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小説 本多忠朝と伊三 6

2010年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

忠朝と伊三 6/久我原

 ドン・ロドリゴ一行を乗せた「サン・フランシスコ号」が難破してから十数日が経過した頃、岩和田村は困った問題に直面していた。
 本多忠朝が遭難者一行の見舞いに来た後、救援物資がぞくぞくと岩和田村に届いたので、村人の負担は減り、時間の経過とともに遭難者の怪我も回復に向かい、無傷の者、軽傷のもの達が仲間の世話をしたり、村人の仕事を手伝うようになった。相変わらず、言葉は通じないので、たった一人の通訳のケンは大忙しであったが、それでも村人と遭難者の交流は少しづつ深まっていった。村人も始めはロドリゴ達を赤天狗だとか、大猿だとか言っていたが、次第に名前を呼び合うようになり、突然現れた大勢の客人達との生活にも落ち着きを取り戻してきた。
 しかし、困った問題が持ち上がっていた。それは、サン・フランシスコ号の積み荷が原因である。忠朝の支持を受け、名主の茂平は積み荷が漂着した場合は直ちに大宮寺に運ぶように指示していた。救助に感謝の気持ちを表す異人たちに好感をもった村人たちのなかにはすすんで海岸に漂着物を探しに行く者もあった。ところが、その珍しい異国の漂着物を狙い、浪人どもが集まってきて村人と争いとなり、死者まで出るという騒ぎになっていたのである。小田原の戦の後、豊臣・徳川に滅ぼされた房総の豪族の旧臣たちの多くは本多家などの新しい支配者の家来となっていたが、なかには浪人となり、ゲリラのように村々を荒らしまわるものもいた。
 業を煮やした茂平は忠朝に窮状を訴え出ると、忠朝は軍を派遣し、浪人どもの掃討作戦に乗り出した。多くの浪人どもは成敗され、あるいは捕らえられた。そして漂着物のほとんどが遭難者に返還され、そのうち浪人どももなりをひそめていった。村は再び平穏を取り戻していたそんなある日、伊三は不思議な人物に出会った。
 伊三はサキが看病するホリベエを見舞った後、家への帰り道でサムライの一行に出会った。しかしその一行の中にほかのサムライとは目立って違う人物が一人いた。それはロドリゴのように鼻が高く、髪の色が黄金色の異人の顔をしたサムライであった。しかも、その変わったサムライが日本語で伊三に話しかけてきた。
「そこのもの、岩和田村と言うのはこのあたりか?」
「は、はい。そうだけんど。」
「ロドリゴ殿がいる大宮寺はどこだ?」
「ロ、ロドリゴ殿?大宮寺はこっから海に向かってもうちょいのところだけど、お前様は一体?」
「ふぉ、ふぉ、ふぉ、わしの恰好がおかしいか?異人のくせにサムライの恰好をしているからか?」
「へ、へえ。」
「ふぉっ!正直な!わしは三浦按針と申す。ロドリゴ殿をお迎えに参った。良かったら、大宮寺まで案内してくれないか?」
「へえ、かまわねえけど。ロドリゴさんはどこかにつれていかれるのか?」
「わしは上様の使いで参った。ロドリゴ殿を大多喜城にお連れすることになった。」
「えっ?大多喜に?忠朝様のところにか?お前様は殿様の使いか?」
「いや、わしは徳川将軍の使いだ。大多喜にお連れした後、江戸に参る。」
「徳川?徳川って、殿様のご主人か?江戸って、大多喜の何百倍も大きな町のことか?」
「そうだが、よく知っておるな。」
「へえ、おれは忠朝様の一番の家来ですから。大多喜にいるときに色々教えてもらった。」
「お前が本多殿の一番の家来?ふぉ、ふぉ、ふぉ!嘘を申せ、お前のようなものが、本多殿の家来であろうはずがない。とにかく、ロドリゴ殿のところに案内しろ。」
 ふぉ、ふぉ、ふぉと不思議な笑い方をする不思議な異人のサムライを連れて伊三は大宮寺に戻っていった。ロドリゴは徳川の使いが来たということを聞いて驚いた。そして三浦按針を見て再び驚いた。自分と同じヨーロッパの人間がサムライの恰好で目の前に現れたのであるが、ロドリゴはこの男、見覚えがあると思った。按針がロドリゴにスペイン語で話しかけた。
「ロドリゴ殿、久しぶりです。アダムスです。覚えていますか?」
「アダムス殿、もちろん覚えていますよ。ご無沙汰していました。まさか、こんなところでお目にかかれるとは思っていませんでした。」
 なんと、三浦按針こと、ウィリアム・アダムスはドン・ロドリゴと面識があったのである。

 このときからさかのぼること、九年前の慶長五年、ウィリアム・アダムスは苦難の航海の末、日本に漂着した。アダムスを引見した家康はその人柄と学問、航海術にほれ込み、アダムスの帰国の願いを許さず俸給と領地を与え、三浦按針と名乗らせ外交顧問としていたのである。ウィリアム・アダムスは、、、ややこしいのでこのお話の中では彼を三浦按針と呼ぶことにしよう。
 ドン・ロドリゴがフィリピン総督だった時にフィリピン在の日本人による暴動事件が起きた。捕らえられた暴徒は日本に送還されることになり、その時の日本側の使者が三浦按針だったのである。ロドリゴの母国スペインと按針の母国イギリスは当時、海の覇権を争っていた。按針もイギリスがスペインの無敵艦隊を打ち破ったアルマダ戦争に従軍した経験を持っていたが、母国同士の争いにも関わらず、二人は会見の時にお互いの人格を認めあい、友情に近いものが芽生えていた。それは、戦国武士が戦場で殺し合いをしていても、普段は礼を重んじていたことに似ている。

「ロドリゴ殿、このたびは大変でありましたな。大御所様、家康公は先のフィリピンでの騒動の時のロドリゴ殿の処置と真情のこもったお手紙に非常に感嘆されていました。今回、そのロドリゴ殿が岩和田に遭難したと聞いて、是非助けてやれとおっしゃっています。これから、私とともに江戸に向かい、将軍、秀忠様に謁見し、そのあと駿河の家康公の元に参りましょう。」
 ロドリゴはあまり気が進まなかったが、せっかくの徳川家の好意とその使者が按針だったため了承した。こうして、ロドリゴ一行はまずは大多喜に向かうことになった。ロドリゴ一行、といってもサン・フランシスコの乗員が全員江戸に向かったわけではあるまい。ロドリゴが大多喜に向けて出発したのは、遭難から約一か月後であったが、まだまだ怪我が治りきっていないものも大勢いたはずだ。
 足を骨折していたホリベエも、まだサキの看病を受けながら大宮寺の病床についていた。そのホリベエにつきっきりのサキの元にケンがやってきた。
「サキさん、今日でお別れですわ。ロドリゴさん達と大多喜に行く事になりましたのや。」
「えっ?大多喜に?何かあったのかね?」
「何でも徳川の殿さんがロドリゴさんたちを江戸に招待してはるそうや。うちも通訳で付いて来いってこっちゃ。」
「でも、ホリベエさんはまだ歩けねえよ。」
「何も、全員が江戸まで行くわけではありまへん。怪我人はここで養生するようにとのことですわ。」
 ホリベエにケンが事情を話すと、ホリベエは目にうっすらと涙を浮かべて、日本語で言った。
「オオキニ、ケンサン。オオキニ。サイナラ。」
 近くでそれを聞いた伊三は後ろを向いて思わず笑ってしまった。ホリベエは簡単な日本語を覚えたが、その口調がケンの西国なまりにそっくりなのだ。
 サキがケンに聞いた。
「でも、ホリベエさんたち残された人はどうなっちまうんだべ。国には帰れねえのかな?」
「へへえ、ここに残る人たちはどうなるかは知らんけど、サキさんはホリベエさんがずっとここにいた方がいいと思ってるんとちゃいますか?」
 サキは赤くなった。
「そ、そんなことはねえ。ホリベエさんだって早く元気になって国に帰りてえはずだ。」
「うひひ、ホリベエさんだって、ずっとここにいたいと思うてはりますよ。」
 その当のホリベエはこの日本人たちが自分のことを話しているのは分かったが、その内容までは分からなかった。ホリベエは思っていた。
(もう、どこへ行くのも嫌だ。できたら、自分の母親に似たこの娘、サキと一緒にこの村でのんびりと暮していきたい。)

 ホリベエはフィリピンで生まれた。母親はフィリピン人で、フィリピンで育った。父の顔は知らない。ホリベエが生まれたとき、父は母親のもとから旅立ってしまっていた。船に乗って異国に行ってしまったということだ。ホリベエが生まれたことさえ知らないだろう。すでに十数年前のことである。ホリベエの母、ミカエラはホリベエには父のことを語らなかったが、ホリベエは自分の顔が友達とは違い、フィリピンの支配者であるスペイン人に似た顔をしているので成長するにつれ、自分の父親はスペイン人なのではないかとうすうす感じていた。
 あの日本人暴動事件が起きるまでホリベエはフィリピンから外に出ようとは思ってもいなかった。そのホリベエがヌエヴァエスパーニャ(現メキシコ)へ行く船に乗る決心をしたのは、その暴動で母親が命を落としたからである。
 暴動の時ホリベエは母親と一緒に逃げ惑う群衆の中にいた。その時、暴動を鎮めようと数人のスペイン人が馬に乗ってあらわられたが、そのうちの一頭が人間の混乱ぶりに興奮し、自分の主人を振り落として暴走を始めた。その暴走を始めた馬がホリベエ親子に向かって一直線に走ってきたのである。ミカエラは息子のホリベエを両手突き放しその場に転んでしまった。母親に押し出されたホリベエは道の脇で倒れたが、母親が転んだのは道のど真ん中だ。馬にはかすりもしなかったが、混乱して将棋倒しになった群衆の下敷きになってしまった。
「かあさん!」
 ホリベエは将棋倒しの群衆に向かい、母親を探したが、折り重なった人々の中にすぐに母親を見つけだすことはできなかった。やっとの思いでミカエラを見つけだした時にはミカエラの意識はなかった。
 ホリベエはそばにいた男たちに助けられながら、ミカエラを近くの無人になった家にかつぎ込んだ。しばらくするとミカエラは気がついたが、すでに虫の息であった。母一人、子一人の親子である。ミカエラは自分が死んだら、この子は一人ぼっちになってしまうと心配したのであろう。苦しい息をしながら、
「お前の父親は、、お前の父親は、、スペインの、、、私が死んだら、、、、、、父さんを、、」
と、言ったところで息を引き取ってしまった。
 ホリベエは泣いた。ミカエラは大女で不器量だったが、ホリベエにはやさしい母親だった。村人からは化け物扱いをされながらも、女手一人で自分を育ててくれた。村の子供たちに化け物の子、父なし子といじめられ泣きながら帰ってくるとミカエラは
「あたしゃ、こんなブ女だけど、お前のお父さんはきりっとしたいい男だった。それに偉い人でねえ、あたしにお前を産ませたくれたことには本当にありがたいと思っている。だから、友達にバカにされても、堂々としていればいい。あたしがみんな分かっているから。」
と、慰めてくれた。結局、自分の父親がだれかはわからなかったが、きっと地位のあるスペイン人なのだろうということを確信した。
 母親が死んだあと、ホリベエは近所の農家の仕事を手伝ったりしていたが、心の支えの母親が亡くなり、自分が感情のない物のように感じていた。たとえば、空に浮かぶ雲のように、、いや、雲の方がまだ感情があるように思えた。悲しければ涙を雨として降らし、怒りを覚えた時はその姿を台風に変える。自分はそんな感情もあらわすことができず、ただふらふらとさまよっているだけだと。
 そんな失意のときに総督のドン・ロドリゴがヌエヴァ・エスパーニャに帰ることになり、その乗組員を募集していることを知った。もしかしたら、ヌエバ・エスパーニャに父がいるかもしれない。そんな思いでホリベエは乗組員に応募した。運よく採用されたものの、船乗りの経験がないホリベエに与えられたのはつらい雑用の仕事ばかりだったが、心を失いふらふらとした頃に比べれば苦にはならなかった。ただ、母親を一人フィリピンに残して旅立ったことは心残りだった。
 そんな希望に満ちた航海のはずだったが、数回の嵐に会い、ついに岩和田で遭難してしまった。やはり自分はフィリピンを離れるべきではなかったと思っていたが、岩和田でサキに出会った。自分の母親のように大女だが、かわいらしく、やさしいサキに出会った。嵐に会ったのは不幸ではあったが、サキに出会えたのはミカエラの意思が働いているのではないかと思った。

 ホリベエがそんなことを考えていることは、もちろんサキには分からない。ただただ、自分を見るホリベエの甘えるような、やさしい笑顔にサキは好感を持っていた。そのお互いの好意は男と女の愛情と言うようなものではなく、ホリベエはサキに母親への甘えを感じ、一人っ子のサキはホリベエに兄か弟を思うような感情を抱いていたにすぎなかった。

「ホリベエさん、サキさんの顔見て笑ってますわ。やっぱ、好きなんやろな。サキさんも好きなやろ?」
 ケンがサキをからかった。
「そ、そんことはねえ。おらあ、一人っ子だから、こんな兄さんがいたら良かったなあと思っただけだ。」

 ドン・ロドリゴ一行は江戸へと旅立っていった。しかし、遭難者全員が江戸へと旅立っていったのだろうか?ホリベエのように怪我をして、長い旅路には耐えられないものも多かったはず。歴史はドン・ロドリゴ一行が翌年、江戸幕府の好意でブエナ・ベントゥーラ号でヌエヴァ・エスパーニャに帰国したと語っているが、私はついには旅立つことができずに日本に土着した人たちもいたのではないかと思う。今でも日本人離れした西洋風な顔立ちの人がいるが、彼らは帰れなかった西洋人の末裔なのではないかと思う事があるが、、、それは私の妄想であろうか?

 伊三は、ドン・ロドリゴが江戸に行く前に大多喜に立ち寄ると聞いて、自分も一緒に大多喜に行きたいと思った。もう一度、成長した忠朝に会いたいと思った。この村を出て、本当に忠朝の家来になりたいと思っているのだ。その思いを名主の茂平に話したが、
「冗談言うんでねえ。無学で臆病な漁師を殿様が家来にすると思っているのか?」
と、一蹴されてしまった。
「殿様はおれのことを最初の家来だと言ってくださった。」
「それは、殿様がまだ幼いときにの話だろう。そんなガキの、、、いや、お子様のころの話を信じてんのか?」
「信じてる。」
 普段、薄らぼんやりとしている伊三の目がギラギラと輝いているのには、茂平もたじろいだ。こいつは俺が止めても行ってしまうだろうな、と思っていたが、
「おとう。おとうが殿さまの家来になったら、おらはどうなるんだ?やっぱり、おらのこと置いてくのか?二人っきりの親子でねえか?そんでもいくのか?」
と、サキに泣かれると、伊三はそれ以上、大多喜に行くとは言えず、黙り込んでしまった。結局サキのためにと、伊三は大多喜に行くことをあきらめた。しょげかえっている伊三を哀れに思ったのか、茂平は、
「今は大変な時だ。我慢せえ。お前もこの村のものなら、村のためにここで生きろ。殿様の家来にならなくても、この村で漁師の仕事を一所懸命にやれば、殿様もお喜びのはずだ。一所懸命働けば、いつかまた殿様にお会いできるときだってあるはずだ。」
と言った。もちろん茂平が言うことが確かなわけではないが、伊三は思った。
(よし、今はこの村で頑張ろう。そして、サキが嫁に行ったら、いつか必ず大多喜に行こう。そんときは絶対に殿様の家来になるんだ。)
 茂平は伊三の考えていることが何となくわかったが、
(まあ、そう度々殿様にお会いできることはあるめえ。こいつもそのうち諦めるだろう。)
と思い、少し伊三がかわいそうな気もした。
 しかしその翌年、、、
 伊三が大多喜に行く事になるとは、この時、茂平もサキも思ってはいなかった。当の伊三もそんなに早く大多喜に行く機会が巡ってくるとは夢にも思っていなかったのである。
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