市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説です
その前に☆ この章の舞台となっている粟又の山。
小説に登場する平沢氏も、この景色の中で炭を焼いていたのでしょうか?
撮影:11月16日午後1時 携帯電話のカメラにて
第2部 忠朝と伊三 34
「忠朝と伊三」これまでのお話
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番外編 小松姫の嫁入り(前) 小松姫の嫁入り(後)
その夜。
長田と平沢は長田が持参した酒を酌み交わした。
平沢は相談したいことがあると言って、長田をひきとめたが、なかなかその頼みと言うことを切り出さなかった。しばらくは長田が一人でしゃべっていたが、そのうちに話すことも無くなり、
「俺の今の大多喜の暮らしはこんなところだ。お前と万喜にいたころに比べれば、刺激の少ない毎日だが、満足している。何度も言うようだが、忠朝様の仕事をお手伝いすることは実にやりがいがある。今は、まだ収穫できる米も思うようにはならないが、これからきっと良くなる。大多喜は今に、房総一の町になる。忠朝様はそれを実現することができる殿さまだ。嘉平、どうだ、忠朝様にお会いしてみろ。俺がごちゃごちゃ言うよりも、一度お会いすればわかる。なあ、嘉平よう。」
と長田が言うと、平沢は「またか。」と言わんばかりの苦々しい顔をしてうつむいてしまった。
しばらくは二人とも黙って酒をなめていた。
(俺ばかりにしゃべらせおって。平沢は何を頼みたいと言うのだ。)
長田がそう思った時、長田が下を向いたまま口を開いた。
「長田、そんなに俺を大多喜に連れて行きたいか。」
「ああ、連れて行きたい。」
「しつこい奴だな。」
ちらりと平沢は長田を上目づかいで見た。
「しつこいぞ。お前がうんと言うまではあきらめんぞ。」
「何故だ。」
「何故だと言われてもなあ。俺はお前と一緒に仕事をしたいんだ。」
「だったら、お前が粟又に来て、いっしょに炭焼きをすればよかろう。」
「そうはいかん。俺には大多喜でやらねばならんことが山ほどある。妙な言い方かもしれんが、百姓どもと汗をかきながら荒れ地を開墾することは楽しい。」
「同じことだ。」
「何?」
「俺には俺の暮らしがある。」
平沢にそう言われると長田は返す言葉が無かった。
考えてみれば、山暮らしの二十年は決して短いものではない。身分は低いながら本多家の家臣としての立場を築いてきた長田同様に、平沢も粟又での住人としての暮らしをなんとか成り立たせてきた。それは、長田よりもよほどの苦労と努力が必要だったはずだ。
当初は何が何でも平沢を大多喜に連れて行こうと思っていたが、平沢と会うたびに長田は平沢の気持ちがわかるような気もしてきている。
(まあ、無理はすまい。中根様も急がなくて良いと言ってくださっている。)
長田がそんなことを考えていると、平沢は茶椀に残ったわずかな酒をぐっと飲み干し、
「行ってもよいぞ。」
と言った。長田は思わず身を乗り出した。
「本当か?」
「うん。だがな、それには頼みたいことがある。」
「なんだ。俺に出来ることか?」
「見ての通り、俺はこんな体だ。それにこの醜い顔では、本多の者どもに侮られる。」
「そんなことはない。本多の、、、」
「まあ、聞いてくれ。俺が嫌なんだ。落ちぶれても俺もサムライのはしくれだ。昔ほどとは言わなくても、刀ぐらいまともに扱えるようになってから、大多喜に行きたい。だから、これからも俺に稽古をつけてほしいんだ。頼む。」
平沢は頭を下げた。
「それは構わぬが、お前はもう立派に刀を扱うまでになっているぞ。」
長田の言葉はお世辞では無かった。長田は優れた剣士である。その長田が本気で打ち込んでも、不自由な体を精いっぱいに使う平沢に木刀を打ち付けることができなくなっていた。それほど、平沢の力は回復している。
「いや、まだまだだ。こんなことではいかんのだ。」
平沢は今朝の稽古の時と同じことを言った。平沢は長田の顔をじいっと睨んだ。そして意を決したように言った。
「さっきは、刀ぐらいまともに扱いたいと言ったが、本当は違うんだ。相手を打ち負かす力を取り戻したい。頼む。俺を昔の様に強くしてほしい。相手に打ち勝つことができなくてもよい。せめて、互角に戦いたいんだ。」
「待て、嘉平。相手に打ち勝つ?互角に戦う?誰かと試合でもするのか?」
「そうだ。俺は二十年間、万喜でのサムライの暮らしを忘れて、山の住人になりきっていた。だが、お前に会ってから俺の眠っていたサムライの血が目覚めた。お前と互角に戦っていたころの気持ちがよみがえってきたんだ。俺は勝ちたい。だが、体の自由がきかん。だから、その試合で命を落としても良い。そうしないと、俺の気持ちに決着がつかんのだ。いや、ちがう。恨みでは無いんだ。何と言ったらいい。何と言ったらわかってもらえるか・・・・・」
目が血走っている。言っていることが支離滅裂になりそうになってきた。平沢はすっかり興奮してしまっている。
「落ち着け。嘉平。誰と試合をすると言うんだ。」
長田に言葉を遮られた平沢は一瞬、ぽかんと口を開けた。
「頼む。俺は強くなりたい。」
「だから、誰と試合をするのかと聞いているんだ。」
「ほ、、、、」
平沢は言葉を切った。長田は緊張した。そして平沢は言葉を続けた。
「本多忠朝。」
「ばかな。」
長田は顔そむけて立ち上がった。やはり、平沢は本多家に復讐をしようとしているのか。長田の予感が当たったと言うことか。
「正気とは思えん。」
「頼む。」
ひれ伏す平沢を長田は見下ろした。
(こやつ、やはりそんなことを考えていたんだな。恨みは無いとは言っていたが、心の奥にはやはり復讐の気持ちが残っていたか。俺のせいだ。俺がその心をひきだしてしまったんだ。)
「頼む。」
同じ言葉を繰り返し、顔をあげた平沢の目はうるみ、一筋の涙こぼれた。
(・・・ばかなことを。しかし、、こやつ本気か?)
焼けただれた顔に血走った目から涙をこぼし、半開きの口がかすかにふるえる姿を見て、長田は背筋が寒くなった。(これはいかんな。)と思った長田は立ち上がると、右足でドスンと床を踏み付け、怒鳴りつけた。
「ふざけるな!わしは本多出雲守様の家臣、長田正成である!そのような頼みが聞けると思うか!」
すると、平沢の口のふるえは止まり、その表情に落ち着きが戻ってきた。
「そう、、、だよな。ふう。・・・すまん。」
長田はしゃがみ、その両手を平沢の方にかけ、ゆっくりゆすった。平沢は右手で目をこすった。
「いや。すまん。馬鹿な話だ。わかっているんだ。」
本多忠朝 天守/戦国画
「わかったぞ。嘉平。俺も土岐家のサムライのはしくれだ。お前の言う通りかもしれん。俺たちで土岐家の心意気を見せつけてやろうではないか。」 「長田、、、それは、、、」
落ち着きを取り戻した平沢はこの春に長田が訪れてからの気持ちの変化を話し出した。
長田が訪ねて来るまでは、この山で朽ち果てるのが自分の運命だと思っていた。それは、あきらめと言うことでは無かった。自然の時の流れに身を任せることで気持ちが落ち着いた。幸い、山の住民は体が不自由な自分に対して親切であり、老夫婦から教えてもらった炭焼きも性に合っていたようで、充実感を覚えた。はた目には良くわからないだろうが、平沢は平沢なりに今の暮らしを楽しんでいた。
ところが、旧友が大男を従えて現れた時、平沢の心の奥に合った何かあふれ出してきた。長田が連れてきた大男は家来ではなかったが、長田の出世は羨ましかった。つまらなそうに聞いていたが、実は大多喜での暮らしには興味を覚えていた。しかし、自分は長田の様にはできないと思う。そこが性格の違いであろう。
長田はどちらかと言うと楽観的で、万喜城での敗北についても大きな世の中の動きだとして受け止め、忘れ捨てたわけではないが、気持ちの整理をつけ、戦後、敵の大将である本多忠勝の人柄にひかれて本多家の家来になった。平沢はそうはいかない。誇り高い剣士であったが、万喜落城の時は一発の銃弾に倒れてしまった。敵と槍なり、剣なりを交えて戦うことが無かった平沢は戦で負けたと言う気がしなかった。
過去のことを記憶から消し去ることはせずにうまく気持ちの整理をつけた長田とは違い、平沢は気持ちの整理がつかないまま敗戦の出来事を忘れようとした。そして、忘れた、、つもりでいた。ところが、、
万喜で本多の新田開発が始まると言ううわさを聞いたときに、長田が訪ねてきて、本多に士官しろと言いだした。葛藤があった。懐かしい万喜で働けることは嬉しいが、本多に仕えることは実感のない敗北を認めることになるのではないか。それに、この醜い姿を人前にさらし、あざけりを受けることは耐えがたい。再び剣の修業を始めた時、忠朝と試合をし、本多家の人々に自分の力を認めさせたいと言うことでもやもやとした気持ちを解放させようと考えた。いや、考えたと言うよりも、無意識のうちに気持ちがその方向に向かい始めていたのであろう。二十年の歳月は平沢から恨みを消し去っていたが、誇りを奪うことはできなかった。
このようなことを語り、
「笑ってくれ。俺はこのようなあさましい男だ。ああ、やはりお前には勝てんな。」
と、平沢は寂しそうに笑った。
「嘉平・・・・」
「そんな憐れむような顔をしないでくれ。俺はお前にまた会えて、再び剣を交えることを楽しんでいる。いや、散々な目に合っているから楽しいことは無いか、、」
「すまん。お前を置き去りにし、、、、もっと早く来ればよかった。」
「そんな顔をするな。仕方ないではないか。まあ、今までの話は忘れてくれ。ただ、、、」
平沢は言葉を切った。
「ただ、なんだ。」
平沢は少し考えてから言った。
「剣の稽古は続けてくれ。今は、大多喜になど行く気は無いが、もしも、万に一つも俺が、本多殿にお会いする時は土岐家の者の誇りを持っていきたい。それには強い力を持たねばならんと思う。だから、稽古は続けてくれ。」
長田は腕を組み、瞑目した。平沢にそう言われても、これ以上剣の稽古を続けることが平沢のためになるのか不安になってきた。誇りを取り戻すために強くなりたいと言っているが、いざとなれば平沢は忠朝様に向かって刃(やいば)を向けるのではないか?
「頼む。同じ土岐家に仕え、命をかけてきた仲間ではないか。お前は心配しているようだが、迷惑をかけるようなことはしない。俺の誇りと、俺たちの友情のために。頼む。」
そう言われた時、長田には不思議な感覚が芽生えてきた。それは自分でも考えもしないことだった。
「わかった。うん。いいだろう。」
そして、長田は妙な笑いを浮かべた。それは伊三が言う「組頭のやさしげな微笑み」では無く、薄気味悪い何かをたくらんでいるような笑い方だった。
「本多の奴らにひと泡ふかせてやるか。」
「何?」
「うん。土岐家が本多家に負けたのは、もう二十年も昔のことだ。今、戦えばどちらが勝つかはわからんぞ。俺とお前で本多と戦ってみようではないか。そうだ、やってみなければわからん。うん、うん。」
「よ、よいのか。」
「いや、勘違いするなよ。謀反を起こすつもりなどはない。ただ、俺たち土岐家の生き残りの力を示してみたいんだ。お前の話を聞いていて、そう思った。忠朝様のもとで働きながらも、旧土岐家の者たちはさすがなものだと思わしめたい。」
長田の瞳に力がこもった。平沢の目も輝き始めた。
「嘉平。な、そう思わんか。俺の気持ち、分かってもらえるか。」
「よし。やってみよう。長田、それにはもっと稽古をつまなくてはな。」
「そうだな。明日は帰るが、その前に、、、」
「稽古だな。」
「稽古だ。明日は今まで以上に厳しく鍛えてやる。今日はもう休もう。」
「よろしく頼む。」
そんな二人の会話を小屋の外で黒い影がじっと聞き耳を立てている。その影はしばらく様子をうかがっていたが、小屋の中は静かになり、そのうちに寝息が聞こえてきた。どうやら長田と平沢は眠りについたようだ。
(これは面白いことになってきたぞ。)
ひやりと笑ったこの男、服部半蔵の命令で大多喜にやってきた伊賀の源七である。
源七は足音も立てずに小屋を離れると、渓谷の方に下りて行った。
翌朝、長田と平沢は粟又の滝の河原でいつもどおり稽古を始めた。しかし、いつもとは少々様子が違った。長田は木刀を構えたままじっと動かない。平沢は長田の構えをじっと見つめていたが、意を決して、
「だああ!」
と踏み込み長田の胴を狙った。その一撃を長田は木刀をすくい上げるようにして打ち払うと、平沢はふらふらと長田の横に倒れた。倒れた平沢の方を向き木刀を構えなおしたが、長田は攻撃をしない。平沢は立ち上がり再び長田に打ち込んできた。平沢が打ち込み、長田がその攻撃をかわす。平沢は倒れては起き上がり、長田を再び攻撃をする。その繰り返しだ。
今までの稽古では長田が打ち込み平沢が防御することの繰り返しだったが、今日はその逆だ。何度めの攻撃の時だろう、長田に木刀をはじき返され、倒れざまに片手で振りぬいた平沢の木刀が長田の脇腹をかすめた。仰向けに倒れた平沢の顔に笑みが浮かんだ。それを見下ろす長田も笑った。
「嘉平。やったな。」
「ああ、やったぞ。」
この時、再び稽古を始めてから平沢は初めて長田から一本を勝ち取ったのである。
(これから、嘉平はますますよくなるだろう。)
続く