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6月3日・アラン・レネの作法

2024-06-03 | 映画
6月3日は、ビートニク詩人、アレン・ギンズバーグが生まれた日(1926年)だが、映画監督、アラン・レネの誕生日でもある。映画史上もっとも難解な映画とされる「去年マリエンバートで」を撮った監督である。

アラン・レネは、1922年、仏国ヴァンヌで生まれた。父親は薬剤師で、彼はひとりっ子だった。アランは小さいころは病弱で、家に閉じこもって本ばかり読んでいる少年だった。
12歳のとき、親から8ミリカメラをプレゼントされ、それから映画に興味を覚えた。
第二次大戦中の21歳で映画学校に入り、兵役についた後、戦後、23歳ごろから映画を作りはじめた。
「ヴァン・ゴッホ」「ゲルニカ」「ゴーガン」といった、絵画芸術をテーマにした短編映画を撮った後、33歳のとき、ドキュメンタリー映画「夜と霧」を発表。これはナチス・ドイツによるホロコースト、アウシュヴィッツ強制収容所の問題に真正面から取り組んだ最初の映画のひとつで、カンヌ映画祭へ出品しようとしたが、外務省の西ドイツへの外交上の配慮から、コンペティションに参加できなかったといういわく付きの作品だった。
37歳のときには、初の長編映画「二十四時間の情事」。これは、日本の広島へロケでやってきたフランス人女優のヒロインが、岡田英次演じる日本人男性と知り合い、恋に落ち、情事を重ねる話で、そこに原爆の惨憺たる被害状況や、二人の背負った戦争の傷跡などが重ねて描かれる強烈な反戦映画だった。
そして、39歳で発表した長編第2作が「去年マリエンバートで」。過去と現在の記憶が交錯して描かれるこの作品は、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、その洗練されたスタイルと難解さによって、世界映画界に衝撃を与えた。
その後「ミュリエル」「恋するシャンソン」、そしてフランス政界を揺るがせた疑獄事件を扱った問題作「薔薇のスタビスキー」などを撮った後、2014年3月、パリで没した。91歳だった。

アラン・レネといえば、まず「去年マリエンバートで」。それから、ジャン・ポール・ベルモンドがみずから制作、主演した「薔薇のスタビスキー」を思いだす。

子どものころから映画ファンで、ロッセリーニの「無防備都市」やゴダールの映画を観ても寝たことはなかったが、「去年マリエンバートで」で生まれてはじめて映画館で眠った。黒澤彰監督の「羅生門」に触発されて企画し、ロブ=グリエが脚本を書き、ココ・シャネルが衣裳デザインを担当したヨーロッパ文化の洗練の極致だが、さすがに延々と繰り返される、現在だか過去だか未来だかわからない、催眠術的な映像に意識が途切れた。
現在では、映画館では眠らないほうがめずらしい体たらくで、映画は一度目におおまかに観ておいて、二度目に観落とした部分を補足する、という二段構えで鑑賞するものとなっているが、そういう鑑賞法もあると教えてくれたのが、アラン・レネ監督だった。
硬派で、前衛で、現実的かつ幻想的。個性的な監督だった。
(2024年6月3日)



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