1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6/29・飛行家、サン=テグジュペリ

2013-06-29 | 文学
6月29日は、『湖畔』を書いた洋画家、黒田清輝(1866年)の誕生日だが、仏国の作家、サン=テグジュペリの誕生日でもある。
自分が、サン=テグジュペリの『星の王子さま』を読んだのは、大人になってから、20代の半ばごろだった。世界的に有名な物語だけれど、自分にはあまりぴんとこず、彼の出世作である『夜間飛行』や『人間の土地』の、当時の飛行気乗り事情のシビアな内容のほうが心に響いた。

アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリは、1900年、仏国のリヨンで生まれた。貴族の子息で、アントワーヌは5人きょうだいのまん中だった。
18歳のとき、第一次世界大戦の休戦を迎えたサン=テグジュペリは、建築学の聴講生などをした後、21歳のとき、志願して陸軍の軽騎兵連体に入隊した。彼は派遣された駐屯地で、個人的に飛行機の操縦を習い、これをもって後に陸軍から空軍へ移り、飛行機のパイロットとなった。しかし、飛行機事故を起こしたことから、家族に飛行機乗り稼業を反対され、空軍をやめ、しばらく地上で職についた。
26歳のとき、郵便輸送飛行パイロットの先駆けのひとりとなり、29歳のとき、みずからの飛行体験をもとに書いた小説『南方郵便機』を発表。
31歳のとき『夜間飛行』、39歳のとき『人間の土地』を発表して、筆名は一気に高まった。
39歳のとき、第二次世界大戦がはじまり、召集を受けて飛行教官を務めた後、偵察機に乗るようになった。ナチス・ドイツに屈し講和を結んだ仏国の動員解除によって、サン=テグジュペリもいったんは空軍を離れ、米国へ亡命したが、43歳のとき、亡命先の米国からふたたび志願して前線の偵察部隊に参加した。
1944年7月、仏国内部を偵察するため、コルシカ島の基地を飛び立ったが、彼の偵察機は地中海上で行方不明となった。44歳だった。

一説に「世界の三大ベストセラー」と言われる三冊の書があって、それは『聖書』、マルクスの『資本論』、それからサン=テグジュペリの『星の王子さま』なのだそうだ。では、『コーラン』や『毛沢東語録』はどうなのか、という疑問も出てくるけれど、それはさておき、『星の王子さま』はそれほど世界じゅうで読まれているらしい。
『星の王子さま』は、第二次大戦中、サン=テグジュペリが43歳のときに英語圏で発売されたもので、彼の母国、仏国で出版されたのは、終戦後の1945年11月だという。そのとき著者はすでにいなかった。

『星の王子さま』は、現在の自分にはむずかしすぎる。子どものころに読んでおかなくてはならない本だった、そういう気がする。

サン=テグジュペリは、空を飛ぶことにこだわりつづけて生きた「空に憑かれた人」だった。飛行機の事故で何度死にそうになっても、飛ぶことをやめなかった。かつてアンジェリーナ・ジョリーが、
「飛行機の操縦は最高。セックスよりすばらしい」
という意味のことを言っていたが、やはり空にはすごい魅力があるのだろう。

サン=テグジュペリのことばに、こういうものがある。
「行動を起こす時は、いまである。なにかをするのに、遅すぎることはない」
(2013年6月29日)



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