いい日旅立ち

日常のふとした気づき、温かいエピソードの紹介に努めます。

歌人の体験と歌創り~「山西省」など~

2019-07-02 17:08:13 | 短歌


河原より夜をまぎれ来し敵兵の三人までを迎へて刺せり
ひきよせて寄り添うごとく刺ししかば声も立てなくくづをれて伏す

……

宮柊二の、戦中体験をもとにした歌集「山西省」からとったものである。
これが、事実をいったものであるかどうかは、いまだに議論が分かれる。
しかし、このような過酷な戦争の中で、
宮柊二の体験が蓄積されたことは疑いがない。
それが、後年の宮柊二の運命と歌に深い影響を与えたことは、
すでに確固たる事実である。
このような体験から、宮柊二は、自らの体験のほか何物をも介在させない作品を生み出した。
戦後、華々しく変わる時代の中で、左にぶれるでもなく、右にかたむくでもなく、「庶民」の感覚を固持して、独自の世界を構築した。
1939年までは北原白秋に師事したが、
日中戦争に出征することで、その軛から離れた。
さらに、戦後は富士製鉄の社員として勤めるかたわら、
歌を詠み続ける、という道を選んだ。

……

はうらつにたのしく酔へば帰りきて長く座れり夜の雛の前

サラリーマン時代に残したこの歌の延長線上で生きた。
にもかかわらず、「コスモス」という結社の主宰となり、
朝日新聞歌壇の選者となって、
「庶民の短歌」を先導することになってしまう。
しかし、50代にして糖尿病に侵され、老いを迎える前に病者となり、
自らの思いを実現することができなくなった。
具体的には、再度山西省を訪問してゆっくり往時を顧みながら歌を作る、
という願いはとん挫した。

そして、病者としての自分をときに深刻に、ときにユーモラスに詠ってみせた。

このような自分史のなかで、人生の終焉へと向かったが、山西省での体験の深みを消し去ることはできなかった。

























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