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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月8日・サパタの思想

2024-08-08 | 歴史と人生
8月8日は、教育者、新渡戸稲造(にとべいなぞう)が生まれた日(文久2年、1862年)だが、メキシコの「革命児」エミリアーノ・サパタの誕生日でもある。

エミリアーノ・サパタは、1879年、メキシコのモレロス州アネネクイルコで生まれた。白人と現地インディオとの混血である「メスティーソ」だった。
当時のメキシコはポルフィリオ・ディアスによる独裁体制の下、彼の息がかかった配下の者が各地に支配者として君臨し、彼らと通じた少数の資本家が経営する大農園では、負債を負わされたインディオたちが農奴として酷使されていた。
エミリアーノは、裕福な農場主の息子だったが、この現状に不満を覚え、インディオの救済、インディオたちの権利獲得に奔走するようになった。
はじめ、交渉で事態の打開をはかっていたサパタは、しだいに兵を率いて武力で農場主や政府を制圧するようになり、土地を占領して解放区を広げていった。
サパタは野党側の政治家と通じて、現在の独裁政権打倒を計画し、30歳のとき、反乱先導の罪で逮捕されたが、恩赦によって釈放され、そのまま米国へ逃げた。
31歳のとき、サパタはメキシコに舞いもどり、兵を率いて武装蜂起。ついにディアス大統領を辞任へ追い込んだ。
しかし、同盟を結んでいた野党側リーダーのフランシスコ・マデロは、政権を握ると、サパタの要求するインディオ救済策に応じず、旧支配層の保護に走った。サパタはマデロを「反逆者」と呼び、新政権に対しても武装闘争を続けた。
マデロ新大統領が、米国側と組んだ軍部のクーデターによって暗殺されると、サパタは今度は軍部政権に対して武装闘争をつづけた。各地でもいっせいに軍事政権打倒の動きがはじまり、これが「メキシコ革命」となっていった。
一貫して、搾取される庶民、インディオたちのために闘いつづけたサパタは、1919年4月、敵側の計略にはまり、暗殺された。39歳だった。

サパタは、思想的には、ロシアのピョートル・クロポトキン、メキシコのフロレス・マゴンといった思想家の影響をうけた無政府主義者だった。無政府主義は、なるたけ政府の支配を受けない社会体制がよいとする態度で、無秩序をよしとするわけではない。

昔、「革命児サパタ」という映画を観た。監督がエリア・カザン、主演がマーロン・ブランド、共演アンソニー・クイン、脚本ジョン・スタインベックという超豪華なスタッフによる映画だった。

社会システムに支配された貧しい庶民を、武力闘争によって救う。その方法論は、チェ・ゲバラに通じる。サパタ派のスローガンは、「土地と自由」だった。
農耕地や工場といった生産財をもたず、収入のかなりの割合を右から左へ、家賃や住宅ローンや役人が食う税金にもっていかれている多くの現代日本人も、サパタの時代のインディオたちと、さほど変わらない。
(2024年8月8日)



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