4月20日は、喜劇王ハロルド・ロイド(1893年)が生まれた日だが、スペインの画家ジョアン・ミロの誕生日でもある。
ジョアン・ミロ・イ・ファラーは、1893年に、スペインのバルセロナで生まれた。父親は、時計・宝飾品職人だった。
中学を卒業したミロは、商業高校に通いながら、美術学校にも通った。
17歳の年、高校を卒業したミロは、会社に就職し、簿記係として務めだした。が、仕事に慣れず、神経衰弱になり、さらに腸チフスにかかって、退職した。
休養をとったミロは、画家として立つことを決意。19歳のときに美術学校に入学。美術学校に通いながら、同時にべつのデッサン教室にも通い、作品を展覧会に出品した。
22歳のときから、ミロは、毎年10月から12月までの3カ月間、兵役に就いたという。
26歳のときまで、バルセロナを中心に活動し、バルセロナのサロンに作品を出品していたミロは、27歳のころから、仏国へ移り、パリで絵を描くようになった。そうして、そのころ仏国で結成されたシュルレアリスム運動に加わり、ミロはシュルレアリストの画家として知られるようになった。しかし、絵はなかなか認められなかった。
36歳で結婚、37歳のときには長女が誕生したが、なお苦しい生活が続いた。
39歳の年には、経済的な困窮から、パリをひき払い、スペインのバルセロナへもどった。その同じ年、ニューヨークで個展を開いたあたりから、評価が高まりだし、米国先導の形でしだいにミロは大画家と認知されるようになっていった。
1937年、44歳のときには、パリ万国博覧会のスペイン館のために、壁画「刈り入れ人」を制作。ピカソの「ゲルニカ」などとともに、スペイン館に展示された。すでに押しも押されぬ世界的巨匠になっていた。
ミロは油彩画だけでなく、彫刻、陶器、版画など、表現方法の幅を広げて制作を続けた。
1970年、77歳のときには、来日して、大阪万博のガス館に陶板壁画「無垢の笑い」を制作している。そして、1983年12月、アトリエを持っていた、スペインのパルマ・デ・マリョルカで没した。90歳だった。
ミロは、記号のような、微生物の拡大図のような、または落書きのような、摩訶不思議なキャラクターが画面いっぱいにちりばめられた独特の絵画で知られる。
ミロの絵は、自由で、奔放で、楽しくて、なかなかこちらを放してくれない。
20世紀最大の芸術家とも称されるマルセル・デュシャンなどは、便器をひっくり返して置いて「はい、これが芸術作品です」と言ったり、あるいは「モナ・リザ」の絵に口ひげだけ描き加えたり、と、物の見方をひっくり返し、価値観を逆転させてみる、といったやり方をした。それはそれで、20世紀的な芸術なのだろうけれど、ミロの芸術は、まったくちがう性質のものである。
ミロの芸術は、自分自身と向かい合って闘いつづけ、耐えぬいた後についにつかんだおのれ自身の精髄といったもので、観る者は、そのミロの個性美の豊かさを堪能するとともに、そこにいたるミロの苦闘を思って感動するのである。
(2023年4月20日)
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『芸術家たちの生涯──美の在り方、創り方』(ぱぴろう)
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https://www.meikyosha.jp
ジョアン・ミロ・イ・ファラーは、1893年に、スペインのバルセロナで生まれた。父親は、時計・宝飾品職人だった。
中学を卒業したミロは、商業高校に通いながら、美術学校にも通った。
17歳の年、高校を卒業したミロは、会社に就職し、簿記係として務めだした。が、仕事に慣れず、神経衰弱になり、さらに腸チフスにかかって、退職した。
休養をとったミロは、画家として立つことを決意。19歳のときに美術学校に入学。美術学校に通いながら、同時にべつのデッサン教室にも通い、作品を展覧会に出品した。
22歳のときから、ミロは、毎年10月から12月までの3カ月間、兵役に就いたという。
26歳のときまで、バルセロナを中心に活動し、バルセロナのサロンに作品を出品していたミロは、27歳のころから、仏国へ移り、パリで絵を描くようになった。そうして、そのころ仏国で結成されたシュルレアリスム運動に加わり、ミロはシュルレアリストの画家として知られるようになった。しかし、絵はなかなか認められなかった。
36歳で結婚、37歳のときには長女が誕生したが、なお苦しい生活が続いた。
39歳の年には、経済的な困窮から、パリをひき払い、スペインのバルセロナへもどった。その同じ年、ニューヨークで個展を開いたあたりから、評価が高まりだし、米国先導の形でしだいにミロは大画家と認知されるようになっていった。
1937年、44歳のときには、パリ万国博覧会のスペイン館のために、壁画「刈り入れ人」を制作。ピカソの「ゲルニカ」などとともに、スペイン館に展示された。すでに押しも押されぬ世界的巨匠になっていた。
ミロは油彩画だけでなく、彫刻、陶器、版画など、表現方法の幅を広げて制作を続けた。
1970年、77歳のときには、来日して、大阪万博のガス館に陶板壁画「無垢の笑い」を制作している。そして、1983年12月、アトリエを持っていた、スペインのパルマ・デ・マリョルカで没した。90歳だった。
ミロは、記号のような、微生物の拡大図のような、または落書きのような、摩訶不思議なキャラクターが画面いっぱいにちりばめられた独特の絵画で知られる。
ミロの絵は、自由で、奔放で、楽しくて、なかなかこちらを放してくれない。
20世紀最大の芸術家とも称されるマルセル・デュシャンなどは、便器をひっくり返して置いて「はい、これが芸術作品です」と言ったり、あるいは「モナ・リザ」の絵に口ひげだけ描き加えたり、と、物の見方をひっくり返し、価値観を逆転させてみる、といったやり方をした。それはそれで、20世紀的な芸術なのだろうけれど、ミロの芸術は、まったくちがう性質のものである。
ミロの芸術は、自分自身と向かい合って闘いつづけ、耐えぬいた後についにつかんだおのれ自身の精髄といったもので、観る者は、そのミロの個性美の豊かさを堪能するとともに、そこにいたるミロの苦闘を思って感動するのである。
(2023年4月20日)
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