久しぶりに市立図書館に行って、たまたま目に付いた表題の本を借りてきました。Justiceという本や、講義で有名な、ハーバード大、マイケル・サンデル教授が日本で行ってNHKが放送した授業の様子だそうで、DVDに一時間ほどの講義二つのすべてが収録されていて、本はそのTranscriptだけなので、DVDだけを観ました。
前半の授業、立って発言した参加者たちの英語の上手さにまず驚嘆。一人の男性がサンデル教授に問われて、米国の大学に在学中と答えていましたが、同様に、英語について相当のバックグラウンドがある人が少なくなかったと思われます。米国の大学に典型的な、教員は受講者の議論のモデレータ、というタイプの授業を、いわば、珍しい見世物としてわざわざ日本に来てやってもらう。ところが、積極的に発言するのはそういうのに慣れた人、ってのはちょっと妙な光景と感じましたが、ここまで有名になっちゃうと、来る人も「腕に覚えあり」的な人になっちゃう、という傾向になりがちなのかも。でも実は、感心する内容を述べているのは、むしろ日本語で話してる人であることが多かったりして。英語はあくまでコミュニケーションの道具であって、本当に重要なことは、たとえば、米国的な訓練によるディベート技術の向上のようなコトとは別のところにある、ということを再認識。
後半の授業、まず感じたのは、FUKUSHIMA問題はやめてほしいなあ、ということ。少なくとも現時点で、実りある、冷静な議論をするのは非常に困難に思える、もっと率直に言えば、聞くに堪えないから(冷静で、意見にも賛同できる人がいましたが)。サンデル教授が聴衆に向けた問いは、センセーショナルで、白熱した議論を呼び起こしましたが、聞けば聞くほど、悪いのは誰だ、という話はやめたらどうだ、私たちは、これまで直視してこなかった何に目を向け、どんな反省材料を得て、今後どんな責任とリスクを背負うのか、とは考えられんもんか。。。 という思いが募りました。すると、まさにそんなような発言がフロアから(ここでも日本語で)。ひょっとして、この方向に話を誘導する意図があったかと勘ぐりたくなる展開。イベントの性質・制約からか、そこから話しが深まったとは思えませんが、後半の授業も成功に終わったと、サンデル教授は思っていそう。
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サンデル氏の話をはじめて聞いたのは、ここで何度か取り上げた、Freakonomics RadioのPodcastで。去年の5月「魂を売り買いできるか」という話題に、専門家としてゲスト出演。司会のDubnerさんの疑問に、彼の批判するMarket economyの問題点に結び付けて説明しています。その腕前は見事でしたが、納得いかない点も残っています。
このエピソードは、キリスト教徒で、神の存在も信ずる男性(米国人)が、「魂など存在しないという無神論者が、『じゃあ、キミの魂、俺に売ってよ』と持ちかけても、売るのをしぶるのは、矛盾だ。彼らは実は魂があると思ってて、売り渡したくないんだと証明したい」というブログへのコメントが発端。でも私には、彼のロジックは全くのナンセンス。私がもし「売ってくれ」と言われたら売りませんが、それは売りたくないからじゃなくて、たんにそんなもん存在しないと思ってるから。所有してないものを売りわたすのは、不可能、金をもらったら詐欺では(思考や人格を「魂」の反映だと考えるとしても、それは脳の作用の結果で、脳を売ったら死んじゃうから、売らない)。以上おしまい。
...と、そこで話が終わらず、この超有名教授まで引っ張り出して、30分近くの番組を一本作っちゃうとは。無神論者も含め、ことほどさように、Soul(魂)は米国人にとって大事なもの、ということなのでしょうか。「OK、売りましょう」と申し出てきた男性は、「もし他にまた買いたい人が現れたら、『私の魂はヒトデみたいに切ってもまた出てくるんですよ』とでも言ってまた売るかな」とシレっと言ってのける人なので、行動こそ異なれ、私と基本の考え方は変わらないのかもしれませんが。
前半の授業、立って発言した参加者たちの英語の上手さにまず驚嘆。一人の男性がサンデル教授に問われて、米国の大学に在学中と答えていましたが、同様に、英語について相当のバックグラウンドがある人が少なくなかったと思われます。米国の大学に典型的な、教員は受講者の議論のモデレータ、というタイプの授業を、いわば、珍しい見世物としてわざわざ日本に来てやってもらう。ところが、積極的に発言するのはそういうのに慣れた人、ってのはちょっと妙な光景と感じましたが、ここまで有名になっちゃうと、来る人も「腕に覚えあり」的な人になっちゃう、という傾向になりがちなのかも。でも実は、感心する内容を述べているのは、むしろ日本語で話してる人であることが多かったりして。英語はあくまでコミュニケーションの道具であって、本当に重要なことは、たとえば、米国的な訓練によるディベート技術の向上のようなコトとは別のところにある、ということを再認識。
後半の授業、まず感じたのは、FUKUSHIMA問題はやめてほしいなあ、ということ。少なくとも現時点で、実りある、冷静な議論をするのは非常に困難に思える、もっと率直に言えば、聞くに堪えないから(冷静で、意見にも賛同できる人がいましたが)。サンデル教授が聴衆に向けた問いは、センセーショナルで、白熱した議論を呼び起こしましたが、聞けば聞くほど、悪いのは誰だ、という話はやめたらどうだ、私たちは、これまで直視してこなかった何に目を向け、どんな反省材料を得て、今後どんな責任とリスクを背負うのか、とは考えられんもんか。。。 という思いが募りました。すると、まさにそんなような発言がフロアから(ここでも日本語で)。ひょっとして、この方向に話を誘導する意図があったかと勘ぐりたくなる展開。イベントの性質・制約からか、そこから話しが深まったとは思えませんが、後半の授業も成功に終わったと、サンデル教授は思っていそう。
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サンデル氏の話をはじめて聞いたのは、ここで何度か取り上げた、Freakonomics RadioのPodcastで。去年の5月「魂を売り買いできるか」という話題に、専門家としてゲスト出演。司会のDubnerさんの疑問に、彼の批判するMarket economyの問題点に結び付けて説明しています。その腕前は見事でしたが、納得いかない点も残っています。
このエピソードは、キリスト教徒で、神の存在も信ずる男性(米国人)が、「魂など存在しないという無神論者が、『じゃあ、キミの魂、俺に売ってよ』と持ちかけても、売るのをしぶるのは、矛盾だ。彼らは実は魂があると思ってて、売り渡したくないんだと証明したい」というブログへのコメントが発端。でも私には、彼のロジックは全くのナンセンス。私がもし「売ってくれ」と言われたら売りませんが、それは売りたくないからじゃなくて、たんにそんなもん存在しないと思ってるから。所有してないものを売りわたすのは、不可能、金をもらったら詐欺では(思考や人格を「魂」の反映だと考えるとしても、それは脳の作用の結果で、脳を売ったら死んじゃうから、売らない)。以上おしまい。
...と、そこで話が終わらず、この超有名教授まで引っ張り出して、30分近くの番組を一本作っちゃうとは。無神論者も含め、ことほどさように、Soul(魂)は米国人にとって大事なもの、ということなのでしょうか。「OK、売りましょう」と申し出てきた男性は、「もし他にまた買いたい人が現れたら、『私の魂はヒトデみたいに切ってもまた出てくるんですよ』とでも言ってまた売るかな」とシレっと言ってのける人なので、行動こそ異なれ、私と基本の考え方は変わらないのかもしれませんが。
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