市川市在住の久我原さんの妄想の入った小説です
今回は伊三の奥さんが死んだときの話ですが、慶長の大地震にひっかけてみました。
当然妄想です。慶長5年に大地震があり、岩和田でも津波の被害あったようです。
今回も妄想大爆発、大宮寺(現大宮神社)を現代で言うところの広域避難場所みたいに使ってしまいましたが、当時そのような制度があったかどうかはわかりません。
地震と津波の被害も具体的には良くわからないので、書きあげてみるとなんとなくバクバクとした話しになってしまいましたが、お許しを。なにか情報があれば、書き直しますのでよろしくお願いします。(by 久我原さん)
第2部 忠朝と伊三 24
これまでのお話 1~23 は コチラ
伊三は一年ぶりに岩和田の浜に立って、目の前に広がる太平洋を見つめていた。空は雲ひとつなく、晴れ渡っていたが、海から吹きよせてくる風は肌をさすように冷たい。伊三は背を丸めてガタガタと震えながらも、海を見つめ続けていた。
「キヨ、、、すまねえな。おめえ、一人この海に残して、俺は大多喜にいっちまった、、」
おととしのあの日同様、伊三の横にはサキがいる。サキも腕を組んでガタガタと震えている。冷たい風に顔をしかめながら、二人は浜に立ち続けていた。
伊三が海に向かって両手を合わせると、サキもそれにならって手を合わせた。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
伊三がつぶやくと、サキも伊三に続いて
「なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
とつぶやいた。
「おとう、おかさんはこの海のどこにいるんだろ。冷たい海の中に一人ぼっちで寂しかろな。」
「・・・・・」
伊三は答えなかった。黙って海を見つめ続けている。
昨年の正月、反対する名主の茂平の説得を振り切り、新田開発の仕事をするために大多喜に移り住んだ伊三は一年ぶりに岩和田に帰ってきた。去年、岩和田を去る時、茂平に、
「うまい米ができるまでは帰ってきてはなんねえ。」
と言われていたが、農業経験者のホリベエの力を借りて、思いのほか米作りはうまくいった。まだまだ、収穫量は少ないが、忠朝が「うまい。」と言うほど質の良い米ができた。その米を土産に伊三は岩和田に帰ってきたのであった。
昨年の暮れ、預けられていた行元寺から忠朝の許しを得て、サキの待つ家に帰ると、伊三は死んだ女房のキヨの事を思い出した。まだ足を引きずるホリベエの世話をするサキを見て、キヨの面影とだぶらせたようだ。
「サキ、ホリベエさんの足はまだよくなんねえのか。」
「ああ、本人はもう痛くもないとは言ってるけど、、、もう治らねえのかもしんねえ。」
サキは悲しそうに答えた。ホリベエは
「ダイジョウブ、ダイジョウブ。」
と言ったが、はたから見るとやはりつらそうである。
「そうか。」
ホリベエは、
「オトウ、シンパイナシ。」
と、たどたどしく言った。来日して、一年と少しが過ぎ、ホリベエは片言ではあるが、日本語も大分話せるようになってきた。ホリベエに「おとう」と言われ、伊三はなんとなく背中がくすぐったい感じがした。ホリベエとサキはまだ夫婦になったわけではないが、一緒に暮らすうち、ホリベエはサキをまねて伊三の事をオトウと呼ぶようになっていた。
「サキ、冬は田んぼの仕事もねえ事だし、岩和田に一度帰ってみるか。」
「どうしたんだ。何かあったのか?」
行元寺から帰ってくるなり、伊三はいきなり里帰りの事を言い出したので、サキは驚いた。
伊三は無我夢中で大多喜に来てしまったが、実は死んだキヨをおいてけぼりにしてしまったことを気にしていた。そのことを行元寺の僧、定賢に言うと、
「それは、女房殿も寂しがっておろう。一度、墓詣でをして、大多喜での仕事ぶりを伝えてやるがよい。」
と、帰郷して墓参りをすることを勧めてくれた。
「そっか、そうだな、おかさん、一人岩和田においてきちまったからな。うん、おらも帰りてえ。でも、勝手に帰るわけにもいかねえべ。殿さまの許しをいただかんきゃなんねえだろ。」
サキにそう言われて、伊三は翌日、組頭の長田に相談した。長田はそのことを中根忠古に報告すると、
「なに?伊三が帰郷したいだと?まだ国吉に来て、一年もたっていないではないか。ならん、ならん。」
と、忠古はあきれ顔で答えた。しかし、伊三は死んだ女房の墓参りに一時帰郷したいのだという長田の話を聞くと、
「そうか。では、殿にも相談してみよう。」
と言った。伊三は大多喜藩の領民の一人にすぎない。本来、こんなことで領主の指示を仰ぐ立場ではないが、忠朝と伊三の関係を良く見てきた忠古は、忠朝に相談することにした。
父親を亡くしたばかりの忠朝は、
「そうか、身内の死を悼むのは良い心がけだ。わしの使いと言うことで、岩和田に行かせてやれ。」
と、快く許しただけでなく、とれたばかりの新米まで土産に持たせてくれた。名主の茂平に国吉での新田開発はうまくいっているが、今後も人手がいるであろうから、協力するようにとの伝令の役を伊三にやらせようと言うのである。
「殿さまは、お優しい。岩和田にただ帰るんでなく、ちゃんとした仕事を与えて下さった。」
伊三は忠朝の心遣いに感謝したが、こんなことが感じられるようになったというのは、やはり定賢のもとでの修行(?)の効果があったものか。
里帰りし、キヨが眠る太平洋に向かって手を合わせた伊三とサキは名主の茂平の家に向かった。去年、岩和田を飛び出した伊三親子には帰る家は無かった。しかし、今回は忠朝の配慮で忠朝の使者と言うことになっているので、伊三とサキ、それにホルヘは茂平の家を宿としていた。去年はあれだけ、伊三の事をバカだバカだと言っていた茂平だが、今は殿さまのお使いとして伊三親子を丁寧に扱っている。サキは、
「茂平さん、気味悪いよう。泊めてもらってんだ、台所のこととか、掃除とかやらせてくれよう。」
と茂平に家事の手伝いを申し出たが、
「何をいう。ゆっくりしてろ。」
と茂平は言った。しかし、性分である。サキはそう言われても、台所に出入りして、食事の支度の手伝いをした。
「伊三、サキはおめえにはもったいない娘だ。体がでかいから、村の男どもから敬遠されていたみたいだけど、ホリベエさんとなら似あいでねえか。」
「茂平さんもそう思うか。おれも、最初はあんな異人なんてとんでもねえと思っていたけど、一年も一緒に百姓仕事していたらなあ、情が移るっているか、今じゃ家族みてえな気持ちだ。でもなあ、言葉がよく通じねえのが困るんだが、、、」
「まあ、ゆっくり様子を見ることだな。」
「へえ。」
「しかし、サキは本当によくはたらくな。ありゃ、やっぱりおめえよりも死んだキヨに似たんだな。」
伊三はうなずいた。最近、めっきり女らしさを増したサキにキヨの印象を重ねることが多い、伊三であった。
伊三はその日の事を思い出していた。慶長九年十二月十六日の事である。夜もふけ、そろそろ床に着こうとした戌の刻(午後九時ごろ)であった。横になった伊三の背中が何かごつごつとたたかれ様な感じがしたかと思うと、天井がみしみしと音を立てた。ハッと思った瞬間に大きく家が揺れ始めた。柱はめりめりと音を立て、表では物が倒れてぶつかり合っているよう音がする。今までに感じたことのない大地震だ。
当時、まだ十歳ぐらいだったサキは飛び起きて、キヨにしがみついた。
「おかさん、こわいい。」
伊三は寝床の上でキヨとサキを抱きかかえ、揺れがやむのを待った。どれほどの時がたったかわからない。実際には数十秒の出来事だったのだろうが、伊三には小半時も揺れていたように感じられた。
揺れがやんで、静かになった。すると、今度は表で人の声が聞こえ始めた。地震に驚いて近所の人たちが外に出てきたのである。伊三は外に出た。人々は右往左往している。ところどころで火が燃えている。火事が起きていたのである。
「キヨ、大変だ。今の地震で火事が起きてる。」
伊三がキヨとサキを表に連れ出すと、家がメキメキと音を立てたかと思うと、傾き始めた。
「あんたあ、家が倒れそうだ。」
キヨが言った。伊三は家に戻るのは危ないと思い、
「ど、どうするべえ。キヨ、もう家には戻らねえほうがいいなあ。」
とサキを見た。サキはガタガタ震えている。十二月十六日と言えば現代の暦では二月である。一年で、もっとも寒い時期だ。そんな夜の大地震で外に飛び出したのだから、たまらない。
伊三は近所の人々とともに焚火を起こし、暖をとることにした。伊三は家族三人肩を寄せ合い、寒さと戦った。サキはキヨの胸に抱かれて、ぐずぐずと泣いていたが、そのうちに眠ってしまった。
どのくらいの時が過ぎたのか、伊三は起きているような眠っているような、うつらうつらとしていると、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「ここは危ねえ!みんな、大宮寺の裏山に逃げろ!」
ぼんやりしていたキヨが伊三に話しかけた。
「あんたあ、なんだべ。あれ?あれは名主の茂平さんじゃねえか?」
「茂平さん?ああ、そうだ。茂平さんだ。おーい、茂平さん、どうしたんだ?」
闇の中から焚火の炎の明りに浮かびあがってきたのは、確かに名主の茂平だった。
「おお、伊三か。キヨとサキは無事か?」
伊三の後ろでサキを抱きかかえてたっているキヨを見つけると茂平は、
「ああ、みんな無事か。良かった。」
と、笑いかけた。
「伊三、こんなところでぐずぐずしていちゃいかん。これだけの大地震だ、津波が来るかも知んねえ。」
「ツナミ?」
「ああ、津波だ。大きな波のことだ。」
「なんで、そんなことがわかるんだ。」
「言い伝えがあるんだ。明応の大地震の時も津波が来て、大勢が死んだという事じゃ。」
「メイオウ?」
「ああ、もう、そんなことはどうでもいい。とにかく高台に逃げるんだ。」
明応七年(一四九八年)といえば、このころから約百年前の事であるが、大地震がおこり、房総半島を津波が襲った。茂平には地震と津波の関係のメカニズムはわかってはいなかったが、地震の後に津波が発生する事があると言うことは知っていたのであろう。
茂平に言われて、村人たちは大宮寺に向かった。
「もっと、上だ。もっと上に登るんだ。」
茂平は村人たちを急かした。急ぐあまりに伊三は途中でキヨとサキとはぐれてしまった。伊三は立ち止り、あたりを見回したが、大宮寺の境内にはキヨとサキの姿は見当たらなかった。
「キヨ、キヨ?」
伊三はキヨを探した。人々の多くが大宮寺の裏に去っていたが、参道の方で話し声が聞こえてくる。ああ、キヨの声だと思い、参道の方に向かった。キヨはこわがって泣いているサキと参道の階段に座り込んで話をしていた。サキの小さな肩を抱いているキヨの姿を見つけ、
「何やってんだ。早くいかねえと、津波が来るぞ。」
と、伊三が近づくと、キヨは立ち上がった。
「サエさん、どうしたの。」
海女仲間のサエが参道をふらふらと降りて行くのが見えた。
「キヨ。」
と、伊三がキヨに声をかけた時、海の方からゴオーという音が聞こえてきた。
「キヨ、キヨ。」
伊三はキヨに声をかけ続けた。嫌な予感がした。キヨは伊三に気がつき、
「ああ、あんた、ちょっとサキをお願い。サエさん、どうしたの。どこ行くの。」
と、伊三にサキを預けて、サエのあとを追った。伊三はサキを受け取り、海の方を見ると水面が盛り上がってくるのが見えた。
「キヨ、危ない。津波だ。津波が来るぞ。」
伊三が叫んだ。キヨもそれに気がつき、サエに向かって叫んだ。
「サエさん、危ない。津波だ。津波が来るよ。」
しかし、ふらふらと歩くサエには二人の声が聞こえなかったようだ。キヨは階段を駆け下りて、サエの肩をつかんだ。サエはそれを振りほどき、走り出した時、海から襲ってきた津波がサエを飲みこんだ。それに追いかけてキヨも盛り上がる水の中に飲みこまれえてしまった。
「キヨー!!!」
叫んだ伊三の声は波の音にかき消された。
キヨは仲間を助けようとして、津波の中に飲みこまれてしまった。
「キヨー、キヨー!」
叫び続ける伊三はサキを抱きしめてその場にがっくりと膝をついた。波はひいたが、キヨの姿も、サエの姿も、もうそこにはいなかった。伊三はサキを抱きしめながら、
「キヨー、キヨー。」
と叫び続けるしかなかった。伊三の胸では、なにが起きたのかわからずサキが泣きじゃくっていた。伊三もサキを抱きながら泣いた。それは一瞬の出来事であった。
伊三は今でも、あの時、キヨを止められなかったことを悔やんでいる。
伊三はその時の事を思い出して、涙をこぼすと、茂平が伊三の肩をたたいた。
「どうした、伊三?」
「いや、あの、津波の晩を思い出しちまって。」
「ああ、あのときのことか。」
「おれは、キヨを死なせちまった。助けることができなかった。」
「伊三よ、お前のせいじゃねえ。おまえのせいじゃねえよ。」
茂平は伊三を慰める言葉が見つからずに、「お前のせいじゃねえ。」というだけだった。
翌日の朝、サキはホリベエと一緒に岩和田の浜に立っていた。
「サキ、オカサン、カワイソウ。ナンマンダブ、ナンマンダブ。」
ホリベエは海に向かって、手を合わせた。
「ホリベエさん、ありがとうね。おかさんのために手を合わせてくれて。」
ホリベエはどの程度、キヨの遭難を理解しているかわからなかったが、この海で死んだことは理解しているようだ。
「ウミ、ムコウハ、ヌエバ・エスパーニャ。ドン・ロドリゴノクニ。オラノオトウノクニ。」
「え?ホリベエさんのおとうの国?」
「サキ、シアワセ、オトウガイル。オラ、オトウイナイ、オカサン、イナイ。」
ホリベエは一人ぼっちで日本に残っている。サキには母親はいないが、父の伊三がいる。時々母親のキヨを恋しく思うこともあるが、バカな父親でも、伊三と一緒にいられことは幸せなことだと思った。
「ホリベエさん。おらとおとうがいるだろう。寂しくないだろ。」
サキはホリベエに笑いかけた。その笑顔を見て、ホリベエも微笑んだ。
「サキ、オトウ、オラモシアワセ。」
「そうだべ。」
サキが笑いかけると、ホリベエはサキの手を握った。サキはドキリとしたが、胸の奥で心地よい暖かさが広がってくるのを覚えた。
伊三とサキ、それにホリベエが大多喜に帰る日、大宮寺の和尚が茂平の家にやってきた。
「伊三、今日、大多喜に帰るんだとな。今度はキヨさんも連れて行け。」
と言って、キヨの位牌を渡した。
「和尚様、これは?」
「なに、勝手なことしてしまったが、キヨさんの位牌だ。もう、キヨさんを置いてけぼりにしてるなどと言わずに、仕事に精進せえよ。」
「和尚さん、ありがとうございます。」
伊三はまじめな顔つきでに礼を言った。
「伊三、定賢様によろしくな。お前は、あのように立派な住職の薫陶を受けて幸せ者だ。私も教えをうけたいものよ。うらやましい。うらやましい。」
「和尚さん、いつか、国吉に来て下せえ。そんときは一緒に定賢様のお話聞きましょう。」
(さすがは名高い定賢様、伊三も変わることだ。)
大宮寺の和尚は改めて定賢の人徳を思った。
伊三たちは岩和田の人たちに送られて国吉に帰って行ったが、伊三は二度と岩和田の浜を見ることはなかった。
続く
大多喜城(千葉県立中央博物館、大多喜城分館)の紅葉も綺麗です。
(写真提供:いすみ鉄道ファン・tassさん)