チャイコフスキー庵 Tchaikovskian

有性生殖生物の定めなる必要死、高知能生物たるヒトのパッション(音楽・お修辞・エンタメ・苦楽・群・遺伝子)。

「ビゼー『アルルの女』とマーラー『交響曲第5番』のアダジェット/ドーデもよくない問題」

2011年06月03日 01時18分09秒 | 説くクラ音ばサラサーデまで(クラ音全般

ビゼー マーラー アダージェット


母方のサーネイム名乗ってた米女優
Paulette Goddard(ポーレット・ゴダード、1910-1990)は、
今から101年前の今日6月3日にNYで生まれた。額の割合が
飛び抜けて大きいのが特徴の女優である。が、
著名な女優のわりに、相方だったチャップリンの「モダン・タイムズ」「独裁者」以外、
ぽーれっとといったりこれといったりした映画には出てない。
チャップリンと別れたあとに別の男性と結婚し離婚、そして、
ドイツ人作家エーリッヒ・レマルクと再婚してその死の1970年まで連れ添い、
莫大な財産を相続した。その中から、現在、日本でも放映されてる米TVドラマ
「ゴシップ・ガール」の舞台となってるNYU(ニュー・ヨーク大)に寄附をした。ところで、
ポーレット・ゴダードの父方のサーネイムはLevy(レヴィ)。その名でわかるとおり、
ユダヤ人である。そして、Levy(レヴィ)といえば、
フランスの作曲家ジャック・フロマンタル・アレヴィ(Halevy)も、本来の名は、
レヴィ(Levy)である。それはさておき、
その弟子で、娘と結婚したのが、Georges Bizet(ジョルジュ・ビゼ)である。

ジャック・フロマンタル・アレヴィの甥のリュドヴィク・アレヴィがアンリ・メイヤックと共作した戯曲
"Le Reveillon(ル・レヴェイヨン=夜食)は、
ヨーハン・シュトラウス2世のオペレッタ「こうもり」の原作である。ちなみに、
ヨーハン・シュトラウス2世とジョルジュ・ビゼは、
生まれた年(1825年と1838年)も
死んだ年(1899年と1875年)もそれぞれ異なるが、
誕生日(10月25日)も命日(6月3日)も同じ、という
"仲良し"である。また、
ヴィーン宮廷歌劇場(現、ヴィーン国立歌劇場)はかつて、
格式を重んじていわゆる喜歌劇(オペレッタ)は上演しなかった。が、
オペレッタ「こうもり」はヨーハン・シュトラウス2世の晩年になってから、
グスタフ・マーラーによって正式なレパートリーに組み入れられた。

さて、
今年が没後100年であるマーラーの「交響曲第5番」は、
年の差婚の愛妻アルマのために書かれた、らしい。が、
アルマは野心家でありまた多淫な女性だった。
ミラーノの大貴族家出身のルキノ・ヴィスコンティが、
古くから敵対してきたヴェネッツィアを、美しくも、しかし、
コレラに蝕まれた汚い醜い町として描いた
「ベニスに死す」(1971年)で、
このマーラーの「交響曲第5番」の第4楽章、
"Adagietto(アダジェット)"が使われ、マーラーの著作権切れで
交響曲自体の演奏も多くなったことも相まって、
一般的なクラ音ファンに知られるようになった。のちに、
ベルギーの振付家モーリス・ベジャールによってアルゼンチン出身のロスィア系ダンサー、
ホルヘ・ドン(のちにジョルグ・ドン、ジョルジュ・ドンなどと呼ばれた)のために
振り付けられたバレエで1980年代にさらに広く知れ渡るようになった。
ところが、
なぜ「アダジェット」なのであろう?
速度の標語はドイツ語で"Sehr Langsam(ゼーア・ラングザーム=Molto Adagio)"
である。結論からいえば、ここで使われてる
"Adagietto(アダジェット)"というのは速度標語ではなく、この楽章の
「タイトル」なのである。この楽章は管楽器や打楽器は暇を出されてる。
弦楽5部と1台のハープのみとい編成である。ハープが加えられてるが、
「1♭=ヘ長調」「弦楽合奏」「アダジェット」
という共通項から擦るに察するに、
ビゼの劇音楽「アルルの女」(1872)→初演直後にビゼー自身が
組曲「アルルの女」を編んだ。その4曲の第3曲の
「タイトル」が、"Adagietto(アダジェット)"なのである。

イタリア語の"adagio(アダージョ)"は元来、
ラテン語の"adagium(アダギウム=格言、箴言、警句)"から派生した語である。
ラテン語がイタリア化して名詞"adagium→adagio(格言、座右の銘)→
動詞化"adagiare(アダジアーレ=座右に据える→横たえる→身を任せる
→くつろぐ→副詞(=形容詞)"adagio、くつろいで(くつろいだ)"
→ゆっくりと(ゆっくりな)
となったのである。で、
名詞"adagio(アダージョ)"に程度減少を表す接尾辞"-etto"が附いたものが、
"Adagietto(アダジェット)"である。つまり、
"Adagietto"は音楽の速度標語としては
「"adagio"よりもゆっくり度が弱められたもの」
=「アダージョよりはやや速い速度で」
というものであるが、いっぽうで、
曲の種類としての意味においては、
元来の「座右の銘」の意味のアダージョの程度を減じた形の
アダジェットは、「ちょっとした置き物」、すなわち、
「(ゆるやかな)小曲」というほどの意味である。
ローマ大賞受賞者だったビゼは、18歳から20歳までのイタリア留学で、
この程度のイタリア語は解してたのである。

ともあれ、
そのビゼのアダジェットも弦楽4部(コントラバスは使われてない)のみの編成、
1♭=ヘ長調だった。そして、この曲は原曲(劇付随音楽)では、
第3幕1場、この幕では2番めの曲である第19曲「メロドラム」……
(現在のメロドラマの意味ではない。本来、音楽だけの無言スィーン。
音楽で聴衆の感動を誘い、お涙を頂戴する箇所)
……の中間部の音楽である。この前後を
「カリヨン(鐘)」の中間部のスィスィリエンヌが挟む。ともあれ、
組曲では"Adagietto(アダジェット)"とタイトルづけられることになる箇所は、
劇では主人公フレデリの家の羊飼いの老人バルタザルが、
若き日の恋人ルノーお婆ちゃんと肩を寄せ合い語り合う場面の音楽なのである。

つまり、
マーラーは自分が年老いたときもまだ若い妻アルマと仲睦まじくあってたい、
添い遂げたい、いや、未来永劫連れ添っていたい、
という切実な願望を込めて、「交響曲第5番」の第4楽章を
"Adagietto(アダジェット)"とタイトルづけて、
このビゼーの音楽へのオマージュともオマジないともしたのである。が、
それは少なくとも2つの理由で不可能なことだった。すなわち、第一に、
アルマに「貞女は二夫(両夫)にまみえず」などということは
まったく期待できない性分の女性だった。本能や自分の意思の
あるままに行動する人格だった。第二に、
マーラーには老人になるまで生きれる肉体は備わってなかった。
それだけに、じつに美しくも悲しい、痛々しい音楽に仕上がってるのである。

とはいえ、
シューベルトとマーラーの眼鏡の違いも見分けれず、
六本木交差点から谷町方面に少し降りたところにある
ホテル・ザ・ビーの地下に開店したらしい「すきやき次郎」が
有楽町の鮨屋「すきやばし次郎」をもじった遊び心と感じてしまう、
拙脳なる私が感じることにすぎない。ただ、
トンデモ演奏指揮者の代表格、メンヘルベルグのスコアの第1ヴァイオリンの箇所には、
<Wie ich Dich liebe
Du meine Sonne
Ich kann mit Worten dir's nicht sagen
Nur meine Sehnsucht
Kann ich Dir klagen
Und meine Liebe
Meine Wonne!>
(ヴィー・イヒ・ディヒ・リーベ、
ドゥ・マイネ・ゾネ、
イヒ・カン・ミット・ヴォアテン・ディーア'ス・ニヒト・サーゲン、
ヌーア・マイネ・セーンスフト、
カン・イヒ・ディーア・クラーゲン、
オント・マイネ・リーベ、
マイネ・ヴォネ!)
「どんなに私は君を愛してるか、
君は私の太陽だ、
私は君に言葉で表すことはできない、
ただこの想いを訴えるだけ、
そしてこの愛を、
君を慕うこの喜びを!(拙大意)」
という、マーラーがこう語ったと言ったという言葉が
remarkされてるらしい。
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