大多喜町観光協会 サポーター

大多喜町の良いところを、ジャンルを問わず☆魅力まるごと☆ご紹介します。

養老渓谷 夜の宴 (養老渓谷紅葉ライトアップ)

2010年11月30日 | 大多喜町 養老渓谷

老渓谷 

紅葉ライトアップは12月12日まで予定(午後5時から9時半)

漆黒の夜空に朱色の錦

養老渓谷ライトアップ http://www.yorokeikoku.com/photo/08lightup/001.html

養老渓谷温泉郷 http://www.yorokeikoku.com/

養老渓谷ふる里を守る会 http://blog.goo.ne.jp/hurusato222/

(画像提供:明日香さん)

本日の毎日新聞より http://mainichi.jp/area/kouyou/news/20101129ddlk12040108000c.html

紅葉:錦秋の房総 ライトアップで多彩な姿--養老渓谷 /千葉

関東で最も遅い紅葉で知られる養老渓谷が見ごろを迎えた。28日は好天にも恵まれ、大量のマイカーが押し寄せて大渋滞となった。大多喜町の老川十字路付近など3カ所がライトアップされ、温泉街は昼と夜で全く異なる表情を浮かべた。【吉村建二、井上英介】

 養老川沿いの遊歩道はこの日、家族連れや若者のハイカーらでにぎわい、人々は渓谷の両側を彩る赤や黄色の木々に見とれていた。

 東京から妻と泊まりがけで来た会社員の鈴木安文さん(56)は「毎年来ていますが、今年も色づきがいい。山の精気をたっぷり吸い込みました」と秋の一日を堪能していた。

 養老川でとれたアユの塩焼きを出している「養老茶屋」の女性店員は「今日が一番の見ごろで、店も一年で一番忙しい」と話していた。

 観光客らは渓谷沿いの日帰り温泉に入り、気持ちよいお湯で旅の疲れを癒やしていた。

 日が暮れると、多くの観光客が晩秋の夜景を楽しんだ。ライトに照らされた木々は、より鮮やかに。沿道では「すごくきれい」と、道路脇に停車してシャッターを押すドライバーも多い。町は「夜の宴」と称して夜の紅葉見物をPRしている。

 ライトアップは午後5時~9時半。12月中旬まで。町観光本陣電話0470・80・1146


いすみ鉄道に乗ってイルミネーションを観に行こう!!

2010年11月30日 | 頑張れ!いすみ鉄道

いすみ鉄道スタッフによる手作りのイルミネーションです
冬の夜に瞬く心暖まる光をお楽しみください

いすみ鉄道 http://www.isumirail.co.jp/

期間: 12月1日~12月31日(好評であれば1月31日まで延長)

http://www.isumirail.co.jp/topics/101130.html

時間: 16:30過ぎより点灯予定(列車時間は別記参照)
場所: 詳細は秘密です(大多喜通過後、乗務員がご案内致します)

 
切符: 大原駅、国吉駅からは1日フリー乗車券をお求め下さい
デンタルサポート大多喜駅からは特別乗車券を発売します 
駐車場案内:●デンタルサポート大多喜駅--無料町営駐車場(駅より50m程)

        ●国吉駅--駅前無料駐車場

 (写真提供:autoktさん)


風薫る丘ハーブガーデン☆入園無料 (大多喜町)

2010年11月30日 | 大多喜町 下大多喜周辺

養老渓谷とは一味違ったすがすがしい紅葉

ここは風薫る丘ハーブガーデンです。

12月1日から3月31日までは入園無料になります。

ーブガーデンのリース、ャンドルホルダー、

リジナル香水の お教室も受付中です。 

日帰り入浴のご案内もありますので、

是非こちらにアクセスしてくださ~い

http://www.herbisland.jp/

休園日は火曜日です

(画像はハーブガーデンさんよりお借りしました)

 

ハーブガーデンのウエディングも素敵です


2010千葉教育大賞 大多喜高校2次審査に進出

2010年11月30日 | 大多喜高校の話題 (大高)

 

本日の千葉日報より

http://www.chibanippo.co.jp/news/chiba/politics_economy_kiji.php?i=nesp1291094964

9活動がプレゼン進出 厳正に教育大賞1次選考

子どもや若者への優れた自立支援教育活動を顕彰する千葉日報社主催の「2010千葉教育大賞」の1次選考が29日、千葉日報社で行われた。審査の結果、千葉市立白井中学校の「白井中学校招待弁論大会」や県立大多喜高校の「いすみ鉄道・地域とともに…大多喜高校」など9活動が、12月28日に実施される2次選考のプレゼンテーション審査に進出することが決まった。

 第3回となる今年度は、昨年度からの繰り越し応募分(3件)を含め団体・個人から計22件の応募があった。

 選考委員会では、9人の委員を代表して委員長の宮本みち子放送大学教授が「毎回、審査のたびに大賞を選ぶ責任を感じている。今年も厳正に審査したい」とあいさつ。審査会場に用意された応募書類に1件ずつ目を通した。

      


小説 本多忠朝と伊三 24

2010年11月29日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住の久我原さんの妄想の入った小説です 

今回は伊三の奥さんが死んだときの話ですが、慶長の大地震にひっかけてみました。
当然妄想です。慶長5年に大地震があり、岩和田でも津波の被害あったようです。
今回も妄想大爆発、大宮寺(現大宮神社)を現代で言うところの広域避難場所みたいに使ってしまいましたが、当時そのような制度があったかどうかはわかりません。
地震と津波の被害も具体的には良くわからないので、書きあげてみるとなんとなくバクバクとした話しになってしまいましたが、お許しを。なにか情報があれば、書き直しますのでよろしくお願いします。(by 久我原さん)

 

第2部  忠朝と伊三 24

これまでのお話 1~23 は コチラ

 伊三は一年ぶりに岩和田の浜に立って、目の前に広がる太平洋を見つめていた。空は雲ひとつなく、晴れ渡っていたが、海から吹きよせてくる風は肌をさすように冷たい。伊三は背を丸めてガタガタと震えながらも、海を見つめ続けていた。
「キヨ、、、すまねえな。おめえ、一人この海に残して、俺は大多喜にいっちまった、、」
 おととしのあの日同様、伊三の横にはサキがいる。サキも腕を組んでガタガタと震えている。冷たい風に顔をしかめながら、二人は浜に立ち続けていた。
 伊三が海に向かって両手を合わせると、サキもそれにならって手を合わせた。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
 伊三がつぶやくと、サキも伊三に続いて
「なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
とつぶやいた。
「おとう、おかさんはこの海のどこにいるんだろ。冷たい海の中に一人ぼっちで寂しかろな。」
「・・・・・」
 伊三は答えなかった。黙って海を見つめ続けている。
 昨年の正月、反対する名主の茂平の説得を振り切り、新田開発の仕事をするために大多喜に移り住んだ伊三は一年ぶりに岩和田に帰ってきた。去年、岩和田を去る時、茂平に、
「うまい米ができるまでは帰ってきてはなんねえ。」
と言われていたが、農業経験者のホリベエの力を借りて、思いのほか米作りはうまくいった。まだまだ、収穫量は少ないが、忠朝が「うまい。」と言うほど質の良い米ができた。その米を土産に伊三は岩和田に帰ってきたのであった。

 昨年の暮れ、預けられていた行元寺から忠朝の許しを得て、サキの待つ家に帰ると、伊三は死んだ女房のキヨの事を思い出した。まだ足を引きずるホリベエの世話をするサキを見て、キヨの面影とだぶらせたようだ。
「サキ、ホリベエさんの足はまだよくなんねえのか。」
「ああ、本人はもう痛くもないとは言ってるけど、、、もう治らねえのかもしんねえ。」
 サキは悲しそうに答えた。ホリベエは
「ダイジョウブ、ダイジョウブ。」
と言ったが、はたから見るとやはりつらそうである。
「そうか。」
 ホリベエは、
「オトウ、シンパイナシ。」
と、たどたどしく言った。来日して、一年と少しが過ぎ、ホリベエは片言ではあるが、日本語も大分話せるようになってきた。ホリベエに「おとう」と言われ、伊三はなんとなく背中がくすぐったい感じがした。ホリベエとサキはまだ夫婦になったわけではないが、一緒に暮らすうち、ホリベエはサキをまねて伊三の事をオトウと呼ぶようになっていた。
「サキ、冬は田んぼの仕事もねえ事だし、岩和田に一度帰ってみるか。」
「どうしたんだ。何かあったのか?」
 行元寺から帰ってくるなり、伊三はいきなり里帰りの事を言い出したので、サキは驚いた。
 伊三は無我夢中で大多喜に来てしまったが、実は死んだキヨをおいてけぼりにしてしまったことを気にしていた。そのことを行元寺の僧、定賢に言うと、
「それは、女房殿も寂しがっておろう。一度、墓詣でをして、大多喜での仕事ぶりを伝えてやるがよい。」
と、帰郷して墓参りをすることを勧めてくれた。
「そっか、そうだな、おかさん、一人岩和田においてきちまったからな。うん、おらも帰りてえ。でも、勝手に帰るわけにもいかねえべ。殿さまの許しをいただかんきゃなんねえだろ。」
 サキにそう言われて、伊三は翌日、組頭の長田に相談した。長田はそのことを中根忠古に報告すると、
「なに?伊三が帰郷したいだと?まだ国吉に来て、一年もたっていないではないか。ならん、ならん。」
と、忠古はあきれ顔で答えた。しかし、伊三は死んだ女房の墓参りに一時帰郷したいのだという長田の話を聞くと、
「そうか。では、殿にも相談してみよう。」
と言った。伊三は大多喜藩の領民の一人にすぎない。本来、こんなことで領主の指示を仰ぐ立場ではないが、忠朝と伊三の関係を良く見てきた忠古は、忠朝に相談することにした。
 父親を亡くしたばかりの忠朝は、
「そうか、身内の死を悼むのは良い心がけだ。わしの使いと言うことで、岩和田に行かせてやれ。」
と、快く許しただけでなく、とれたばかりの新米まで土産に持たせてくれた。名主の茂平に国吉での新田開発はうまくいっているが、今後も人手がいるであろうから、協力するようにとの伝令の役を伊三にやらせようと言うのである。
「殿さまは、お優しい。岩和田にただ帰るんでなく、ちゃんとした仕事を与えて下さった。」
 伊三は忠朝の心遣いに感謝したが、こんなことが感じられるようになったというのは、やはり定賢のもとでの修行(?)の効果があったものか。

 里帰りし、キヨが眠る太平洋に向かって手を合わせた伊三とサキは名主の茂平の家に向かった。去年、岩和田を飛び出した伊三親子には帰る家は無かった。しかし、今回は忠朝の配慮で忠朝の使者と言うことになっているので、伊三とサキ、それにホルヘは茂平の家を宿としていた。去年はあれだけ、伊三の事をバカだバカだと言っていた茂平だが、今は殿さまのお使いとして伊三親子を丁寧に扱っている。サキは、
「茂平さん、気味悪いよう。泊めてもらってんだ、台所のこととか、掃除とかやらせてくれよう。」
と茂平に家事の手伝いを申し出たが、
「何をいう。ゆっくりしてろ。」
と茂平は言った。しかし、性分である。サキはそう言われても、台所に出入りして、食事の支度の手伝いをした。
「伊三、サキはおめえにはもったいない娘だ。体がでかいから、村の男どもから敬遠されていたみたいだけど、ホリベエさんとなら似あいでねえか。」
「茂平さんもそう思うか。おれも、最初はあんな異人なんてとんでもねえと思っていたけど、一年も一緒に百姓仕事していたらなあ、情が移るっているか、今じゃ家族みてえな気持ちだ。でもなあ、言葉がよく通じねえのが困るんだが、、、」
「まあ、ゆっくり様子を見ることだな。」
「へえ。」
「しかし、サキは本当によくはたらくな。ありゃ、やっぱりおめえよりも死んだキヨに似たんだな。」
 伊三はうなずいた。最近、めっきり女らしさを増したサキにキヨの印象を重ねることが多い、伊三であった。

 伊三はその日の事を思い出していた慶長九年十二月十六日の事である。夜もふけ、そろそろ床に着こうとした戌の刻(午後九時ごろ)であった。横になった伊三の背中が何かごつごつとたたかれ様な感じがしたかと思うと、天井がみしみしと音を立てた。ハッと思った瞬間に大きく家が揺れ始めた。柱はめりめりと音を立て、表では物が倒れてぶつかり合っているよう音がする。今までに感じたことのない大地震だ。
 当時、まだ十歳ぐらいだったサキは飛び起きて、キヨにしがみついた。
「おかさん、こわいい。」
 伊三は寝床の上でキヨとサキを抱きかかえ、揺れがやむのを待った。どれほどの時がたったかわからない。実際には数十秒の出来事だったのだろうが、伊三には小半時も揺れていたように感じられた。
 揺れがやんで、静かになった。すると、今度は表で人の声が聞こえ始めた。地震に驚いて近所の人たちが外に出てきたのである。伊三は外に出た。人々は右往左往している。ところどころで火が燃えている。火事が起きていたのである。
「キヨ、大変だ。今の地震で火事が起きてる。」
 伊三がキヨとサキを表に連れ出すと、家がメキメキと音を立てたかと思うと、傾き始めた。
「あんたあ、家が倒れそうだ。」
 キヨが言った。伊三は家に戻るのは危ないと思い、
「ど、どうするべえ。キヨ、もう家には戻らねえほうがいいなあ。」
とサキを見た。サキはガタガタ震えている。十二月十六日と言えば現代の暦では二月である。一年で、もっとも寒い時期だ。そんな夜の大地震で外に飛び出したのだから、たまらない。
 伊三は近所の人々とともに焚火を起こし、暖をとることにした。伊三は家族三人肩を寄せ合い、寒さと戦った。サキはキヨの胸に抱かれて、ぐずぐずと泣いていたが、そのうちに眠ってしまった。
 どのくらいの時が過ぎたのか、伊三は起きているような眠っているような、うつらうつらとしていると、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「ここは危ねえ!みんな、大宮寺の裏山に逃げろ!」
 ぼんやりしていたキヨが伊三に話しかけた。
「あんたあ、なんだべ。あれ?あれは名主の茂平さんじゃねえか?」
「茂平さん?ああ、そうだ。茂平さんだ。おーい、茂平さん、どうしたんだ?」
 闇の中から焚火の炎の明りに浮かびあがってきたのは、確かに名主の茂平だった。
「おお、伊三か。キヨとサキは無事か?」
 伊三の後ろでサキを抱きかかえてたっているキヨを見つけると茂平は、
「ああ、みんな無事か。良かった。」
と、笑いかけた。
「伊三、こんなところでぐずぐずしていちゃいかん。これだけの大地震だ、津波が来るかも知んねえ。」
「ツナミ?」
「ああ、津波だ。大きな波のことだ。」
「なんで、そんなことがわかるんだ。」
「言い伝えがあるんだ。明応の大地震の時も津波が来て、大勢が死んだという事じゃ。」
「メイオウ?」
「ああ、もう、そんなことはどうでもいい。とにかく高台に逃げるんだ。」
 明応七年(一四九八年)といえば、このころから約百年前の事であるが、大地震がおこり、房総半島を津波が襲った。茂平には地震と津波の関係のメカニズムはわかってはいなかったが、地震の後に津波が発生する事があると言うことは知っていたのであろう。
 茂平に言われて、村人たちは大宮寺に向かった。
「もっと、上だ。もっと上に登るんだ。」
 茂平は村人たちを急かした。急ぐあまりに伊三は途中でキヨとサキとはぐれてしまった。伊三は立ち止り、あたりを見回したが、大宮寺の境内にはキヨとサキの姿は見当たらなかった。
「キヨ、キヨ?」
 伊三はキヨを探した。人々の多くが大宮寺の裏に去っていたが、参道の方で話し声が聞こえてくる。ああ、キヨの声だと思い、参道の方に向かった。キヨはこわがって泣いているサキと参道の階段に座り込んで話をしていた。サキの小さな肩を抱いているキヨの姿を見つけ、
「何やってんだ。早くいかねえと、津波が来るぞ。」
と、伊三が近づくと、キヨは立ち上がった。
「サエさん、どうしたの。」
 海女仲間のサエが参道をふらふらと降りて行くのが見えた。
「キヨ。」
と、伊三がキヨに声をかけた時、海の方からゴオーという音が聞こえてきた。
「キヨ、キヨ。」
 伊三はキヨに声をかけ続けた。嫌な予感がした。キヨは伊三に気がつき、
「ああ、あんた、ちょっとサキをお願い。サエさん、どうしたの。どこ行くの。」
と、伊三にサキを預けて、サエのあとを追った。伊三はサキを受け取り、海の方を見ると水面が盛り上がってくるのが見えた。
「キヨ、危ない。津波だ。津波が来るぞ。」
 伊三が叫んだ。キヨもそれに気がつき、サエに向かって叫んだ。
「サエさん、危ない。津波だ。津波が来るよ。」
 しかし、ふらふらと歩くサエには二人の声が聞こえなかったようだ。キヨは階段を駆け下りて、サエの肩をつかんだ。サエはそれを振りほどき、走り出した時、海から襲ってきた津波がサエを飲みこんだ。それに追いかけてキヨも盛り上がる水の中に飲みこまれえてしまった。
「キヨー!!!」
 叫んだ伊三の声は波の音にかき消された。
 キヨは仲間を助けようとして、津波の中に飲みこまれてしまった。
「キヨー、キヨー!」
 叫び続ける伊三はサキを抱きしめてその場にがっくりと膝をついた。波はひいたが、キヨの姿も、サエの姿も、もうそこにはいなかった。伊三はサキを抱きしめながら、
「キヨー、キヨー。」
と叫び続けるしかなかった。伊三の胸では、なにが起きたのかわからずサキが泣きじゃくっていた。伊三もサキを抱きながら泣いた。それは一瞬の出来事であった。

 伊三は今でも、あの時、キヨを止められなかったことを悔やんでいる。
 伊三はその時の事を思い出して、涙をこぼすと、茂平が伊三の肩をたたいた。
「どうした、伊三?」
「いや、あの、津波の晩を思い出しちまって。」
「ああ、あのときのことか。」
「おれは、キヨを死なせちまった。助けることができなかった。」
「伊三よ、お前のせいじゃねえ。おまえのせいじゃねえよ。」
 茂平は伊三を慰める言葉が見つからずに、「お前のせいじゃねえ。」というだけだった。

 翌日の朝、サキはホリベエと一緒に岩和田の浜に立っていた。
「サキ、オカサン、カワイソウ。ナンマンダブ、ナンマンダブ。」
 ホリベエは海に向かって、手を合わせた。
「ホリベエさん、ありがとうね。おかさんのために手を合わせてくれて。」
 ホリベエはどの程度、キヨの遭難を理解しているかわからなかったが、この海で死んだことは理解しているようだ。
「ウミ、ムコウハ、ヌエバ・エスパーニャ。ドン・ロドリゴノクニ。オラノオトウノクニ。」
「え?ホリベエさんのおとうの国?」
「サキ、シアワセ、オトウガイル。オラ、オトウイナイ、オカサン、イナイ。」
 ホリベエは一人ぼっちで日本に残っている。サキには母親はいないが、父の伊三がいる。時々母親のキヨを恋しく思うこともあるが、バカな父親でも、伊三と一緒にいられことは幸せなことだと思った。
「ホリベエさん。おらとおとうがいるだろう。寂しくないだろ。」
 サキはホリベエに笑いかけた。その笑顔を見て、ホリベエも微笑んだ。
「サキ、オトウ、オラモシアワセ。」
「そうだべ。」
 サキが笑いかけると、ホリベエはサキの手を握った。サキはドキリとしたが、胸の奥で心地よい暖かさが広がってくるのを覚えた。

 伊三とサキ、それにホリベエが大多喜に帰る日、大宮寺の和尚が茂平の家にやってきた。
「伊三、今日、大多喜に帰るんだとな。今度はキヨさんも連れて行け。」
と言って、キヨの位牌を渡した。
「和尚様、これは?」
「なに、勝手なことしてしまったが、キヨさんの位牌だ。もう、キヨさんを置いてけぼりにしてるなどと言わずに、仕事に精進せえよ。」
「和尚さん、ありがとうございます。」
 伊三はまじめな顔つきでに礼を言った。
「伊三、定賢様によろしくな。お前は、あのように立派な住職の薫陶を受けて幸せ者だ。私も教えをうけたいものよ。うらやましい。うらやましい。」
「和尚さん、いつか、国吉に来て下せえ。そんときは一緒に定賢様のお話聞きましょう。」
(さすがは名高い定賢様、伊三も変わることだ。)
 大宮寺の和尚は改めて定賢の人徳を思った。

 伊三たちは岩和田の人たちに送られて国吉に帰って行ったが、伊三は二度と岩和田の浜を見ることはなかった。

 続く

大多喜城(千葉県立中央博物館、大多喜城分館)の紅葉も綺麗です。

(写真提供:いすみ鉄道ファン・tassさん


いすみ鉄道、営業収入8割増 

2010年11月29日 | 頑張れ!いすみ鉄道

いすみ鉄道、営業収入8割増 

観光客増加で普通旅客好調

2010年11月27日 朝日新聞より

 http://mytown.asahi.com/areanews/chiba/TKY201011260526.html

 いすみ鉄道(本社・大多喜町)の取締役会が26日開かれ、今年度中間決算報告(4~9月)が承認された。観光客の増加などで、営業収入が対前年同期比81.3%増となった。赤字は圧縮され、経常損失は同60.3%減の約1810万円。増額された補助金と合わせると、税引き前利益は54.6%増の1億362万円となった。

 輸送人員は定期旅客が5.2%減ったが、観光客などの普通旅客が14.6%増加し、全体で約21万3500人、同1.2%増となった。

 旅客収入はホタルウオッチング列車が人気となったことなどから同3.5%増の約5150万円。雑収入は自費負担の乗務員訓練生募集などで同826%増の約3200万円となった。

 物販では中古車両の売却などで約2700万円、同315.6%増。この結果、営業収入は約1億1370万円、同81.3%増だった。(高木和男)

(写真提供:たこるたさん)


12月9日 NHk「ゆうどきネットワーク」 養老渓谷ふる里を守る会

2010年11月28日 | 大多喜町 養老渓谷

養老渓谷ふる里を守る会が

12月9日NHKテレビにでま~す(●^o^●)

養老渓谷の紅葉は今が一番の最盛期です。

養老渓谷観光協会が4年前から始めたモミジのライトアップに合わせ、寒い中見物に訪れる観光客の方々に温まっていただこうと地元有志数名で取り組んでいる「田舎汁のサービス」が、この度NHKテレビの取材を受け、12月9日、17時~18時の「ゆうどきネットワーク」で全国に紹介されることになりました。

大変地味な活動ですがこれからも頑張って行こうと思います。活動は12月12日までの土・日の夜間行う予定です。多い時は130名くらいの方が見え、鍋(キノコ汁、シシ汁)が空になると閉店です。場所は、大多喜町小田代(老川十字路付近)です。  今夜も100名くらいいらっしゃいました。(by 田舎の爺さん)

養老渓谷ふる里を守る会ブログ

 http://blog.goo.ne.jp/hurusato222/


養老渓谷の紅葉が見頃です!

2010年11月28日 | 大多喜町 養老渓谷

いよいよ紅葉見ごろ迎えました

ポイントは、粟又の滝、老川十字路周辺。

お薦めは、小沢又駐車場から「粟又自然遊歩道(片道約2キロ)」を上流に向かって歩き、終点の粟又の滝から急な階段を上り道路に出て駐車場に帰る約4キロのコース。(但し、雨上がりは川が増水して歩けない場合もある)  

粟又自然遊歩道 http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/spot/yuuhodou.html

注)筒森モミジ谷は国道465号筒森トンネル内崩落のため大多喜方面からは進入困難。

 (by 養老渓谷ふる里を守る会 田舎の爺さん)

 

------------- こちらも よろしく ---------------

大多喜町役場紅葉状況 http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/new/post.html

養老渓谷の紅葉http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/spot/youroukeikoku.html

養老渓谷紅葉MAP http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/spot/kouyoumap.html

大多喜町役場 企画商工観光課 TEL:0470-82-2111
大多喜町観光協会 TEL:0470-80-1146


大多喜町観光協会からのお知らせ

2010年11月28日 | サポーター情報

今ある大多喜町の宝物を全国の人に知ってもらいたいという思いのサポーターと大多喜町長、いすみ鉄道社員、観光本陣職員による意見交換会が11月26日に行われました。

話し合いのひとつにこのブログのこともございました。最近はアクセスも多く、ご覧いただいている方に心から感謝申し上げます。

そこで12月1日より、内容の充実を図るために、観光本陣職員が記事を投稿いたしますので、情報や旅の思い出を提供をしてくださる方は、「うえるかむ大多喜」に投稿をお願いします。みなさんの投稿は大多喜町への応援となりますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

うえるかむ大多喜 http://otakitown-1.bbs.fc2.com/

慣れるまで少々時間がかかるかもしれませんが、町の皆様、町外の皆様、応援よろしくお願いします。 

 

よろしくお願いします!!

写真は、大多喜町長 飯島勝美

(by ただかつ) 


いすみ鉄道2011カレンダー発売

2010年11月25日 | 頑張れ!いすみ鉄道

いすみ鉄道 2011カレンダー

誰の写真かな~? そうよ!あの人よ

 

いすみ鉄道ホームページ http://www.isumirail.co.jp/

いすみ鉄道ファン http://blog.goo.ne.jp/isumitetudo

売店では文房具が30%OFFです。

いすみ鉄道にず~っと走ってもらうために、

一人一人がちょとだけご協力ください。

いすみ鉄道WEBショップもよろしく!

http://rail.shop-pro.jp/  

いすみ鉄道黄色い列車写真提供:たこるたさん&autoktさん)


大多喜町の新名所! 大塚山&七面山

2010年11月25日 | 大多喜町 上総中野周辺

大多喜町に新名所誕生!

いすみ鉄道・上総中野駅周辺です。

下の画像をクリックするとPDFファイルが開きます

パンフレットがダウンロードできる大多喜町ホームページ

http://www.town.otaki.chiba.jp/kankou/download/pamph1.html

三条大塚山 http://tenten.daa.jp/yama/sanjyouot.html

中野 七面山 http://tenten.daa.jp/yama/sitimen.html

 


大多喜城企画展、武と華やぎの装い~12月5日まで

2010年11月25日 | 本多忠勝 本多忠朝 大多喜城

大多喜城では、「武と華やぎの装い」の企画展開催中!

12月5日まで! 

http://www.chiba-muse.or.jp/SONAN/leaflet_2010_kikaku.htm

この季節は、お城までの小路も情緒たっぷりです。

大多喜城は、いすみ鉄道デンタルサポート大多喜駅より徒歩15分。

千葉県立中央博物館 大多喜城分館 こちら


小説 本多忠朝と伊三 23   

2010年11月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住の久我原さんの妄想の入った小説です 

第2部  忠朝と伊三 23

 

これまでのお話 1~22 は コチラ

忠朝の目の前から正就が消えたそのすぐ後のこと。
 秀忠は始まったばかりの西の丸の石垣の工事を視察していると、行く手に小さな男がうずくまっている。服部正就である。
「正就、やはり来たか。」
「は、上様にはご機嫌麗しゅう。」
「何がご機嫌麗しゅうじゃ。今日江戸に来るとだけ書いた署名のない書状がきたから、お前だとは思っていたが、良くもわしの前に現れたものよ。」
「はい。その節の事、誠にお恥ずかしゅうことでございます。」
「正就!わしに会いに来たということは何か手土産を持っての事であろう。申せ。」
「先ほど上様が退出された後、出雲守に会いました。」
「ほう。出雲に会ったか。それでいかがした。」
「上様は真田信之をお疑いとの事を聞いております。九度山の昌幸と信繁も今はおとなしゅうしていますが、有事の際はどのような動きをするかわかりません。出雲守はその信之とは義兄弟の仲。上様も出雲守の動きが気になることと存じました。それゆえ私がその監視の役目をさせていただければと思い、参上いたしました。」
「出雲の動き?あれは大丈夫じゃ。忠勝に似て、豪傑で潔し。徳川への忠心も厚いとみた。いざとなれば使える男よ。奴の監視は無用のことじゃ。勝手なことはせんで良い。」
「いやいや、甘い、甘い。出雲守が徳川家に義を尽くしても義兄の信之は疑わしい。出雲守自身に自覚は無くとも信之に動かされて、知らず知らず、徳川家に不利に動くやもしれません。」
「ふむ。知らずに、、か。バカ正直な奴だ。信之にだまされると言うことはあるかもしれんな。」
「それゆえ、私に監視の役を。」
「それは無用じゃ!出すぎた真似をするな。」
 ぐふふ、とくぐもった笑いをし、正就は立ち上がった。
「上様、出雲守は今後、忠勝に滅ぼされた土岐の旧臣を召し抱えると言っておりました。大丈夫でしょうか?土岐の旧臣には徳川家を恨んでいるもおります。今は安房に抑え込まれておとなしくしている里見も、西が動けばそれを機会にと、怪しげな動きをするかもしれないと思いますが、いかが。」
「そ、そんなことは、わかっておる。房総の抑えについてはわしも考えがある。お前の力などいらん。お前は徳川の臣ではない。余計なことはするな。」
「徳川の臣ではない?」
「そうじゃ。」
「では、上様の命令に従う言われもないということ。」
「なに?」
「では、浪人として、勝手にいたします。」
「ふん。相変わらず、可愛げのない奴。勝手にいたせ。」
 正就は再び地面にひれ伏し、
「ありがたき幸せ。」
「これは異なことを。」
「勝手にいたせとの御指示、承りました。ありがとうございます。」
 そう言うと、正就は立ち上がり、一礼すると早足でその場から立ち去った。
「本当に勝手な奴じゃ。利勝、今の男、わしは知らんぞ。勝手なことを独り言し、勝手に立ち去った。良いな?」
 秀忠に従い、一部始終を聞いていた老中の土井利勝は、
「はい?今、何やら、イタチか狸でもいましたかな。」
と、とぼけた。

 服部正就は父正成の後を継ぎ、伊賀同心の支配役となったが、徳川家から預かった伊賀同心をまるで自分の家来の様に取り扱い、殿さま気取りであった。そのため伊賀同心は反発し、正就の解任を要求する騒ぎとなった。そのことを逆恨みした正就は伊賀同心の一人を切り殺した。これに激怒した秀忠は正就の職を取り上げ、伏見に放逐した。正就は家康の信任厚かった服部半蔵正成の跡継ぎとしての誇りがあり、世に出る機会を狙っていた。どのように伏見を抜け出したかは知らないが、やはり伊賀忍び血が流れているのであろうか。しかし、正就は忍者ではない。正当な伊賀忍びの上忍であれば伊賀同心の心が離れることはなかったであろう。
 このお話ではこれからこの正就をなじみのある、二代目服部半蔵の名で呼びたいと思う。

 同じころ。
 服部半蔵が消えた後、将軍秀忠に強引に拝謁したことなど知らずに、忠朝は大手門を出て、まあたらしい大名屋敷が立ち並ぶ大名小路を大原と歩いていた。
「殿。何やら、楽しそうなお顔をされている。上様とのお話はなにか面白いことがありましたか?」
「いや、上様の話はさほどでもなかったがな。」
「はい?」
「そのあと、面白い男にあった。大原は服部半蔵という名を知っているか?」
「さて、聞いたような、、、おお、そうだ、伊賀忍びの頭領では?」
「がははは、大原。お前も半蔵殿は忍びだと思うたか。」
「はて、ちがいますか?」
「まあ、忍び集団を使ってはおられたが、半蔵殿自身は忍びではない。それに、今日会ったのは世に名高い服部半蔵の息子の正就という男だ。」
「左様で。」
 大原長五郎はさして興味もなさそうな生返事をした。
「ささ、殿。急ぎましょう。今日中に帰国の準備を整えねば。」
 面倒くさがりの大原が、今日はやけに帰国の準備に熱心である。
 忠朝は立ち止り、大原の顔を見てニタリと笑った。
「ははあ。わかったぞ。」
「なにがでございましょう。」
「面倒な仕事をさっさと片付けて、どこやら遊びに行こうと言う魂胆だな。」
「いや、いや、そのような、、私は別に、ただ、江戸は初めてのことで、、、その、あの、」
と忠朝に考えている事を言いあてられて大原はしどろもどろになってしまった。
「正直に申せ、どこに行くつもりじゃ。」
「先日、、、」
と大原が言いかけたところへ、一人の武士が忠朝に声をかけてきた。
「本多殿ではござらんか?そうだ、そうだ、忠朝殿だ。おなつかしい。」
「はい。私は本多忠朝ですが、、」
 忠朝はその小柄な武士を見て、はて誰だったかと、すぐには思い出せなかった。その武士は背が低いが精悍で壮年ながら若々しい顔に不似合いな口髭を蓄えていた。先ほど会った服部半蔵同様に背は低いが、細身の半蔵とは違い、がっちりとした体つきであった。
(背の低い伊三の様な体つきをしておるな。)
とそう思った時、忠朝はこの武士が誰か思い出した。
「福島殿。福島正則殿ではございませんか。これはこれは、このようなところでお会いできるとは。」
「このたび、年賀の挨拶に江戸の出てきたら、本多殿も参られているとのことで、お会いしたいと思っていた。いや、それにしても立派になられた。」
 小さな伊三の様な武士は福島正則であった。福島正則と言えば、関ヶ原の合戦のおり、秀吉子飼の武将ながら、西軍の大将石田三成憎しと、徳川に味方したのであった。福島正則は島津軍と本多軍の激戦を目のあたりにしている。その時、初陣で大活躍した本多忠朝は当時、十八歳であったが、今は三十歳の青年大名に成長している。
「関ヶ原以来、十年ぶりでござろうかの。どうじゃ、再会を祝してこれから我が屋敷で一献、馳走させてくれんか。」
 忠朝はのどがごくりとなったのを感じたが、
「これは、ありがたいお申し出ですが、本日中に帰国の準備を済ませねばなりませんので、お気持ちだけいただきます。」
と丁寧に断った。
「そうか、忠朝殿も国に帰られるか。わしもそろそろ帰国せねばならんで。お互い帰国したら、また会う機会も無くなる。では、今宵はどうであろう?帰国の準備が終わったら、屋敷に参られよ。名残の酒じゃ。な、よいであろう?な、な。」
 福島正則、なぜか女でも誘うかのように顔を赤らめながらしつこく誘ってきた。実は政則も酒好きである。なにか理由をつけて飲みたかったものか、、
「殿、良いではありませんか。帰国の準備もあとわずか、急げば日が沈むころには整うかと。」
 忠朝は大原をぎろりと睨んだ。さっきまでの大原の様子では帰国の準備は今日中に終わるかどうかと思えたが、今は日没までに終わると言うのだ。
(やはり、こ奴、仕事をさっさと片付けてどこかに行こうとしていたのだな。)
「福島殿。わかりました。では、お言葉に甘えて、お伺いすることにしましょう。」
 すると大原続いて言った。
「できるだけ早くうかがえるように、準備を急がせます。」
「大原。」
「は?」
「誰も、お前を招待しておらんぞ。」
「あ、そうで、ございましたか、、な?」
 すると正則が、
「忠朝殿、そちらの御家来もおつれくだされ。」
と言った。
「は、喜んでお伺いします。」
 大原、即答である。
 屋敷に戻ると大原は働いた。忠朝はあの怠け者の大原が良くもこれだけ働くものだと、感心するよりも薄気味悪さ感じた。

 大原の奮闘のお陰で帰国準備は予定よりも早く終わり、福島家からの迎えに従って、忠朝と大原は正則の屋敷に向かった。

「いや、おまたせ、おまたせ。思ったより、早かったな。」
 忠朝主従が待っている客間に入ってきた正則は砕けた口調である。
「お招きいただきありがとうございます。この大原のお陰で帰国の準備も全て整いました。いや、福島殿のお誘いをいただいて、張り切りましてな。普段は怠け者で困っております。」
「それは戯言でござろう。忠朝殿は良い家臣をお持ちだ。」
「ありがとうございます。私、大原、殿のために日々粉骨砕身努力しております。」
と、大原が正則に礼を言うと、
「うそを申せ、粉骨砕身したものがこの様に腹がでているものか。」
と、忠朝は大原の腹をポンポンとたたいた。
「ははは。働けば腹が減る。腹が減ればめしを食う。めしを食えば腹が出る。のう、大原殿。」
 正則にそう言われ、大原の額から汗が噴き出した。
 それにしても、今日の大原はよくしゃべる。
 江戸で最近はやりのそばを食べて、そのうまさに驚いたこと。初めて清酒を飲んだが、自分は大多喜の濁り酒の方が好きだなど。更には、本多家には中根忠古と言う家臣があり、くそまじめで面白くもない奴だが、殿は自分よりも忠古を可愛がっているなど、余計な事までしゃべりだした。
「これ、大原。余計な事を言うな。」
「も、申し訳ありません。」
 大原もしゃべりすぎだと反省したようだ。殿と一緒に猛将福島正則と酒を酌み交わすことができたうれしさのあまりに、調子にのりすぎた。大多喜では酒の席に呼ばれるのは常に忠古であるが、今回は大多喜で留守居をしている。
(やれやれ、これだから大原とは飲みたくないのだ。わしが酒を楽しむことができなくなる。)
「忠朝殿、まあ、良いではないか。そう言えば、その中根と言うのは織田信長公の縁戚の者ときいたが。」
「はい。信長公の甥にあたります。」
と、忠朝はおととしのロドリゴ救援と忠古の話をした。正則は感心した。
 その話をきっかけに正則は信長と秀吉の思い出話を始め、忠朝と共に戦った関ヶ原の事になると、身ぶりを交えて楽しそうだった。忠朝と大原も正則の武勇譚に、笑ったり、真剣に聞き入ったりしていた。酒好きの三人の宴がはおおいに盛り上がった。
 ところが、正則は突然話をやめて、目がうるんできた。
「しかし、これで良かったのかのう。」
「なんの事で?」
「わしは、家康様に従って三成を打ち倒したが、それも豊臣のため。三成がいては豊臣家がだめになると思ったればこそ。徳川家が天下を掌握するのも一時のこと、いづれは大坂の秀頼君へ天下は返上されると思っていたが、家康様が将軍になり、秀忠様が二代目将軍となり、徳川将軍の世襲が決まってしまった。」
「・・・・・」
「いや、勘違いされては困る。わしに徳川家への叛心があるわけではない。大坂の豊臣家安泰ならばそれで良い、と今ではそう思っている。」
「お気持ちわからないでもない。我が義兄、真田信之も父、昌幸殿と袂を分かち苦悩しています。今日は上様より信之に叛心があるのではないかと言われましたが、そのようなことがあろうはずもない。」
「そうか。実はな、今日、わしも上様に会いに行ったのじゃ。豊臣家の事をどうするおつもりか聞いてみようと思ってな。しかし、多忙との事でお会いできなかったが、客とは忠朝殿のことであったか。」
 正則は言葉を切った
 忠朝は正則が少し哀れに思えた。自分は三河以来の徳川の家臣であるが、正則は豊臣に恩を感じながら、今は徳川に従っている。真田信之は徳川に家臣であることに覚悟を決めているが、正則のこころは江戸と大坂の間で揺れ動いているようだ。
「忠朝殿、どうか徳川と豊臣の間がうまくいくようにお力をお貸しください。」
 正則の言葉が急にあらたまり、頭を下げた。
「福島殿、頭をあげられよ。私には何もできませんが、心には留めておきましょう。」
「お頼み申す。お頼み申す。」
 正則は忠朝の手を取り、懇願した。頼むと言われても何をすればよいのかは思いつかない忠朝であった。

 こうして、忠朝と福島正則は友交を深めて、領地に帰って行った。しかし、それぞれの一行を怪しい人影が追っている事に忠朝も正則も気がつかなかった。 続く

 *挿入の福島正則イラストは、福田さんからお借りしています。こちら


本多忠勝と本多忠朝

本多忠勝没後400年記念≪動画≫ 制作:いすみ鉄道応援団 写真はいすみ鉄道応援団、戦国画は福田彰宏さん、音楽は、moka(モカ)さんの「ロボット」。大多喜城へは、世界で唯一のムーミン列車・いすみ鉄道をご利用ください。   

大多喜城讃歌

大多喜城讃歌   作詞 尾本信平  作曲 市角源一 ≪1≫ 世は戦国の 房総に    武田や正木の 根古屋(ネゴヤ)城   万喜(マンギ)の土岐(ドキ)と 幾度か   干戈(カンカ)交へし 刈谷原   ああ夢遠し 大多喜城   鐘の音何処 無縁堂 ≪2≫ 三河の本多 忠勝は   徳川勢の 四天王   里見に備へ 舞鶴(ブカク)城   夕陽きらめく 天守閣   ああ夢遠し 大多喜城   冑の絵姿(スガタ) 今に見る ≪3≫ 慶長秋に ロドリゴは   ルソンを出でて 岩和田に   漂着難破 忠朝(タダトモ)の   なさけは世界に 伝はりぬ   ああ夢遠し 大多喜城   支倉(ハセクラ)ローマの 縁かな ≪4≫ 天下を分つ 関ヶ原   大阪冬や 夏の陣   忠朝あはれ 討死す   苔むす墓石(ハカ)や 良玄寺   ああ夢遠し 大多喜城   名将ここに 眠れるか ≪5≫ 京洛の秋 風寒し   薩長土肥か 徳川か   城主の老中 正質(マサタダ)は   幕軍率いて 鳥羽伏見   ああ夢遠し 大多喜城   調練励む 民人も ≪6≫ 昔を偲ぶ 大井戸や   空壕(カラボリ)跡も 草しげし   若殿輩(ワカトノバラ)も 此の城門(モン)を   立ち出てたらむ 花吹雪    ああ夢遠し 大多喜城   影こそ映れ 御禁止(オトメ)川

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