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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6/30・チェスワフ・ミウォシュの詩情

2013-06-30 | 文学
6月30日は、米国のプロボクサー、マイク・タイソンが生まれた日(1966年)だが、ポーランドの詩人、チェスワフ・ミウォシュの誕生日でもある。
ノーベル賞詩人のミウォシュの詩や小説を、自分はすこし読んだことがある。東欧から仏国、米国へと渡ったインテリだから、とくに詩など難解なのだろうなぁ、と警戒しつつ読んでみると、意外に平易で、さらにユーモアが豊かなのに驚いた。

チェスワフ・ミウォシュは、1911年、リトアニアのシェティニェ村(当時はロシア帝国の一部だった)で生まれた。父親は技術者だった。チェスワフは、当時ポーランド領だったヴィリニュスの高校を卒業後、大学では法律学を専攻した。
23歳のとき、処女詩集を出版し、仏国パリに1年間、フェローの資格で滞在した。
帰国後は、ラジオのコメンテイターを務めていた。
1939年、彼が28歳のとき、ポーランドは、ナチス・ドイツとソビエト連邦の双方から侵略され、ミウォシュはルーマニアに逃れた。
29歳のとき、ナチス・ドイツ占領下のワルシャワに移り、地下組織の活動に従事した。
第二次大戦が終わると、ミウォシュはポーランドの外交官としてパリ大使館に勤務。
40歳のとき、仏国へ亡命。ソ連の衛星国だったポーランドの状況を描いた小説『囚われの魂』を発表。
47歳のとき、米国へ渡り、大学でポーランド文学の講義をし、69歳のとき、ノーベル文学賞受賞。70歳のとき、30年ぶりにポーランドへ帰国。
2004年8月、ポーランドのクラクフで没。93歳だった。
英語、仏語、露語に堪能で、英語による著作もあるが、生涯を通じてポーランド語で詩を書きつづけた詩人だった。

20世紀のポーランドというのは、ナチス・ドイツとソ連と、両側から侵略され、戦争が終わってようやく解放されたと思ったら、今度はソ連が管理する共産主義体制に支配され、と、ひどい目にあってきたわけで、そんな嵐の時代を生き抜き、ポーランド語の詩人であることにずっとこだわってきたのが、チェスワフ・ミウォシュである。
その人生経緯自体が綱渡りのようで、すごい。不屈の魂の人、という感じがする。

ミウォシュは、72歳のとき、来日していて、訪れた京都のことを詩に書いている。
「京都でわたしは幸せだった。なぜならば、過去は消え去り、未来は計画も願望もなくそこにあったから。まるで朝、コウライウグイスの鳴き声を聴きながら目を覚まし、日が暮れるまで駆けまわっている少年の過ごす七月の一日のようだった。」(小山哲訳「(京都でわたしは幸せだった)」『チェスワフ・ミウォシュ詩集』成文社)

チェスワフ・ミウォシュのこういう明るく朗らかなところが、自分は好きだ。
彼の詩には、ユーモアがあり、笑いがあると思う。ジャン・コクトーは、偽物のポエジーは笑いを恐れるが、本物のポエジーは豊かな笑いを含むものだ、というようなことを言っていたけれど、ミウォシュの詩には、そういう笑いの詩情があると思う。
彼のきびしい戦いの人生を考えると、それは筋金入りの笑いである。
(2013年6月30日)


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