4月23日は「サン・ジョルディ」の日。スペインのカタロニア地方ではこの日、女性は男性に本を、男性は女性に赤いバラを贈るならわしだが、この日は、日本画家、上村松園の誕生日でもある。
上村松園は、1875年に京都で生まれた。本名は、上村津禰(うえむらつね)。父親は彼女が母親の胎内にいるときに没し、写真もないことから、松園は父親の顔を知らなかったが、
「(父親は)あんたとそっくりの顔やった」
と言われた。彼女は、葉茶屋を営む母親の女手ひとつで育てられた。
松園は小さいころから、人物画を描くのが好きだった。馬琴の読み本に載った北斎の挿絵が好きで、それを模写していたという松園は、12歳のとき、京都府立画学校に入学。同校の教師だった鈴木松年(しょうねん)に学校で教わりながら、同時に、松年の塾にも通うようになった。そして、松年が画学校を退職すると、松園も学校をやめ、松年の塾の塾生となった。
15歳のとき、内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品。一等褒状を受賞した。さらに、来日中の英国王子がこの絵を購入し、話題となった。
18歳のころ、上村松園は、より広い絵の世界を見るため、師の松年の承諾を得て、幸野楳嶺(ばいれい)の門下へ移った。
そして、松園が20歳の年に楳嶺が没すると、竹内栖鳳(せいほう)に師事した。真剣に絵画で身を立てようと考えたのはこのころだったという。
25歳のとき、「花ざかり」が日本美術院連合絵画共進会の銀牌を受賞。同年、パリ万国博覧会に出品した「母子」が、銅牌を受賞。
27歳のとき、男の子(信太郎、後の上村松篁)を、私生児として出産。父親は、最初の師、鈴木松年だと言われている。
以後、「月蝕の宵」「花がたみ」「焔」「楊貴妃」「序の舞」「鼓の音」「夕暮」「牡丹雪」などの名作を発表し続けた。
1948年、73歳のとき、女性としてはじめて 文化勲章を受章。
1949年8月、肺ガンのため、奈良で没。74歳だった。
「西の松園、東の清方」と鏑木清方と並び賞される美人画の双璧の一方、上村松園の美人画には、凛とした気品がある。日本画家の平山郁夫も言っている。
「松園の前に松園はなく、松園の後に松園なしです。傑出しています。
日本画というのは品格といいますか、画品を重んじますが、松園さんの作品には格調があります。抑制がきいているのです」(河北倫明、平山郁夫監修『巨匠の日本画 [5] 上村松園』学習研究社)
上村松園自身は、こう言っている。
「よいものを描くには、さまざまな研究をしなくてはならないことはいうまでもございませんが、一番に必要なのは『信念』というか一つの『気魄』であろうと私は思っております。どんなものを描きます時も、いえ、描く前の構想、それを練る時から、
『これは、必ずよいものができる』
という信念を、私はもちます」(『上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後』求龍堂)
(2023年4月23日)
●おすすめの電子書籍!
『芸術家たちの生涯──美の在り方、創り方』(ぱぴろう)
古今東西の大芸術家、三一人の人生を検証する芸術家人物評伝。彼らの創造の秘密に迫り、美の鑑賞法を解説する美術評論集。会田誠、ウォーホル、ダリ、志功、シャガール、ピカソ、松園、ゴッホ、モネ、レンブラント、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチまで。芸術眼がぐっと深まる「読む美術」。
●電子書籍は明鏡舎。
https://www.meikyosha.jp
上村松園は、1875年に京都で生まれた。本名は、上村津禰(うえむらつね)。父親は彼女が母親の胎内にいるときに没し、写真もないことから、松園は父親の顔を知らなかったが、
「(父親は)あんたとそっくりの顔やった」
と言われた。彼女は、葉茶屋を営む母親の女手ひとつで育てられた。
松園は小さいころから、人物画を描くのが好きだった。馬琴の読み本に載った北斎の挿絵が好きで、それを模写していたという松園は、12歳のとき、京都府立画学校に入学。同校の教師だった鈴木松年(しょうねん)に学校で教わりながら、同時に、松年の塾にも通うようになった。そして、松年が画学校を退職すると、松園も学校をやめ、松年の塾の塾生となった。
15歳のとき、内国勧業博覧会に「四季美人図」を出品。一等褒状を受賞した。さらに、来日中の英国王子がこの絵を購入し、話題となった。
18歳のころ、上村松園は、より広い絵の世界を見るため、師の松年の承諾を得て、幸野楳嶺(ばいれい)の門下へ移った。
そして、松園が20歳の年に楳嶺が没すると、竹内栖鳳(せいほう)に師事した。真剣に絵画で身を立てようと考えたのはこのころだったという。
25歳のとき、「花ざかり」が日本美術院連合絵画共進会の銀牌を受賞。同年、パリ万国博覧会に出品した「母子」が、銅牌を受賞。
27歳のとき、男の子(信太郎、後の上村松篁)を、私生児として出産。父親は、最初の師、鈴木松年だと言われている。
以後、「月蝕の宵」「花がたみ」「焔」「楊貴妃」「序の舞」「鼓の音」「夕暮」「牡丹雪」などの名作を発表し続けた。
1948年、73歳のとき、女性としてはじめて 文化勲章を受章。
1949年8月、肺ガンのため、奈良で没。74歳だった。
「西の松園、東の清方」と鏑木清方と並び賞される美人画の双璧の一方、上村松園の美人画には、凛とした気品がある。日本画家の平山郁夫も言っている。
「松園の前に松園はなく、松園の後に松園なしです。傑出しています。
日本画というのは品格といいますか、画品を重んじますが、松園さんの作品には格調があります。抑制がきいているのです」(河北倫明、平山郁夫監修『巨匠の日本画 [5] 上村松園』学習研究社)
上村松園自身は、こう言っている。
「よいものを描くには、さまざまな研究をしなくてはならないことはいうまでもございませんが、一番に必要なのは『信念』というか一つの『気魄』であろうと私は思っております。どんなものを描きます時も、いえ、描く前の構想、それを練る時から、
『これは、必ずよいものができる』
という信念を、私はもちます」(『上村松園全随筆集 青眉抄・青眉抄その後』求龍堂)
(2023年4月23日)
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