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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

5月19日・マルコムXの看破

2024-05-19 | 歴史と人生
5月19日は、ベトナムの革命家ホー・チ・ミンが生まれた日(1890年)だが、黒人活動家マルコムXの誕生日でもある。

マルコムXは、1925年、米国ネブラスカ州オマハで生まれた。出生時の名はマルコム・リトル。父親はバプテスト(浸礼派)の牧師だったが、地域のKKK(クー・クラックス・クラン、白人至上主義の秘密結社)の標的にされた。マルコムが6歳のとき、父親は何者かにリンチを受け、頭が変形するほど殴られ、鉄道レールの上に放置され、車輪によって三つに切断された遺体となって発見された。これを警察は自殺として処理した。
マルコムの母親は精神病を発症し、精神病院に収容され、マルコムたち9人の子どもは里子に出された。マルコムは白人の上流家庭に引き取られたが、つねに人種差別がつきまとった。成績優秀だったマルコムは弁護士志望だったが、学校教師は彼に、黒人はどんなに努力しても無駄だから、あきらめて、大工を目指したほうがいいと諭した。
マルコムは高校を中退し、ボストンへ行き、靴磨きなどをした後、ニューヨークへ移り、ギャングになった。賭博、麻薬、売春、強盗を繰り返し、20歳のときに窃盗罪で逮捕された。
白人女性と性的関係をもっていたために、通常の5倍の懲役刑を宣告されたマルコムは、服役中に「ネイション・オブ・イスラム」に改宗。27歳で釈放されると、彼は同教団の広報係となり「マルコムX」と改名した。キング牧師の非暴力主義で人種差別に立ち向かおうという姿勢とは対照的に、抵抗と戦闘をあおる過激な発言でたちまち有名になった。
37歳のとき、教団の指導者が少女を強姦し、子どもを産ませていた事実を知り、これを告発したマルコムは教団から命をねらわれるようになった。
39歳になる年、マルコムはイスラムの聖地メッカへ巡礼の旅に出、帰国後、教団を脱退したマルコムは、アフリカ系アメリカ人統一機構を立ち上げ、
「アフリカへ帰れ」
と黒人たちに訴えるようになった。
もといた教団からの脅迫電話がひっきりなしにかかってきて、マルコムは、つねに護衛を連れて歩いた。
1965年2月には、マルコムの自宅に爆弾を仕掛けられた。幸い彼と彼の家族は無事だったが、爆発の一週間後、ニューヨーク市マンハッタンで舞踏場で演説中、聴衆にまぎれていた3人の暗殺者に銃の乱射を受け、没した。39歳だった。
この暗殺には、CIAやFBIも加担していたとする説も存在する。

スパイク・リー監督の映画「マルコムX」は、ショッキングだった。緊迫した状況が積み重ねられ、アメリカ合衆国という巨大な帝国の組織体制に、無情に押しつぶされていくマルコムXの姿が鮮やかに浮かび上がる映画だった。

暗殺される1年ほど前、マルコムXは「投票権(ballot)か弾丸(bullet)か」と訴えた。
「白人の精神を変えようとするな。そいつは無理だ。アメリカの意識は破綻している。とうの昔にアメリカは道徳意識を失っている。アンクル・サム(合衆国政府のこと)にそんな意識はない。」(荒このみ訳「投票権か弾丸か」『アメリカの黒人演説集』岩波文庫)
「白人」「アメリカ」を「自民党」「官僚」に置き換えると、理解しやすい。「王様は裸だ」と公言した少年が無事でいられるのは、ファンタジーのなかだけのようだ。
(2024年5月19日)



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