2月19日は、屋島の合戦の際、源氏方の那須与一(なすのよいち)が鏑矢(かぶらや)を射て、船上に揺れる平家方の女官が差し掲げた扇を射抜いた日(1185年)で、また、地球が太陽をまわっていると見抜いたコペルニクスが生まれた日(1473年)だが、日本の作家、村上龍(敬称略)の誕生日でもある。
村上龍が芥川賞を受賞した夏のことは、いまでも鮮やかに記憶に残っている。
高校一年生の夏だった。夏休み、高校に泊り込んでの、テニス部の合宿があって、自分はそれに参加していた。時を同じくして、村上龍の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』が発売された。それで自分は、毎日、何軒かの書店をまわって、その本をさがしていた。そのころは、書店で予約するという習慣がなかった。目当ての本は、なかなか見つからなかった。地方の田舎町のことで、そういう売れ筋の新刊本は、おいそれとはまわってこないのかもしれなかった。
合宿中も、こっそり抜け出して、近くの書店へ自転車を走らせた。すると、ある本屋に一冊だけ、その単行本が置かれてあった。いまでもよく覚えているけれど、本棚にずらりと並んだ、高い列に紛れこませるように差してあった。話題作だけれど、一冊しかないので、平積みにしなかったのかもしれない。自分は幸福を感じた。
買い求めて、合宿にもどった。そして、合宿を終え、家に帰ると、ただちにむさぼり読んだ。
すごい、と思った。やられた、と思った。ロックとファックをメイン・テーマに据えた文学が、いま登場するべきだとの考えが、そのころ、頭のなかにあって、誰も書かないのなら、自分がそういうものを書こうなどと計画しつつあった矢先に、ガツンッと、大型のプレス機で押しつぶされた感じだった。
村上龍の登場は、自分にとって、まさに「出現」だった。「啓示」だった。
村上龍は、1952年、長崎県佐世保市で生まれた。本名は、村上龍之介。両親はともに教師。龍は、武蔵野美術大学在学中に書いた小説『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞し、同じ作品で芥川賞を受賞。以後、『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』『テニスボーイの憂鬱』『69』『愛と幻想のファシズム』『トパーズ』『五分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス』などつねに時代を揺さぶる話題作を発表してきた。作家としての活動のほか、ラジオやテレビのパーソナリティー、映画監督、ウェブ・マガジン編集、キューバ・ミュージシャンの公演プロモーションなど、幅広い分野で活躍している。
村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』は、百万部以上売れた大ベストセラーだが、これを読んでおもしろかったと言う人に、自分はいまだ出会ったことがない。
「わからなかった」
「むずかしかった」
という人は、いた。
自分は、とてもおもしろかった。一度目に読んだときは、もう熱に浮かされている感じで、刺激的な表現に胸をドキドキさせ、目がチカチカして、頭で理解せず、ただひたすら感じながら、興奮して読んだのだったが、二度目に読み返してみて、作者の文の書き方に慣れてきてみると、スキャンダラスな内容とは裏腹に、意外に整然と整った行儀のいい文章だという気がした。それから三度、四度と読み返すたびに、
「おもしろいなあ」
といつも感嘆している。一つひとつのエピソードが刺激的でおもしろく、次々に飛びだしてくる作者のイメージが新鮮で、胸にジュワァッとしみこんでくる。こういうみずみずしい作品に、リアルタイムで出会えて、ほんとうに幸福だと思う。
一方、長編『コインロッカー・ベイビーズ』は、これを読んで、おもしろくなかったという人に、自分はいまだ会ったことがない。読んだ人はみんな、
「あれは、すごい」
「最高だった」
と、興奮ぎみに語るのである。
自分も『コインロッカー・ベイビーズ』は「すごい」と思っている。
以下はあやしい記憶を頼りに書くのだけれど、あの小説は、たしか村上龍が、デビュー作で得たお金をつかい果たし、講談社に二千万円くらい借金をして、長編を書いてその印税で返すからと、講談社の山荘に泊り込んで書いたものだったと思う。そして、三百枚くらい書いた時点で、李恢成の『見果てぬ夢』を読んで反省し、書いた原稿をすべて捨て、また最初から書きはじめた、そうしてでき上がった作品だった、とそう記憶する。そういう作者の作家人生がかかった、全身全霊を打ち込んだ自身の存在証明で、三島由紀夫でいえば『仮面の告白』にあたる重要な作品だと思う。そういう作品だから、作者の熱が読者に伝わらずにいないのだろう。
そのほか、この文章中に書名をあげた作品は、すべで、自分が読んで、しびれた傑作で、おすすめです。読んで、おもしろいのはもちろん、読んだ、そのことがそのまま、人生の重要な体験になる、人によっては人生が変わるかもしれない、そういう希有な小説だと思います。
余談ながら、自分は、ずっと以前、村上龍にサインをもらったことがある。
村上龍が35歳だったとき、新宿の紀伊國屋書店でサイン会が開かれるのを知り、本をもっていって並んだのだった。
「ぜひ、座右の銘をお願いします」
本を差しだしてお願いすると、彼は、
「ええ? そんなものないよ」
と困った顔をした。が、すぐに、
「そうだ。、坂本のまねをして、『勇気』と書こう」
そういって、『勇気! Ryu 村上龍』と書いてくれた。
「勇気」とは、およそ文人の揮毫らしくない、スポーツ選手などが色紙に書きそうな、短いことばだなあ、と思った。
でも、「勇気」は大切だ。ゲーテも、言っている。勇気を失うくらいなら、いっそ生まれてこなければよかった、と。
そのサインを、いま、あらためてながめている。
それにしても、「勇気」の後に、感嘆符が付いているのが、ふつうではない。すごい。さすが、村上龍だ。
(2013年2月19日)
著書
『12月生まれについて』
『新入社員マナー常識』
『コミュニティー 世界の共同生活体』
訳書、キャスリーン・キンケイド著
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』
村上龍が芥川賞を受賞した夏のことは、いまでも鮮やかに記憶に残っている。
高校一年生の夏だった。夏休み、高校に泊り込んでの、テニス部の合宿があって、自分はそれに参加していた。時を同じくして、村上龍の芥川賞受賞作『限りなく透明に近いブルー』が発売された。それで自分は、毎日、何軒かの書店をまわって、その本をさがしていた。そのころは、書店で予約するという習慣がなかった。目当ての本は、なかなか見つからなかった。地方の田舎町のことで、そういう売れ筋の新刊本は、おいそれとはまわってこないのかもしれなかった。
合宿中も、こっそり抜け出して、近くの書店へ自転車を走らせた。すると、ある本屋に一冊だけ、その単行本が置かれてあった。いまでもよく覚えているけれど、本棚にずらりと並んだ、高い列に紛れこませるように差してあった。話題作だけれど、一冊しかないので、平積みにしなかったのかもしれない。自分は幸福を感じた。
買い求めて、合宿にもどった。そして、合宿を終え、家に帰ると、ただちにむさぼり読んだ。
すごい、と思った。やられた、と思った。ロックとファックをメイン・テーマに据えた文学が、いま登場するべきだとの考えが、そのころ、頭のなかにあって、誰も書かないのなら、自分がそういうものを書こうなどと計画しつつあった矢先に、ガツンッと、大型のプレス機で押しつぶされた感じだった。
村上龍の登場は、自分にとって、まさに「出現」だった。「啓示」だった。
村上龍は、1952年、長崎県佐世保市で生まれた。本名は、村上龍之介。両親はともに教師。龍は、武蔵野美術大学在学中に書いた小説『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞し、同じ作品で芥川賞を受賞。以後、『海の向こうで戦争が始まる』『コインロッカー・ベイビーズ』『テニスボーイの憂鬱』『69』『愛と幻想のファシズム』『トパーズ』『五分後の世界』『ヒュウガ・ウイルス』などつねに時代を揺さぶる話題作を発表してきた。作家としての活動のほか、ラジオやテレビのパーソナリティー、映画監督、ウェブ・マガジン編集、キューバ・ミュージシャンの公演プロモーションなど、幅広い分野で活躍している。
村上龍のデビュー作『限りなく透明に近いブルー』は、百万部以上売れた大ベストセラーだが、これを読んでおもしろかったと言う人に、自分はいまだ出会ったことがない。
「わからなかった」
「むずかしかった」
という人は、いた。
自分は、とてもおもしろかった。一度目に読んだときは、もう熱に浮かされている感じで、刺激的な表現に胸をドキドキさせ、目がチカチカして、頭で理解せず、ただひたすら感じながら、興奮して読んだのだったが、二度目に読み返してみて、作者の文の書き方に慣れてきてみると、スキャンダラスな内容とは裏腹に、意外に整然と整った行儀のいい文章だという気がした。それから三度、四度と読み返すたびに、
「おもしろいなあ」
といつも感嘆している。一つひとつのエピソードが刺激的でおもしろく、次々に飛びだしてくる作者のイメージが新鮮で、胸にジュワァッとしみこんでくる。こういうみずみずしい作品に、リアルタイムで出会えて、ほんとうに幸福だと思う。
一方、長編『コインロッカー・ベイビーズ』は、これを読んで、おもしろくなかったという人に、自分はいまだ会ったことがない。読んだ人はみんな、
「あれは、すごい」
「最高だった」
と、興奮ぎみに語るのである。
自分も『コインロッカー・ベイビーズ』は「すごい」と思っている。
以下はあやしい記憶を頼りに書くのだけれど、あの小説は、たしか村上龍が、デビュー作で得たお金をつかい果たし、講談社に二千万円くらい借金をして、長編を書いてその印税で返すからと、講談社の山荘に泊り込んで書いたものだったと思う。そして、三百枚くらい書いた時点で、李恢成の『見果てぬ夢』を読んで反省し、書いた原稿をすべて捨て、また最初から書きはじめた、そうしてでき上がった作品だった、とそう記憶する。そういう作者の作家人生がかかった、全身全霊を打ち込んだ自身の存在証明で、三島由紀夫でいえば『仮面の告白』にあたる重要な作品だと思う。そういう作品だから、作者の熱が読者に伝わらずにいないのだろう。
そのほか、この文章中に書名をあげた作品は、すべで、自分が読んで、しびれた傑作で、おすすめです。読んで、おもしろいのはもちろん、読んだ、そのことがそのまま、人生の重要な体験になる、人によっては人生が変わるかもしれない、そういう希有な小説だと思います。
余談ながら、自分は、ずっと以前、村上龍にサインをもらったことがある。
村上龍が35歳だったとき、新宿の紀伊國屋書店でサイン会が開かれるのを知り、本をもっていって並んだのだった。
「ぜひ、座右の銘をお願いします」
本を差しだしてお願いすると、彼は、
「ええ? そんなものないよ」
と困った顔をした。が、すぐに、
「そうだ。、坂本のまねをして、『勇気』と書こう」
そういって、『勇気! Ryu 村上龍』と書いてくれた。
「勇気」とは、およそ文人の揮毫らしくない、スポーツ選手などが色紙に書きそうな、短いことばだなあ、と思った。
でも、「勇気」は大切だ。ゲーテも、言っている。勇気を失うくらいなら、いっそ生まれてこなければよかった、と。
そのサインを、いま、あらためてながめている。
それにしても、「勇気」の後に、感嘆符が付いているのが、ふつうではない。すごい。さすが、村上龍だ。
(2013年2月19日)
著書
『12月生まれについて』
『新入社員マナー常識』
『コミュニティー 世界の共同生活体』
訳書、キャスリーン・キンケイド著
『ツイン・オークス・コミュニティー建設記』