1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12/18・キースの魅力の秘密

2012-12-18 | 今日という日に爪を立てて
12月18日は、英国出身のロック・ギタリスト、キース・リチャーズの誕生日である(1943年)。
自分はキース・リチャーズのファンで、彼が所属するロック・バンド「ザ・ローリング・ストーンズ」や、彼がソロでだしたアルバムを含めて、彼の音楽をもう40年近く聴きつづけているし、2010年に出版されて世界各国でベストセラーになった彼の自伝も、英語の原書と日本語版の両方もって愛読している。
それでもストーンズ・ファンとしては、あまりくわしいほうではないのだろうが、彼について書こうとすると、1冊の本になりそうなくらいのたくさんのことが胸に迫ってきて、なにを書けばいいのかわからなくなり、困ってしまう。しかも、そういう風に困ることができる自分がうれしい。それがファンの心情というものかもしれない。

キース・リチャーズは、1943年12月18日にロンドンのテムズ川沿いの地区で生まれた。ちょうどナチス・ドイツ軍がロンドンを空襲していた、まっただなかでの出産だったという。
ザ・ビートルズのジョン・レノンは、キースより三つ年上だが、ジョンが生まれたリバプールも誕生時まさにドイツ軍の空襲下にあったそうで、ある共通した星のもとに生まれた二人、という感じがする。ちなみに、ポール・マッカトニーはキースより二つ年上、ミック・ジャガーはキースと同い年で、彼ら4人は同世代とひとくくにしていいと思う。

キースが誕生したとき、父親は召集されて軍隊へいっていて、留守だった。
一人っ子で、学校ではいじめられっ子だったキースだったが、母親にかわいがられ、親戚の女性たちにも愛されて育った。
やがて、父親が復員してくると、家族のなかで父親だけがのけ者になっていった。
母親は、キースが17歳のころ、若い年下の男と恋におち、キースが20歳のころに、夫と別居してその男と暮らすようになった。二人はそれからもずっと関係を保ち、25年後に正式に結婚している。

キースが17歳になる寸前の1960年11月に、英国の徴兵制が廃止になった。
これは、英国のポップ・ミュージック・シーンを考える上で、ひじょうに大きな転換点である。
それまで英国の少年たちは、ずっと、
「いずれ、兵隊にとられる」
という不安な意識をもって日々を暮らしていた。
それまでは、髪を伸ばしてギターをかき鳴らしていた不良少年も、召集令状がきた途端に、丸刈りにされ、銃を抱えて行進しなくてはならなかった。
その障壁が、とつぜん消えてなくなったのである。
もしも徴兵制が続いていたら、ビートルズもストーンズもなかったかもしれない。

キースは、近くに住んでいたミック・ジャガーと出会い、ブライアン・ジョーンズと出会い、三人はいっしょにバンドを組むことにした。三人で共同生活をしていた時期もある。
彼ら三人はさらにメンバーを募り、ビル・ワイマン、チャーリー・ワッツを加えて、ザ・ローリング・ストーンズが結成された。
出発点でのローリング・ストーンズは、もともと黒人ブルースのコピーバンドであって、ヒットチャートをねらうようなポップス・バンドではおよそなかった。
彼らが成功したのは、ヒット曲を作り、ステージがいいロック・バンドとしてだが、ブルース・バンドとしての名残は、ロック・バンドとして世界的成功をおさめた後もずっと残っている。
メンバーのなかでもとくにブルースへの傾倒が強いのがキース・リチャーズで、彼は黒人ブルースの音をずっと追求しつづけている。だから彼はこれまでいろいろな場所で、いろいろな黒人ミュージシャンたちといっしょに演奏してきているのである。

ビートルズがレコード・デビューした翌年の1963年に、ストーンズもレコード・デビュー。
ミック・ジャガーがボーカルで、キース・リチャーズがギター。
日本でいえば、RCサクセションの、キヨシローのボーカルとチャボのギターの二枚看板に近い感覚である。
二人は、ジャガー=リチャーズとして、オリジナル曲を共作するようになり、数々の名曲が産みだされていく。
やがて、英国のヒット・チャートのナンバー1を、ビートルズとストーンズが交互にとる、という現象が見られるようになる。
その時期、ビートルズ側と、ストーンズ側とで、新曲の録音の進み具合について連絡をとりあい、新曲の発売が重ならないようにしめしあっていたという。
1960年代当時のストーンズのコンサート風景たるやすさまじいもので、ストーンズがステージにあらわれるやいなや、客席の娘たちが絶叫しだし、興奮してパンティーを脱いで投げつけてきたり、半狂乱でステージに殺到したりして、嵐のような客席に演奏はほとんど聞こえていない状況だった。ステージ上のストーンズは試しに何度か、自分たちの曲でなく、「ポパイ・ザ・セーラー・マン」(テレビアニメの主題歌)を演奏してみたことがあったが、いずれのときも観客はまったく気づかなかったという。

世界的な人気を獲得したローリング・ストーンズのキャリアに、暗い影を投げかけたのは、ドラッグ問題だった。
英国の官憲は(日本もそうだけれど)、社会的な抑制効果をねらって、ときどき有名人のなかに見せしめの標的を決めて、徹底的に追いまわして、逮捕しようとやっきになっている(と思われる)ことがあって、ボーイ・ジョージやジョージ・マイケルもそうした標的にされた一人なのだろうが、ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズも、麻薬不法所持で逮捕されている。
留置場に入れられたミック・ジャガーは、さすがにがっくり気落ちして、すぐとなりの部屋に留置されているはずのキース・リチャーズに向かって、壁越しにこう泣き言をいったそうだ。
「すべて忘れてしまって、もうやめようか」
すると、壁越しにキースは、こういい返してきた。
「おれたちはやりぬくんだ(We're gonna make it.)」
キースは、同じことばを繰り返した。やがて、ミックも同じことばを言い返した。そうして、二人は留置場の壁をはさんで、
「おれたちはやりぬくんだ」
と言いあい続けた。
それで、スートンズは、2012年の現在まで続いているのである。
ほかのメンバーもそうだけれど、とくにキースはいつもジャックダニエルの瓶を手離さず、朝起きたらマリファナをまず一服、ヘロインもヘヴィーにきめる、といった無茶苦茶な生活をしているので、この年齢での演奏はおろか、こんなに長生きすると予想していたファンはほとんどいなかったのではないかと思われる。
でも、彼は今日2012年12月18日で69歳になる、現役のロック・ミュージシャンなのである。

キース自身のいうところによると、
「おれは、これまで生きてきて、女を口説いたことがない。どうすればいいか知らないんだ(I have never put the make on a girl in my life. I just don't know how to do it.)」
ということなのだそうだ。
つまり、女性たちのほうから、キースを口説いてくるのだ、と。
キースがするのは、そういう雰囲気、そういう場面をお膳立てするところまでで、最後は向こうまかせなのだという。
「おれは女性たちのなかで、どうふるまえばいいか、わかっていた。だって、おれのいとこのほとんどは女だったしね(I knew how to operate amongst women, because most of my cousins were women.)」
どうやら、女性の側からみたキースの魅力は、小さいころに親戚の女性に囲まれて育った、その環境から身についた、女性の母性本能をくすぐる独特の雰囲気や所作、ということになるだろうか。

ドラッグ漬けのワイルドなロック・スターという一般的に流布しているイメージとは異なって、キース・リチャーズは一面、クラシック好きで読書家の教養人でもある。
モーツァルトを聴き、歴史の本を読むのが好きらしい。
歴史本では、ネルソン提督の時代、第二次大戦のころ、そして古代ローマの歴史について書かれたものをよく読むそうだ。
(2012年12月18日)



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