1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月3日・ヘンリー・ルースの雑誌

2023-04-03 | ビジネス
4月3日は、思想家の北一輝が生まれた日(1883年)だが、数多くの雑誌を創刊した米国の出版人、ヘンリー・ルースの誕生日でもある。世界を代表するニュース雑誌「タイム」を創刊した人である。

ヘンリー・ロビンソン・ルースは、1898年、台湾で生まれた。父親は米国人の長老派の教会の牧師で、台湾に伝道師として来ていたのだった。
台湾で育ったヘンリーは、15歳のとき、米国コネティカット州に引っ越し、ホッチキス・スクールに入学。ホッチキスの学生新聞の編集に携わったが、そこで、終生のビジネス・パートナーとなる、同い年のブリトン・ハッデンと出会った。
彼らはイェール大学に入った。イェールでは二人とも、有名な学生クラブ「スカル・アンド・ボーンズ(頭蓋骨と骨=海賊マーク)」のメンバーだったという。
彼らはいっしょにイェール・デイリー・ニーズ紙を編集、発行した。
23歳のとき、ルースはハッデンと、新しい雑誌のアイディアについて話し合い、資金を集めた。彼らはタイム社を立ち上げ、1923年に、世界ではじめてのニュース雑誌「タイム」を創刊した。
ルースとハッデンは、社長と経理部長を1年ごとに交代で担当していたが、1929年に、ハッデンが急死すると、ルースが彼の地位を引き継ぎ、新雑誌をつぎつぎと創刊させ、拡大路線をひた走った。
1930年には、ビジネス雑誌「フォーチューン」創刊。
1934年には、グラビア写真雑誌「ライフ」創刊。
1952年には、「ハウス・アンド・ホーム」創刊。
1954年には、スポーツ雑誌「スポーツ・イラストレイテッド」創刊。
そうして、1960年代なかばには、ルースの率いるタイム社は、世界最大の雑誌社で、かつ、世界でもっとも権威ある雑誌社となった。
1964年まで編集現場で指揮をとりつづけた後、ルースは1967年2月、アリゾナ州フェニックスで没した。68歳だった。
死亡時に彼が持っていたタイム社の株式は、時価1億ドルと見積もられている。

ルースの死後、タイム社は、1989年に、ワーナー・コミュニケーションズと合併し、タイム・ワーナーとなった。そして2000年には、タイム・ワーナーとAOLが合併し、AOLワーナーとなり、後に「タイム・ワーナー」へ名前がもどされた。

ときどき話題になる「世界で最も影響力のある100人」というのは、「タイム」誌が毎年やっている企画である。考えてみれば、一雑誌内の企画記事が、こうやって世界中で評判になるというのはすごいことである。

才能について、ルースは言っている。
「詩を書ける人々がいる。一方に、貸借対照表が読める人々がいる。貸借対照表を読める人間には、詩など書けないものだ」(There are men who can write poetry, and there are men who can read balance sheets. The men who can read balance sheets cannot write.)
(2023年4月3日)



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