た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

戸隠冬紀行①

2012年05月30日 | 紀行文
 私は早朝の街が好きである。
 かすかに靄の立つ女鳥羽川沿いを自転車で行くのが好きである。手がかじかむ三月、春の近づきを感じさせる日差しを浴びて、まだ寝ぼけ眼のような街並みをじろじろ眺めながら快走するのが好きである。
 街はせわしない。
 行き交う自動車はどれも、モーニングコーヒーの足らないような顔をした男女を乗せて、遅刻しまいと焦っている。私がふらふら自転車を漕いでいると轢き殺しかねない勢いである。私は彼らを見ながらゆったりと自転車を進める。
 川沿いの『魚平』では若い店主が露台に砕いた氷を敷きつめている。素手では冷たかろうと思う。
 喫茶店『おきな堂』のマスターは客寄せのメニューボードを出して開店の準備をしている。今日は天気がいいから、そこそこの来客を見込めるであろう。
 増田家具店は閉店して二、三カ月が経つ。埃の着いたショーウィンドーの奥はがらんどうで薄暗い。
 本町通りの交差点の横断歩道は赤信号である。
 信号待ちをする人は私の他にも数名いる。うち、携帯電話を掛けている人が二人。両方とも示し合わせたように腰に手を当て、大胆なポーズで電話している。地球防衛軍が敵撃退の快挙を本部に報告しているかのようである。一人は快活に笑っている。一人はしきりに相槌を打っている。こういう姿を人前に晒して恥ずかしくない世相を創ったのだから、携帯電話は偉大である。
 私はさらに自転車を走らす。

 松本駅に到着。
駅前の整備が終わったばかりである。清潔で無駄が無く、その分面白みがない。駅としての味わいを出すには、これから数年がかかろう。
 自転車を駐車場に入れる。およそ自転車に乗りそうにない老人が出てきて、一日百円だと言う。「二日」と私は答える。一泊の旅をするのだから二日分だ。しかも今回はひとり旅なのだ。年中生活費を稼ぐために忙殺される日々の中で、ようやく得た特別休暇である。通勤でごった返す早朝の街が心地よく目に映るのも、多分にそうした事情があるからなのだ。そういった万感の思いを込めて「二日」と言ったのだが、自転車置き場の老人は、罰金でも課すかのように、「二百円」とぶっきらぼうに言い返した。
 日常は非日常に対し常に無愛想である。

 特急電車は長野市に向かう。
 特急の割には駅のない所で一時停車したりして、歩みは決して速くはない。車窓にはざんばらに髪を振り乱したような枯れすすきが映り、そこここには残雪も見え、およそ春が近付いている様子はない。
 乗客たちはみな静かである。
 私は結婚して家族がある。今までも、知人に会うなり、恩師を訪ねるなりの理由で一人家を出たことはある。しかし今回は誰に会うのが目的でもない。宿も取っていない。到着地の下調べすら碌にしていない。どうにでも計画変更が可能な旅である。こういうことをするのは何年ぶりであろうか。なぜ、今、一人旅なのか。何を求めて旅するのか。そもそも、一人旅など許されるのか。それらの自問に自答するには、もう少し歩き疲れた後でなければならないであろう。
 車窓の景色はなかなか晴れない。

(つづく予定)
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