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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月27日・レイチェル・カーソンの闘い

2024-05-27 | 科学
5月27日は、東郷平八郎率いる日本艦隊が、ロシアのバルチック艦隊を日本海で迎え撃ち、勝利した日本海海戦の日(1905年)だが、海洋生物学者のレイチェル・カーソンの誕生日でもある。化学物質による環境汚染問題を告発した先駆者である。

レイチェル・ルイーズ・カーソンは、1907年、ペンシルベニア州のスプリングデールで生まれた。父親は保険のセールスマンだった。
8歳のときから物語を書いていたレイチェルは、11歳のときには自作を出版していた。
英文学を専攻し、作家志望だったカーソンは、学生のころに志望を変更し、生物学に転じた。
メリーランド州ボルティモアのジョンズポプキンス大学で遺伝学を修めた後、アメリカ連邦漁業局に就職。一般市民に海の生物に親しんでもらうためのラジオ番組「水の下のロマンス」の脚本を書くようになり、新聞や雑誌へも寄稿するようになった。
34歳のとき、海の生物たちの生態を描く『潮風の下で』を発表。
44歳で発表した科学エッセイ『われらをめぐる海』は大ベストセラーとなった。
そして55歳になる年に『沈黙の春』を雑誌「ニューヨーカー」に連載した後、単行本として発表。この書は、環境汚染問題を真正面から提議した歴史的書物で、DDTなど化学物質の農薬散布がいかに環境悪化を招くかを訴えた力作だった。雑誌上に発表時から話題騒然となり、この書を読んだジョン・ケネディ大統領が、諮問機関に調査を命令。行政側は環境問題に注目するところとなり、DDTの使用は全面禁止となった。
『沈黙の春』の執筆中に乳がんを発症したカーソンは、なんとか書物を完成させた後、1964年4月、メリーランド州のシルバースプリングで没した。56歳だった。

ずっと以前、『われらをめぐる海』や『沈黙の春』を読んだ。生物学の綿密な調査、分析の上に立ったノンフィクションだけれど、感性豊かな文章で、読む側の感情を刺激する、香り高い文学作品の印象があった。

『沈黙の春』は、おまかにいえば、有機化学製品の除草剤、殺虫剤などが大量に散布された結果、動植物や土壌、河川、海などが汚染され、害虫はかえって増えていった。汚染された環境は、人体に悪影響を与え、母親は子どもに汚染された水や食料を食べさせることになっている、という主張の本である。
この本が雑誌に連載されたときからすでに、カーソンは、農薬、化学産業界からそうとうな攻撃を受けたらしい。内容を読まずぶつけられた批判が多く、産業界はこぞって、カーソンはたわごとをわめくヒステリー女にすぎないとするネガティブ・キャンペーンを張り、あるいは本に書かれた問題はすでに解決ずみだという態度をとった。彼女が出演したテレビ番組からは、いく社もの企業がスポンサーを降りた。
出版されたのが1962年。ちょうど日本でも、水俣病による死者の患者認定がされだしたころだった。

彼女人がいなかったから、後の世代は、目覚めるのがもっと遅れていた。
カーソンは、経済的な困難や、社会の偏見や、産業界の圧力など、さまざまなものと闘い、生涯独身を通して亡くなった。警鐘を鳴らす社会の木鐸となって、批判の矢面に立ってひるまなかった、偉大な先駆者だった。
(2024年5月27日)



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