1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月29日・ジョン・ケネディの活力

2024-05-29 | 歴史と人生
5月29日は、歌手の美空ひばりが生まれた日(1937年)だが、35代目の合衆国大統領だったジョン・F・ケネディの誕生日でもある。

ジョン・フィッツジェラルド・ケネディは、1917年、米国マサチューセッツ州のブルックラインで生まれた。父親はルーズヴェルト大統領やマフィアともつながりがあり、駐英大使を務めた政商だった。ケネディ家はアイルランド系移民の家系で、ジョンは移民4世だった。ジョンはおおぜいいる兄弟姉妹のなかの次男だった。
ジョン・ケネディは、生まれつき背中に障害があり、小さいときからからだが弱かった。彼はハーバード大学を卒業すると、24歳で海軍に入隊した。当初は陸軍志望だったが、健康診断ではねられ、父親のつてで海軍に入れてもらったのだった。
太平洋戦争中、ケネディは南太平洋で魚雷を搭載した哨戒艇の艇長を務めていた。が、哨戒艇が日本の駆逐艦と衝突して沈没。ケネディは、海に投げだされた部下のからだをロープで結び、数キロメートルを泳いで近くの小島にたどりつき、九死に一生を得た。
大戦後は、ケネディは父親の意向で、政界に進出した。長男のジョゼフ・ジュニアがヨーロッパ戦線で爆撃機で出撃し戦死したため、政界に野心をもつ父親の期待が、次男ジョンの肩の上にのしかかってきたのだった。
ジョンは29歳で下院議員。35歳で上院議員に当選。43歳で合衆国大統領になった。初のカトリック教徒の大統領だった。
当時は、東側の共産圏と、西側の資本主義圏とがにらみ合う冷戦時代で、キューバ危機、ベトナム問題、ベルリンの壁など、外交問題の大事件が頻発し、国内的には公民権運動が盛り上がっていた 激動の混乱期だった。核戦争一歩手前だったキューバ危機を乗り越え、月面着陸を目指すアポロ計画を始動させ、部分的核実験禁止条約に署名したケネディ大統領は、1963年11月、テキサス州ダラスでパレード中に狙撃され、没した。46歳だった。

ジョン・ケネディは、子どものころのヒーローだった。ケネディとその周辺については、小学生のころからいろいろ読んできた。ケネディ著『勇気ある人びと』ももっている。

一説によると、1960年の大統領選挙の際にケネディ陣営は大がかりな投票操作をおこない、それで大統領になったので、ほんとうは対立候補のニクソン共和党候補が当選していたらしい。しかし、冷戦時代のことで、国際的醜聞を恐れたアイゼンハワー大統領が怒り狂うニクソン候補をなだめ、あえて異を唱えさせなかった経緯があった。

上の世代の、たとえば団塊の世代などは、クルマと冷蔵庫とテレビに代表される1950年代アメリカの豊かさにあこがれたが、むしろ1960年代の混乱する熱いアメリカにあこがれる世代には、ジョン・ケネディがそのシンボルだった。
たった3年足らずの大統領就任期間中に、ケネディ政権はこれでもかというほどたくさんの問題にぶち当たった。ピッグス湾事件など、ケネディ政権による謀略が失敗、露顕した自業自得の案件もあったが、そうした汚点を含めてエネルギッシュだった。

皮肉でなく、こう考えたい。子どものころからからだが弱く、背中に痛みを抱えながら、そんな素振りをつゆとも見せず、いつもにスポーツマン然としてにこやかに笑い、大統領としての激務をこなしながら、つねに性欲旺盛で、寸暇を惜しんでさまざまな女性との情事を繰り返していた、あのジョン・ケネディのバイタリティー。あの目茶苦茶で若々しいエネルギーこそが、世界中の人を引きつけたのだ、と。
彼の娘が駐日大使を務め、恋ダンスを踊ったのも、感慨深かった。
(2024年5月29日)



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