1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月22日・ボリス・ベッカーの太陽

2019-11-22 | スポーツ
11月22日は「いいふうふ」の語呂合わせで「夫婦の日」。この日は、仏作家アンドレ・ジイド(1869年)が生まれた日だが、ドイツのテニス選手ボリス・ベッカーの誕生日でもある。

ボリス・フランツ・ベッカーは、1967年、当時の西ドイツのライメンで生れた。父親は建築家、母親はチェコスロバキアで育った女性で、ボリスは一人っ子だった。父親はライメンにテニス・クラブを創設していて、ボリスはそこでテニスを習った。
子どものころはむしろサッカーに夢中だったというボリスは、14歳のころ、テニスに転向し、17歳になる年にプロとなり、すぐにミュンヘンの男子ダブルスで優勝し、翌年の1985年には全英オープン「ウィンブルドン」で優勝してしまった。17歳と7カ月での快挙で、無論、史上最年少優勝記録となった。
ウィンブルドンでは、翌1986年にも優勝して連覇を遂げた。
また、1987年のデビスカップでは、西ドイツ・チームを率いて戦い、米国代表のジョン・マッケンローと、6時間22分という伝説的な長い試合を戦った。ゲームは、4-6、15-13、8-10、6-2、6-2でベッカーが勝った。その年のデビスカップは決勝に進めなかったが、翌年から1989年、1990年と、西ドイツを優勝に導いた。
ベッカーは、全豪オープン2勝、ウィンブルドン3勝(準優勝4回)、全米オープン1勝という記録を残し、1999年に現役を引退した。
41歳からプロのポーカー・プレイヤーとなり、46歳から世界王者ノバク・ジョコビッチ選手のコーチを3年間務めた。

いまの若い人たちは知らないかもしれないけれど、ベッカーは現代のビッグ・サービス時代を開いたパイオニア的な選手である。

1985年のウィンブルドン大会の決勝、ベッカー対ケビン・カレン(南ア)の試合は、見る者に、テニス新時代の幕開けを鮮やかに印象づけた。
スピード・サーバー同士の決勝。それまでの優勝経験者であるコナーズやマッケンローはすでに敗退して姿を消していて、ニュー・ヒーロー同士の対決だった。
「ブンブン・ベッカー」「ブンブン・サーブ」などと呼ばれた。
ネットに出たとき、相手の放ったパッシングショットに、横っ飛びに飛びついて、よくコートに転んだ。若さだった。
ベッカーは、太陽の子だった。髪から濃いうぶ毛まで、すべて輝くような金髪で、まつげも金色なので、まつげにほこりが積もっているように見えた。そして予選から勝ち抜いてきた17歳の新鋭ボリス・ベッカーが、カレンを破り、ついに優勝を果たした。太陽神アポロンの息子が地上に舞い降り、テニス界に君臨した瞬間だった。

ベッカーは、少年時代はずっとサッカーをやっていて、ほんの3年前にテニスをはじめたばかりだった。
それを聞いて、当時、テニスをはじめて2年目だった知人はつぶやいたものだ。
「道理で。おれも来年には、きっとうまくなっているはずだ」
(2019年11月22日)


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