11月1日は、「大陸移動説」のヴェーゲナーが生まれた日(1880年)だが、詩人、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)の誕生日でもある。
萩原朔太郎は、1886年、群馬の前橋で生まれた。父親は開業医で、母親は上流階級出身だった。裕福な環境で育った朔太郎は、小さいころ、洋行帰りの親戚の家で、外国製のオルゴールを気に入り、抱えて離さなくなった。仕方なく両親は、横浜まで舶来のオルゴールをさがし求めて、朔太郎に買い与えたという。からだが弱く、夢見がちな少年だった朔太郎は、本と音楽が好きで、ハーモニカやアコーディオンをいつも手にしていた。
朔太郎は中学時代、短歌を詠み、友人と短歌の回覧雑誌を作っていた。
中学を出た後、高校入試に失敗した彼は、熊本の五高、岡山の六高、慶応大学予科などを入っては落第して転校したりした後、結局退学し、25歳のころ東京を放浪した。音楽家になろうと志して、現在の東京芸大を受験しようと考えた時期もあったという。
27歳のとき、詩人の北原白秋が主宰する「朱欒(ざむぼあ)」に詩を発表して詩人デビュー。同じく白秋のもとに集った詩人、室生犀星(むろうさいせい)と友情を結んだ。
以後、詩人として活動を続け詩集『月に吠える』『悲しき欲情』『青猫』『純情小曲集』などを出した後、1942年5月、急性肺炎のため、東京の自宅で没した。55歳だった。
「ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。」(「旅上」『純情小曲集』)
この詩「旅上」を読んで以来の朔太郎ファンで、詩集の『月に吠える』『青猫』の復刻版を、ときどきペーパーナイフでページを切り開いて読む。
「詩とは感情の神経をつかんだものである。(中略)
詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と子読者との寂しいなぐさめである。」(『月に吠える』序)
「詩を作ること久しくして、益々(ますます)詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔にすぎない。」(『青猫』序)
こういう立場で書かれた彼の詩は、読むと心がうっとりとしびれたようになる。
「どこに私たちの悲しい寝台があるか
ふつくりとした寝台の 白いふとんの中にうづくまる
手足があるか
私たち男はいつも悲しい心でゐる
私たちは寝台をもたない
けれどもすべての娘たちは寝台をもつ」(「寝台を求む」『青猫』)
たとえばJポップを聴いて「ああ、わかるわあ」とその「詞」に共感するのと、「詩」はまったく異なるものだと萩原朔太郎は教えてくれる。朔太郎の詩は共感など求めない。読み手の足首をつかまえ、ことばの調べと感情の泉に引っ張り込み、溺れさせてしまう。読み手は別の世界へもっていかれる。詩とは恐ろしいものだ。
(2019年11月1日)
●おすすめの電子書籍!
『世界文学の高峰たち 第二巻』(金原義明)
世界の偉大な文学者たちの生涯と、その作品世界を紹介・探訪する文学評論。サド、ハイネ、ボードレール、ヴェルヌ、ワイルド、ランボー、コクトー、トールキン、ヴォネガット、スティーヴン・キングなどなど三一人の文豪たちの魅力的な生きざまを振り返りつつ、文学の本質、創作の秘密をさぐる。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.jp
萩原朔太郎は、1886年、群馬の前橋で生まれた。父親は開業医で、母親は上流階級出身だった。裕福な環境で育った朔太郎は、小さいころ、洋行帰りの親戚の家で、外国製のオルゴールを気に入り、抱えて離さなくなった。仕方なく両親は、横浜まで舶来のオルゴールをさがし求めて、朔太郎に買い与えたという。からだが弱く、夢見がちな少年だった朔太郎は、本と音楽が好きで、ハーモニカやアコーディオンをいつも手にしていた。
朔太郎は中学時代、短歌を詠み、友人と短歌の回覧雑誌を作っていた。
中学を出た後、高校入試に失敗した彼は、熊本の五高、岡山の六高、慶応大学予科などを入っては落第して転校したりした後、結局退学し、25歳のころ東京を放浪した。音楽家になろうと志して、現在の東京芸大を受験しようと考えた時期もあったという。
27歳のとき、詩人の北原白秋が主宰する「朱欒(ざむぼあ)」に詩を発表して詩人デビュー。同じく白秋のもとに集った詩人、室生犀星(むろうさいせい)と友情を結んだ。
以後、詩人として活動を続け詩集『月に吠える』『悲しき欲情』『青猫』『純情小曲集』などを出した後、1942年5月、急性肺炎のため、東京の自宅で没した。55歳だった。
「ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。」(「旅上」『純情小曲集』)
この詩「旅上」を読んで以来の朔太郎ファンで、詩集の『月に吠える』『青猫』の復刻版を、ときどきペーパーナイフでページを切り開いて読む。
「詩とは感情の神経をつかんだものである。(中略)
詩は神秘でも象徴でも鬼でもない。詩はただ、病める魂の所有者と子読者との寂しいなぐさめである。」(『月に吠える』序)
「詩を作ること久しくして、益々(ますます)詩に自信をもち得ない。私の如きものは、みじめなる青猫の夢魔にすぎない。」(『青猫』序)
こういう立場で書かれた彼の詩は、読むと心がうっとりとしびれたようになる。
「どこに私たちの悲しい寝台があるか
ふつくりとした寝台の 白いふとんの中にうづくまる
手足があるか
私たち男はいつも悲しい心でゐる
私たちは寝台をもたない
けれどもすべての娘たちは寝台をもつ」(「寝台を求む」『青猫』)
たとえばJポップを聴いて「ああ、わかるわあ」とその「詞」に共感するのと、「詩」はまったく異なるものだと萩原朔太郎は教えてくれる。朔太郎の詩は共感など求めない。読み手の足首をつかまえ、ことばの調べと感情の泉に引っ張り込み、溺れさせてしまう。読み手は別の世界へもっていかれる。詩とは恐ろしいものだ。
(2019年11月1日)
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