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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月5日・金田一京助の魅力

2024-05-05 | 歴史と人生
5月5日は、端午の節句。この日は作家、中島敦が生まれた日(1909年)だが、言語学者、金田一京助博士の誕生日でもある。

金田一京助博士は、1882年、岩手の盛岡で生まれた。旅館を経営する家の長男だった。
二高(いまの東北大学)をへて、東京大学の言語科を卒業した25歳の金田一はアイヌ語を調査するために単身、南樺太を旅した。
26歳の年から中学教師として働きながら、同郷の友人、石川啄木を居候させ就職を世話したり、アイヌ民族の人々を家に滞在させてアイヌ語や、アイヌの叙事詩であるユーカラを取材、記録、研究した。
40歳で国學院大学、46歳で東京大学の教授となった。NHK放送用語委員、国語審議会の委員を務めた後、晩年は認知症となり、1971年11月に没した。89歳だった。

横溝正史が書いた名探偵・金田一耕助の名は、金田一京助博士からきている。

金田一京助博士がアイヌ語研究を志したのは、大学時代の先生がこういう内容を言ったのがきっかけだった。
「アイヌは日本にしか住んでいない。アイヌ語研究は日本の学者の責任である」

小学校のころから、長いあいだ金田一京助博士が編纂した小さな国語辞典を使っていた。表紙をめくった見開きに、関東と関西のことばのイントネーションのちがいを表した図が並んでいて「西」とか「箸」とかいうことばの発音の上げ下げが図式で示されてあった。本文のことばも、一般的な表記でなく、実際に発音されている音に沿った表音主義で並んでいた。ほかの国語辞典とはまったく異なって個性的だった。ただし、息子の春彦が書いた『父京助を語る』(教育出版)によると、国語辞典の「金田一京助・編」は名前を貸しただけで、京助博士は辞書作りにはまったく参加していなかったらしい。

京助博士があちこちに入れ墨をしたアイヌの人たちを家に泊まらせたり、石川啄木を居候させたりしたのを、春彦たち家族はずいぶん嫌っていた。とくに石川啄木の悠々とした居候ぶりを忌ま忌ましく感じていたようだ。でも、後に石川啄木が国民的歌人として有名になり、彼の不遇時代を助けたことで、彼ら家族がどれだけ多くの恩恵をこうむったか知れない、とも春彦は言っている。

京助博士を有名にしたのは、もちろんアイヌ語の研究で、また、石川啄木の恩人としても有名だが、その学問の立派さ、人間の立派さは、同じところから発せられている。すなわち、博士の人生意気に感ずの精神、他人に示す人情の温かさなど、博士の魅了的な人間性である。
(2024年5月5日)



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