1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2014衆院選・官僚の増長にストップを

2014-12-11 | 日本の未来を憂う
12月14日が投票日の衆議院議員選挙について書きます。

今回の選挙が、表向きの争点は経済問題で、裏側に隠されたほんとうの争点は、憲法解釈を曲げて海外派兵にゴーサインを出し、政府・官僚がねらった人間は理由を明かさずに逮捕拘束できる法律を作った安倍晋三政権を信任する投票である、という自分の見解は以前書いた通りです。
つまり、自民党に投票する人は、過去2年間の安倍政権の決定を支持し、「戦争OK、言論弾圧OK、どんどんやってくれ」と承認したことになる。その既成事実化を自民党はねらっている、そういうことだと思います。

現実的には、たとえば山口には、
「昔から選挙のときは『安倍』しか字を知らない」
という人たちがいて、群馬には、
「あそこはお父さんが亡くなられてかわいそうだから」
とその娘に投票する人たちがいる、というのが日本の実情で、政府がどんな政策をとろうが選挙結果に影響しない部分があるのも事実です。でも、それでも、心ある人は、これからの日本のあるべき方向をよく考えて、自分の一票を投じるべきだと思います。

官僚の増長を止める必要があると思います。民主党政権のときに「事業仕分け」がなされましたが、現在の自民党政権は行政の無駄排除を公約に掲げながらまったく手つけずです。

一般企業では、寸暇を惜しんで動きまわりサービス残業を重ね、ミスコピーの裏をメモ用紙にして節約し、なんとか給料が出るよう苦心しています。
そんなとき、役人が出向し役人OBが天下りする特殊法人、独立行政法人では、自宅で寝ていながら出社したことにし、出社しても一日中スポーツ新聞や週刊誌を読んだりだべったりしてすごし、エクセルで処理できる表作りをわさわざ1億円で外注してプログラムを作らせるとか、何百万円もの公費をつかって視察旅行の名目でショッピングツアーに出かけてくるとかいったことが日常的におこなわれているわけです。
これだけ赤字国債を発行し国が借金財政だというのに、役所やその外郭団体がやっているのは節約の正反対で、相変わらず「予算を残さずつかいきれ」です。その挙げ句に、さらに消費税を上げ、国民からもっと税金をとって予算を増やせ、です。
役所にいる、本来優秀な人材を活性化するべく、存在が無意味な外郭団体をつぶし、優秀な人たちを国内外の野に放って知恵をしぼらせ活躍させる。そのためにもっと規制緩和をしていろいろな分野に可能性を広げていく。それが日本の再建の道だと自分は考えます。

とうとう施行された秘密保護法にしても、「秘密」を決めるのは役人です。税金にたかるシロアリ役人たちが「これは国の秘密だ」と決めたら、それを漏らしたとして市民が逮捕されるわけです。秘密ですから、何が悪かったのかは明らかにされません。
そういう世の中でいいのか? それが、いま問われているのだと思います。
(2014年12月11日)


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『誇りに思う日本人たち』(ぱぴろう)
誇るべき日本人三〇人をとり上げ、その劇的な生きざまを紹介する人物伝集。松前重義、緒方貞子、平塚らいてう、是川銀蔵、住井すゑ、升田幸三、水木しげる、北原怜子、田原総一朗、小澤征爾、鎌田慧、島岡強などなど、戦前から現代までに活躍した、あるいは活躍中の日本人の人生、パーソナリティを見つめ、日本人の美点に迫る。すごい日本人たちがいた。


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12月11日・岩崎弥太郎の懐

2014-12-11 | ビジネス
12月11日は、細菌学者ロベルト・コッホが生まれた日(1843年)だが、岩崎弥太郎の誕生日でもある。三菱財閥の創業者である。

岩崎弥太郎は、天保5年12月11日(1835年1月9日)、土佐の国、現在の高知県安芸市で生まれた。父親は地下浪人で、弥太郎は長男だった。
小さいころから才気を発揮し、漢詩をよくした弥太郎は、土佐藩の学者で謹慎中だった吉田東洋の塾に入った。吉田東洋の謹慎が解け、藩政に復帰すると、弥太郎は師匠の下で藩の仕事をするようになり、藩命によって長崎へ派遣された。長崎で弥太郎は、水を得た魚のように藩のお金をつかって遊びまくり、土佐に呼びもどされた後、32歳のとき、土佐藩の商業部門である土佐商会の役人としてふたたび長崎へ行き、土佐藩の貿易の窓口となった。
そのころ、土佐藩を脱藩した坂本龍馬が脱藩の罪を放免され、土佐藩と和解した。龍馬が組織した海援隊は土佐藩の外郭団体となり、土佐藩から給与を支給されるようになると、弥太郎は海援隊の経理係も兼任した。
彼が33歳になる年に明治になった。弥太郎は東洋の塾生時代からの知己である土佐の後藤象二郎のつてで、土佐藩から船を手に入れ、これで海運業に乗りだした。これが三菱商会である。
弥太郎は、明治政府の高官となった後藤からインサイダー情報を仕入れては、政府の政策の一歩先をいった売買をして巨利を得た。さらに政商として、政府の海外出兵や、西南の役の際に政府の輸送業務を独占的に請け負い、大いにもうけた。
岩崎弥太郎の三菱財閥に対抗する三井財閥など反対勢力と、たがいに独占を目指してしのぎを削った後、明治18年(1885年)2月、胃ガンにより没した。51歳だった。

以前、NHKテレビで、福山雅治が坂本龍馬を演じた「龍馬伝」というドラマがあって、そのなかで、香川照之が岩崎弥太郎を演じていた。

土佐藩の公金を預かると、途端に大盤振る舞いで遊びに使ってしまうあたり、およそサムライでも役人でもない、岩崎弥太郎という人は山っ気の多い、個性的な人物だったのだろうと想像される。自分のふところが痛まない、他人のお金(税金など)だと急に気前がよくなる手合いは、現代でも政治家や官僚にごろごろしている。でも、現代のけちな小役人とちがって、岩崎弥太郎には華があった。
海援隊隊長の坂本龍馬も、金貨の偽造をして当座をしのごうとするなど、多分に商売人的な生臭さをもつ男だったから、岩崎弥太郎とは気が合い、たがいに刺激し合う部分があったのではないか。

岩崎弥太郎はただ私腹を肥やそうとするだけの山師ではなかった。時代に機敏に対応し、利益を積み上げるのに才能を発揮しながら、一方では、坂本龍馬に気前よく餞別を渡すなど、人を援助し、育てることもした。清濁合わせ呑む大きな懐があったから、大財閥を築けたのだろう。
岩崎はこう言っている。
「自信は成事の秘訣であるが、空想は敗事の源泉である。故に事業は必成を期し得るものを選び、一旦始めたならば百難に撓(たわ)まず勇往邁進して、必ずこれを大成しなければならぬ」(幕末ガイド: http://bakumatsu.org/)
(2014年12月11日)



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