1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

11月29日・オルコット父娘

2019-11-29 | 文学
11月29日は、「右手の法則・左手の法則」で知られる物理学者、ジョン・フレミングが生まれた日(1849年)だが、『若草物語』を書いたルイーザ・メイ・オルコットの誕生日(1832年)でもある。

小説『若草物語』はたしか、米国東部の、冬は雪が積もる寒い土地の話で、一家の主である父親が、南北戦争に従軍してでかけてしまい、その留守を、母親とその娘の4人姉妹が守る、そんな女ばかりの家庭を中心にした話だった。
4人姉妹のうちの二番目の娘がジョーで、物書きになるのだが、ジョーのモデルは、作者ルイーザ・メイ・オルコット本人である。
つまり『若草物語』は自伝的小説なのだけれど、米コミュニティー研究が専門である自分としては、この女流作家より、彼女の父親のほうにずっと親しみを感じてきた。
実際に4人の娘の父親だった、父アモス・ブロンソン・オルコットの誕生日がまた、次女と同じ11月29日なのである(父親は1799年、米マサチューセッツ生まれ)。

アモス・ブロンソン・オルコットは、詩人のラルフ・エマーソンや、思想家のヘンリー・デイヴィッド・ソーローの友人で、彼らは超絶主義者の仲間だった。
超絶主義の人たちは、人間が生まれもった善の性質を信じていて、彼らは政治政党や教会といった社会組織には重きをおかなかった。
そういう組織は、結局は人間をだめにしてしまうもので、人間はひとりひとりが自立し、個人主義を大切にしてこそ、本来もっている善の性質が生きてくると考えた。
彼らは奴隷制廃止論者で、人は共同生活をするべきだと考えた。
アモス・ブロンソンは、マサチューセッツのハーバードに「フルーツランド」というコミュニティー(共同生活体)を作って、家族をひき連れて住みこんだ。
ひとつ財布でみんなが暮らす、ユートピア志向の農村型共同生活体である。
そこでの生活は、肉を食べず、飲み物は水だけで、電灯を使わず、風呂はつねに冷たい水風呂という、独特の思想に基づいた、変わったものだった。
ルイーザ・メイも幼少の一時期、そういうところで暮らしたのである。
フルーツランドは数カ月で空中分解したが、ウォールデンの森でひとり暮らしたソーローといい、このブロンソン・オルコットといい、この時代のマサチューセッツの人たちの行動力はずぬけている。

ルイーザ・メイに物語を書くよう勧めたのは父アモスで、ルイーザ・メイははじめ気が進まなかったらしいが、やがて気が変わって書きだし、それが『若草物語』になった。小説中、父親が南北戦争に従軍して留守をしたというのは、ルイーザ・メイの創作である。

アモス・ブロンソン・オルコットや、エマーソン、ソーローといった人たちの考え方は、たとえば現代の日本にもってきたとしても、ぜんぜん先をいっているし、大きくどっしりとして揺るがない。21世紀現代に生きるていたらくを反省する。
(2019年11月29日)



●おすすめの電子書籍!

『ここだけは原文で読みたい! 名作英語の名文句2』(金原義明)
「若草物語」「ガリヴァ旅行記」から「ダ・ヴィンチ・コード」まで、英語の名著の名フレーズを原文(英語)を解説、英語ワンポイン・レッスンを添えた新読書ガイド。好評シリーズ!


●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする