大多喜町観光協会 サポーター

大多喜町の良いところを、ジャンルを問わず☆魅力まるごと☆ご紹介します。

いいもんうまいもん市

2011年06月30日 | 頑張れ!いすみ鉄道

第3回 いいもんうまいもん市が開催されます。

日時:平成23年7月10日(日)9:00~15:00

場所:ホテル 一宮シーサイドオオツカ内

出展者:いすみ鉄道、他34店舗

販売品名(予定):

みかん大福、あんころ餅、赤飯、パン、アロマグッズ、ハワイアン雑貨、伊勢海老ロール、洋菓子、自家焙煎珈琲豆、旬の野菜、フルーツトマト、黒平まんじゅう、い鉄揚げ、最中、グッズ、アクアメロン、酒類、生うどん、田舎菓子、地酒、古酒、惣菜、おせんべい、うなぎの白焼き、シフォンケーキ、海産物、鶏卵、杜仲茶、杜仲葉麺、縄文おはぎ、手作りクラフト商品、地蛸めし弁当、アイスクリーム、クレープ、太巻き寿司、ローストビーフ

館内ですので天候に関わらずOKです。

 


大多喜高校明善祭 Surprise! mokaとインディゴ7

2011年06月26日 | 大多喜高校の話題 (大高)

6月25日(土)大多喜高校の明善祭一般公開が行われました。

来客用に用意した校内用スリッパも足りないくらいの大盛況でした

 

 

 

 

   

大多喜高校生の日頃の成果発表の場として、若さあふれ、そして力強くきらめいていました。

来年も多くの方のご来場を心よりお待ちしております。

いすみ鉄道をご利用していただくと、嬉しさは2倍です。

そして終了後!!!!  先生方から、頑張った生徒達にSurpriseなプレゼントが待っていました。

大多喜高校生との出会いが生んだ、習志野市出身のmokaさんmaruちゃん、ヒデさん、しょーじさん)の『黄色い列車』

いすみ鉄道が、存続か廃線かと2年間の検証期間に入った時に、収益のほとんど全てをいすみ鉄道に寄付した音楽CDを覚えていらっしゃいますか? あっという間に1000枚が完売してしまって、今はないのです。 

始まりは「いすみ鉄道がなくなったら、学校に通えない・・・・」その一言がきっかけでした。 

あれから2年以上経過し、いすみ鉄道は昨年8月に存続が決定しました。mokaさんが全国各地バラバラに存在していた応援団の気持ちをひとつにしてくれたと言っても過言ではないです。 

mokaさんは「黄色い列車」以外にも、本多忠勝の動画や、大多喜町のPR動画に楽曲を提供してくださっています。

そして今日は元mokaメンバーのしょーじさん(ベース)が、この8月にメジャーデビューするインディゴ7さんを引き連れ帰って来きてくださいました。 大多喜高校を応援してくださるミュージシャン達。 熱い、熱いエールに、会場は盛り上がりました。 写真でわかりますよね? 

   

   

応援団だけで初めて制作したCD、moka(モカ)「黄色い列車」発売当時のyoutube

今喜怒哀楽から怒を抜いた「喜哀楽」を表現するBAND・インディゴ7。さっそくキタダイユウジさんのサイトに書いてくださっています。

特に大多喜高校生には読んで欲しいです→ http://blog.oricon.co.jp/uk79/archive/428/0

indigo7(インディゴ・セブン)は、キタダイユウジさん、KENTさん、宮路ヤスアキさん、庄司大輔さん、朝倉琢也さんによって構成される5人組のBAND。   

インディゴ7オフィシャルサイト http://indigo7.info/

moka様、インディゴ7様 ありがとうございました!

*6/27 追記 

宮路 ヤスアキさんのブログにもhttp://blog.oricon.co.jp/miyajiyasuaki/  

moka maruちゃんのブログにも http://ameblo.jp/moka-maru/

KENTさんのブログにも http://ameblo.jp/kent-official/

大多喜高校に入学すると・・・いいことがあります!

目指せ! 大多喜高校!

 


あじさい鑑賞バスで行く 麻綿原高原(千葉県大多喜)

2011年06月24日 | 大多喜町の観光スポット

昨日の麻綿原高原の説明を、動画にしていただいています。

千葉→大原→上総中野→バス→あじさい鑑賞バスで綿高原へ。

綿高原からの帰りは、ごりやくの湯(入浴シーンはありませんが)あがりに、冷たいビールを飲みされ、満足気に見えます。 

いすみ鉄道とバスをご利用=車の運転がない。

ハイキング後の温泉と生ビールは格別です!

動画は(社)千葉県宅地建物取引業協会の皆様のドキュメンタリー作品です。 

 

BGMは、大多喜町のイメージソング「花盛りの町」

作詞は日本人なら誰でも「ああ~、あの曲の」と覚えのある伊藤アキラさんです。  

そして作曲も「川の流れのように」を作曲した見岳章さんです。


あじさいの麻綿原情報

2011年06月22日 | 大多喜町の観光スポット

 

■関東随一のアジサイの名所
 麻綿原高原は、清澄山系、清澄寺の北3.5キロ、標高340メートルにある関東随一のアジサイの名所として知られています。
 アジサイ群は、麻綿原高原にある天拝園と名付けられた妙法生寺境内が中心で、昭和28年(1953年)箕輪日受師が廃寺を再興しアジサイを植えたことに始まります。
 現在、丹精込めて育てたアジサイは2万株の大群落になりました。
 アジサイの開花は気温差から平地より大分遅く、7月上旬が見頃です。
 品種は和種のため白から青へ変化するだけですが、その素朴な色合いが高原全体に広がり、景観は美しくそして壮麗です。
 またこの地は、建長5年(1253年)日蓮上人が初めて「南無妙法蓮華経」という題目を唱えたところとしても知られています。
 現在は、環境庁選定の「日本の残したい音風景100選」の地で、夏になるとヒメハルゼミの鳴き声が響き渡ります。

■あじさいバス運行期間
平成23年6月25日から7月18日(土・休日のみ実施)
 (6/25・26・7/2・3・9・10・16・17・18) ※案内人はつきません。

■麻綿原高原までの流れ
いすみ鉄道上総中野駅から探勝バスに乗り、
粟又の滝まで行きます(運賃:大人380円 小児190円 約17分)
       ↓
粟又の滝からアジサイ鑑賞バスに乗り換え、
会所親水公園まで行きます(運賃無料 約25分)
       ↓
会所親水公園から徒歩で2.5キロほど(約40分)向かった先が麻綿原高原天拝園です

■いすみ鉄道乗車券・特典など
いすみ鉄道1日フリー乗車券(大人1000円 小児500円)を持って、
粟又の滝にある『ごりやくの湯』をご利用されると入浴料200円割引となります。
※『ごりやくの湯』は粟又の滝より徒歩1分ほどにある秘湯の日帰り温泉施設です。
他、デンタルサポート大多喜駅からは券売機で
上総中野駅往復切符(大人780円 小児400円)を販売します(特典はありません)

■列車・バス時刻表 (※臨…季節臨時列車)
----------------------行き-------------------------
いすみ鉄道 下り(一部時刻抜粋)
大原駅(発) 7:44 8:58 10:39 11:46 12:59
大多喜駅(発) 8:22 臨9:28 11:09 12:17 13:31
上総中野駅(着) 8:41 臨9:48 11:29 12:37 13:52

探勝バス(一部時刻抜粋)
上総中野駅(発) 9:05 9:50 11:33 12:40 14:00
粟又の滝(着) 9:22 10:07 11:50 12:57 14:17

アジサイ鑑賞バス
粟又の滝(発)   9:25 10:25 11:50 13:15 14:20
会所親水公園(着) 9:50 10:50 12:15 13:40 14:45

----------------------帰り-------------------------
アジサイ鑑賞バス
会所親水公園(発) 9:55 11:25 12:45 13:45 15:30
粟又の滝(着) 10:20 11:45 13:10 14:10 15:55

探勝バス(一部時刻抜粋)
粟又の滝(発) 11:10 11:55 13:30 14:20 16:03
上総中野駅(着) 11:27 12:12 13:47 14:37 16:20

いすみ鉄道 上り(一部時刻抜粋)
上総中野駅(発) 11:50 12:44 14:00 15:08 16:26
大原駅(着) 12:43 13:35 14:52 16:02 17:15

探勝バスの時刻詳細はこちらを御覧ください。
http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/new/tanshoubus.html

いすみ鉄道時刻表はこちらを御覧ください。
http://www.isumirail.co.jp/timetable/index.html

*掲示板より転載させていただきました。

あじさいもようやくつぼみが見られるようになりました。(6月20日)

アジサイ公園の上部の方にパワースポット発見

         

パワースポットからアジサイ園を臨んだ景色です

鴨川方面からも駐車場へ行くことができるようになりましたので御利用下さい。鴨川方面から麻綿原に入りT字路を右折し150m進むと右側に駐車場があります。(1台1回500円)

 


かやぶき屋根 葺き替え中! (大多喜町 中野屋)

2011年06月21日 | 大多喜町 下大多喜周辺

大多喜 中野屋さんで現在、茅葺屋根が葺き替え中です。

最近では、ドラマの撮影に使われたりしています。

 http://www.geocities.jp/s_t_chiba/

明治34年に建てられたというから今から100年以上の建物ですが、今でも貸し別荘として使われています。
宿泊料金は、1泊3,000円と格安。

そして、この「中野屋」さんの家には、ある偉大な人物がいたんです


その人物とは、「塩田武雄」。


1881年に大多喜に生まれた武雄は庭師を志し、1907年にアメリカへ渡り、ニューヨークにオフィスを構えました。1915年にはアメリカに初めて日本庭園を造りました。その庭園は、今ではブルックリン植物園の人気スポットとして多くの人が訪れています。(下の写真)




これ以外にもニューヨーク近郊には、塩田武雄の造った庭園が他にも残されているそうです。


小説 本多忠朝と伊三 30

2011年06月19日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

大多喜城ドラマ小説の時間です!

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説で~す 

久我原さんからメッセージです 「舞台も大多喜から京へと移ってしまい、忠朝と伊三からはかけ離れた話のようにもお思いでしょうが、僕としてはこの家康と秀頼の二条城での会見は、忠朝の運命の大坂の陣へと続く重要なエピソードと思っていますので、もう少々御辛抱を。

ところで、今回は正則と清正が幼馴染みという雰囲気を出すために、尾張弁でみゃあみゃあしゃべらせてしまいましたが、ちょいと悪乗りな感じもします。それに尾張弁をきっちりとわかっているわけではないので、誤用もあるかとも思いますが、その辺は多めに見て下さい。尾張出身の方に校正していただけたらとも思っています。」 
 

これまでのお話 1~29 は コチラ

第1部          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

第2部 21 22 23 24 25 26 27 28 29 

 

第2部  忠朝と伊三 30

「市松よ、このたびは、是が非でも、秀頼様にもご上洛していただかにゃあならんで。」
「そのことよ。おりゃあ、この命にかけても説得するつもりだがや。」
 市松と呼ばれた福島正則は、右手の親指を自分の脇腹に押しつけた。その姿を見て、加藤清正は渋い顔になり、
「おみゃあが腹切っても、何のええこともにゃあでえ。もっと、頭を使え。人間生きているうちに頭をつかわにゃあ。なんぞ、ええ知恵は浮かばんか。」
と、正則の額をつっついた。
「なんぞ、ええ知恵かね。ああ、おりゃあ、おみゃあみてぇにええおつむりを持っとらんでかなわんわ。」
 正則はつつかれた自分の額を右手でこすって、それからぺちぺちと軽く叩いた。
「口実だがね。なんぞ、秀頼さまがご上洛いただく口実だがや。おふくろ様が文句もつけようがにゃあ口実を考えにゃあ。」
「なぁるほど、口実かあ。やあっぱり、お虎はおつむがええでえ。おりゃあとは大違いだがね。」
「なあに、いうとりゃあす。おつむが良けりゃ、とうの昔におふくろ様を説得しとりゃあすがね。なんぞないかぁ、なんぞないか。」

    

加藤清正          福島正則  

 イラスト 提供:天守/戦国画

 

 加藤清正と福島正則は若いころから亡き豊臣秀吉に臣従し、まだ戦乱のうち続く世の中を競い合ってきた良きライバルであり、幼馴染である。二人きりになると、その幼名、お虎と市松と呼びあい、尾張弁丸出しの田舎侍に戻ってしまう。その尾張の悪ガキの二人も今や、安芸広島五十万石の城主福島左衛門大夫正則と肥後熊本七十五万石の城主加藤主計頭清正である。
 秀吉のもとでの二人の活躍はすさまじく、秀吉が柴田勝家と信長亡きあとの覇権を争った山崎の合戦では「賤ヶ岳の七本槍」と讃えられる働きをした。また、朝鮮出兵の際の清正の虎退治の話はあまりにも名高い。
 若いころは猪突猛進、戦場での手柄で出世した二人であったが、年を取ってからは論語を読み込む勉強家の清正に福島正則は一目置いていた。豊臣家のために、と思い関ヶ原の戦いで奮戦した正則であるが、戦後、徳川が天下を掌握してしまうと、
「これよかったのかのう。」
と、酒に鬱憤を紛らわすこともあった。一方、加藤清正は、徳川家康に従いながらも豊臣家への忠義は忘れず、徳川の世になり、諸大名が大人しくなり始めた今となっても戦国大名の気骨を残す数少ない男になっていた。はたからはそれが時代遅れだと見られても、清正は気にせず堂々としたものである。徐々に平和な世の中になりもはや実戦向きの城は不要となり始めていたが、大熊本城を築き、幕府からの詰問に対しても、
「徳川の泰平の世を守るために西の守りを堅くする備えじゃ。どこがわるい。」
と、豪語した。家康も「主計にはかなわん。」とあきれかえっている。
 余談ながら。明治維新後の西南戦争の時、熊本鎮台が置かれた熊本城を攻撃し、大敗したとき、
「政府に負けたんではない、清正公に負けたんだ。」
と言わしめたと言う。
 また、家康の側室の息子の義直のために名古屋築城命令が発せられた時、正則が
「なんで、妾の子供の城をわしらが作らにゃいかんのだ。」
と愚痴を言った時に清正は、
「ぐずぐずいうなら、広島に帰って兵をあげろ。」
と言ったとか、言わないとか。
 泰平の国造りのために労を惜しまない一方、豊臣家への忠義をあらわにして、堂々とした親友の清正を正則は、
「お虎が言うことを聞いとりゃ、間違いはにゃあ。」
と、頼りにしている。
 頼りにされている加藤清正であるが、この夜は秀頼上洛の名案はついに浮かばず、
「これは、かか様に相談するしかにゃあで。」
と、かか様、つまりはこの二人を悪ガキのころから母親の様に面倒を見てきた秀吉の未亡人、高台院に意見を聞くことになった。
 

 かか様に相談するのはいいが、自分たちにはいい知恵が浮ばず、腕を組み、瞑目し、押し黙っているところにお冬が肴と徳利を持ってやってきた。
「まあまあ、お二人ともこわい顔をなされて。ちょいと一服したらいかがですか。」
 その、お冬を見て、清正は愕然とした。
「い、市松よ。こ、この人は、、、こさと、、、かあ?」
「ふふ、おみゃあもそう思うか?」
 それまで渋い顔をしていた正則の顔が笑顔にゆがんだ。
「いや、こさとがこんなに若いはずにゃあ。」
 こさと、とは。それは、正則と清正がまだ若いころ、正則が熱をあげた村の娘のことだ。秀吉の家来になるかならぬかのころである。こさとは土臭い、真っ黒な顔をした百姓の娘であった。背が低く、背中を丸めて歩く姿を村の若者は
「だんごむし、だんごむし。」
と、からかったが、市松と名乗っていた福島正則はこさとを好ましく思っていた。市松はころころとしたこさとに、
「こさと、誰が何を言おうと気にするでにゃあ。おみゃあをいたぶる奴はおれが懲らしめてやる。」
と、肩を抱いて慰めた。市松は大人になったら、こさとと夫婦になろうと思っていたが、面食いの主人の秀吉が、
「なあにを好きこのんで、こんな団子みたいな娘と一緒になることはにゃあが。俺がどえりゃあ別嬪をさがしてやるがね。」
と、言われその時はさすがに市松も口答えはできなかった。それから秀吉にひきまわされて、忙しい市松はいつの日かこさとの事を忘れてしまった。いや、忘れたわけではないが、こさとのことを考える暇もない忙しさであった。こさとは、、、きっと尾張の百姓のせがれと夫婦になり、今はいずこかで土と共に生きる大年増になっていることであろう。
 秀吉のもとで寝る間もなく働き、こさとの事など忘れかけていた福島正則であったが、やはり秀吉の家来であった津田長義の娘と結婚してからは、ふと、こさとの事を思い出すことがあった。津田長義の娘は美しい顔だちをした女房であったが、いかんせん気性が荒い。それに嫉妬深い女だった。正則はしばしば、
(美しい顔をした鬼よりも、だんごむしの様なこさとのほうがどれだけかわゆいか。)
と、思うようになった。その女房も関ヶ原の合戦の後、正則の息子正利の出産の際、難産で亡くなった。その後、正則は徳川の家臣、牧野康成の娘と再婚したが、その待女の中にお冬がいた。初めてお冬を見た時、正則は胸の奥に心地よい痛みを感じた。だんごむしと呼ばれたこさとの、顔を洗い、化粧をほどこし、少しやせて大人にすれば、目の前にいるお冬になるのではないかと、正則は思った。
「似ている。」
「だろう。」
 清正の茫然とした顔を正則はにやにやと見つめている。
「いやですよ。誰に似ているっていうんですか。」
 二人の男はそれには答えず、お冬の顔を見つめた。
 清正は正則がお冬を妾にしていると考えたが、そのようなことはなかった。正則も、もう年である。今更若い妾を相手にしようとは考えてはいなかったが、ただ、お冬を見ているとほろにがい青春時代を思い出すことが心地よいだけである。お冬の手を握って戯言を言うだけで十分であった。
 お冬がその場を去ったあと、しばらく正則と清正は話をしていたが、
「さて、雨もやんだようだし、今日はもう帰ろう。」
と、清正が帰り、それを見送った正則は部屋に戻り一人酒を飲んでいたが、そのうちに眠ってしまった。再びお冬が来て、正則に布団をかけてやったが、正則はそれには気がつかず、お冬は明りを吹き消すとしばらく正則の横にじっと座っていた。
「さて、さて、今日は蛇もネズミもおとなしいようで、殿さまのお休みを邪魔することもないかしらん。」
 お冬は独り言とは思えぬ大きな声で言ったかと思うと部屋から出て行き、その後は正則のいびきが聞こえてくるだけであった。正則のいびきだけがひびき渡る部屋の縁の下から庭に出ると、甚太は音もなく、屋敷を抜け出した。その気になれば正則の首をとることもたやすく思えたが、今の甚太の使命は正則の命を狙うことではない。福島屋敷を後に甚太は思った。
(あの女、やはり只者ではないな。)

 翌日、正則と清正は二人揃って、高台院の元を訪ねた。
「あんれま、お虎に市松、二人揃ってどうしたかね。」
「やっとかめだなも、かか様。」
 二人は高台院に出された茶をすすりながら、今回の家康の上洛に際して、秀頼にも上洛させる手立てがないか相談に来たと話すと、高台院は、
「ほお、ほお。」
と、にこにこしながら聞いているだけで、何とも返答はしなかった。
「かか様、なんぞええお知恵は・・・」
 清正が問いかけると、高台院は今の話を聞いていたのか、いないのか、
「太閤が亡くなられたのは、暑い日であったがねえ。」
と、言って庭を見たまま、また黙り込んでしまった。
「はあ。」
 正則も清正もうなずくしかなかった。ちんまりと座って庭を見つめる高台院に二人はそれ以上話しかけることもできずにいると、
「殿下の十三回忌はいつじゃったか。去年じゃったかのう。」
と高台院がぽつりといった。秀吉が死んだのは慶長三年八月十八日であるから、慶長十五年の命日が十三回忌である。正則と清正が高台院を訪ねたこの日は慶長十六年の二月であるから、京都の豊国神社で秀吉の十三回忌が催されたのは去年の八月十八日であった。
「そうそう、去年の夏だがね。そんときゃあ、秀頼も参らんで、殿下もさぞ寂しかったろうがのう。」
「?」
 正則はわけがわからぬと言う顔で高台院を見ているが、清正が
「なあるほど。その手があったなもう。」
と両手をぱちんと叩いた。
 高台院はにっこりと笑い、
「お虎、わかったかい。でも、秀頼に無理強いしちゃあなんねえぞ。秀頼が自分から豊国様にお参りすっといわせにゃなんねえ。わかるな。」
と言った。つまりは秀頼が自主的に自分の亡き父の法要のために豊国神社を参拝したいと言い出せば、大坂のおふくろ様、淀君もそれを止めることはできないだろうと言う作戦だ。
「はい。わかりもうした。しかし、どうやって、秀頼様にその気にさせるかのう。」
 すると、高台院が清正の額を人差指でつつき、
「頭は生きているうちにつかうもんだで。」
と笑った。昨夜、清正に同じことをされた正則もつられて笑い、
「さあすが、かか様とお虎だ。」
と、自分の額をぺちぺちと叩いた。その後、三人は秀頼にその気にさせる方法は無いかと相談をし始めた。

 そして三月、駿府の大御所、徳川家康は後陽成天皇譲位の儀式のために京へ向けて出発したが、秀頼に対しての上洛の催促は、いまだに届いていない。


麻綿原あじさい開花状況

2011年06月17日 | 大多喜町の観光スポット

6月16日現在のアジサイ開花状況は、ほとんどつぼみの状況です。
 また、麻綿原駐車場から町道老津線T字路までの約260メートルの区間は6月20日から対面通行となりますので、お知らせします。これに伴い、鴨川方面からの来場者が、麻綿原駐車場に駐車することが可能となります。見ごろは7月上旬になると思われます。

 


あーと山荘松下塾の「お山のてっぺん市」 (千葉県大多喜町)

2011年06月16日 | 大多喜町 下大多喜周辺

房総のお山のてっぺんで田舎暮らしをされている、まつとおみさんのスローライフより

http://artmatsu.at.webry.info/

   

第一回「お山のてっぺん市」を「あーと山荘松下塾」で開きます。


日時は2011年6月18日(土)13:00~16:00です。

まずはゆるゆると始めたいと思います。

 あーと山荘 松下塾 http://www.artmatsu.net/index.html

 詳細 http://www.artmatsu.net/oyamanoteppennitijoho.html

この日は体験モザイクアートを事前のご予約・ご連絡無しで、お受けできます。
アトリエひとつ まつしたなおみの豆絵本・ポストカードも販売しています。
moon child のフェルトボールや木のアクセサリー・雑貨の販売もあります。
もちろん、フェルトボールの体験も楽しめますよ。

市というより最初はギャラリー&カフェのような形になるのかな
まだ、明確なビジョンがはっきりしていないのが正直なところですが、
夢は神社のあたりで、地元のお年寄りも集うような市になったらなぁ~なんて、ぼんやりしたをもっています。

まずは今、無理せずできることから始めていきます。
お山のてっぺん市 少しずつ、バージョンアップしながら続けていけたらと思っています。
ゆるゆるした時間を過しにお山のってっぺんまでぜひいらしてくださいね


婚活inおおたき (千葉県大多喜町)

2011年06月13日 | サポーター情報

婚活inおおたき

大多喜町では、出会いのきっかけを探している独身男女の方々へ、出会いの場をサポートする「婚活パーティー」を開催いたします。

自己紹介やゲームを実施後、パーティー形式による食事及び交流会を実施します。

日 時  6月26日(日)午後4時から午後6時まで。
会 場  大多喜ハーブガーデン(大多喜町小土呂255)

参加費 男女とも 2,000円。

参加資格
   男性:夷隅郡市内在住または在勤の独身者(年齢不問、学生不可)

    女性:居住地不問で独身者(年齢不問、学生不可)

募集人員: 男30名、女30名くらい

募集期間  6月20日(月)まで

多くの皆様のご参加をお待ちしております。


お申し込み等の詳細は、必ず下のHPをご覧ください。 

http://www.town.otaki.chiba.jp/photoreport/h23/konkatsu.html

お問い合わせ 大多喜町役場 企画財政課 企画係
TEL:0470-82-2111 内線211・215


養老渓谷温泉郷 ホタル鑑賞ツアー (市原市、大多喜町)

2011年06月13日 | 大多喜町 養老渓谷

養老渓谷温泉郷⇒ http://www.yorokeikoku.com/

 

 「ホタルを見たことがない」とおっしゃる方が意外と多いことに驚かされます。

養老渓谷(市原・大多喜)からいすみ鉄道沿線(大多喜・いすみ市)は、ホタルが生育できる環境が整っているのです。 

いすみ鉄道でも、ホタルの群生地にご案内をしています。

是非いらしてください。

ホタルウッチングトレイン 

http://www.isumirail.co.jp/topics/2011hotaru/index.html

聴いてください 見てください 癒されてください。 

音楽提供:山武市の宮崎昭好さん、画像は、いすみ鉄道カメラマンの皆さんです

のどかな風景、綺麗な水が自慢のこの町でお待ちしています。


本多忠勝と本多忠朝

本多忠勝没後400年記念≪動画≫ 制作:いすみ鉄道応援団 写真はいすみ鉄道応援団、戦国画は福田彰宏さん、音楽は、moka(モカ)さんの「ロボット」。大多喜城へは、世界で唯一のムーミン列車・いすみ鉄道をご利用ください。   

大多喜城讃歌

大多喜城讃歌   作詞 尾本信平  作曲 市角源一 ≪1≫ 世は戦国の 房総に    武田や正木の 根古屋(ネゴヤ)城   万喜(マンギ)の土岐(ドキ)と 幾度か   干戈(カンカ)交へし 刈谷原   ああ夢遠し 大多喜城   鐘の音何処 無縁堂 ≪2≫ 三河の本多 忠勝は   徳川勢の 四天王   里見に備へ 舞鶴(ブカク)城   夕陽きらめく 天守閣   ああ夢遠し 大多喜城   冑の絵姿(スガタ) 今に見る ≪3≫ 慶長秋に ロドリゴは   ルソンを出でて 岩和田に   漂着難破 忠朝(タダトモ)の   なさけは世界に 伝はりぬ   ああ夢遠し 大多喜城   支倉(ハセクラ)ローマの 縁かな ≪4≫ 天下を分つ 関ヶ原   大阪冬や 夏の陣   忠朝あはれ 討死す   苔むす墓石(ハカ)や 良玄寺   ああ夢遠し 大多喜城   名将ここに 眠れるか ≪5≫ 京洛の秋 風寒し   薩長土肥か 徳川か   城主の老中 正質(マサタダ)は   幕軍率いて 鳥羽伏見   ああ夢遠し 大多喜城   調練励む 民人も ≪6≫ 昔を偲ぶ 大井戸や   空壕(カラボリ)跡も 草しげし   若殿輩(ワカトノバラ)も 此の城門(モン)を   立ち出てたらむ 花吹雪    ああ夢遠し 大多喜城   影こそ映れ 御禁止(オトメ)川

大多喜町観光本陣(この記事は常時TOPにあります)

大多喜町大多喜270-1(いすみ鉄道大多喜駅前) 電話 0470-80-1146(代)  FAX 0470-82-6860 ○開館時間 午前9時から午後5時 ○休館日 毎週月曜日(祝日等の場合は翌日)及び12月29日から1月3日 〇貸し自転車、人力車あり