1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6/13・「狂信者」本田圭佑

2013-06-13 | スポーツ
6月13日は、映画「ビューティフル・マインド」のモデルになった統合失調症の数学者、ジョン・ナッシュが生まれた日(1928年)だが、サッカー選手、本田圭佑(敬称略)の誕生日でもある。
自分はサッカーどころ静岡県磐田市の出身で、小学校のころはサッカーばかりやっていた。たいしてうまくはなかったが、小学校の代表選手で、市内大会の優勝メンバーだった。そんな自分から見て、サッカー日本代表の大黒柱、本田圭佑は、日本には不似合いな大選手だと思う。日本サッカーの歴史があともう五十年くらい続いて、ようやく出てくるべき大選手であって、彼は未来からやってきた人間という感じがする。
彼はサッカー選手としてだけでなく、人間としての生き方がすでに英雄的である。

本田圭佑は、1986年、大阪の摂津市で生まれた。小学校低学年のころからサッカーをはじめた彼は、Jリーグのガンバ大阪の下部組織であるジュニアユースに入った。中学を卒業すると同時にジュニアユースも卒業し、その上のユースチーム入りを希望したが、彼は落ちてしまった。本田は北陸へ引っ越し、サッカーの強豪校である石川県の星稜高校へ進んだ。
高校時代は全国大会でも活躍し、高校卒業後、19歳の年に名古屋グランパスに入団した。
21歳のとき、ネーデルランド(オランダ)リーグへ移籍。さらに23歳のとき、ロシア・リーグのCSKAモスクワへの移籍。チームがカップ戦やリーグ戦で優勝する原動力となった。
25歳になる年には、ロシア・リーグで右ひざの半月板を傷める大けがを負い、半月版の半分をとり除く大手術を受け、長いリハビリ生活を送った。しかし、26歳になる2013年にはみごと復活し、ロシア・リーグで活躍し、日本代表としても、ワールドカップの予選において、重要な場面でゴールを決め、翌年のブラジル本大会の出場権を世界いちばん乗りで決定づけた。現在のサッカー日本代表のリーダーであり、最重要人物である。

サッカー選手として、本田圭佑はたくさんのすぐれた長所を持っているが、彼のもっとも顕著な長所は、敵ゴール前にいるときの、あの落ち着きである。敵味方の誰もが浮足立っている修羅場のなか、まるで神のようにひとりだけまわりが見えていて、敵を振りまわし、味方を使い、また自分でゴールを決める。あの落ち着いた精神力は、サッカーの歴史の浅い国からは、なかなかでてこないと自分は思うのである。

本田圭佑は天才だけれど、子どものころから天才だったわけではない。彼は、名波浩や小野伸二ではなかった。そんなにうまくない、足の遅い本田は、ガンバ大阪のユースに入れなかった。しかし、本田はあきらめなかった。そして、うまくなり、足を速くした。
本田圭佑は、ロシアで不運なけがに見舞われた。しかし、彼はこれを逆にチャンスととらえ、ふだんならできない、肉体改造に取り組んだ。そうして、以前よりパワーアップし、スピードアップして戦線に復帰した。
あるいは、本田圭佑は、入団、移籍についても、不運に見舞われつづけた。
そうした、自分を襲ってくるすべてのハンディや不運を、不運と考えず、むしろ自分のチャンスだと前向きにとらえ、本田は本田圭佑になった。凡人にできる芸当ではない。

本田圭佑は、「本田圭佑」という運命を信じた狂信者である。彼は、最高にいかしている。
本田は、テレビ番組の取材に対して、こうコメントしている。
「信じるっていうのは本当に、希望そのものですよね。未来が誰にも分からないなかで、どれだけ自分を信じてやれるか、未来を信じてやれるか」
(2013年6月13日)


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