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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

12月3日・篠山紀信の大

2022-12-03 | 芸術
12月3日は「ワン、ツー、スリー」というマジシャンの声かけにちなんで奇術の日。この日は映画監督ジャン=リュック・ゴダールが生まれた日(1930年)だが、写真家の篠山紀信(しのやまきしん)の誕生日でもある。

篠山紀信(本名の読みは、しのやまみちのぶ)は、1940年、現在の東京の新宿じ生まれた。
父親は真言宗の寺の住職で、紀信は次男だった。
少年時代はとくに写真好きでもなかった紀信は、大学受験のとき、希望大学に進めず、衝動的に大学の写真学科に願書を出した。そして入学後、カメラマンを志し、大学に通いながら、写真の専門学校にも通った。在学中に広告制作会社に入社し、広告写真の章を受賞。華々しくデビューした。
大学卒業後、写真の賞を受賞した後、28歳の年に独立。フリーカメラマンとなった。
「カメラ小僧」として赤塚不二夫のマンガ「天才バカボン」にも登場し、山口百恵の顔を作ったと言われた。山口百恵のほか、多くの芸能人、有名人の肖像写真を撮りながら、雑誌「週刊朝日」の表紙で素人の現役女子大生をとり上げて話題を呼んだ。
51歳のとき、写真集「Water Fruit 不測の事態」を発表。これは、女優の樋口可南子をモデルに陰毛まで印刷したもので、表現の枠を大きく広げる歴史的作品となった。
以後、つねに時代を最先端を鮮やかに切り取った話題作を提供しつづけている。

篠山紀信は、それ以前は写真作品の後ろに隠れていたカメラマンが、撮影者みずから写真の前に出てきた最初のカメラマンのひとりだと思う。篠山は大きくふくらませたアフロヘアーにカメラを構えた自分のキャラクターを強く打ち出し、アンダーグラウンドでなく、つねにメジャーな題材を追い、メジャーな媒体で活動してきた。

「カメラ小僧」篠山紀信が、マンガ雑誌のグラビアを飾っていたころ、彼は、まだあちこちで走っていた機関車(SL)を写してマンガ誌に載せていた。その後、篠山紀信は歌手の南沙織と結婚し、「GORO」誌など、若者向け、大人向けの媒体で活躍するようになった。

南沙織と結婚し、宮沢りえをはじめとするおびただしい数の女性ヌード写真を撮った「篠山紀信」の名前を聞くと、つい嫉妬の情が先に立つが、やはり偉大な人である。
「Water Fruit」でヘアヌードの時代の扉を開いた功績はとんでもなく大きい。すでに押しも押されもしない一流写真家だったとはいえ、それでも、勇気のある行為、体制に戦いを挑む行為だった。それからみんな彼をまねしだした。

SM作家の団鬼六が、かつて出版社でSM写真集を企画していたとき、誰かの紹介で篠山紀信が打ち合わせに現れた。当時からすでに有名な大家だった篠山を知らなかった団は、
「きみも仕事がやりたいんなら、自分の撮った作品の見本をもってきなさい」
と言った。すると、篠山は怒ることなく、はい、わかりましたと素直に引き下がり、つぎの機会にちゃんと作品見本をもってきたという。後で篠山紀信がすでに大家であると知り、団は謝ったそうだが、そういうところに篠山の大人物がある。
(2022年12月3日)



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