市川市在住時代劇担当サポーター、久我原さんの小説です。
忠朝と伊三 18
1~17話は コチラ (今までのお話が全部あります)
桑名についた翌日、忠朝は兄の忠政と天守閣に登った。ここ桑名城は伊勢湾に流れ込む揖斐川のほとりにある水城である。幅広い堀に囲まれ、天守閣をはじめ、多くの櫓が立ち並び、まるで湖に浮かぶ島が点在しているようにも見える。忠朝は朝日に輝く伊勢湾を見つめていた。
「兄上、大多喜の山の中とは違い、桑名はまことに美しい町です。このような景色を毎日眺められるとはうらやましい。特にあの輝く海がすばらしい。」
「そうか。毎日、見慣れているから格別素晴らしいと思うことも無かったが、そう言われるとうれしいな。父上は入府以来、城の建築と町づくりに心血を注いでこられた。大多喜でもそうだったが、民が豊かに暮らせるように寝る間も惜しんで働いておられた。そういえば、大多喜の普請の時はお前は八つぐらいだったか。父上が一所懸命に城下の整備をされているのに、いたずらばかりしておったな。」
「それを言わんで下され。」
「そのいたずら坊主も今は立派な城主様だ。」
「思いもかけないことでした。私は当然兄上が父上の後を継ぎ大多喜を納め、私は兄上の家臣になるものと思っていましたが、、、」
「ところが、父上と私は桑名に移り、お前が大多喜を治めることになった。」
「はい。」
「私は、お前のような暴れ者がしっかりとまつりごとが行えるかどうか心配だったが、父上は心配するなと仰せられた。『若いころのわしも忠朝とそう変わりはなかったからのう。』とおっしゃった。うらやましかった。私から見ると、父上は私よりお前の方が可愛いがっていたように思えるのだが。」
「そんなことはありますまい。私は叱られてばかりでしたが、兄上は父上から多くの教えをうけていたではありませんか。」
「いや、私はお前がうらやましかった。馬場で父上と馬に乗ったり、槍の使い方を教えてもらったりしている忠朝が楽しそうに見えてな。」
海を見つめながら、そう言う忠政の横顔を見て、忠朝は、
(そんなもんかのう。馬の扱いが悪いとののしられ、槍で叩きのめされ、ちっとも楽しいとは思わなかったがな。)
と思った。
兄弟が思い出話をしていると中根忠実がやってきた。
「お話し中、恐れ入りますが、大殿さまが目を覚まされました。お二人ともお部屋においで下さるようにとのことでした。」
「そうか!目を覚まされたか!」
「はい。忠朝様が到着した事を伝えると、すぐにお会いしたいと。」
「わかった。忠朝、急ぎ参ろう。」
「はい。」
三人は天守閣を降り、忠勝が臥せている部屋に向かった。
倒れてからというもの、目覚めても体を起こすことはなかった忠勝がこの日は寝床の上で上半身を起こしていた。しかも、その顔はすがすがしい表情であった。そして、忠朝の顔を見ると、
「おお、忠朝、久しいな。そんなところに突っ立ていないで、もっと近くに参れ。」
と言って手招きをした。そして、忠朝が病床の横に座ると手をのばして、父は忠朝のほほをつまんだ。
「坊主、しっかりやっておるか?まだ、城下の民と一緒に遊んではおるまいな。サムライはサムライ、民は民。情けはかけても、けじめはつけろよ。」
「おやめ下さい。私も、もう子どもではありません。」
忠朝はドキリとした。行元寺に預けた伊三は何かと用事を言いつけられて城にやってくるようになり、サキやホリベエ、その近在の農民に会うことが増え、少し近づきすぎたかなと思っているところへの父の言葉である。忠朝は中根忠実の顔を見た。
(ははあ、さては忠古め、じいに伊三の事を知らせたな。)
忠実はどうして忠朝が振り返って自分の顔を見たのかわからなかった。
「父上、別に遊んでいるわけではありません。伊三は私の新田開発を手助けしてくれる大切な領民です。」
「伊三?なんの話だ?」
忠朝が思っているような知らせは忠古からは届いていなかった。忠勝は伊三と聞いても、それが二十年近く前に、大多喜で忠朝を叱りつけて捕らえられた人夫とは結びつかなかった。
「ところで、あの島津との一戦はお前も良く戦った。あの時は刀がおれ曲がるほどの奮闘で上様にもおほめいただき、誇らしかったぞ。」
忠勝は忠朝の膝を叩きながら、にこやかに笑った。忠朝は背筋がぞっとした。島津との一戦とは関ヶ原の戦いの時に西軍の負けを悟った島津軍が中央突破の退却戦を挑んできた時、本多隊と激突した戦いのことである。その時、忠朝は父に従い、無我夢中で戦い、家康に「流石は忠勝の息子だ。」と褒められた。しかしその時、父忠勝はぎょろりとした目玉で忠朝を睨みつけ、
「すでに勝った戦、こんなことは手柄でもなんでもない。おごってはいかんぞ。」
と言った。数十回の戦を生き抜いてきた忠勝の言葉には重みがあったが、今の忠勝は息子の手柄を素直に喜ぶ好々爺となってしまった。
「久しぶりにお前に会って少々しゃべりすぎたな。疲れたから横になる。」
中根忠実に助けられて横になると、忠勝はすぐに眠りについてしまった。
病床の間を出ると忠政が忠朝に言った。
「そらな。やはり、父上はお前が可愛いのだ。父上があんなにしゃべったのは久し振りだ。しかし、昔の話の繰り返しでな。私の事も子ども扱いで、年を取るとみなあのようになるのかな。」
「兄上、、、、父上は戦場で生きてきた人。ご隠居の身は退屈でさみしいのではありませんか?」
「そう思うか?しかし、やはり私はお前がうらやましい。」
「いやいや、久しぶりにお会いしたので、なつかしいだけでしょう。」
「いや、そうではない。関ヶ原での事だ。お前は決戦の場で父上と奮闘した。しかし、私は上田で信繁に翻弄されて、ついには決戦の場に立つことはできなかった。」
関ヶ原の合戦の時、忠朝は父忠勝と家康に従って関ヶ原に戦ったが、忠政は徳川秀忠に従い、中山道を進み、上田に籠城する真田昌幸・信繁親子を攻めあぐねていた。上田を離れ決戦の場に向かう道中で関ヶ原の勝利の知らせを聞いた。
「私も父上と供に戦いたかった。」
忠政はさびしそうに笑った。
その後、忠勝は寝ては覚めを繰り返し、ある日相続の事について話し出した。
忠勝の遺産のほとんどは兄、忠政に相続させるが、大多喜を納める費えにと一万五千両を忠朝に譲ると言い出した。忠政も忠朝も遺産の話をするとは、いよいよ父の命も短いと感じ、心が暗くなる思いだった。
その晩、忠朝は忠実から忠古について問いかけられた。
「忠古はしっかりとお仕えしているのでしょうか。無口で無愛想な息子です。同僚とうまくやっているのが心配です。」
「うん、確かに仲間内での評判は良いとは言えんが、務めはきっちりと果たしている。物静かだが妙に迫力があるやつでな。確かに、何を考えているかわからない忠古を気味悪がっているものもおるが、本当は情けの深いサムライだということはわしがわかっている。」
「ありがとうございます。若様のもとで働けて、忠古は幸せでございます。」
「じい、その若様と言うのはやめてくれ。これでも父の後を受けて、今では大多喜の領主さまだぞ。」
「はい、そうでございました。立派な御領主さまで。」
そこへ、中根忠実の息子忠晴が血相を変えてやってきた。
「忠朝様、大殿さまがお呼びです。目を覚まされ、苦しそうに忠政と忠朝を呼べとおっしゃっています。すぐにお部屋へ!」
忠朝は走り出した。その後を中根親子が追い、三人が忠勝の部屋に入ると側室の乙女と忠政が忠勝の手を握っている。
「父上、しっかりしてください。」
「殿、殿、、、、」
二人が忠勝に声をかけるが、忠勝は苦しそうにあえいでいた。
「父上!お気を確かに!」
忠朝が忠勝の枕元に座り声をかけると、忠勝の目がぎょろりと動くと忠朝を見た。忠朝はぞくりとして、
「父上!」
と声をかけると、忠勝が言った。
「た、た、忠朝、、、、兄を助けて、、、、徳川のために、、、、忠政、、、、兄弟、、力をあわせて、、、ほ、本多を、本多を頼むぞ、、、、」
か細い声である。忠朝は目頭が熱くなってきた。忠勝の手を握る忠政の手に忠朝が手の平を添えた。
「お任せ下さい。兄と力を合わせて、徳川に忠誠をつくします。。」
「父上、私と忠朝がいれば本多は安泰です。ご安心を。」
二人に息子の声を聞くと忠勝は安心したように目を閉じた。
「父上!」
「殿!」
その場に居合わせた者が同時に叫んだとき、忠勝の唇がわずかに動いた。
「死にともな、、、」
忠朝は息を飲んだ。父上が死にたくないと言っている。戦場の鬼も死に臨んではやはり、恐ろしいのか?
「、、、まだ死にともな、、、、死にともな、、、御恩を受けし、、、、、君を、、思えば、、、、」
振り絞るようにそう言うと、かすかにふるえていた忠勝の唇がぴたりと止まった。止まったかと思うと、忠勝の顔は見る見るうちに青白くなり死相が広がっていく。
「忠朝。」
「兄上。」
「これは、、、」
「はい。辞世、でございましょう。」
死にともな
まだ死にともな
死にともな
御恩を受けし
君を思えば
忠勝の辞世である。忠勝は死を恐れていたわけではなかった。恩を受けた主君家康のためにまだまだ働きたかったのにここで死ぬのは残念だという述懐であったのであろう。どうであろう、死に臨んだ気持ちを武骨ながら率直に詠った飾りのない、良い句だと思うのだが。
本多兄弟と乙女の慟哭を聞きながら、中根忠実は深々と頭を下げると静かに部屋から出て行った。どれほどの時間が過ぎたろうか。長い時間が過ぎたと感じられたが、まだ二、三分しかたっていなかったろう。中根忠晴は父、忠実がいないことに気付き、本多家の人々を残して部屋を出ていった。
忠勝の遺体のまわりで家族の静かな慟哭が続いていたが、半時(一時間)ほどすると廊下を静かに誰かがかけてくる気配がした。ふすまがさっと開くと中根忠晴が部屋に入ってきて、忠政に耳打ちをした。
「何?じいが?よし、すぐ行く。忠朝、お前も一緒に来い。」
忠政、忠朝兄弟が忠晴につれられて城内の中根忠実の部屋に入ると、目を見張った。
中根忠実は白装束で部屋の真ん中で正座をしたまま、前のめりに倒れている。部屋には血のにおいが充満していた。中根忠実は見事な作法で切腹して果てていた。忠政が忠晴に声をかけた。
「忠晴、これは、どうしたことじゃ?」
「は、ご、ご覧のとおりです。」
忠晴の声は震えている。
「殉死か。じいよお、、じいまで私のもとから去ってしまったのか、、、」
忠政はたったまま小刻みに震えている。忠朝はがっくりと膝つき、両手を床についた。
この日、忠政忠朝兄弟は二人の父を失うと同時に、信頼するじいまでも失ってしまった。
本多忠勝、享年六十三歳。中根忠実の享年は伝わっていないが、織田信長の弟であったことから忠勝と同世代であったろうことが想像される。慶長十五年十月十八日、現代の暦では十二月三日であるから、日に日に寒さが深まる初冬の晩であった。 続く
*挿入の戦国画・本多忠朝は、福田殿よりお借りしています。福田さんの作品は大多喜城のロビーに来年3月31日まで展示されています。コチラ
久我原さんの小説はすごいですね!私も勉強させていただきます。
大多喜町は「本多忠勝を大河ドラマに」と実行委員会が頑張っていますので、忠朝公も有名になって親子二代のドラマになれるかもしれません。よろしくお願いします。
本名は別にありますが、秘境駅・久我原(三育学院大学・久我原駅)で下車したところを、ジャンヌに見られ、その数時間後、大多喜城下とんかつ亭「有家」さんで再開。と言っても、知り合いだったわけではありません。
人目見た瞬間、ビビッと感じるものがあり、数十秒間、言葉を交わさせていただきました。
私は、「久我原駅で降りた方」を略して「久我原さん」とお呼びして、さんざんHPで噂していました。そこに久我原さんが突如「久我原です・・・・」と現れて、コメントをいただき、現在にいたりました。かれこれもう2年以上前のことです。
久我原さんにとっては、人生でたった一度のいすみ鉄道訪問のはずが、、、、こうして、小説まで書いてくださっているとは。
人の出会いとは不思議というか、久我原さんにとっては「恐ろしい」でしょうが、大多喜町にとってはラッキーですね。
私は、久我原さんの教えで、本多忠勝公というお方を知りました。
三育学院大学・久我原駅となった、秘境駅・久我原ですが、教養のあふれたイメージになりますね。
きっと、三育学院大学さんもお喜びのことでしょう。
小説、これからもよろしくお願いしま~~す\(^o^)/
(途中は未読なんですが、、。また読んでいきます。)
久我原さんの小説は読み易いのが魅力です。
ご多忙でしょうが、続きを楽しみにしています。
いすみのむら