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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月27日・アメリア・ブルーマーの受難

2017-05-27 | 歴史と人生
5月27日は、『沈黙の春』を書いたレイチェル・カーソンが生まれた日(1907年)だが、女性解放運動家アメリア・ブルーマーの誕生日でもある。女性の運動着「ブルマー」の由来である(他説あり)。

アメリア・ジェンクス・ブルーマーは、1818年、米国ニューヨーク州、ホーマーで生まれた。ブルーマーは、学校教師や住みこみの家庭教師をした後、22歳のとき、弁護士と結婚。奴隷解放運動や女性解放運動に刺激を受けたブルーマーは、31歳のとき、週2回発行される新聞「ザ・リリー(ユリの意)」を発行しだした。「ザ・リリー」は、セネカ・フォールズという町の女性禁酒協会の会員向けの家庭向け配布紙で、その紙面に彼女は、結婚法の改正や、女性参政権、女性のための高等教育などについての記事を載せ、発行部数は4000部を超え、後世の女性参政権運動の見本となった。
ブルーマーは彼女の新聞「ザ・リリー」について言っている。
「女性のための新しい福音となる真実を報せる媒体が必要とされていたのです。いったんそれを始めたら、もう後には引けませんでした」
彼女が33歳のときのこと。ニュー・イングランド地方に住むエリザベス・ミラーという女性が、足首のところで裾をつぼめた、ゆったりした女性用のズボンを考案した。ミラーの従妹がそれを気に入り、従妹はがそれをはいてブルーマーを訪ねた。ブルーマーは賞賛した。動きやすいし、からだにいい、と。さっそく自分もそのズボン・スタイルを取り入れるとともに、自分の新聞でも取り上げた。すると、彼女の名をとって「ブルマー」と呼ばれたそのスタイルは、たちまち社会のはげしい非難の的となった。
南北戦争前夜の当時は、女性にはズボンというものはあり得なかった。女性は、ウエストをきつくコルセットでしめつけ、広がった長いスカートをはくものであり、そうやってバストとヒップを強調し、男の目から見た「女らしさ」を装うもの、とされていた。動きにくさや、腹をしめつけすぎて卒倒するとか、食事がとりづらいなど、女性の便宜や健康への配慮は、いっさい度外視されていた。そこへ出現した「ブルマー」は、社会の風紀を乱すハレンチな装束以外の何者でもなかった。
米国に一時広まり、ヨーロッパへも飛び火したブルマー・スタイル「ブルーメリズム」は、当時はその上に短いスカートをはいて用いられたそうだが、まだデザインが洗練されていなかったこともあって、それほど流行らなかった。
女性解放運動の先駆者、ブルーマーは、1894年12月に、76歳で没している。

ココ・シャネルが女性のスカートにポケットをつけたのは、女性の日常生活の一大事件だったけれど、ブルマーの採用はもっと革命的なできごとだった。当時、通りでブルマーをはいて歩くと、ののしられ、石やトマトをぶつけられた。ブルマーをはくこと自体、相当な勇気がいることだった。そのスタイルは細々と受け継がれて、しだいに洗練され、現代の女性のパンツ・ルックとなり、短くスポーティーな運動用ブルマー、ホットパンツとなった。だから、現代の東京の原宿や秋葉原を、トマトをぶつけられることもなく、思い思いのファッションで歩いている女性たちも、ブルーマーら先駆者の恩恵をすこしはこうむっていると言える。
(2017年5月27日)




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