12月8日は、真珠湾攻撃の日(1941年)で、ジョン・レノンの命日(1980年)。この日は、彫刻家カミーユ・クローデルの誕生日でもある。
カミーユ・クローデルは、1864年、フランスのフェレ=アン=タルドノワで生まれた。4人きょうだいの上から2番目だったが、上にいた兄は生後2週間ほどで亡くなったため、彼女が実質的にいちばん上になった。下に弟と妹がいた。
小さいころから彫刻を作っていたカミーユは、19歳のとき、彫刻家オーギュスト・ロダンの工房に入り、弟子となった。当時42歳だったロダンは、美貌の弟子カミーユと恋に落ち、二人は恋愛関係を結んだ。しかし一方で、ロダンにはローズという内縁の妻がいて、彼女とのあいだに子どももいた。ロダンは優柔不断で、どっちつかずののまま二人の女のあいだを揺れ、彼らはいびつな三角関係をずっと続けた。カミーユは師ロダンの作品制作を手伝う弟子であり、モデルであり、愛人でもあった。カミーユは作曲家のドビュッシーと一時つきあったりしたが、結局ロダンと別れられなかった。
カミーユはロダンの子どもを身ごもり、中絶するという経験をへた後、28歳のころ、ロダンと別れた。彼女は彫刻家として師匠の影響下から脱するため、ロダンを拒絶するようになり、しだいに精神に異常をきたすようになった。自分の作品を壊したり、被害妄想におちいったりした。統合失調症の発症を確信した弟、妹、母親は、医師の同意をとりつけ、姉を強制入院させた。カミーユはとつぜん家に入ってきた頑強なからだつきの男二人に捕まり、悲鳴をあげながら護送車に連れ込まれ、パリの東にある町ヌイイ=シュル=マルヌの精神病院に入れられた。48歳のときだった。彼女は、師ロダンと美術商たちが謀って自分を精神病院に閉じ込めたと考えていた。その後、移送された南仏モンドヴェルグの精神病院で、第二次世界大戦中の1943年10月に没した。78歳だった。
カミーユの4つ年下の弟は、詩人、作家で駐日大使も務めたポール・クローデルで、亡くなったときにはフランスの国葬になった人物である。ポールは、姉カミーユが亡くなった後、彼女の作品を集め、パリのロダン美術館でカミーユの作品の展覧会を開いた。
自分は、ミケランジェロこそ最高の芸術家だと考えている彫刻家尊重派なのだけれど、彫刻作品の善し悪しは、じつはよくわからない。それでも、カミーユ・クローデルの作品は、意匠が斬新ですぐれているのはわかる。葛飾北斎の浮世絵に触発された「波」、全体に音楽的な流れがある「ワルツ」など、個性的で新しい。老婆が抱えて連れていこうとする男を追いすがる若い娘というカミーユたちの三角関係をそのまま像にしたような「分別盛り」も傑作だと思う。自分としては、どっしりと安定感のあるロダンの彫刻よりも、彼女の変化のある彫刻のほうが好きである。師の作風を脱しようという熱情が伝わってくる気がする。
カミーユ・クローデルは、母親や妹からも、彫刻家としての生き方や作品を認めてもらえず、家族からの理解がなかった。それが彼女の精神に与えた影響も大きかったのではないかと自分は想像する。ひとりぼっちで戦ったカミーユ・クローデルの生涯はまことに痛ましい話で、彼女の彫刻を見ると、胸が痛くなる。
(2014年12月8日)
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カミーユ・クローデルは、1864年、フランスのフェレ=アン=タルドノワで生まれた。4人きょうだいの上から2番目だったが、上にいた兄は生後2週間ほどで亡くなったため、彼女が実質的にいちばん上になった。下に弟と妹がいた。
小さいころから彫刻を作っていたカミーユは、19歳のとき、彫刻家オーギュスト・ロダンの工房に入り、弟子となった。当時42歳だったロダンは、美貌の弟子カミーユと恋に落ち、二人は恋愛関係を結んだ。しかし一方で、ロダンにはローズという内縁の妻がいて、彼女とのあいだに子どももいた。ロダンは優柔不断で、どっちつかずののまま二人の女のあいだを揺れ、彼らはいびつな三角関係をずっと続けた。カミーユは師ロダンの作品制作を手伝う弟子であり、モデルであり、愛人でもあった。カミーユは作曲家のドビュッシーと一時つきあったりしたが、結局ロダンと別れられなかった。
カミーユはロダンの子どもを身ごもり、中絶するという経験をへた後、28歳のころ、ロダンと別れた。彼女は彫刻家として師匠の影響下から脱するため、ロダンを拒絶するようになり、しだいに精神に異常をきたすようになった。自分の作品を壊したり、被害妄想におちいったりした。統合失調症の発症を確信した弟、妹、母親は、医師の同意をとりつけ、姉を強制入院させた。カミーユはとつぜん家に入ってきた頑強なからだつきの男二人に捕まり、悲鳴をあげながら護送車に連れ込まれ、パリの東にある町ヌイイ=シュル=マルヌの精神病院に入れられた。48歳のときだった。彼女は、師ロダンと美術商たちが謀って自分を精神病院に閉じ込めたと考えていた。その後、移送された南仏モンドヴェルグの精神病院で、第二次世界大戦中の1943年10月に没した。78歳だった。
カミーユの4つ年下の弟は、詩人、作家で駐日大使も務めたポール・クローデルで、亡くなったときにはフランスの国葬になった人物である。ポールは、姉カミーユが亡くなった後、彼女の作品を集め、パリのロダン美術館でカミーユの作品の展覧会を開いた。
自分は、ミケランジェロこそ最高の芸術家だと考えている彫刻家尊重派なのだけれど、彫刻作品の善し悪しは、じつはよくわからない。それでも、カミーユ・クローデルの作品は、意匠が斬新ですぐれているのはわかる。葛飾北斎の浮世絵に触発された「波」、全体に音楽的な流れがある「ワルツ」など、個性的で新しい。老婆が抱えて連れていこうとする男を追いすがる若い娘というカミーユたちの三角関係をそのまま像にしたような「分別盛り」も傑作だと思う。自分としては、どっしりと安定感のあるロダンの彫刻よりも、彼女の変化のある彫刻のほうが好きである。師の作風を脱しようという熱情が伝わってくる気がする。
カミーユ・クローデルは、母親や妹からも、彫刻家としての生き方や作品を認めてもらえず、家族からの理解がなかった。それが彼女の精神に与えた影響も大きかったのではないかと自分は想像する。ひとりぼっちで戦ったカミーユ・クローデルの生涯はまことに痛ましい話で、彼女の彫刻を見ると、胸が痛くなる。
(2014年12月8日)
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