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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月28日・イアン・フレミングの流儀

2017-05-28 | 文学
5月28日は、「ブルー・ライト・ヨコハマ」「また逢う日まで」「木綿のハンカチーフ」「ギンギラギンにさりげなく」の作曲家、筒美京平が生まれた日(1940年)だが、作家イアン・フレミングの誕生日でもある。007号ジェイムズ・ボンドの生みの親である。

イアン・フレミングは、1908年、英国ロンドンで生まれた。彼の祖父、ロバート・フレミングは、貧しい境遇から身を起こしロバート・フレミング銀行を創立した立志伝中の人物で、孫のイアンは、使用人が70人いる大邸宅で育った。イアンの父親は、第一次世界大戦中に戦死した。イアンは男ばかりの4人兄弟の二番目だった。
名門出のイアンは、甘えのない英国紳士を育成する英国流の教育法にのっとり、8歳から寄宿学校に入れられ、12歳で名門イートン校に入学した。
イートンを卒業したフレミングは、18歳の年にサンドハースト士官学校に進んだが、軍隊の歯車となるのを嫌いドロップアウト。ロイター通信社の記者となった。記者として外国を渡り歩いた後、祖父の創立した銀行系の金融会社に入社。そこに6年在職し、遊びまくった。裕福で、容姿端麗、スポーツ万能のプレイボーイだった。第二次世界大戦中は海軍の情報局に所属し、スパイ活動にたずさわり、37歳で終戦を迎えた。
大戦後は「サンデー・タイムズ」紙の外信部長を務めた後、44歳のときに結婚。優雅な独身貴族の生活に終止符を打つ心境を、フレミングはこう述べている。
「結婚を目前に控えていた──それはわたしを恐怖とそわそわする気持で一杯にする未来図だった。何もしていない両手に何かすることを与えてやるために、そして四十三年の独身生活のあとで入る結婚生活というものに対する不安への抗体として、わたしはある日机に向かってじっと坐りこみ、本を書くことにした」(井上一夫訳「エッセイ スリラー小説作法」『007号/ベルリン脱出』早川書房)
彼は毎年2カ月の休暇をとって、ジャマイカにある「ゴールデン・アイ」という別荘に行き、そこで毎年一作ずつ本を書き上げた。それが『カジノ・ロワイヤル』『死ぬのは奴らだ』『ロシアから愛をこめて』『女王陛下の007号』『007号は二度死ぬ』と続く「007号シリーズ」だった。英国諜報部員のジェイムズ・ボンドが活躍するこのスパイ小説シリーズは、世界的ベストセラーとなり、映画化作品も大ヒットした。
フレミングは、そのほか童話『チキチキバンバン』を書いた後、遺作『黄金の銃をもつ男』の校正中だった1964年8月、心臓麻痺で没した。56歳だった。

イアン・フレング人は名文家の誉れ高く、英国ではスティーブンソンの再来と言われた。
洗練された、洒落っ気のある簡潔で切れ味がいい英文を書いた。

フレミングは言っている。
「ものを書くということは、人を周囲の状況に対して生き生きと敏感にさせる。そして生きるということの主な要素は──多くの人たちの様子を見ていると、そうは思えないかもしれないが──生き生きとしているということにある以上、これは書くということのまさに骨折りがいのある副産物である」(同前)
(2017年5月28日)



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