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PTAに消防団の活動報告・その他いろいろ

とある横浜市立小学校のPTA活動、その他あれこれ、やっている事の活動報告です。

柔道部物語・その21

2006年09月09日 21時56分41秒 | 柔道
久々の更新です。と言っても中2日空けただけですが…。
毎日更新していると、2日空けただけでもすごく久しぶりという感じがしますね。

さて、本文です。
中学3年生というのは、入試が終わってしまうと一気に暇になりますね。
今のように週休2日じゃないですから、もう授業も殆ど終わってるし。
卒業式の練習したり卒業記念制作をしたりして、のんびり卒業の日を待ちます。

そんな風に過ごしていたある日、高校から呼び出しが掛かりました。???

卒業式の翌日から練習に参加しろ
というものでした。

その瞬間、卒業式後の計画が全て塗り替えられてしまいました。


卒業式が終わり、ちょっと長めの春休みに突入すると、みんな最後の想い出作りに忙しくなりますね。
私はもう少しの間、中学校の制服にお世話になることになってしまいました。
家からバスと電車を乗り継いで、90分かけて高校へ。
結構遠いよな… これから毎日か…
なんて事を呟きながら柔道場に入る。
もうすでに春休みに入っているようで、中学・高校生が入り交じって稽古の真っ最中でした。(大学付属の中高併設校です)
私が道場の入り口のところで挨拶をして立っていると、マネージャーらしき人が来てくれました。名前と学校名を告げると、師範室にいる先生も所に案内されました。
おっ来たな。今日からだから、ガンバレよ。
「はい、よろしくお願いします。」
と挨拶もそこそこに、早速柔道着に着替える。
私の他にも2人、同じように中学校の卒業式を待って練習に参加している、【推薦入学組】がいました。そのうちの一人が、最後の夏の市大会の準々決勝で対戦した学校の大将でした。『その16参照』
お互いに「よろしく」と軽く挨拶を交わしただけでしたが、とても心強かったです。知ってる人がいて。

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柔道部物語・その20

2006年09月06日 18時36分16秒 | 柔道
入試は、午前が筆記試験、午後が面接。
面接試験って皆さんも経験あると思いますが、予行練習しますよね。

ドアをノックする
どうぞと言われたら、「失礼します」と言って静かに入室
試験管の前まで進み、受験番号と名前を言う
いすに座るよう促されたら「失礼します」と言って静かに座る

みたいなことを、試験前に学校で友達と練習し合ったことを憶えています。

試験は…、自分でも不思議に感じるくらい落ち着いて受けられました。
面接試験でも、柔道部のことを聞かれたときには
柔道部に入り、思いっきり柔道に打ち込みたい
とアッピールも忘れずに。
手応え有り。9割方いけたかな…の手応えでした。
 
そして2日後、結果発表。
ドキドキしながら受験番号が書かれた掲示板を見る。ところが…
お、俺の番号が無-い!

しっ信じられん!あの出来で不合格なら、みんな満点に近い成績だったのかよ???
そんな事より、滑り止めなんてしてないよぉ。どうすんのよ。

何かの間違いかと思い、事務所へ確認に行くと
あー、君の番号はあっちの掲示板にあるんじゃないかな…
と軽い答えが返ってきた。
言われたところに行くと、確かにありました、私の受験番号が。
でもねぇ、【補欠入学者】の掲示板だったんです。
なんか、補欠かぁ…みたいな感じで、まだ入学もしてないのにいきなり凹みました。
取りあえず入学書類を受け取って学校に戻り、待っている先生や友達に報告するのですが、なんかカッコ悪くて言いたくなかったです。

ところが後日、入学後に分かったことなのですが、補欠入学者というのは、実は推薦入学者の事らしかったんです。
それを聞かされたときには『なぁんだよぉ』と、妙に安心してしまいました。
先生が推薦入学の手続きをしていてくれたらしく、実は試験前から決まっていたみたいでした。
『安心させない親心』
だったのでしょうか。未だに真相の確認はしていません、聞くのが怖くて。

とにかく、これで志望校への入学が決まりました。あとは卒業式を待つだけです。

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柔道部物語・その19

2006年08月28日 15時57分53秒 | 柔道
秋からは、鈍らない程度の稽古をしながら受験勉強を始めました。
なにせ先生からは、しっかり勉強しろよ。
容赦なく落とされるから、成績が足りなければ
って毎日のようにプレッシャーをかけられまくっていたので。

一応横浜市でベスト4までいきました。
初段を取って黒帯にもなりました。
スポーツ推薦入学制度のある学校でしたが、これぐらいの成績じゃ鼻にもかけてもらえない。
私が入学する年は柔道部の推薦枠が削られた年でした。
前年に硬式野球部が、夏の甲子園の県予選で準優勝したんです。それで一気に野球部の推薦枠が広がって、他の部が割りを食う形になってしまったんですね。
まあスポーツ推薦入学なんて考えてもいなかったですが。

一応気持ちだけは
必死に勉強しました
でもねぇ、普段何もしてないのが急に勉強したって効果があるわけない。やっぱり普段の積み重ねが大事なんだと、身にしみて分かりました。

いよいよ入試当日。前日学校で、
体調を万全に、早く寝ろ。
筆記用具・受験票は忘れるな。
早めに出発して、余裕を持って会場に入れ。
云々…。
そしてクラスメイトからエールをもらい、当日を迎えましたが…、朝起きると
積もるほどの雪が…
降っていました。
こりゃあヤバイと、予定より早めに家を出発してヨロヨロと歩きながら、
これで滑って転んだらシャレになんねぇ
と呟き呟き試験会場へ向かったのを憶えています。

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柔道部物語・その18

2006年08月24日 12時16分48秒 | 柔道
引退してしまうと気楽なもんです。
試合があるわけでもなく、うるさい先輩もいない。
先生だって、『出てくるだけでもいいよ、後輩の指導をよろしく』みたいな感じで、まるでサークル感覚です。
部活のプレッシャーは無くなりましたが、今度は進路のプレッシャーがのしかかってきました。
教室での話題もだんだん進路関係が中心になってきます。
私は、特に行きたい高校があったわけでもなく、何となくみんなの話を聞いていました。
ひとつ 制服が学ランの学校 がいいかな。
ぐらいしか考えてなかったです。

地元or遠距離・男子校or共学・公立or私立・偏差値 etc
選択基準は多々あれど…あまり真剣に考えてなかったかもしれません。

そんな感じで進路を決め倦ねていた私に、先生が
おまえ、高校で柔道は続けるのか
と聞いてきた。
はい、続けます。
どうせやるなら強い学校で。

と答えた私。
別に、勢い余ってとか先生に気を遣ったとかではなく、自然と出た言葉だと思います。それで、目の前の霧がサーっとはれたような感じになり
あっ、俺柔道やりたいんだなぁ
と自分の気持ちが確認できたので、そこからは早かったです。
あっという間に志望校が決まりました。
よく知っている学校です。遠征で行ったこともあり先生にも面識がある。申し分なしです。制服は学ランだし…。
あとは試験をパスするだけ
方向が定まったので、少しばかり試験勉強もやる気になりましたね。

ところで、中学校入学以来(正確には柔道部入部以来)
ずーっと坊主頭 でした。
柔道部以外にもそういう部はあったんですが、引退してみんな色気付くんだか、髪の毛を伸ばし始めます。
私も伸ばしてみたんですが、先生から
似合わねえよ!
どうせ高校行っても坊主なんだから坊主にしてこい!

で坊主に逆戻りです。
自分でも似合ってないと思っていたので…。

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柔道部物語・その17

2006年08月19日 22時02分13秒 | 柔道
久々の更新です。
1週間サボってしまいました。
どこぞへ旅行していたわけでもなく、仕事したりなんやでいつも通り家にいたんですが、なんとなくお休みモードで1週間過ごしてしまいました。
朝練もウォーキングだけでした。

さてそんな中、高校の柔道部同期の連中と集まる機会がありました。
実は毎年夏休みのお盆の時期に集まっているんです。
大学1年の時の事ですが、同期の一人が柔道の稽古の直後、心臓麻痺で亡くなるという事故があり、その命日に当たる時期だからです。
この日だけは全てに最優先するのが同期の中での暗黙のルールです。
今年でちょうど20回目の墓参りになりました。

それぞれ仕事も休みを取って、遠い奴は関西や北陸から駆けつけてきます。
まず午前中は学校に集合して、稽古に参加します。当然ボロボロになります。
そして午後から、先生と共に墓参りに向かいます。
お盆の時期ですから、他にもお墓参りをされる方が多いです。何度かお墓参りでお会いしている方がいて、こちらが覚えていなくても、こちらの事を覚えているという方から何度か声をかけられた事があります。

「昨年もここでお会いしましたね。ご友人のお墓参りですか?」
「はい、高校の時に一緒に柔道をやってたんです」
「あ-それでみなさん身体が大柄なんですね」
というような会話を交わしました。なるほど
ガタイのいいのがゾロゾロいれば印象に残るわなぁ
と妙に納得してしまいました。
私なんて小柄な方ですから。

墓参りが済むと、もう日も暮れ始めます。
飯喰って酒飲んで、毎年同じ話題で盛り上がります。
高校3年間の記憶を辿る旅に出るのです。
よくもまあ毎年同じ話で盛り上がれるなぁ、と思いますが、こんな事をもう20年もやってます。

時系列から外れましたが、タイムリ-だったので書かせてもらいました。
次回から時間を元に戻します。

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柔道部物語・その16

2006年08月09日 18時22分43秒 | 柔道
自分が3年生、主将として臨む夏の市大会。
これが最後の大会だ、なんて特別な感慨もなくいつもの通り会場入りした。
それまで無名だった我が中学の柔道部は、シードされている有力校が順当に勝ち上がっていくのに紛れて、そろりそろりと勝ち上がっていきました。
ベスト8まで上がると、
ノーマークの無名校
が勝ち残っている事に気付かれ始めました。

「こんな学校知らないぞ」
「何処の学校?」
みたいな感じで、注目され始めてちょっと優越感を感じながら、今まで体験したことのない領域にいる緊張感も同時に感じ始めました。

そしていよいよ準々決勝。
相手は今まで一度も勝ったことがない学校。
向こうは…
楽勝楽勝
って感じでこちらを見ている。
こっちは…、まさか市のベスト8まで勝ち上がるなんて思ってなかったので、
もう十分です
みたいな感じになってしまって、緊張感が途切れてしまっていた。
そんな雰囲気を察した先生が、会場の隅の人目に付かないところに全部員を集め、
バチーン! と1発づつ顔面に張り手を…
「いいか、絶対に勝て! 相手のなめきった顔見て腹立たないのか!」と、一喝。
目が覚めた!
先鋒 2年生 斬りこみ隊長 勝ち
次鋒 3年生 軽量級ながらテクニシャン 勝ち
中堅 私 これで勝てば決まるところ 勝ち
副将 2年生 身長体重とも部一番の大男 勝ち
大将 3年生 安定感バツグン これは負け

相手の大将は体重130㎏を越える超巨漢。
こいつとは同じ高校に進むことになるが、その時はそんなこと知るよしもない。

終わってみれば4-1。
これで勝っちゃうんだから、ドラマみたいでしょ?
結局、市で3位の成績をおさめ、その勢いで県大会も…と調子に乗りましたが、こちらはベスト16止まり。まぁ優勝した学校に負けたので、シャーナイシャーナイ。

てな感じで思い出深い中学校最後の夏休みを過ごし、もうそろそろ引退の時期を迎えることになります。

思い返せば、中学校に入学して、ヒョンなきっかけで柔道部に入部して、引退するまで、盆暮れの数日以外は毎日柔道やってました。
引退しちゃうと時間を持てあまします。
受験に備えて勉強なんて、とてもする気にならないし、遊ぶといっても何していいか分からない。
で、結局部活を続行することに。
しかし、進路決定までの時間は確実に迫ってきています。
「どうしようかなぁ…柔道続けようか、他のことやろうか」
後輩の稽古につき合いながら、ぼんやりとそんなことを考え始めました。

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柔道部物語・その15

2006年07月25日 12時39分44秒 | 柔道
何度も書いていますが、柔道は格闘技です。
使いようによっては、それ自体が武器になります。
『だから絶対に喧嘩をしてはいけない!』
先生からもそのことは耳にタコができるほど注意されていました。
しかし私はある時、友達を怪我させてしまいました。
最初はふざけあっていたのが、何かがきっかけで喧嘩になり、突き飛ばしたら…

部員みんなの前で、迷惑をかけたことを誤りました。
そして1週間の部活動停止(謹慎)を言い渡され、それが明けると1ヶ月間は柔道着を着ることを許されず、ひたすら走り、筋トレの毎日でした。
筋肉痛の痛みよりも、反省と後悔、何より情けなさの方が大きかったと思います。

ちょっとした弾みで喧嘩になって、ちょっとした弾みでケガをする。
よくある事よ、と言えばよくあることだと思います。
自分では それがどうした! と言いたいところですが、柔道やっているとなれば、周りはそうは見てくれない。
いっぺんで あいつは危険な奴だ となる。

あの事件の時は、先生からどんなに激しく怒られるかと覚悟していましたが、予想とは相反して、
武道とは…
柔道とは…
という話を切々と話してくれました、1発もぶん殴られずに。だから尚更反省したんだと思います。

本当に強い奴は喧嘩なんかしない。
喧嘩したら相手に怪我させてしまうから。心に余裕があるんだ。
弱い犬ほどよく吠える
ということだ。
おまえはまだまだ弱い。もっと鍛えて、心を磨いて本当に強くなれ。
この言葉で救われました。

柔道部物語・その14

2006年07月13日 18時24分51秒 | 柔道
小学校の時は大して目立つ事もなく、取り柄もなく、何やっても平均点。
そんな私が柔道部の主将です。人間どこで運命が変わるか分からないとはよく言われますが。

後輩に突き上げられながらも、徐々に実力をつけ実績を積み上げてきた我が柔道部。いよいよ私は3年生になりました。
新入生を迎える入学式の前日、いつものように稽古を終えると先生に呼び出されました。何を言われるのかドキドキしながら職員室にはいると、
「今度入ってくる1年生に○○というやつがいる。そいつを絶対柔道部に入れろ!」
こんな指令を出されました。
私は、と言うより誰もが、そいつの事は知っていました。
なにせ縦にも横にも体がデカイので、目立つんですね。
で、翌日の入学式の日、いました。
やっぱりデカイ!相変わらず!
って当たり前なんですけど。
それで、入学式を済ませて教室にいるところをズカズカ入っていき(この辺は3年生の貫禄で)
おい!○○!柔道部に入れ!
周りの1年生も緊張しながらこっちを見てる…。やばい、早くケリをつけなければ…。
僕は野球部に入ろうと思ってます。
やはり、予想通りの答えでした。少年野球のチームに入っていたので野球に行っちゃうかな、とは思っていました。
しかし、素材としてはこれ以上ない逸材です。ハイそうですか、とは引き下がれない。それから連日勧誘に行きました。

いいか、よく考えろよ。野球部にいたって、これだけたくさんの部員がいるんだぞ。
おまえなんかレギュラーどころか補欠にだってなれないぞ。
柔道部に来い。おまえなら全国大会だって狙えるぞ。

こんなことを言って、勧誘を終わりにしました。
翌日、来ましたよ。両親とも相談したらしい。
先輩!よろしくお願いします!
さあ、我が柔道部始まって以来の強力な布陣が整いました。

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柔道部物語・その13

2006年07月07日 03時42分03秒 | 柔道
中学2年生になり後輩が出来ると、それまでの柔道部とは全く別物と言っていいくらい変貌しました。粒ぞろいの一年生がたくさん入部してきたんです。
俺たちの時とは明らかに違う、
先生に一本釣りされてしまったガリガリ君、ブクブク君
ではなく、自分から『柔道やりたい』と言って。
私もボケッとしていられませんよ。何せこいつら(1年生)がどんどん強くなっていくので、稽古にも自然と熱が入るし、集中もできる…。今まで同じ事やっていたとは思えないくらいに。
それまではねぇ、練習中に先生の目を盗んではサボってみたり、遊んでみたりしていて、そこらへんのモチベーションが低かったと思います。後輩に触発されて、というのも情けない気がしますが。

とにかくその甲斐あって、区大会では常に上位入賞を果たし、市大会でも、もしかしたら…と思えるくらい善戦しました。1・2年生、オール白帯のチーム編成で。
一応3年生はいましたが、大会出場を待たずに、早々と自主引退をしてしまっていましたので。

そしてここから、我が柔道部は横浜市でも屈指の柔道強豪校へと駆け上がっていきました。
(ちなみに俺主将ね)

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柔道部のこと改め、柔道部物語・その12

2006年07月03日 18時17分56秒 | 柔道
数少ないこのブログの読者の方から、このカテゴリー(柔道部のこと)は
よく分からないし、つまらない!
とのご意見をいただきました。もう書かないでくれ!とも言われました。ありがとうございます。
ですので、タイトルも改め、もう少し分かりやすく、多少フィクションを織り交ぜながら書いていきます。

前でも書きましたが、柔道部は女子にモテません。なので、自然と態度や考え方が硬派になっていきます。ちなみに先生は未だ独身です。ちょっと心配…。

さて、皆さんは柔道の試合を見たことがありますか?
技がかかれば一瞬で勝敗が決まってしまいます。その一瞬のために、日々練習しています。
稽古や筋トレをしていて思ったことがあります。
自分をいじめるのが好きな奴は強い ということ。
たまに痛めつけられて喜んでいる奴がいたりします。
スクワット 100回X10 とかやると、帰りは階段の昇り降りもままならないくらいの筋肉痛におそわれます。
ひざがわらう  というやつです。
でもなぜかみんな嬉しそう。もちろん私も。アブナイですか?
そうして、だんだんズングリした体型になっていき、益々モテなくなるんですね。

柔道部のこと・その11

2006年06月25日 17時12分08秒 | 柔道
梅雨のこの時期、雨は仕方ないですが、洗濯物が困りますよね。ほんと柔道着もなかなか乾かなくて困りました。乾燥機を使うとゴワゴワになって着にくいし、ドライヤーを使ったり色々試みましたが、結論は
我慢の限界まで洗わない!
ということに落ち着きます。
汗臭さは慣れます…。
だからかどうか分かりませんが、柔道部は女子にもてませんでした。

そんな梅雨の時期が終わると夏です。
夏といえば海です、普通は。
しかし私は、柔道を始めてから今に至るまで、数えるほどしか海水浴に行ってません。
別に海が嫌いなわけでもなく、嫌な思い出があったわけでもありません。
強いて言えば、日焼けした後に柔道着を着るのが嫌だったからです。

私皮膚が弱いんです、見かけによらず。で、海で日焼けするとすぐ水ぶくれになり、皮膚がボロボロになってしまいます。
そんな状態で柔道着を着れば、弱っている皮膚を
たわしでゴシゴシ
やるのと同じことですから。
それで現役を退いた今でも、なんとなく海に足が向かなくなってしまっています。

ここ数年、毎年、「今年は海に泳ぎに行こう」と言いながら、一度も行ってません。今年はどうするか。

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柔道部のこと・その10

2006年06月18日 05時11分49秒 | 柔道
ここ数日、早朝から活動しています。
とても静かで、落ち着いてパソコンにむかえます。

柔道は取っ組み合うスポーツ、格闘技です。ケガはつきものです。
突き指や捻挫、爪剥がしは日常的にやってました。どこかしら故障している。万全な状態でいられることの方が少なかったです。稽古している最中に、たまに畳がずれて、隙間が出来ることがあるんですが、そこに足の指がハマっちゃうんですね。

私は左利きです。幼稚園から小学校低学年にかけては、えんぴつも箸もボールを投げるのも全て左手でしたが、それではよろしくないと父親が右に矯正したんです。おかげで両手が使えるようになりました。右手の指を突き指してペンが持てなかったときは、左手にペンを持って授業を受けてました。
今は箸は両手で使えますが、ペンは使えなくなってしまいました、さすがに。

その11へ


柔道部のこと・その9

2006年06月12日 13時32分58秒 | 柔道
文 武 両 道 が先生の口癖です。
中間テストや期末テストなど、定期テストが近づくと部活動は朝も放課後も休止になります。しかし柔道部は
朝練習は朝勉強に、放課後練習は放課後勉強会に なり、学校で勉強します。
どうせお前ら、練習休みにして早く帰らせても、勉強なんてしないだろう
ごもっともです。たしか全員図書室に集められて、先生の監視の下でしっかり勉強しました。今みたいに塾に行くのが当たり前、という時代ではなかったので結構辛かったです。
当然テストの結果次第で、その後の練習メニューが変化するのは言うまでもありません。でもそのおかげで、少しづつ成績が上向いてきたんです。

こんな調子の先生ですから、学校行事には全力で取り組みます。柔道部員も道連れにして…。
体育祭、マラソン大会、文化祭、合唱コンクール etc…。
一番の思いでは、3年生の時にこの先生が担任になってしまった???のですが、文化祭のクラスの出し物で劇をやることになり、主役(多分)にされてしまったことです。アーもスーもなく…。
これは、プレッシャーがかかりました。なんせ相手役の女の子を抱きかかえて、ステージの端から端まで歩かなければいけないのです。しかもかっこよく…。

配役が決まったとき、と言うか「この役お前な」ってな感じですでに決まっていたのですが、自分の境遇を悔やみましたよ。本当に。
でも、その後の人生に大きな影響を与えてくれたのも確かです。
とりあえず逃げない! ようになりました。周りには迷惑かけてますが、特にカミさんに…。

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柔道部のこと・その8

2006年06月04日 22時55分59秒 | 柔道
夏休みはお盆の辺りに4~5日休みがあった以外は毎日
練習 か 試合 か 遠征です
柔道着は2着持ってましたが、洗濯が間に合わない。分厚い柔道着は、いくら夏の日差しの下でもなかなか乾きません。ある時生乾きのまま練習に着たら
バカ野郎!毎日洗濯なんてしなくていいんだ!
と先生に怒られてしまいました。
言われてみれば、先生も先輩達もみんな、柔道着汗くさかったなぁ。
ぞうきんみたいなにおい…柔道や剣道を知っている人なら分かると思いますが。

他校との合同練習、練習試合を重ねて、だんだん相手を投げ飛ばせるようになってくると、柔道が面白くなってきました。
柔道は最初は白帯です。3級を取ると茶帯を締めることが出来ます。
他校の同級生がチラホラ茶帯を締め始めると、自分もと思うようになります。
私も3級を穫った時先生に「茶帯を締めていいですか?」と聞くと
締めるなら黒帯を締めろ!と一喝!
先生によって考え方が違うようで、"茶帯を締めさせる先生と締めさせない先生" に分かれるようです。ちなみに黒帯を締めたのは、すなわち初段を取ったのは3年の春でした。当時としては平均的だったと思います。

そうして夏休みが過ぎると3年生は引退です。2年生から新主将が選ばれて、団体戦を戦う5人のレギュラー争いが始まります。
柔道の団体戦は5人で戦います。初めから、"先鋒・次峰・中堅・副将・大将"の順で戦い、その勝敗数で勝ち負けを争います。私は…何とか5人の中に入りました。次峰か中堅で、まあ1年生としては無難なポジションです。でも嬉しかったですよ。いじめられ続けた甲斐がありました。
レギュラーになったことで、さらにいじめられる事になりましたが。

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柔道部のこと・その7

2006年05月31日 19時51分48秒 | 柔道
先生に「絞め技を教えて下さい」なんて言っちゃったことで、夏休みは寝技中心の練習になってしまいました。

寝技地獄…特に夏の暑い時期は厳しいです、いろんな意味で。
痛いのと苦しいのと、そして…においです。まあすぐに慣れますけど、麻痺して。

寝技も身体の大きい者、力の強い者が有利なのは言うまでもないですが、寝技の練習を重ねていくと、
人間の身体ってうまくできているな
と思うようになります。

無数にある間接の、動く向きや強さを理解すれば攻めどころが解る。
これまた "柔よく剛を制す" ことができます。

そして "絞め技" です。
力任せに首を絞めても "痛いだけ" です。気管を絞めずに頸動脈を絞める。
頭に血がまわらなくなり、気持ちよく "落ちて" ゆきます。
フッと意識が無くなり、カツを入れられて次に目が覚めた時には、もう一晩ぐらい眠っていたような感じがするんです。
あれ? なんで道場にいるんだろう俺…なんて、すぐには現実に戻れない時もあります。
あまりやりすぎると、ハッキリ言って危ないです。
もう逃げられない!と思ったら潔く降参する
ようにしないと、練習の時は。まあ許してくれないですけどね。
これも今となっては良い思い出です。

その8へ