリスタン和音(Tristan Chord)が多くちりばめられてる。
この「ポエム(詩曲)」でも、
[Lento e misterioso、3/4拍子、3♭]から……途中、
3/4拍子と4/4拍子を1小節ずつ2度連続で交替する箇所はあるが……
[Animato、6/8拍子]に変じられる4小節前の第93小節で、
[c-b-es-ges]
という「トリスタン和音(Tristan Chord)」を敷くのである。
ツルゲーネフが「勝ち誇れる恋の歌」を記して130年、
ショソンが「ポエム(詩曲)」を書いて115年、
時は刻々ときざまれてる。
ポエムというよりはドエムかもしれない私は今宵も一人寂しく、
夜食のカップ麺に湯を注ぎ、
砂時計の砂がすべて落ちる3分間を、
まだかまだかと指を咥えて待ってるところである。
はじめまして!
ショーソンのポエムを勉強しているのですが
もしよろしければ詩曲の元となった
ツルゲーネフの「愛の勝利の歌」のお話を
詳しく教えて頂けませんか?
「(拙逐語大意)
что=What,
это=it(ここでは貴殿のご質問を指す),
значило=значить(ズナーチチ=mean)の中性過去形,
неужели же...=could it be...」
「ピェースニ・タルジェストヴーユシシェィ・リュブヴィー」に関して、
無学歴・拙脳な私は現在のところ本文に書いたこと以外には、
その前年に梅毒で亡くなった友人のフロベルに捧げられてる、
ということくらいしか残念ながら持ち合わせておりません。
ちなみに、
ツルゲーネフは脊椎癌がもとで亡くなりましたが、仲良しブループの
ドデもフロベルと同じく梅毒で脊椎をやられてました。ともあれ、
「ピェースニ・タルジェストヴーユシシェィ・リュブヴィー」に関して
詳しくはずっと先の出版150年にあたる2031年に書く
ショゾンですので、悪しからずご了承ください。
ショソンのポエムを勉強されてるほどの教養のかたなら、
短編ですから、ご自身で読まれるほうが話が早いでしょう。
この小説の露文も英訳も容易に手に入ります。
手暗がりで探すより簡単です。
♪ソー・ー>レ・・レー・レー│<ファ>ミ・ミー・・●●・●●│
>レー・ーー・・ーー・<ミー│>レ>ド・ドー・・●●・●●│
<ファー・ーー・・ーー・ファー│<ソー・ーー・・●●・>ファー│
>ミー・>ドー・・<レー・>シー│<ドー・ーー・・●●・●●♪
♪ドー・ーー・ドー│>シー・ーー・<ド<レ│
<ミー・ーミ・>レ>ド│ドー・>シー・●●│
<ミー・ーー・>シー│<ドー・ーー・ドー│
<レー・ーレ・>ド>シ│<ドー・ーー・●●♪
この2つのシューベルトの歌曲も参考になるかもしれません。ちなみに、
米国の指揮者だったアルフレッド・ウォーレンスタインは、
三十年戦争のフォン・ヴァレンシュタインの子孫です。