1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2/26・アマチュアの匂い、桑田佳祐

2013-02-26 | 音楽
1936年に、2.26事件があった2月26日は、芸術家、岡本太郎(1911年)、作家の李恢成(1935年)が生まれた日だが、シンガー・ソング・ライターの桑田佳祐の誕生日でもある。
サザンオールスターズを率いる桑田佳祐、いわゆる「サザンのクワタ」である。
サザンオールスターズ、そして桑田佳祐は、自分にとって青春時代のヒーローであり、デビュー当時からずっと聴いてきたミュージシャンだけれど、自分よりももっと熱烈なファンが巷にはごろごろしているので、自分などがサザン、桑田について、あまり書くべきではないという気がする。
学生のころ、サザンのファンの女のコに、テレビで見かけた桑田のパフォーマンスがすばらしかった旨を言うと、彼女は、こう言った。
「どうも、ありがとう」
これが、本来のサザン・ファンがもっているメンタリティーというもので、当時はそういうメンタリティーをもった女子大生やOL、青年男子がいたるところにいて、彼らが力を合わせて「サザン」というロケットを打ち上げたのである。

桑田佳祐は、1956年、神奈川県茅ヶ崎で生まれた。高校卒業後、青山学院大学に進み、大学の音楽サークルでバンド活動を開始。「脳卒中」「青学ドミノス」など、さまざまにバンド名を変え、メンバーが入れ替わった後、バンド名「サザンオールスターズ」で落ち着き、22歳のとき、「勝手にシンドバッド」でデビュー。サザンは、桑田の抜群の作詞作曲能力を武器に、またたく間に時代をリードするスーパー・バンドとなった。結局、桑田は大学を卒業できなかった。
サザンは以後、「いとしのエリー」「C調言葉に御用心」「いなせなロコモーション」「栞のテーマ」「メロディ」「真夏の果実」「マンピーのG・SPOT」「LOVE AFFAIR」「TSUNAMI」などの名曲を発表し、日本のポピュラー音楽をリードしつづけてきている。

桑田は、どうしても「勝手にシンドバッド」を超える曲が書けないと言うが、自分は、はじめて「勝手にシンドバッド」を聴いたときの衝撃は、いまでもはっきり覚えている。
「すごい曲だ」
と思った。
タイトルにも驚いたが、「ラララ……」と、乗りのいいメロディーもいいし、歌詞も信じられないほど斬新だった。あの不埒者の感じがすばらしかった。
「勝手にシンドバッド」のほか、「女呼んでブギ」「タバコ・ロードにセクシーばあちゃん」「恋するマンスリー・デイ」「C調言葉に御用心」「マンピーのG・SPOT」といった曲も、自分には衝撃的だった。
サザンのように、あれだけメジャーになってしまうと、なかなか過激な歌は歌いづらくなるし、また、過激なものを作れなくなってくるとも思うけれど、メジャーながら過激でありつづけようとする桑田の姿勢は立派だと思う。
また、キャリアが長いベテラン・ミュージシャンとなっても、なお、ある種の素人っぽさ、アマチュアの匂いを大切にしつづけているところも、素敵だと思う。

桑田の奥さんの原由子さん(特別に敬称付き)が、以前テレビ番組で言っていたことだけれど、学生時代、原さんはよく、青山通り沿いにあるスタジオに、桑田たちのバンドの練習を聴きに行っていたらしい。いわば「取り巻き」「追っかけ」である。それで、よく来ているので、バンドのメンバーが原さんに、
「なんか楽器できる?」
と声をかけて、それで、原さんはそこにあったキーボードかピアノをちょっと弾いて見せた。
それが、デレク・アンド・ドミノスの「いとしのレイラ」の後半部分だった。
その番組で、原さんはちょっと弾いて見せて笑った。
「それで、やればできるじゃん、みたいな感じで……」
それでバンドに加わるようになったのだと言っていた。
そのときの原さんの「レイラ」が、音がたくさん入っていて、なんだか豪華絢爛な感じで、すばらしく、自分はそれから楽譜を買ってきて、一所懸命「レイラ」を練習しだした。
練習の甲斐あって、「いいかげんな自己流ヴァージョン」ではあるけれど、なんとか「いとしのレイラ」を弾けるようになった。
それもこれも、みな、サザンのおかげである。
(2013年2月26日)

著書
『ポエジー劇場 子犬のころ』

『ポエジー劇場 子犬のころ2』

『新入社員マナー常識』

『出版の日本語幻想』

『こちらごみ収集現場 いちころにころ?』

『12月生まれについて』


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