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4月27日・アヌーク・エーメの英断

2022-04-27 | 映画
4月27日は、『ローマ帝国衰亡史』を書いたエドワード・ギボンが生まれた日(1737年、ユリウス暦による)だが、フランスの映画女優アヌーク・エーメの誕生日でもある。

戦後ヨーロッパ映画を代表する美貌の花、アヌーク・エーメは、1932年、フランスのパリで生まれた。本名は、フランソワーズ・ソーリャ・ドレフュス。父親がユダヤ人、母親はローマ・カトリック教徒で、両親ともに俳優だった。彼女はカトリック教徒として育ったが、成人後にユダヤ教に改宗している。
第二次大戦中は母方の姓を名乗り、ナチス・ドイツによるフランス占領やユダヤ人迫害をなんとかしのいだフランソワーズは、終戦後の14歳のとき、その美貌を見込まれて映画デビューを果たした。アンリ・カレフ監督の映画「密会」がそれで、この映画で演じた端役の役名「アヌーク」を彼女はそのまま芸名として使うことにした。
そして出演映画第2作目で知り合った詩人ジャック・プレヴェールの提案をいれ、「エーメ」という姓を芸名に付け加えた。「エーメ」はフランス語で「愛されている」意である。
学業のかたわら、ダンスと演劇を学んだアヌーク・エーメは、映画出演を続け、着実にキャリアを積んでいったが、彼女の名を一躍有名にしたのは、悲運の天才画家アメデオ・モディリアーニの生涯を描いたジャック・ベッケル監督の「モンパルナスの灯」だった。伝説の名優ジェラール・フィリップ演じるモディリアーニの後を追って飛び降り自殺する美貌の妻役をエーメは演じた。
一躍その名を広く知られるようになったエーメは、フェデリコ・フェリーニ監督の名作「甘い生活」「8 1/2」に出演し、押しも押されもせぬ世界的大女優となった。
そんな、国際的スターとしてローマにいた彼女のところに、ある日、フランスの無名監督から国際電話がかかってきた。新作映画への出演依頼打診の電話で、映画の筋を聞いて興味をもった彼女は、彼と会ってみて、その無名監督が気に入った。それで、明日つぶれるかもしれない独立プロが制作する映画に、世界的スターが出演することになった。
巨大なセットを組み、大人数で撮っていく巨匠フェリーニ監督の撮影現場とは大ちがいで、そこはスタッフもせいぜい10人程度、お金がないので高価なカメラが買えず、バタバタ大きな音のする安いカメラを毛布でくるんでの撮影、おまけに撮影中なのにまだ配給先が決まっていない、きわめて怪しい映画だった。が、エーメは最後まで素晴らしい演技を続けた。音楽はフランシス・レイがつけ、主題歌もレイが書いた。タイトルは「男と女」。
エーメが34歳のときに公開された映画「男と女」は、カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、世界各国で大ヒットを記録した。監督のクロード・ルルーシュにとっても、フランシス・レイやエーメら、この映画の制作に関係したすべての人にとって、この映画が代表作となった。エーメはこの作品で、ゴールデングローブ賞「主演女優賞」と英国アカデミー賞「外国女優賞」を受賞した。
「映画史上最もセクシーな女優の一人」とも評された彼女は、その後も「男と女 2」「百一夜」「男と女 人生最良の日々」などに出演し、カンヌ国際映画祭で「女優賞」、ベルリン国際映画祭で「金熊名誉賞」などを受賞している。アヌーク・エーメ、匂いたつ色香の美人女優である。

それにしても、彼女が代表作「男と女」に出演した経緯には驚かされる。そうしてあらためて、人間、過去を振り返っていてはだめで、前を見て生きるべきだと教えられる。
(2022年4月27日)



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