クリスマス・イヴの12月24日は、大富豪ハワード・ヒューズの誕生日でもある。生前は人前に姿を見せない謎の富豪として有名だった。
ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニアは、1905年に、米国テキサス州ヒューストンで生まれた(異説あり)。父親ヒューズ・シニアは、石油採掘現場で止揚するドリルの刃の特許をもつ会社を経営する大金持ちだった。息子は11歳でラジオ発信機を自作し、12歳のときには原動機付き自転車を自作して、地元に新聞に写真が載るような少年だった。
彼は16歳のときに母親を亡くし、18歳で父親を亡くし、孤児となった。相続した遺産、会社や特許権をもって、彼はカリフォルニア州へ引っ越し、好きな事業をやりはじめた。
ヒューズは20代後半から、資金力にものをいわせて制作費を惜しげもなく注ぎ込んだ映画を作った。ハリウッド時代には、ベティ・デイヴィス、エヴァ・ガードナー、キャサリン・ヘップバーン、ジンジャー・ロジャース、ジョーン・フォンテーンなどといった女優たちとロマンスを繰り広げた。ただし、一人ひとりの女優を愛し、求婚し、彼女らのキャリアを助ける、愛人に尽くす男だった。しかし、キャサリン・ヘップバーンにも、ジョーン・フォンテーンにもプロポーズを断られた。
ヒューズは飛行機マニアで、飛行機の開発もしたし、自分で操縦もした。31歳のときにはニューヨーク=ロサンゼルス間の大陸横断飛行の新最速記録を作った。
1943年5月17日、38歳のヒューズはロシア製の飛行機を操縦して、カリフォルニアを飛び立った。民間航空管理局の視察官など4名と女優のエヴァ・ガードナーを機に乗せていた。機はいったんラスベガスに着陸してガードナーをおろし、ふたたび飛び立って、アリゾナ州とネヴァダ州の境にあるミード湖を目指した。が、墜落し、搭乗していた2人が死亡し、ヒューズ自身も頭部に重症を負った。このときに使った麻酔剤が、その後中毒となり、ヒューズは神経をやられ、脅迫神経症の症状をきたすにいたった。異常にバイ菌を恐れるようになり、すこしでも雑菌のありそうな場所には入って行けない。手を洗いはじめると、手から血がでるまでやめられないようになった。それで晩年は、買いとったラスベガスのホテルの最上階に閉じこもって、公衆の面前へはいっさい姿を見せなくなった。
1976年4月、ヒューズは危篤状態におちいり、治療のため自家用飛行機で移動中、機内で息を引きとった。70歳だった。
飛行機好きだったから、空の上で死ねるのは、本望だったと思う。ヒューズの生涯を題材に、マーティン・スコセッシ監督が映画『アビエイター』を撮っている。
ヒューズは、自分の興味のある分野に大胆に切り込んでいく事業家で、冒険好きの飛行機乗りだった。亡くなったとき、彼の総資産は15億ドルで、当時の合衆国の国内総生産の1190分の1にあたる額だったそうだ。まったくたいした男だと思う。
自分がもしも彼のように18歳で孤児となり、莫大な遺産を相続したとして、彼ほどに自分として生きられたろうかと想像してみると、とてもそんな自信はない。さすが、クリスマス・イヴ生まれの男である。
(2012年12月24日)
●おすすめの電子書籍!
『ビッグショッツ』(ぱぴろう)
伝記読み物。ビジネス界の大物たち「ビッグショッツ」の人生から、生き方や成功のヒントを学ぶ。ハワード・ヒューズ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ソフトバンクの孫正義から、デュポン財閥のエルテール・デュポン、ファッション・ブランドのココ・シャネル、金融のJ・P・モルガンまで、古今東西のビッグショッツ30人を収録。大物たちのドラマティックな生きざまが躍動する。
●電子書籍は明鏡舎。
http://www.meikyosha.com
ハワード・ロバード・ヒューズ・ジュニアは、1905年に、米国テキサス州ヒューストンで生まれた(異説あり)。父親ヒューズ・シニアは、石油採掘現場で止揚するドリルの刃の特許をもつ会社を経営する大金持ちだった。息子は11歳でラジオ発信機を自作し、12歳のときには原動機付き自転車を自作して、地元に新聞に写真が載るような少年だった。
彼は16歳のときに母親を亡くし、18歳で父親を亡くし、孤児となった。相続した遺産、会社や特許権をもって、彼はカリフォルニア州へ引っ越し、好きな事業をやりはじめた。
ヒューズは20代後半から、資金力にものをいわせて制作費を惜しげもなく注ぎ込んだ映画を作った。ハリウッド時代には、ベティ・デイヴィス、エヴァ・ガードナー、キャサリン・ヘップバーン、ジンジャー・ロジャース、ジョーン・フォンテーンなどといった女優たちとロマンスを繰り広げた。ただし、一人ひとりの女優を愛し、求婚し、彼女らのキャリアを助ける、愛人に尽くす男だった。しかし、キャサリン・ヘップバーンにも、ジョーン・フォンテーンにもプロポーズを断られた。
ヒューズは飛行機マニアで、飛行機の開発もしたし、自分で操縦もした。31歳のときにはニューヨーク=ロサンゼルス間の大陸横断飛行の新最速記録を作った。
1943年5月17日、38歳のヒューズはロシア製の飛行機を操縦して、カリフォルニアを飛び立った。民間航空管理局の視察官など4名と女優のエヴァ・ガードナーを機に乗せていた。機はいったんラスベガスに着陸してガードナーをおろし、ふたたび飛び立って、アリゾナ州とネヴァダ州の境にあるミード湖を目指した。が、墜落し、搭乗していた2人が死亡し、ヒューズ自身も頭部に重症を負った。このときに使った麻酔剤が、その後中毒となり、ヒューズは神経をやられ、脅迫神経症の症状をきたすにいたった。異常にバイ菌を恐れるようになり、すこしでも雑菌のありそうな場所には入って行けない。手を洗いはじめると、手から血がでるまでやめられないようになった。それで晩年は、買いとったラスベガスのホテルの最上階に閉じこもって、公衆の面前へはいっさい姿を見せなくなった。
1976年4月、ヒューズは危篤状態におちいり、治療のため自家用飛行機で移動中、機内で息を引きとった。70歳だった。
飛行機好きだったから、空の上で死ねるのは、本望だったと思う。ヒューズの生涯を題材に、マーティン・スコセッシ監督が映画『アビエイター』を撮っている。
ヒューズは、自分の興味のある分野に大胆に切り込んでいく事業家で、冒険好きの飛行機乗りだった。亡くなったとき、彼の総資産は15億ドルで、当時の合衆国の国内総生産の1190分の1にあたる額だったそうだ。まったくたいした男だと思う。
自分がもしも彼のように18歳で孤児となり、莫大な遺産を相続したとして、彼ほどに自分として生きられたろうかと想像してみると、とてもそんな自信はない。さすが、クリスマス・イヴ生まれの男である。
(2012年12月24日)
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『ビッグショッツ』(ぱぴろう)
伝記読み物。ビジネス界の大物たち「ビッグショッツ」の人生から、生き方や成功のヒントを学ぶ。ハワード・ヒューズ、フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ、ソフトバンクの孫正義から、デュポン財閥のエルテール・デュポン、ファッション・ブランドのココ・シャネル、金融のJ・P・モルガンまで、古今東西のビッグショッツ30人を収録。大物たちのドラマティックな生きざまが躍動する。
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