1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

2/24・人生わくわく、スティーブ・ジョブズ

2013-02-24 | ビジネス
2月24日は、りんごに縁の深い日である。ザ・ビートルズのメンバー、ジョージ・ハリスンが生まれた日(1943年)で、コンピュータのアップル社の創立者、スティーブ・ジョブズの誕生日でもある。
自分は編集作業でも作画、デザインでも、ずっとウィンドウズOS上で動くパソコンばかり使ってきていて、ケータイのOSはグーグルのアンドロイドと、アップル・コンピュータは使ったことがないのだけれど、それでも出版業界のデザイナーはほとんどがアップルPCを使っており、身近な存在ではあった。ウィンドウズはもともと、アップルのコンセプトを、マイクロソフトがまねをしたものだということも、昔からよく知っていた。
スティーブ・ジョブズは、まったくたいした実業家である。
車庫(ガレージ)でのコンピュータ作りからはじめて、パーソナル・コンピュータ(PC)を世のなかに普及させた。
「各個人一人ひとりにコンピュータ」という概念は、1970年代半ばには存在しなかったし、当時のヒューレット・パッカードの社員でさえ理解できなかった。それを、ジョブズが新たに打ちだして、伝道師となって世界に布教し、世界を変えてしまったのである。

スティーブン・ポール・ジョブズは、1955年、米国カリフォルニア州サンフランシスコで誕生した。父親はシリア人。母親はアメリカ人で、出産当時、大学院生だった。母方の父親(ジョブズの祖父)が、結婚を認めなかったため、母親はひとりで子供を育てることの困難から、ジョブズは養子に出された。
育て親の両親のもとで育ち、オレゴン州のリード大学に進んだジョブズは、半年ほどで大学を中退。大学の講義をもぐりで聴講したり、インドを放浪したり、禅の修行をしたりした後、コンピュータ業界へ。
高校生のときに知り合ったスティーブ・ウォズニアックと組み、ウォズニアックが作ったコンピュータ、Apple I を販売。この成功を足掛かりに、ジョブズとウォズニアックは、アップル社を設立する。
以後、ジョブズが陣頭指揮をとり、開発したMacintosh、iMac、iTunes、iPad、iPhone、iPadなどを発表。そうしたコンピュータ、音楽機器、電話機は、世界の産業をリードし、世界の人々を魅了し、人間の生活スタイルを大きく変えるものとなった。
そして、2011年10月、ジョブズはカリフォルニア州パロアルトの自宅で没した。56歳だった。

ジョブズは、武田信玄みたいな人だったようで、怒ると、相手を汚いことばで罵倒し、その場で部下にクビを言い渡すことがよくあったらしい。
自分の見込みちがいで在庫が増え、会社の業績が悪くなると、どんどん社員のクビを切って、急場をしのごうとした。
完璧主義者で、部下がもってきた企画や試作品を、満足のいくまで、気が遠くなるような回数やり直させた。かと思うと、一方では、提案それ自体でない、べつの理由から、平気で案を却下したりした。大ヒット商品となった「iPod」の名称は、2度却下され、3度目に提案されて採用されたものだという。
アップル社のiPhoneに対抗して、グーグルがアンドロイドOSを公開すると、ジョブズは激怒し、こう言ったそうだ。
「アンドロイドは抹殺する。盗みでできた製品だからだ。水爆を使ってでもやる」
こういうカリスマといっしょに仕事をするのは、おもしろいだろうけれど、振りまわされて大変だろうなぁ、と思う。
きっと、ジョブズが原因で、うつ状態になったり、引きこもりになったりした社員も、けっこういるのでは、と想像する。
平凡でいいから、穏やかで、不安のない、そこそこの生活を送りたい、と考える人は、こういう人とはいっしょに仕事はできない。
でも、もしも、おもしろい、わくわくするような時間をもちたいと思ったなら、彼のような人といっしょに働くにしくはない。意気投合してうまくいくかもしれないし、衝突して後で恨みつづける相手になるかもしれないけれど、いずれにせよ、わくわくした人生の時がもてることはまちがいない。

自分がジョブズに感心したのは、2005年のスタンフォード大学の卒業式での、彼のスピーチを聞いたからである。
卒業生を前にして、ジョブズはいろいろ語ったなか、自分の出生についても触れた。
彼は生まれるとすぐ養子に出される約束になっていたが、受け入れる側の両親は、じつは女の子を望んでいた。それで、ジョブズが生まれると、彼らに連絡がいった。
「生まれたのは男の子でした。それでも子どもが欲しいですか?」
両親は答えた。
「もちろんですとも」
それで、ジョブズは彼らの子どもとなった、そういう話だった。
あるいは、ジョブズが大学を早々と退学したのは、大学で学ぶ意義が感じられなかったこともあるが、ひとつには、自分の学費で両親の貯えがすっかりなくなってしまうことがつらかったからでもある、と、そんな話も披露した。
こうした感動的なエピソードを淡々と話すジョブズに、自分は好感をもった。
そのスピーチを、彼はこういうことばで締めくくった。
「Stay Hungry. Stay Foolish. (ハングリーでありつづけなさい、愚か者でありつづけなさい)」
しびれた。ありがたい、と思った。自分などはまったく、いくつになっても、お腹をすかせ、バカのままなので、そんな自分にとって、こんなに励まされることばはないのである。
(2013年2月24日)


著書
『ポエジー劇場 子犬のころ』

『ポエジー劇場 子犬のころ2』

『新入社員マナー常識』

『出版の日本語幻想』

『こちらごみ収集現場 いちころにころ?』

『12月生まれについて』

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