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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8月7日・司馬遼太郎と戦争

2024-08-07 | 文学
8月7日は、「走る哲人」アベベ・ビキラが生まれた日(1932年)だが、作家、司馬遼太郎(しばりょうたろう)の誕生日でもある。

司馬遼太郎は、1923年、大阪で生まれた。本名は、福田定一(ふくだていいち)。父親は薬局をやっていた。
現在の大阪外語大学で蒙古語を学んだ福田は、20歳のとき徴兵され、満州に陸軍の戦車隊員として出征したが、やがて本土決戦用に内地へもどされ、日本で陸軍少尉として敗戦を迎えた。
戦後は新聞記者として文化欄を担当し、記者生活のなかで小説を書いた。33歳のときに応募した『ペルシャの幻術師』で小説雑誌の賞を受賞し、作家、司馬遼太郎としてデビュー。自信作『空海の風景』『燃えよ剣』のほか『梟の城』『竜馬がゆく』『国盗り物語』『坂の上の雲』など歴史小説を多く書き、国民的作家となった。
1996年2月、腹部の大動脈瘤破裂のため、大阪の入院先で没した。72歳だった。

1970年代、「ベストセラーの太郎、次郎、三郎」といわれた作家がいて、それは司馬遼太郎、新田次郎、城山三郎だった。

どこで読んだか、司馬遼太郎は戦後になって、太平洋戦争当時に海軍の参謀だった人を訪ねて取材したとき、こういう意味のことを言ったそうだ。
「あなた方がやっていたことは、太平洋の島々に兵力を分散させておいて、敵軍が兵力を集中して一つひとつつぶしに来るのを待っていただけじゃないですか」
すると、元参謀はこう言ったそうだ。
「それはひどい、それはひどい」

司馬遼太郎を読むと、日露戦争を戦った明治時代の日本軍と、昭和時代の日本軍とは、まったく異質のものだったらしいとわかる。
明治日本の、たとえば日本海海戦を勝利した海軍などはリアリストで、つねに事実を冷静、論理的に分析し、合理的に行動した。降伏し調印にやってきた敵のロシア軍に対しても食事、治療をふるまい、丁重に接し、「本日そちらはたまたま武運なく敗北された云々」と淡々と事実を述べる調子で、けっして勝者ぶることがなかった。
ところが、昭和期の日本軍になると、もう事実など眼中になく、日本民族はほかの民族よりえらい、神さまがついている、武器や食料がなくとも精神力で戦って勝つ、ほかの民族は日本人に何をされても文句は言えない、と、ひたすら感情的、妄想的で、まるで気がふれた野人の集団だった。時とともに洗練されていかず、劣化していくのが、日本の組織の特徴だろうか。

もう数年もすれば、日本はふたたび徴兵制を敷いて戦争をはじめるだろう。そのとき20歳から36歳くらいまでの男性は、真っ先に坊主刈りにされ、素っ裸にされて検査後、軍隊で根性をたたき直されるだろうから覚悟しておいたほうがいい。
(2024年8月7日)



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