た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
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大根の挿し木

2007年06月13日 | essay
 大根の話である。

 お湯を沸かして乾物をふやけさせるような調理や、お湯を沸かして袋物を温めるような料理ばかりやっていると、さすがに「自炊」と名乗るのもおこがましくなってくるが、それでも月に一度くらいは思い切って大根を丸ごと一本購入したりする。大根なら丸ごとである。大根なんて体にいいに違いないし、体にいいものをそろそろ取らないと健康上危険であるし、だからと言って2分の1カットとか4分の1カットとか小さいことを言わないでどんと丸ごと一本買ったほうが気持ちいいと思うからである。しかし買ってみて一人者が必ず持て余すのも大根である。焼き魚に下ろす。ちょっと頑張って煮物のようなことをする。遊び心があれば風呂吹き大根みたいなことにも挑戦してみるが、結局煮物と同じ味にしかならない。それで万事手詰まりになる。半分余る。

 大根半個分をゴミに捨てるのも心苦しく、始末に困って庭に植えてみた。幸い葉のついた部分が残っていたので、植えたら周りの雑草と紛れる。いや紛れてどうするんだ。だがひょっとしたら、何分根菜のことだ、また根が出て大根になるかも知れないではないか。そんなことになったらすごいではないか。成長したら半分食べ、残った半分を植え直すという作業を繰り返せば、半永久的に大根が手に入るではないか。

 大根は半分切っても大根に成長し得るか。俄然興味が湧いてきた。

 少しでも畑いじりをしたことのある御仁に尋ねれば即座に解決する疑問であろうが、私は自分の目で確かめたく、何より始末に困る大根をどこでもいいから埋めてしまいたく、先月庭先に植えた次第である。すると驚いたことに。掲載の写真に明らかな通り、葉が青々と茂ってきた。植えた当初は稲の刈り跡のように小さく萎れていたのだ。それがこれほどまでになった、というところが肝心である。こうなると土の中が気になって仕方ない。いつ掘り起こそうかと気を揉むこの頃である。

 ただ一つ困った点を挙げれば、畑ではなくまさに「庭」に植えたので、そろそろ道行く人の目に入るほどに奇観を呈し始めたことである。
 
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