1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6/14・チェ・ゲバラの首尾一貫

2013-06-14 | 歴史と人生
6月14日は、川端康成(1899年)の誕生日だが、革命家、チェ・ゲバラの誕生日でもある。
自分がゲバラの名をはじめて目にしたのは、村上龍が『限りなく透明に近いブルー』で群像新人賞をとった受賞コメントのなかでだった。デヴュー時、村上龍はこう書いていた。
「昔は医者になりたかった。カストロがキューバに医者を! と叫んでいた頃だ。
『ふうん、キューバにか、医者か……』と少しゲバラに似た父も満足していた」(「群像新人文学賞受賞のことば」『村上龍全エッセイ1976-1981』講談社)
自分は、ふうん、ゲバラかぁ、そういう人がいるんだぁ、と思った。

エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナは、1928年、アルゼンチンのロサリオ・ダ・フェで生まれた。彼の愛称「チェ」はもともと、南米のスペイン語で「おい」と呼びかけることばである。エルネストの父親は建築技師で、彼は裕福な家庭で育った。
まだ2歳にならないころ、エルネストは母親に連れられて川へ遊びに行って、気管支炎を起こした。以来、エルネストは生涯にわたって喘息の発作に悩まされつづけた。
ゲバラは、ブエノスアイレス大学の医学部に進み、23歳のとき、友人と2人でバイクで南米諸国を旅してまわった。このころ、南米各国の困窮した状況を見聞し、彼のなかに、南米の人々を解放するには、武力革命以外に方法はないという確信が育っていった。
大学にもどって医師免許取得した後、旅行したグアテマラの民主政権が、米国CIA(中央情報局)の手先によって崩壊していくのを目撃。メキシコへ逃れたゲバラは、そこでキューバ革命を模索するフィデル・カストロと出会い、意気投合。米国資本と結託して私利私欲をむさぼるキューバのバティスタ政権をゲリラ戦で転覆させることを誓い合った。
28歳のとき、ゲバラ、カストロたち革命兵士は、古いヨットでキューバに渡った。一時は壊滅的な状況におちいったが、キューバ国内の反政府ゲリラと合流、ゲリラ戦を展開し、しだいに劣勢を挽回し、ついに1959年、キューバ革命を成功させた。ゲバラは30歳だった。
キューバの市民権を得たゲバラは、キューバの国立銀行総裁、工業大臣となり、世界各国を歴訪し、ニューヨークの国連総会で演説するなどした後、キューバの政治から引退し、南米ボリビアへ潜入して、ふたたび革命ゲリラとして活動を開始した。
米国CIAの支援を受けたボリビア軍に、ゲバラたち革命ゲリラは捕らえられ、翌日の1967年10月9日、大統領命令によってゲバラは射殺された。39歳だった。

仏国の哲学者、サルトルは、ゲバラを「20世紀でもっとも完璧な人間」と呼んだ。
チェ・ゲバラの一生ほど、革命家としてみごとに首尾一貫した人生は、ほかにないと思う。
医者も革命ゲリラも、人を殺してなんぼの商売だといえばそれまでだが、ゲバラはいわば、一生のあいだ、ずっと人々を救おうとしつづけた人だった。それで、はじめ医者になろうとして、つぎに革命ゲリラになった。喘息もちの、医者のゲリラである。まったく、ものすごい人生である。

自分にはメキシコ人の友だちもいて、アメリカ合衆国が中南米諸国に対してなにをやってきたかもすこしは知っているので、ゲバラたちが義憤に立ち上がった気持ちもよくわかる。
ゲバラの生きざまを思うと、ことばが出ない。なるほど、誰もが革命ゲリラにならなくてもいいわけだが、それにしても、自分は自分が正しいと信じる道を生きているだろうか? 
ゲバラは言っている。
「革命は、熟したら落ちてくるりんごではない。それは、人が落とさなくてはならない」
(The revolution is not an apple that falls when it is ripe. You have to make it fall. :Che Guevara)
(2013年6月14日)



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