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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月11日・小林秀雄の構え

2023-04-11 | 文学
4月11日は、「若大将」加山雄三(1937年)が生まれた日だが、評論家、小林秀雄の誕生日でもある。

小林秀雄は、1902年、東京の神田に生まれた。父親は宝石の研磨技術を欧州で学んできた技術者、実業家だった。
18歳の年に、父親が没し、母親が肺ガンになった。このころ、小林秀雄は同人誌に小説を発表していた。
23歳の年に、東京帝国大学の仏文科に入学。詩人の中原中也を知り、中原の恋人だった長谷川泰子と恋愛関係におちいり、長谷川泰子と同棲をはじめた。
26歳の歳に大学卒業。卒論はアルチュール・ランボー論だった。同じ年、同棲していた家から逃げだし、奈良の志賀直哉を頼った。
27歳のとき、雑誌「改造」の懸賞論文に応募した評論「様々なる意匠」が二席に入り、評論家としてデヴュー。
28歳のとき、ランボーの詩集の翻訳『地獄の季節』出版。以後、『ドストエフスキイの生活』『モオツァルト』『ゴッホの手紙』などを書き、56歳のとき、ベルグソン論である『感想』(未刊)を執筆開始。
75歳のとき、代表作『本居宣長』を出版。
1983年3月、腎不全、尿毒症などのため、入院先の病院にて没。80歳だった。

学生のころ、小林秀雄の書いたものはほとんど読まなかった。その昔、小林秀雄の文章は大学入試の問題にひじょうによく取り上げられていて、高校時代にさんざん問題集で読まされ、辟易としていた。
しかし、小林秀雄が没してから、彼の講演録音テープで、たばこをやめた話を聞き、それからおもしろい人だと読みはじめ、全集をそろえるまでになった。

戦争が終わったばかりのころ。戦時中に戦意高揚をあおった文学者や知識人がつるし上げられていたなか、文人戦犯として批判された小林はこう言い放った。
「僕は無智だから反省なぞしない。悧巧な奴はたんと反省してみるがいいぢやないか」(山本七平「小林秀雄の生活)

年をとって知った顔をする輩は多いが、小林秀雄は違う。彼はこう書いている。
「天命を知らねばならぬ期に近付いたが、惑いはいよいよこんがらがつて来る様だし、人生の謎は深まつて行く様な気がしてゐる。成る程人並みに実地経験といふものは重ねて来たが、それは青年時代から予想してゐた通り、ただ疑惑の種を殖す役に立つて来た様に思はれる」(「年輪」)
これは自分の実感と同じである。知ったかぶりをせず、実感を正直に言ってくれる人こそ貴重である。彼は現代の紀貫之である。

世の多くは、小林秀雄の頭のよさ、直感力をほめるけれど、自分は何より彼の、保身に走らず、丸腰でつかつかと相手にふところに歩み寄っていくあの無勝手流のやり方、「あしたのジョー」のノーガード戦法のような構えに強く引かれる。
初めて読む方には『国語といふ大河』『私の人生観』『スランプ』などお勧めする。
(2023年4月11日)



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