AKBの"第3回総選挙"なるものの結果が発表された。
前田敦子嬢が一位に返り咲いたのだそうである。が、
選挙結果と同時期に封切られた同女史主演の映画
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
略して「もしドラ」が「ガラガラ」で大コケらしい。
映画製作関係者こそドラッカーの経営理論でも学んでればよかったのに。
そもそも、前田敦子嬢があの顔・性根で一位、というのに無理がある。
大島優子女史はAKBとしては齢を食いすぎてるからしかたないにしても。
もっとも、
AKBの「ヘビーローテーション」の
♪アイ・ウォンチューーー、アイ・ニーヂューーー、アイ・ラーヴィューーー♪
という♪ドー<レー<ミーーーーーー♪の繰り返しが流れてくると、
私の頭の中でよくガンガン鳴ってる曲である
モーツァルトの「ピアノ・ソナタk331第3楽章(トルコ行進曲)」や
ブルックナーの「交響曲第7番第2楽章」のクライマックスを想起してしまう、
拙脳なる私の感想にすぎない。
さて、
48といえば、ショパンは1849年の10月17日に死ぬのだが、
1848年からはほとんど曲を作れないほど体が衰弱してた。が、
その1848年という年はパリで2月革命が起こった年であり、
ショパンはロンドンに逃れた。同様に逃れてきてたヴィヤルド夫人は、
コヴェントガーデンのコンサートでショパンを前にしてそのマズルカに
スペイン語だかフランス語だかの歌詞を付けて歌ったという。
ともあれ、パリに戻ったショパンはいよいよ体調が思わしくなくなる。
いつ頃書かれたか詳らかにはわかってないが、
死の床でスケッチを認めたと思われるのが、
「マズルカ第49(51)番ヘ短調op.68-4」である。そして、
この曲こそがショパンの最後の曲なのである。
***♪ミー・ー<ファ・ファ>ミ│>レ>♯ド・<レー・<シー│
>(N)レー・ー<ミ・ミ>レ│>♯ド>♯シ・<♯ドー・<ラー│
>(N)ドー・ー<レ・レ>ド│>シ>♯ラ・<シー・<ファー│
>ミー・ー>レ・>ド>シ│<レ>ド・>ラ<シ・<ド<♯レ│
<ミー・ー<ファ・>♯レ<ファ│>ミ>♯♯ド・<♯レ<ド・>シ>♯レ│
>Nレー・ー<ミ・ミ>レ│レ>♯シ・<♯ド<♭シ・>ラ>♯ド│
>Nドー・【ー】<♭ミ・>レ>ド♪
クロマティカルな、アンニュイな、寂しい、空虚な、滅入るような曲想である。
この右手が【as】の箇所の左手は、
【f-ces-es】となってる。つまり、ここは、
【f-ces-es-as】
という、ベートーヴェンが「ピアノ・ソナタ第18番」第1楽章(3/4拍子)の
第36、38小節の【f-ces-es-as】と同じ和音を敷いてる。そして、
この和音こそが、このマズルカが出版された1855年のすぐあと、
1857年から作曲が始まった「トリスタンとイゾルデ」の第1幕への前奏曲で
ヴァーグナーが仕掛けた【f-h-dis-gis】なのである。
(h=ces、dis=es、gis=as)
ともあれ、
このマズルカ、左手がほとんどいわゆる「ズン・チャッ・チャッ」。
マズルカというよりは、ショパン固有のヴァルスのようである。つまり、
op.69-1の「ヴァルス第09番変イ長調」のヘ短調の冒頭に曲想が似てる。
このヴァルスは生前に出版されなかったから、ショパンはその
衰弱した肉体で、十数年前の【悲恋】に想いを寄せてた結果、
「似た曲想」がアウトプットされたのかもしれない。ちなみに、
このマズルは寝たままペラ紙に記譜されたらしく、
判読不能な箇所が多いそうである。ために、
トリオは省かれるのが通常である。この曲を
"産みだしてた"とき、ショパンはもはや、
ピアノの前に座って実際に音を出してみることも
できなくなってたらしい。まさに、
絶筆である。私は普段からアレクサンドル・デュマ(父のほう)のように
ベッドで寝そべりながらラップトップに文章を打ち込んでるが、当然、
屑同然のものしか産み出せない。
前田敦子嬢が一位に返り咲いたのだそうである。が、
選挙結果と同時期に封切られた同女史主演の映画
「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」
略して「もしドラ」が「ガラガラ」で大コケらしい。
映画製作関係者こそドラッカーの経営理論でも学んでればよかったのに。
そもそも、前田敦子嬢があの顔・性根で一位、というのに無理がある。
大島優子女史はAKBとしては齢を食いすぎてるからしかたないにしても。
もっとも、
AKBの「ヘビーローテーション」の
♪アイ・ウォンチューーー、アイ・ニーヂューーー、アイ・ラーヴィューーー♪
という♪ドー<レー<ミーーーーーー♪の繰り返しが流れてくると、
私の頭の中でよくガンガン鳴ってる曲である
モーツァルトの「ピアノ・ソナタk331第3楽章(トルコ行進曲)」や
ブルックナーの「交響曲第7番第2楽章」のクライマックスを想起してしまう、
拙脳なる私の感想にすぎない。
さて、
48といえば、ショパンは1849年の10月17日に死ぬのだが、
1848年からはほとんど曲を作れないほど体が衰弱してた。が、
その1848年という年はパリで2月革命が起こった年であり、
ショパンはロンドンに逃れた。同様に逃れてきてたヴィヤルド夫人は、
コヴェントガーデンのコンサートでショパンを前にしてそのマズルカに
スペイン語だかフランス語だかの歌詞を付けて歌ったという。
ともあれ、パリに戻ったショパンはいよいよ体調が思わしくなくなる。
いつ頃書かれたか詳らかにはわかってないが、
死の床でスケッチを認めたと思われるのが、
「マズルカ第49(51)番ヘ短調op.68-4」である。そして、
この曲こそがショパンの最後の曲なのである。
***♪ミー・ー<ファ・ファ>ミ│>レ>♯ド・<レー・<シー│
>(N)レー・ー<ミ・ミ>レ│>♯ド>♯シ・<♯ドー・<ラー│
>(N)ドー・ー<レ・レ>ド│>シ>♯ラ・<シー・<ファー│
>ミー・ー>レ・>ド>シ│<レ>ド・>ラ<シ・<ド<♯レ│
<ミー・ー<ファ・>♯レ<ファ│>ミ>♯♯ド・<♯レ<ド・>シ>♯レ│
>Nレー・ー<ミ・ミ>レ│レ>♯シ・<♯ド<♭シ・>ラ>♯ド│
>Nドー・【ー】<♭ミ・>レ>ド♪
クロマティカルな、アンニュイな、寂しい、空虚な、滅入るような曲想である。
この右手が【as】の箇所の左手は、
【f-ces-es】となってる。つまり、ここは、
【f-ces-es-as】
という、ベートーヴェンが「ピアノ・ソナタ第18番」第1楽章(3/4拍子)の
第36、38小節の【f-ces-es-as】と同じ和音を敷いてる。そして、
この和音こそが、このマズルカが出版された1855年のすぐあと、
1857年から作曲が始まった「トリスタンとイゾルデ」の第1幕への前奏曲で
ヴァーグナーが仕掛けた【f-h-dis-gis】なのである。
(h=ces、dis=es、gis=as)
ともあれ、
このマズルカ、左手がほとんどいわゆる「ズン・チャッ・チャッ」。
マズルカというよりは、ショパン固有のヴァルスのようである。つまり、
op.69-1の「ヴァルス第09番変イ長調」のヘ短調の冒頭に曲想が似てる。
このヴァルスは生前に出版されなかったから、ショパンはその
衰弱した肉体で、十数年前の【悲恋】に想いを寄せてた結果、
「似た曲想」がアウトプットされたのかもしれない。ちなみに、
このマズルは寝たままペラ紙に記譜されたらしく、
判読不能な箇所が多いそうである。ために、
トリオは省かれるのが通常である。この曲を
"産みだしてた"とき、ショパンはもはや、
ピアノの前に座って実際に音を出してみることも
できなくなってたらしい。まさに、
絶筆である。私は普段からアレクサンドル・デュマ(父のほう)のように
ベッドで寝そべりながらラップトップに文章を打ち込んでるが、当然、
屑同然のものしか産み出せない。
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