大多喜町観光協会 サポーター

大多喜町の良いところを、ジャンルを問わず☆魅力まるごと☆ご紹介します。

小説 本多忠朝と伊三 34

2011年11月17日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説です  

その前に☆ この章の舞台となっている粟又の山。

小説に登場する平沢氏も、この景色の中で炭を焼いていたのでしょうか?

撮影:11月16日午後1時 携帯電話のカメラにて

 

第2部  忠朝と伊三 34

 

「忠朝と伊三」これまでのお話

第1部          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

第2部 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 

番外編 小松姫の嫁入り(前)  小松姫の嫁入り(後)

 

 その夜。
 長田と平沢は長田が持参した酒を酌み交わした。
 平沢は相談したいことがあると言って、長田をひきとめたが、なかなかその頼みと言うことを切り出さなかった。しばらくは長田が一人でしゃべっていたが、そのうちに話すことも無くなり、
「俺の今の大多喜の暮らしはこんなところだ。お前と万喜にいたころに比べれば、刺激の少ない毎日だが、満足している。何度も言うようだが、忠朝様の仕事をお手伝いすることは実にやりがいがある。今は、まだ収穫できる米も思うようにはならないが、これからきっと良くなる。大多喜は今に、房総一の町になる。忠朝様はそれを実現することができる殿さまだ。嘉平、どうだ、忠朝様にお会いしてみろ。俺がごちゃごちゃ言うよりも、一度お会いすればわかる。なあ、嘉平よう。」
と長田が言うと、平沢は「またか。」と言わんばかりの苦々しい顔をしてうつむいてしまった。
 しばらくは二人とも黙って酒をなめていた。
(俺ばかりにしゃべらせおって。平沢は何を頼みたいと言うのだ。)
 長田がそう思った時、長田が下を向いたまま口を開いた。
「長田、そんなに俺を大多喜に連れて行きたいか。」
「ああ、連れて行きたい。」
「しつこい奴だな。」
 ちらりと平沢は長田を上目づかいで見た。
「しつこいぞ。お前がうんと言うまではあきらめんぞ。」
「何故だ。」
「何故だと言われてもなあ。俺はお前と一緒に仕事をしたいんだ。」
「だったら、お前が粟又に来て、いっしょに炭焼きをすればよかろう。」
「そうはいかん。俺には大多喜でやらねばならんことが山ほどある。妙な言い方かもしれんが、百姓どもと汗をかきながら荒れ地を開墾することは楽しい。」
「同じことだ。」
「何?」
「俺には俺の暮らしがある。」
 平沢にそう言われると長田は返す言葉が無かった。
 考えてみれば、山暮らしの二十年は決して短いものではない。身分は低いながら本多家の家臣としての立場を築いてきた長田同様に、平沢も粟又での住人としての暮らしをなんとか成り立たせてきた。それは、長田よりもよほどの苦労と努力が必要だったはずだ。
 当初は何が何でも平沢を大多喜に連れて行こうと思っていたが、平沢と会うたびに長田は平沢の気持ちがわかるような気もしてきている。
(まあ、無理はすまい。中根様も急がなくて良いと言ってくださっている。)
 長田がそんなことを考えていると、平沢は茶椀に残ったわずかな酒をぐっと飲み干し、
「行ってもよいぞ。」
と言った。長田は思わず身を乗り出した。
「本当か?」
「うん。だがな、それには頼みたいことがある。」
「なんだ。俺に出来ることか?」
「見ての通り、俺はこんな体だ。それにこの醜い顔では、本多の者どもに侮られる。」
「そんなことはない。本多の、、、」
「まあ、聞いてくれ。俺が嫌なんだ。落ちぶれても俺もサムライのはしくれだ。昔ほどとは言わなくても、刀ぐらいまともに扱えるようになってから、大多喜に行きたい。だから、これからも俺に稽古をつけてほしいんだ。頼む。」
 平沢は頭を下げた。
「それは構わぬが、お前はもう立派に刀を扱うまでになっているぞ。」
 長田の言葉はお世辞では無かった。長田は優れた剣士である。その長田が本気で打ち込んでも、不自由な体を精いっぱいに使う平沢に木刀を打ち付けることができなくなっていた。それほど、平沢の力は回復している。
「いや、まだまだだ。こんなことではいかんのだ。」
 平沢は今朝の稽古の時と同じことを言った。平沢は長田の顔をじいっと睨んだ。そして意を決したように言った。
「さっきは、刀ぐらいまともに扱いたいと言ったが、本当は違うんだ。相手を打ち負かす力を取り戻したい。頼む。俺を昔の様に強くしてほしい。相手に打ち勝つことができなくてもよい。せめて、互角に戦いたいんだ。」
「待て、嘉平。相手に打ち勝つ?互角に戦う?誰かと試合でもするのか?」
「そうだ。俺は二十年間、万喜でのサムライの暮らしを忘れて、山の住人になりきっていた。だが、お前に会ってから俺の眠っていたサムライの血が目覚めた。お前と互角に戦っていたころの気持ちがよみがえってきたんだ。俺は勝ちたい。だが、体の自由がきかん。だから、その試合で命を落としても良い。そうしないと、俺の気持ちに決着がつかんのだ。いや、ちがう。恨みでは無いんだ。何と言ったらいい。何と言ったらわかってもらえるか・・・・・」
 目が血走っている。言っていることが支離滅裂になりそうになってきた。平沢はすっかり興奮してしまっている。
「落ち着け。嘉平。誰と試合をすると言うんだ。」
 長田に言葉を遮られた平沢は一瞬、ぽかんと口を開けた。
「頼む。俺は強くなりたい。」
「だから、誰と試合をするのかと聞いているんだ。」
「ほ、、、、」
 平沢は言葉を切った。長田は緊張した。そして平沢は言葉を続けた。
「本多忠朝。」
「ばかな。」
 長田は顔そむけて立ち上がった。やはり、平沢は本多家に復讐をしようとしているのか。長田の予感が当たったと言うことか。
「正気とは思えん。」
「頼む。」
 ひれ伏す平沢を長田は見下ろした。
(こやつ、やはりそんなことを考えていたんだな。恨みは無いとは言っていたが、心の奥にはやはり復讐の気持ちが残っていたか。俺のせいだ。俺がその心をひきだしてしまったんだ。)
「頼む。」
 同じ言葉を繰り返し、顔をあげた平沢の目はうるみ、一筋の涙こぼれた。
(・・・ばかなことを。しかし、、こやつ本気か?)
 焼けただれた顔に血走った目から涙をこぼし、半開きの口がかすかにふるえる姿を見て、長田は背筋が寒くなった。(これはいかんな。)と思った長田は立ち上がると、右足でドスンと床を踏み付け、怒鳴りつけた。
「ふざけるな!わしは本多出雲守様の家臣、長田正成である!そのような頼みが聞けると思うか!」
 すると、平沢の口のふるえは止まり、その表情に落ち着きが戻ってきた。
「そう、、、だよな。ふう。・・・すまん。」
 長田はしゃがみ、その両手を平沢の方にかけ、ゆっくりゆすった。平沢は右手で目をこすった。
「いや。すまん。馬鹿な話だ。わかっているんだ。」

本多忠朝  天守/戦国画


 落ち着きを取り戻した平沢はこの春に長田が訪れてからの気持ちの変化を話し出した。
 長田が訪ねて来るまでは、この山で朽ち果てるのが自分の運命だと思っていた。それは、あきらめと言うことでは無かった。自然の時の流れに身を任せることで気持ちが落ち着いた。幸い、山の住民は体が不自由な自分に対して親切であり、老夫婦から教えてもらった炭焼きも性に合っていたようで、充実感を覚えた。はた目には良くわからないだろうが、平沢は平沢なりに今の暮らしを楽しんでいた。
 ところが、旧友が大男を従えて現れた時、平沢の心の奥に合った何かあふれ出してきた。長田が連れてきた大男は家来ではなかったが、長田の出世は羨ましかった。つまらなそうに聞いていたが、実は大多喜での暮らしには興味を覚えていた。しかし、自分は長田の様にはできないと思う。そこが性格の違いであろう。
 長田はどちらかと言うと楽観的で、万喜城での敗北についても大きな世の中の動きだとして受け止め、忘れ捨てたわけではないが、気持ちの整理をつけ、戦後、敵の大将である本多忠勝の人柄にひかれて本多家の家来になった。平沢はそうはいかない。誇り高い剣士であったが、万喜落城の時は一発の銃弾に倒れてしまった。敵と槍なり、剣なりを交えて戦うことが無かった平沢は戦で負けたと言う気がしなかった。
 過去のことを記憶から消し去ることはせずにうまく気持ちの整理をつけた長田とは違い、平沢は気持ちの整理がつかないまま敗戦の出来事を忘れようとした。そして、忘れた、、つもりでいた。ところが、、
 万喜で本多の新田開発が始まると言ううわさを聞いたときに、長田が訪ねてきて、本多に士官しろと言いだした。葛藤があった。懐かしい万喜で働けることは嬉しいが、本多に仕えることは実感のない敗北を認めることになるのではないか。それに、この醜い姿を人前にさらし、あざけりを受けることは耐えがたい。再び剣の修業を始めた時、忠朝と試合をし、本多家の人々に自分の力を認めさせたいと言うことでもやもやとした気持ちを解放させようと考えた。いや、考えたと言うよりも、無意識のうちに気持ちがその方向に向かい始めていたのであろう。二十年の歳月は平沢から恨みを消し去っていたが、誇りを奪うことはできなかった。
 このようなことを語り、
「笑ってくれ。俺はこのようなあさましい男だ。ああ、やはりお前には勝てんな。」
と、平沢は寂しそうに笑った。
「嘉平・・・・」
「そんな憐れむような顔をしないでくれ。俺はお前にまた会えて、再び剣を交えることを楽しんでいる。いや、散々な目に合っているから楽しいことは無いか、、」
「すまん。お前を置き去りにし、、、、もっと早く来ればよかった。」
「そんな顔をするな。仕方ないではないか。まあ、今までの話は忘れてくれ。ただ、、、」
 平沢は言葉を切った。
「ただ、なんだ。」
 平沢は少し考えてから言った。
「剣の稽古は続けてくれ。今は、大多喜になど行く気は無いが、もしも、万に一つも俺が、本多殿にお会いする時は土岐家の者の誇りを持っていきたい。それには強い力を持たねばならんと思う。だから、稽古は続けてくれ。」
 長田は腕を組み、瞑目した。平沢にそう言われても、これ以上剣の稽古を続けることが平沢のためになるのか不安になってきた。誇りを取り戻すために強くなりたいと言っているが、いざとなれば平沢は忠朝様に向かって刃(やいば)を向けるのではないか?
「頼む。同じ土岐家に仕え、命をかけてきた仲間ではないか。お前は心配しているようだが、迷惑をかけるようなことはしない。俺の誇りと、俺たちの友情のために。頼む。」
 そう言われた時、長田には不思議な感覚が芽生えてきた。それは自分でも考えもしないことだった。
「わかった。うん。いいだろう。」
 そして、長田は妙な笑いを浮かべた。それは伊三が言う「組頭のやさしげな微笑み」では無く、薄気味悪い何かをたくらんでいるような笑い方だった。
「本多の奴らにひと泡ふかせてやるか。」
「何?」

「わかったぞ。嘉平。俺も土岐家のサムライのはしくれだ。お前の言う通りかもしれん。俺たちで土岐家の心意気を見せつけてやろうではないか。」

「長田、、、それは、、、」
「うん。土岐家が本多家に負けたのは、もう二十年も昔のことだ。今、戦えばどちらが勝つかはわからんぞ。俺とお前で本多と戦ってみようではないか。そうだ、やってみなければわからん。うん、うん。」
「よ、よいのか。」
「いや、勘違いするなよ。謀反を起こすつもりなどはない。ただ、俺たち土岐家の生き残りの力を示してみたいんだ。お前の話を聞いていて、そう思った。忠朝様のもとで働きながらも、旧土岐家の者たちはさすがなものだと思わしめたい。」
 長田の瞳に力がこもった。平沢の目も輝き始めた。
「嘉平。な、そう思わんか。俺の気持ち、分かってもらえるか。」
「よし。やってみよう。長田、それにはもっと稽古をつまなくてはな。」
「そうだな。明日は帰るが、その前に、、、」
「稽古だな。」
「稽古だ。明日は今まで以上に厳しく鍛えてやる。今日はもう休もう。」
「よろしく頼む。」
 そんな二人の会話を小屋の外で黒い影がじっと聞き耳を立てている。その影はしばらく様子をうかがっていたが、小屋の中は静かになり、そのうちに寝息が聞こえてきた。どうやら長田と平沢は眠りについたようだ。


(これは面白いことになってきたぞ。)


 ひやりと笑ったこの男、服部半蔵の命令で大多喜にやってきた伊賀の源七である。
 源七は足音も立てずに小屋を離れると、渓谷の方に下りて行った。
 翌朝、長田と平沢は粟又の滝の河原でいつもどおり稽古を始めた。しかし、いつもとは少々様子が違った。長田は木刀を構えたままじっと動かない。平沢は長田の構えをじっと見つめていたが、意を決して、
「だああ!」
と踏み込み長田の胴を狙った。その一撃を長田は木刀をすくい上げるようにして打ち払うと、平沢はふらふらと長田の横に倒れた。倒れた平沢の方を向き木刀を構えなおしたが、長田は攻撃をしない。平沢は立ち上がり再び長田に打ち込んできた。平沢が打ち込み、長田がその攻撃をかわす。平沢は倒れては起き上がり、長田を再び攻撃をする。その繰り返しだ。
 今までの稽古では長田が打ち込み平沢が防御することの繰り返しだったが、今日はその逆だ。何度めの攻撃の時だろう、長田に木刀をはじき返され、倒れざまに片手で振りぬいた平沢の木刀が長田の脇腹をかすめた。仰向けに倒れた平沢の顔に笑みが浮かんだ。それを見下ろす長田も笑った。
「嘉平。やったな。」
「ああ、やったぞ。」
 この時、再び稽古を始めてから平沢は初めて長田から一本を勝ち取ったのである。
(これから、嘉平はますますよくなるだろう。)

 続く


小説 本多忠朝と伊三 33

2011年10月17日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説です   

第2部  忠朝と伊三 33

 

「忠朝と伊三」これまでのお話

第1部          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

第2部 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32  

番外編 小松姫の嫁入り(前)  小松姫の嫁入り(後)

「うおぉぉぉ。」
「だあぁぁぁ。」
 朝日に輝く粟又の渓谷で長田正成と平沢嘉平が木刀を打ち合わせている。
 片足を引きずりながら、平沢は長田に押しまくられていた。足が不自由な平沢に対して長田は容赦をしなかった。平沢は長田の打ち込みを払いのけるのに精一杯である。
「でえい!」
 ふらつく平沢に長田は渾身の一撃を与えた。
「ぐっ。」
 その打ち込みを木刀で受け止めたが、足元がふらつく平沢は尻もちをついた。
「だあああ。」
 ふりあげられた長田の木刀が平沢の頭上でぴたりと止まった。その切っ先を平沢は睨み据え、長田も平沢の顔を睨みつけ、時が止まったように二人はピクリとも動かない。長田のあごから、ぽたり、ぽたりと汗が落ちている。
 静かだ。ざああと滝の音が聞こえるだけであった。
 どれだけの時がたったか、厳しい表情の長田の表情が和らぎ、尻もちをついた平沢に手を差し伸べ、その手を取り、平沢がゆっくりと立ち上がった。
「嘉平、だいぶ力が戻ってきたようだな。」
「何を言う。まだまだだ。稽古を始めてから、まだ一度もお前に打ち込むことができん。」
「いやいや。ひと月前に比べれば、格段と腕をあげた。俺の打ち込みを受ける木刀に気合が感じられるようになった。」
 この春先に粟又にいる平沢が訪ねて以来、度々長田はこの旧友を訪ねている。平沢が忠朝へ奉公するように説得することがその訪問の目的であった。
 中根忠古に粟又に住み暮らす平沢の事を報告したとき、中根は興味を示した様子も無かったので、長田も少々がっかりしたが、その翌日、中根は長田の長屋を訪ね、平沢を大多喜に連れて来るようにと命じた。
「それでは、殿様は平沢をお召し抱えになるおつもりで。」
 長田が訊ねると、
「さてな。とにかく一度そやつを大多喜に連れてまいれ。」
と言って長屋から去って行った。

 平沢は長田の再訪を喜んだ。表情は無愛想だがよくしゃべる。
(こいつはこんなにおしゃべりな奴では無かったはず。)
 もともと平沢は無口なほうで、万喜落城後、大けがを負い粟又で老夫婦の世話を受けていたが、老夫婦が亡くなってから二十年近く一人で炭焼きをしてきたことを寂しいとも辛いとも思ったことは無かった。近在に住む者も少なく、三か月も人に会わないことも珍しくは無かった。人づきあいがあまりうまくなかった平沢は万喜城の戦いで傷を負ってから、ますます人を避けるようになった。
 まあ、人の少ない山奥では無理に他人と顔を合わせる必要もないので、平沢には返って住みよかったのかもしれない。
 それでも山の住民は平沢には好ましい感情を抱いていた。世話をしてくれた老夫婦から炭焼きを教えてもらい、二人が亡くなった後も炭焼きの仕事を続け、できた炭は数少ない知り合いに分け与えてきた。顔に大きなやけどの痕がある平沢をはじめは気味悪がっていた山の住民も、その風貌に似合わない礼儀正しさと、ひたむきに炭を焼き、その貴重な炭を配り歩くので、
「あんな不自由な体で、なかなかできることではない。」
と徐々に評判がよくなり、
「なんでも、昔は偉いお侍さんだったそうだ。戦の時に本多様と一騎打ちをして、足をやられ、火の中に取り残された仲間を助けようとして、大やけどを負ったそうだ。」
と言ううわさまでたつようになった。それを聞いた平沢は、
(足を撃たれ、気絶していてやけどを負っただけなのになあ。)
と、どこからそんな話になってしまったのか、おかしくて仕方がなかった。
 炭のお礼にと近在の人々が野菜や魚、時には猪の肉などを持ってきてくれるので、平沢はこの山奥でも生活には困らなかった。
 言葉少なく、静かに暮らす平沢が長田を相手に思い出話や山の暮らしをぺらぺらと話す姿を見たら、近在の人々は「まるで別人のようだ。」と目を見張ることだろう。
 朝の稽古を済ませ、二人は平沢が住む小屋に戻った。朝めしを食べながら、平沢はぽつりとつぶやいた。
「こんなことではいかん。」
 その言葉を聞いた長田は、さっきの稽古のことを言っているのか、山の暮らしのことを言っているのか判断がつかなかった。
「どういう意味だ?山の暮らしが嫌なのか?それなら大多喜に来たらどうだ。」
「暮らしのことではない。稽古の事だ。」
 ふっと長田は微笑み、
「そう悲観することもない。長年剣を持たなかったのだ。この短期間であれだけの力が戻ってきたことは大したものだ。やはり、若いころの修行がまだ生きている。年を取れば力は衰えるが、一度体にしみ込んだ技はそう簡単には消えないものだ。お前を見ているとそう思う。」
と、平沢をなぐさめた。
 二十数年前、まだ二人が土岐家に仕えていたころ、長田と平沢は剣術の好敵手であった。当時、万喜城では剣術が盛んであった。実際の戦場では個人の技よりも集団の戦闘が力を発揮するため、集団の戦闘訓練が繰り返されることは当然ながら、土岐家では特に個人の剣の技を磨くことにも力を入れていた。
 今は将軍徳川秀忠の剣術師範となっている小野派一刀流の開祖、小野忠明もそのころは土岐家に仕えていた。武者修行の旅をしていた伊東一刀斉が万喜を訪れたのもそのころだった。小野忠明はじめ、長田や平沢の様に腕に自信のある下士達まで一刀斉から剣術の指南を受けた。一刀斉が万喜から旅立つ時、小野忠明は弟子となり一刀斉と共に旅に出てしまったが、長田と平沢は万喜に残り、その教えを守りながら、稽古に励んだ。その後、本多忠勝の城攻めに遭い、現在に至るのはすでに語った通りだ。
 一刀斉と忠明には比べ物にはならないが、当時の長田と平沢は下士の仲間うちではその実力は群を抜き、二人が木刀を持って立ち会えば互角であった。いや、実のところは三対二の割合でわずかに平沢の方が優位であったが、稽古で勝ち越されて悔しがる長田に、
「本当にどちらが強いかは、真剣で戦ってみなけりゃわかるめえ。」
と、言って平沢は長田の力を決して侮ってはいなかった。切磋琢磨し、互いに「あいつにだけは負けたくはない。」と思っていたが、その仲は親密であった。
 しかし、平沢は万喜での敗戦以来、剣を握ることは無く、満身創痍、気持ちがなえ、山奥で静かに暮らしてきた一方、敗戦後本多家に仕えた長田は身分は低いながら新しい町づくりという充実した仕事をしながら、朝の稽古を欠かさなかった。無口な平沢と陽気な長田は、その性格のままの両極の環境に置かれ、剣術の力に差が開いてしまったのは仕方ないと言えよう。

  

「なぐさめはいらん。せめて、五本に一本でもお前に勝つ力が無くては、話にもならん。こんなことではだめなんだ。」
 平沢は粥の入った椀を床に置き、長田に背を向けて頭を抱えた。
「平沢、どうした?何が、だめなんだ。長い事、稽古をしてこないのに、これだけが感が戻ってきたのは大したもんだ。ゆっくりとやっていこうではないか。なあ。」
 平沢は頭を抱えたまま返事をしない。長田は嫌な予感がした。
(誰かと果たしあいでもするつもりか。まさか、、、)
 平沢が長田に稽古をつけてくれと言いだした時は、昔を懐かしんでのことと思っていたが、なにか考えがあるらしい。長田は平沢の考えがわかったような気がしたが、その本心を平沢の口から聞くことを恐れた。
「おい、炭焼きは夏になっても続けるのか?」
 重い空気を吹き払うように長田は突然と話題を変えた。
「くそ暑いのに、良くやるのう。そんなに炭焼きが楽しいか。」
「楽しいとか、楽しくないとかではねえ。俺はじじばばの恩に報いるために炭を焼いているんだ。」
 背をむけたまま平沢が答えると、長田はうっすら笑った。
「今日もやるんだろう。ちょっと俺にも手伝わせろ。」
「何言うんだ。本多のお侍さんにそんなことさせられるか。」
 平沢が振り向いて長田の笑顔に気付くと、にやりと微笑みを返し、
「そうだ。炭焼きは楽しいさ。俺の楽しみを横取りしようったって、そうはいかねえ。」
と言った。
「なあ、いいじゃねえか。ちょっとだけやらせろ。」
「いやだ。」
「頼むよ。」
 平沢は体ごと長田の方を向くと腕を組み目をつぶった。
「うううん、、、、、、やっぱり駄目だ。」
「そんなこと言わずに、なあ、ほんの少し手伝うだけだ。」
「しょうがねえな。稽古をつけてくれた礼だ。でも、少しだけだぞ。」
「そいつはうれしい。ありがとな。」
 長田は平沢の肩をぽんと軽く叩いた。
 炭焼き小屋に行き、長田は炭のもとになる木を斧で割った。さすがに火の加減や窯の中の木の組方は手を出さなかったが、この旧友とこんな仕事をするのが、長田には本当に楽しく感じられてきた。
 どれだけの時間が経ったのか、すっかり日は天の中央にかかっている。
「平沢、あまり考え込まずに、ゆっくりとやろうや。お前が大多喜に来てくれるまで、何度でも来る。」
「ああ、何度でも来い。でも、俺はいかねえぞ。」
「そうか、そうか。」
 長田は平沢は自分が訪ねてくることを楽しみにして、大多喜行きを断り続けているのだろうと感じたが、(まあ、それもよかろう。)と思った。
「今日はもう帰る。次に来たときはお前を引きずってでも大多喜に連れて行くからな。」
 平沢は答えない。
「それではな。」
と、長田が背を向けると、
「もう一晩泊って行かんか。」
と、平沢が長田の背に声をかけた。
「頼みたいことがある。」
「なんだ?」
「それは、今晩話す。」
 長田はもう一晩粟又にとどまることにした。
 その夜、平沢は驚くべき決意を長田に告げた。いや、それは長田がうすうすと気づいていたことではあったが、、

続く

*画像はtassさんよりお借りしています。


小松の嫁入り(後編) (本多忠勝公を大河ドラマにしたい)

2011年09月26日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

 昨夜に続き、秋の夜長に贈る物語(後編)です。

本多家と深いかかわりを持つことになる真田信幸 (1566~1658)は、昌幸の長男。幸村の兄です。

参考にどうぞ: 真田氏の館  真田太平記

下の動画は「真田太平記・本多忠勝の遺言」です。真田信幸と本多忠勝の関係がわかります。

 

小松の嫁入り (後編)

 稲姫の執拗な視線を受け止めて微笑む信幸が静かに口を開いた。
「姫様、この信幸、いかがでござろう。」
 稲姫はその言葉が聞こえているのかいないのか、じろじろ信幸の顔を眺めまわすだけである。
「姫、聞こえていますか。」
 信幸の問いかけに、稲姫は右手で信幸の顔に触れようとした。その時、
「無礼であろう。」
信幸は微笑みが止まり、厳しい顔つきで一喝し、その右手をぴしりと払いのけた。
 稲姫の胸に衝撃が走った。今までに、彼女に対してこの様に強い態度を示した男はいない。稲姫に見つめられると、その父本多忠勝が同席していることもあり、ほとんどの男は視線をそらしてうつむいてしまう。しかし、真田信幸は稲姫が差し出した右手をはらいのけ、
「このような無礼な振る舞い、本多殿の姫とも思われぬ。」
と、静かながらも威圧的な声で言い、稲姫をぐっと睨みつけた。
 その声を聞くと稲姫は、
「試合をしてください。」
と言った。
「ふっ。」
 信幸は短く笑った。
「姫様、正気の事とは思われません。」
「お願い致します。是非とも、試合を。」
 稲姫の言葉を聞くと忠勝は、「おや?」と稲姫の後ろ姿を見た。
(こやつ、信幸殿を見染めたか?)
 試合がしたいと言うことは、稲姫はその男が気にいったと言うことである。ではあるが、自分より強い男でないと満足できないと言う傲慢な心も持っていると言うことだ。
 忠勝は信幸が試合に勝ち、稲姫が真田に嫁ぐことを期待した。家康もが称賛する真田家へ我が娘が嫁ぐことは忠勝にとっては願っても無いことだ。しかし、信幸は意外なことを稲姫に問いかけてきた。
「姫は戦場にでたことがあるか?」
 稲姫は答えた。
「いいえ。」
「では、命のやり取りをしたことは?」
「いいえ。」
 信幸はすさまじい形相で続けた。
「戦場に出たこともなく、真剣の命をやり取りもしたことがない小娘が、この真田信幸に試合を請うとは片腹痛い。我は信州の片田舎に住む者なれど、誇りを持ったさむらいである。おなごと試合などをすると思うか。悪ふざけは言い加減にせよ。」
 稲姫は顔を真っ赤に紅潮させ、立ち上がると、片足でドンと床を踏み付け、客間から走り去った。稲姫が部屋を飛び出すと、信幸は忠勝に深く頭を下げ、
「ご無礼をいたしました。誠に、誠に申し訳ありません。あのような僭越な言葉、なにとぞお許しください。」
と、心から詫びたが、その態度は決して卑屈なところは無く、むしろ堂々たるものだった。
「いやいや、面をあげられよ。よくぞ、申して下された。忠勝、ますます信幸殿が好きになりもうした。」
 忠勝は昌幸に向かい、
「いかがであろう、真田殿。あのようなできの悪い娘であるが、信幸殿の嫁にもうろうてはくださらぬか。」
と言った。
「ほっ、ほほほ。これは面白い事を申される。信幸の言いよう、あれでは姫様も信幸の事をお嫌いになられたであろうよ。」
 昌幸が答えると、忠勝は首を横に振った。
「いやいや、娘も信幸殿を気にいったようである。是非とも、な、信幸殿、娘をお頼み申す。」
 信幸は思わず頭を下げて、
「願っても無いことでございます。」
と答えた。昌幸は驚いて信幸を見た。
(あのような、じゃじゃ馬が真田の嫁に?こ奴本気か?)
 昌幸は思わず渋い顔になったが、忠勝は手を叩き、満面に喜びの表情を浮かべた。
「これで、決まりだ。いや、うれしい。このようにうれしいことになるとは思うてもみなかった。めでたい、めでたい。」

 その夜。忠勝は稲姫を自分の居室に呼び出した。稲姫はすっかりとしょげていた。
「稲よ、やっとお前にふさわしい男が現れたのう。」
「なにを、あのような無礼な男。父上以外で私に怒鳴りつけた男は初めてです。ああ、思い出しただけでも悔しい。」
 忠勝はにたりと笑い、稲の肩をに右手でぽんぽんと叩くと、
「うれしそうな顔をして、何を言うやら。お前の嫁ぎ先は真田と決まった。」
と言った。
「嫌でございます。」
 稲姫の言葉に押しかぶせるように、
「いい加減にせよ。決めたことじゃ。真田と縁を結ぶ事は徳川にとっても重要なことであり、殿様からもきつく言われている。お前一人の我がままが通じると思うか。」
と怒鳴りつけた。
「私は嫌です。嫁ぎ先は自分で決めたい。他人が決めた嫁ぎ先など嫌でございます。」
「わかっておる。で、あるから今日、信幸殿に会わせたではないか。」
「ですから、あのような無礼な男は嫌だと言っているのです。」
「そうかな?」
「そうです。」
 父と娘はしばらく、見つめあっていた。どれほどの時間が過ぎたか。
「嫌でございます。」
 稲姫が繰り返すと、
「わかった。では、殿様に詫びを入れなければならん。真田との縁組は失敗したと。」
と忠勝は立ち上がろうとした。
「今から?」
「今からだ。」
 忠勝は立ち上がり、部屋を出ようとしたところ、
「お待ちください。」
と稲姫が呼びとめた。
「真田様との縁組が失敗したとなると父上は、、、、」
 忠勝は黙って、右手を腹にあて、ゆっくりと横に動かした。
「仕方ありません。真田様との縁組、お受けします。」
 稲姫は両手をついて頭を下げた。
「良いのだな。」
「はい。」
 顔をあげた稲姫の口角がわずかに上がり、頬が赤く染まったのを忠勝は見逃さなかった。
(ほれたら、ほれたと、素直になればよいものを。ひねくれものめが。)

イラストは福田さんの新作:http://sengoku-gallery.com/ 

 

 こうして、真田信幸と稲姫と縁組が決まり、稲姫は徳川家康の養女として嫁ぐことになった。
 稲姫が真田に嫁いることを聞くと忠朝は稲姫のもとに行き、
「姉上は、嫁にいくの。」
と寂しそうにした。
「そうよ。どうしたの、そんな寂しそうな顔をしないでおくれ。」
「もう、あえなくなるの。もうあそべないの。」
「忠政がいるでしょう。これからは兄上と仲良くして、お前が父上と母上を守って行くのですよ。」
 稲姫に父と母を守れと言われ、忠朝は泣きそうな顔をした。
「はい。忠朝は姉上の様に強くなります。でも、でも、、、」
「でも、なあに?」
「兄上と遊ぶのはつまらない。」
 稲姫は忠朝を抱きしめた。
「そのような事を言うものではありません。」
 そう言いながら、稲姫はおとなしい忠政の顔を思い浮かべた。

 真田家の人となった稲姫は、小松の方と呼ばれ、信幸の家臣からも慕われ、徳川と真田の間を結ぶ重要な役割を果たすこととなる。
 もちろん、夫婦仲は良く、激動の戦国の世をきびしいながらも幸せな人生を送ったと言う。  

 完

おまけLOVE真田太平記ではこうです。 こちらは、はっきりと惚れていますね 

 

連載中の小説:忠朝と伊三 

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番外編 小松姫の嫁入り(前)


小松の嫁入り(前編) (本多忠勝公を大河ドラマにしたい)

2011年09月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

 本多忠勝の長女、忠朝の姉、後に徳川家康の養女となり、

真田幸村が義理の弟となる小松姫(1573年~1620年)のお話です。 

著者は、市川市在住の福富正樹さんです。

イラストは福田さん作:http://sengoku-gallery.com/ 

『本多忠勝公をNHK大河ドラマにしよう☆勝手に応援団』の皆様は、小説やイラスト、人形で盛り上げてくださっています。 

一人でも多くの方に親しんでいただけたら嬉しいです。

 

小松の嫁入り (前編)

「これ、降りておいで。危ないじゃないか。どうした、どうした、泣くんじゃない。男だろう。」
 少女がその屋敷の庭の木の上に向かって叫んでいる。木の上には四歳ぐらいの男の子が枝にまたがり、幹にしがみついて泣いている。
「姉上ええ、こわいよう。」
 男の子は右手で木の幹にしがみつき、木の下から自分を見上げる少女に向かって左手を差し出し、手の平を握ったり開いたりしている。
「自分で登ったんだ。自分で降りてきな。」
 しかし男の子は口をへの字にして首を振るだけであった。
 ここは徳川家康の家臣、四天王の一人と言われた本多忠勝の屋敷の庭である。木の上の男の子は後に上総大多喜城二代目城主となる本多忠朝、それを見上げる少女はその姉である稲姫だ。
 木の上で泣き叫ぶ弟を見上げながら稲姫が途方に暮れていると、二人の父親が屋敷の中から庭に下りてきた。本多忠勝である。
「があはは、また木のぼりか。それにしても、あいつは泣くために木に登るようなもんだな。どうしてかのう。自分降りてこられないのがわかっているのに、どうして登るのかのう。なあ、稲よう?」
「知りません。忠朝に聞いてください。それより、早く助けて下さい。落ちて怪我でもしたら大変です。」
「なああんに、サムライの子供が怪我を恐れてどうする。」
「また、そのようなことを。まだ小さな子供ですよ。」
「ふうん。小さな子供が木に止まって泣いている。まるで蝉のようじゃな。」
「父上!」
「わかった、わかった。おう、忠政。ちょうど良かった。その梯子を持ってこい。」
 騒ぎを聞きつけてやってきたのは忠勝の長男忠政である。父に言いつけられ、忠政は庭の隅にたてかけてあった梯子を引きずるようにして持ってきた。
「懲りないやつだ。父上、戒めにほうっておいた方が良いのではありませんか?」
「そうはいくまい。」
 忠勝はにやにやしながら、梯子を木にたてかけ登り始めた。小さな男であるからそれほど高く登ったわけではない。忠勝はあっという間に忠朝の体をつかみ、梯子を降りようとした。その時である。
 忠朝同様に他の木に止まって鳴いていた蝉が飛んできて、忠朝の肩に止まった。驚いた忠朝がその蝉を振り払おうとした時、姿勢を崩した忠勝は忠朝を抱きながら梯子と共に地面に倒れた。地面にたたきつけられる瞬間、忠勝は体をひねり背中から落ちた。
 仰向けに倒れた忠勝の腹の上には忠朝が目をつぶりしがみついている。それは一瞬の出来事であったが、我が子を守ろうとする親の本能が働いたのであろう。
「くう、、」
 忠勝は背中の痛みに顔をゆがめながらたちあがると肩腕に抱いた我が子のほほをつまみ上げ、
「ぼうず、今度は自分で降りろよ。」
と言った。
「いててて、、、」
と、顔をゆがめる忠朝をみて稲姫は思わず微笑んだ。
 忠政はそんな三人の様子をじっと見ていたが、何も言わずに屋敷の中に消えて行った。

 

     

       忠朝と母・お久       忠勝と小松の母・乙女 

 稲姫、忠政、忠朝の三人は忠勝の実子ではあるが母親は違う。忠政と忠朝の母は正室のお久であるが、稲姫の母は側室の乙女である。乙女は松平家の家臣松平弥一の娘であり、忠勝とは幼馴染だったと言う。正式に結婚したわけではないが、実質的な夫婦であり、最初の子供稲姫が生まれた。その後、徳川家康の媒酌で正室として嫁いできたのが阿知和右衛門玄銕の娘、お久である。
 忠勝はこの三人の子供の他に四人の娘があり、それぞれが大名の家に嫁いで行った。つまり、忠勝には七人の子供がいたが、後の世にかたりつがれていったのは、稲姫、忠政、忠朝の三人で、そしてこの、短い物語の主人公は後に真田信之の正室小松の方となる稲姫である。

 本多忠勝は悩んでいた。それは娘、稲の嫁入りについてであった。当時のさむらいの家の結婚と言うのは親が決めた相手に嫁ぐと言うことが多く、現代の様に結婚する当事者の気持ちを重く考えることは少なかったようだ。親の決めた相手と結婚すると言うと現代でいう見合い結婚と考えがちだが、結婚前に夫婦となる二人が事前に会うと言うことは無かった。
 ある大名の息子が婚儀の前に相手の顔が見たいと、他国からやってきた新妻の部屋を訪れようとした時に、
「婚儀の前にお会いするとは、はしたない。」
と、待女に追い返されたと言う話も残っている。婚儀の席で夫婦となる二人が初めて顔を合わせることも多かったようだ。現代の我々の感覚では信じがたいことではあるが、当時の習慣になれた人々の間では、
「それが当然。」
と言うことだったのであろう。こんな話がある。
 ある有力大名のあまり美しくはない姫が嫁いだ時に、婚儀の席で初めて顔を合わせた新郎がその姿を見て思わず顔をしかめてしまった。婚儀の後、新郎と二人になったこの新妻が、
「殿様、私のことがお嫌いであれば側室をお持ちください。お世継ぎがその側室から生まれても恨みには思いません。それでも私は正室としての務めは果たすつもりでございますので、なにとぞ、よろしくお願い致します。」
と言った。新郎は怪訝な顔をしたが、
「なれない土地へ来てつかれたであろう。今日は遠慮せずにゆっくり休みが良い。」
と、言いさっさと眠ってしまった。ああ、やはり自分は醜いから相手にされていないのだと思ったが、翌年には嫡男が生まれ、この夫は生涯側室を持つことは無かった。結婚後に二人の気持ちがぴたりと合った事はこの二人にとっては幸せなことであったろう。もちろん、自分の意思に反した結婚で生涯仲が悪かった不幸な例も多かったようではあるが。
 下々の者はいざ知らず、公家や武家の結婚とはそういうものであったが、
「私は嫁ぐ相手は自分より強い人で無いと嫌でございます。」
と、稲姫は宣言していた。
 徳川四天王の一人の本多忠勝の娘である。是非我が息子の妻にと言う申し出も多かったが、そのたびに、
「私がこの目で確かめたい。」
と、今で言うところの見合いの席が設けられた。徳川家の家臣の子息と何度も見合いをしたが、稲姫の目には誰もが物足りなく、ひ弱に見えた。そんなあるとき、
「是非、私の妻に。」
と、堂々たる風貌の若者が現れた。稲姫は「この人ならば。」と期待をしたが、父の忠勝もが驚くことを言いだした。
「私と試合をして、私に勝てば嫁ぎます。」
 何を小娘がと若者は思ったが、稲姫と対峙した時、相手が若い女であると言うことで遠慮があった。意識的に手を抜いたわけでは無かろうが、隙が生じた。若者は試合に負けてしまった。
 稲姫が試合に勝った瞬間、
「やれやれ。」
と、忠勝は頭を抱えてしまった。

 天正十七年。嫁ぎ先が決まらぬまま、稲姫は十八歳になった。当時の十八歳といえばよほどの事が無い限り、嫁ぎ先が決まっているものである。
 その日、稲姫は母親の乙女と裁縫の仕事をしていた。前述の話では稲姫は男勝りのおてんば娘という印象があるが、裁縫や料理などの家事仕事もきっちりとやっている。父や弟の着物を縫うことも楽しみの一つであった。母親と妹とおしゃべりをしながらの手仕事は楽しい。楽しいが、
「稲、良い加減に嫁に行く気なったらどうです。」
と、母親に言いだすと「またか」とうんざりしてしまった。
(私だって良い人がいれば嫁に行きたい。)
と稲姫が思った時、だれかが廊下をバタバタと奔ってくる音がした。
「姉上、お仕事はまだ終わらないの。」
 女たちの仕事場に顔を出したのは忠朝であった。
「ちょうど、今、終わったところ。」
「じゃあ、遊ぼう。」
 仕事はまだ終わっていなかったが、忠朝が遊びたがっているのを口実に母親の小言から逃げようということだ。
「これ、待ちなさい。」
 乙女の呼ぶ声には答えずに、稲姫は道具をさっさと片付けて、忠朝と手をつなぎ、部屋を飛び出して行った。

「えい。」
「たあ。」
 稲姫と忠朝は屋敷の庭で木刀を持って剣術遊びを始めた。忠朝にとって大好きな姉と木刀で打ち合うことが何よりも楽しい遊びであった。そんな二人の姿を眺めながら、本多忠勝は二人の男を伴って客間に続く廊下を歩いていた。
「さすが、四天王の本多殿の家じゃ。娘ごとあのように幼い子供までが剣術の稽古に励んでいるとは。」
 忠勝に話しかけた小柄の中年のさむらいは信州上田城主の真田昌幸である。もう一人の昌幸より一回り大きな若い男はその息子の真田信幸であった。
「いや、いや、剣術などと。真田殿の目から見ればままごとの様に見えましょう。」
「なにを、ご謙遜を。先が楽しみではありませんか。」
 忠勝は「いやいや。」と片手を振りながらも、うれしそうに真田親子を客間へと誘い入れた。
「姉上、どなたでしょう?」
 障子が開け放たれた客間で談笑する三人を見ながら、忠朝が稲姫に聞いた。
「そうねえ、見たことない人たちね。ちょっと様子を見に行きましょうか。」
 稲姫と忠朝は剣術遊びを止めて、客間からは見えないように庭の隅を歩きながら客間へと近づいて行った。
「それにしても、上田の合戦では我らは相当苦しめられましたな。殿もたかが信州の小城ひとつ、あいや失礼、真田殿を攻めるにあたっては、勝利を確信しておりましたが、さすがは信玄公のもとで働かれた真田殿と、舌を巻いておりました。」
 本多忠勝が真田親子を褒めると真田昌幸はにやにやしながら答えた。
「いや、なになに、我らはまさに小国の弱輩もの、東海の雄である徳川殿相手に必死でありました。それに、、、」
「それに?」
「本多殿が出陣されていれば、我らが勝てたかどうか。」
 四年前の天正十三年、徳川軍は真田家の本拠である上田を攻撃した。その時の徳川家の司令官は鳥居元忠らであり、本多忠勝は出陣しなかった。忠勝の言うとおり、徳川家康は上田城を落とすことは楽勝と考えていたが、徳川軍は地の利を生かした昌幸、信幸親子の陽動作戦に翻弄され、大打撃を受けてほうほうの体で浜松に帰ってきた。当時は織田信長が本能寺で果て、武将たちの勢力再編が進められ、どうやら豊臣秀吉と徳川家康の二大勢力にまとめられようと言うところであった。信州の小大名である真田親子の戦の進め方のあざやかさに、彼らに対する家康の見方は返ってこう評価となったとのこと。豊臣秀吉の仲介によって、両家は和睦をした。上田合戦の周辺を語るだけでも一つの物語になってしまうが、このお話の主人公は稲姫である。このあたりでやめておこう。
 両家の和睦がなったと言うことで真田親子は浜松の家康のもとを訪れ、
「これを機会に是非とも本多忠勝殿とお近づきになりたい。」
と言う昌幸の願いで、本多邸に招かれたと言うわけだ。しかし、この日信幸の生涯が決定的なものとなると当の本人は思ってもいなかったろう。
 過去に戦った相手とは言え、戦国の武将である。和睦がなされれば、お互いを尊敬しあい合戦話に花が咲くと言うこともある。戦のことであるから血なまぐさい話ではあるが、三人は和やかに談笑していた。
「さて、かわいらしい剣士の稽古も終わったようですな。」
 話が一区切りついたところで信幸が言った。そう言えば、話に夢中で稲姫と忠朝が庭からいなくなっていたことに三人は気付かなかった。客間の廊下がわずかにきしむの聞いて、
「これ、そこにいるのは稲であろう。ちょうど良かった。入りなさい。」
忠勝が廊下に向かって呼びかけた。稲姫が部屋に入ってきて、忠勝の横に座った。
「長女の稲でござる。」
 忠勝に紹介されると稲は首を少し動かした。会釈をしたつもりであったのであろう。
「これ、この通り無作法もので困ります。女のくせにいつもああやって、弟相手に剣術のまねごとばかりのじゃじゃ馬でござるよ。今まで何度か家中の男と試合をしましたが、負けたことがなくのう。いやいや、さてさて、お恥ずかしい。女にしておくのがもったいない。男であればとっくに初陣を済ませているものを。何とも残念な・・・・」
と、困っているのか、自慢なのか良くわからない忠勝の紹介の仕方に昌幸は微笑み、
「真田昌幸でござる。これは長男の信幸。」
と信幸を紹介した。
「真田信幸でござる。よろしくお頼み申す。」
 胡坐の両膝に手を当て、信幸は頭を下げたが、稲姫は、
「稲でございます。」
と言って、頭も下げずに信幸をじっと見つめた。そして膝をすり、首をのばし右から左からと信幸の顔をなめるように観察を始めた。
(やれやれ、また始まった。)
 本多忠勝は暗い表情となり、
「ほ、ほほ。これはこれは、誠に、どうも。」
真田昌幸は妙な笑い方をしたが、信幸は人懐っこい微笑みで稲姫の視線を受け止めている。

後編に続く・・・お楽しみに

 

こちらは、大多喜町観光本陣の小松姫像。いすみ市在住の奥村さんの作品です。

 

連載中の小説:忠朝と伊三 

第1部          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

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小説 本多忠朝と伊三 32

2011年09月14日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説です   

 第2部  忠朝と伊三 32

 これまでのお話 

第1部          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

第2部 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31

徳川家康 (「本多忠勝をNHK大河ドラマに」応援団・福田彰宏様作品)

 

 

 その夜。
 家康は本多正純とふたり、酒を酌み交わしていた。
「上野よ、秀頼が事、どう思った。」
「立派にご成長なされ、実にめでたい事と思われました。」
「そうおもうか。わしにはどうもつかみどころがないような男に思えた。阿呆なのか、それとも能ある鷹は爪をかくすか、な。」
「いづれにしても、会見は滞りなく済み、これからは徳川と豊臣の間もうまくいきましょう。」
「正純。」
「は?」
「本当にそう思うか。本当にうまくいくと思うか。」
 正純は飲みかけた杯を置き、少し思案すると、ひと膝家康にすり寄り、
「では、本音を申し上げます。」
と言った。正純の感想はこうであった。
 秀頼の人物については、正直良くわからなかったが、大器の素質はあると見ている。阿呆なのではなく、物を知らないだけだと思う。大坂城という宮殿に淀の方と一部のあまり優秀でない家臣と共に暮らしているので、外の世界を知らずに成長してしまったのが秀頼の不幸であり、それなりの人物に教育され、見聞を広めれば立派な大名になる可能性もある。今日、この目で見たとおり、京でも人気があるようなので、西国を無難に治めることもそう難しくはないだろう。
 しかし、危険である。秀頼自身が危険なのではない。秀頼を取り巻く環境が危険だと正純は言う。仮に秀頼が人望ある武将になれば、今はしぶしぶ徳川についている旧豊臣系の大名たちがどのように行動するか。今日の加藤清正の態度、病と言い大坂に残り京阪の道を押さえている福島正則。今は高野山に蟄居している真田昌幸信繁親子も何をしでかすかわからない。
「なるほどのう。それでは秀頼は阿呆のまま、大坂でのほほんとしていれば良いのだな。」
 家康がにやにやと正純の顔を見つめた。
「今や、それはなりますまい。今まではその姿を大坂城の奥に隠していましたが、今日は民衆の前に堂々と現れてしまいました。」
 秀頼を大坂に引きずり出したことは返って良くなかったといわんばかりの正純である。
「それが本音か。では、どうする。」
「はい。まずは淀の方、大坂に潜む妖怪どもから引き離し、陸奥あたりに国替をして、豊臣の力を、、、」
 そこで家康は正純の言葉を一言でさえぎった。
「あまい。」
 正純は緊張した。その緊張した正純の顔から視線をはずした家康はこう言った。
「つぶさねばなるまい。」
 ついに家康は心の奥に潜んでいた本音を口にしたのである。
 今まで家康は、なんとか豊臣家が徳川家に臣従させ、一大名として存続するように苦心しているように思えた。
 豊臣の家族も同然と言える正則や清正、高台院でさえ豊臣家が生き延びるには徳川に臣従するしかないと考えている。彼らは徳川に従い家康を頼みとしてきた。家康が高台院に親しく接する態度から、彼らは秀頼が道を踏みちがえなければ、豊臣家が徳川政権の一翼を担うことを家康も期待しているだろうと思っていた。
 しかし、ついに家康は豊臣家をつぶすと言う決断を下した。
「上野よ、今のわしの言葉、まだ口外するでない。つぶすと一言で言うことは簡単だが、実行するのは難しい。力に任せて攻めつぶすことはたやすい。なれど、わしが豊臣の滅ぶことを望んでいたと世間に思われてはならん。豊臣が自ら滅亡の道を選んだと言うことを世間に納得させなくてはならない。わしも鬼でも魔物でもない。何も秀頼を殺そうと言うわけではないが、仕方なく豊臣はつぶすしても、秀頼の命は助けてやりたい。徳川の裁きはさすがなものだと、余の人々に思わせなくてはならない。そこが難しい。」
「どのような方法で。」
「それはそちが考えよ。」
 こうして、世にも奇妙な豊臣倒滅作戦が始まるのであった。

真田父子(真田昌幸、真田信之、真田幸村)(「本多忠勝をNHK大河ドラマ」に応援団・福田彰宏様作品)

 二条城の会見の日、甚太は大坂城内に忍びこんだ。
(ふふ、軍勢を持って攻めるのは難しかもしれんが、おれが一人忍びいるのはたやすいことだ。)
 はためには警備のきびしい大城郭に見えるが、伊賀忍びの甚太からみれば隙だらけであった。甚太は城内に忍びいると、夜更けに城兵の一人をおそい、その服をはぎ取り足軽の姿となった。忍び姿でこそこそと動き回るよりも足軽に変装して城内を自由に歩き回れる方が仕事がしやすいと思った。大坂城はそれを許す環境にあった。関ヶ原の戦い以降、日本国中に浪人があふれかえり、その一部がひそかに大坂城内に入り込んでいたのだ。名のある大名ならいざ知らず、足軽、小物の格好で身元の怪しいものがうようよとしていた。
 たまたま見つけた足軽たちがたまっている長屋にもぐりこんでも甚太を疑う者はだれもいない。
「ふぁあ、退屈だのう。主のいない城の留守番などつまらん、つまらん。俺も殿様と京にいきたかったわい。」
 足軽のひとりが大あくびをしているところへ甚太はすり寄ってきた。
「殿さまはお留守かね。」
「なあに、言うとる。京で家康に会うために昨日出て行ったではないか。」
「ほう、それは知らなんだ。なんせ、今日城に入ったばかりだでな。」
「そうか、そう言えば見たことない顔だ。」
「新参者で、兄さん、よろしく頼みます。」
 新入りに兄さんと言われて、大あくびをした足軽は怪訝な顔で甚太を見たが悪い気持はしなかった。
「御挨拶と言ってはなんですが、、、」
と言って、甚太は懐から、薄茶色い徳利をのぞかせた。
「兄さん、こっちの方はいかがで。」
 足軽はにやりと笑い。
「大好きだ。」
「それじゃ、こちらへ、まあまあ、遠慮せんで。」
 甚太は足軽を長屋の外に連れ出した。足軽は甚太が差し出した徳利に口をつけると、ごくりと一口飲んだ。
「いやいや、うまい、うまい。何か祝い事でもなければ足軽風情が酒など飲めんからな。」
「ははん、兄さんは相当お好きだね。」
「そんなことはないがな。」
 足軽が徳利を甚太に返そうとすると、
「いや、おれは下戸なもんで、兄さんが全部飲んでください。」
と、足軽に徳利を押し返した。
「なんで、下戸がこんなものを持っている。」
 足軽が聞くと、
「まあ、右も左もわからない新参者にはこんなものが役に立つんで。」
と甚太は答えた。酒をおごり、
「兄さん、兄さん。」
とおだてあげ、足軽はすっかり気を良くした。
「困ったことがあったら、なんでも言ってくれ。」
 足軽はすっかり甚太の事が気にいってしまったようだ。
 翌朝。
 甚太は兄さんの足軽に起こされた。台所に朝飯を取りに行くから手伝えと言うのだ。
「朝めしを?」
「ああ、おれの役目でな。まあ、昨日の礼だ。」
「昨日の礼?」
 昨日の礼とはもちろん酒をおごってもらったことへの礼だろうが、朝めしを取りに行くことが何故、礼なのか?怪訝な顔をする甚太に、
「まあ、くればわかる。」
と、足軽はにやりと笑った。
 足軽が台所の戸口を叩くと、戸が開き年寄りの女が顔を出した。
「おや、今日は早いねえ。まあ、お入り。」
 足軽と甚太が台所に入ると、甚太を見て老婆が聞いた。
「見かけない顔だね。新入りかい?」
「ああ、昨日からだ。俺の弟分だからよろしく頼むよ。」
 足軽が言うと、老婆はにっこり笑い、
「はい、はい、今日はこれをあげよう。」
と奥からざるを持ってきた。ざるの中には玉子が四つ入っていた。
「おお、玉子か。久しぶりだな。」
「ゆでてあるから。すぐにおあがり。塩いるかい?」
「ああ、ちょっとふってくれ。」
 割った玉子に老婆が塩を一つまみ振りかけると、足軽は口の中に玉子を押し込んだ。
「うぉいつぁ、ふんめえ。」
 足軽が口をもぐもぐさせながら言うと老婆が、
「食べながらしゃべるな、何言ってんだかわかんねえ。」
とたしなめると、口の中の玉子をごくりと飲みこみ、
「こいつは、うんめえ、って言ったんだ。」
と足軽は答えた。甚太もそれにならって玉子を飲みこんだ。うまい。玉子を食べるのは久し振りだ。二つ目の玉子を食べようとした時、老婆の後ろに待女らしい若い女が現れた。
「おせきさん!何してるんですか?」
 声の方を見て、甚太は目を見張った。なんと、目の前にいる女は福島屋敷で見たお冬である。思わず息を止めてしまった。その瞬間、お冬は甚太の顔を見た。
(たしか、お冬と言ったな。俺の顔は見ていないはず。しかし、、、こいつは油断できない。)
 お冬のその厳しい視線がふっとやわらいだ。甚太はぞっとした。気付かれたか?
「あら、いつもの人と違うわね。」
「はい。昨日来たばかりです。権太と申します。よろしくおねがいします。」
 お冬は袂で口を押さえて笑った。
「なにをよろしくなんでしょう?」
 確かに、新入りの足軽が待女によろしくというのも変なあいさつだが、それだけ甚太は動揺していたということであろう。
 老婆から足軽組の朝めしを受け取り、台所から出ると兄さんの足軽に訪ねた。
「あの婆さん、兄きにやたらと親切でしたが、身内のかたですか?」
「いんや、そんではねえけど。何でも関ヶ原の戦で死んだ息子が俺に似ているんだと。それで、朝めしを取りに行くとこっそりと色々くれるんだ。」
「へえ、そうですか。」
「それな。」
「へ?」
「昨日の礼だと言うのがわかったろう?」
 なるほど、足軽の口には入らないものをこっそりともらえる事は役得であり、そのご相伴にあずからすことが昨日の酒の礼だと言いたいのであろう。
(ふん、あれぐれえのこと・・・)
と思いながらも、甚太はゆで玉子の味を思い出していた。
(それにしても、ゆで玉子よりもお冬がこの城にいたと言うことがわかったことの方が俺にはありがてえ。)
 お冬と顔を合わせてしまったことが良かったのか悪かったのかは甚太にはわからなかったが、今後この城で活動するにあたり、お冬がいることを知っているのと、知らないのではおのずと違ってくる。甚太はお冬の事をまさか忍びではあるまいが、只者ではないと睨んでいる。それにここでお冬にあったと言うことは、つまりはたまたまもぐりこんだ足軽組が福島正則の配下にあると言うことだ。
 その日の午後、甚太は大坂城に帰城した豊臣秀頼を遠目に見たが、その時の供をしていた加藤清正の姿があまりにもやつれ果てていることに甚太は驚いた。
(あの日、福島屋敷で見た清正とはまるで別人。)

 翌朝も甚太は兄さんの足軽と共に朝めしを取りに行き、その時はタケノコの煮つけを食べさせてもらった。しかし、この日はお冬は顔を出さなかった。
 昼間は足軽として城内を警備し、すっかりと大坂城の縄張りがわかった事は甚太にとっては、足軽どもが寝静まった後、城内を忍び歩くのに随分と役に立ったに違いない。
(へへ、やっぱり足軽としてもぐりこんだことはあたりだな。)
 福島正則の動きをさぐり、お冬の正体を暴こうと夜の大坂城を動き回ったが、その後お冬に会うことはなく、正則の動きについてもこれと言った新しいことはつかめなかった。
 秀頼も戻ってきたのでもうちょっと探りを入れてみようと思ったが、その日以来、あれだけ隙だらけだった城であったのに、また暗く重い圧力を甚太を包み込みはじめた。おそらく大坂城内には家康が放った間者いるだろうとは思っていたが、今まで感じなかった闇が秀頼とともに大坂城に入ってきたのであろうということだ。
 これからはうかつなことはできないな。その闇の圧力が関東の忍びであればよいが、密かに秀頼を警護している大坂の忍びがいないとも限らない。そのうち清正は青い顔をして熊本に帰ってしまい、福島正則配下の足軽組も解散することになったので、甚太も大坂城を出ることにした。
(さてさて、これからどうするか。清正を追いかけてみるか。)
 そうも考えたが、伏見にいる服部半蔵のもとに一度もどり、その指示を受けるために、大坂から京への道をのんびりと進むことにした。家康と秀頼の会見があったこの緊迫した時期に大坂城内を探ることは神経を使い、甚太はどんよりと体が重くつかれていた。これと言った収穫がなかったことも甚太の足を重くしている原因の一つではある.

    続く

第37回大多喜お城まつり

平成23年10月 8日(土) 前夜祭

平成23年10月 9日(日) 本祭  *10日(月)予備日

 


小説 本多忠朝と伊三 31

2011年07月04日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

6月24日千葉県議会にて、秋山県議が「本県を舞台にしたNHK大河ドラマの誘致について県の姿勢」を尋ねられたところ、森田知事は、

 

房総半島一帯を治めた里見一族や徳川四天王の1人・本多忠勝らの名を挙げ「取り上げられればPR効果は絶大で経済効果も期待される」と意欲を示した。「誘致合戦は激しいが、誘致には市町村や市民団体、経済団体など地元の熱意が重要であり、県も積極的に支援する」と呼び掛けられました。 情報はこちら

 

では、熱意ということでは負けないサポーター達登場です☆ 

本多忠勝ポストカード  

福田彰宏さん

 

そして、連載してます☆ 市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説です   

第2部  忠朝と伊三 31

 これまでのお話 

 第1部          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

第2部 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30

 

 当時の家康は本多上野介正純を謀臣として重く用いていた。本多正純は、家康の側近として仕えてきた本多正信の息子であり、父正信が幕府の老中として将軍秀忠のそば近く仕えるようになってからは息子の正純が家康の側近となっている。姓は忠勝・忠朝と同じ本多であるから、数代をさかのぼれば祖先は同じで、遠い親戚と言うことになろうが、本多正信という男ははかりごとに長けた性質であったらしく、忠勝からは
「正信の腰ぬけめ!本多は本多でも、あ奴と一緒にされてはたまらん!」
と毛嫌いされていた。忠勝・忠朝親子は武を尊び、活躍がすがすがしかったが、正信・正純は陰謀好きな親子であった。その陰気さに忠勝だけでなく、鬼作左と呼ばれた本多重次や榊原康政からも嫌われていた。
 その本多正純は上洛する家康に先行して京に入り、ある男に会っていた。その男の名は織田長益という。織田信長の実弟であり、信長の武田攻めでは木曽口を攻め、降伏した松本城の城受け取りをし、関ヶ原では本多忠勝の配下で働き戦功をあげている。しかし、その戦場での働きよりも、織田有楽斉と言う名で利休七哲としての後世に名を残している。東京の有楽町は有楽斉が住んでいたことからその地名が残っていると言われるが、その住居が有楽町にあったと言う確証はない。
 さて、正純は長益に秀頼上洛の仲介を頼みに来たのである。長益は正純の話を聞いて渋い顔をしていたが、
「まあ、よかろう。徳川と豊臣の仲裁を織田が引き受けると言うのも一興。」
と、承諾した。しかしながら、必ずしもうまくいくとは限らないと付け加えた。
「大御所ももう京においでになろう。何故、もっと早く話をもってこなかった。これでは説得に時間をかけることができない。何か存念があるのではないか?」
 正純は薄笑いを浮かべて頭を下げるだけであった。
 長益は早速、大坂に出向き秀頼を、と言うより淀の方の説得にかかったが、
「叔父上が徳川の使いでくるとは。さてさて、あきれたものよ。」
と、淀の方は長益の申し出を一蹴した。信長の姪である淀の方にとって、信長の弟である長益は叔父にあたる。

 一方、正純は高台院のもとをも訪れた。高台院は正純の顔を見るやいなや、
「秀頼君の上洛の事であろう。」
と、いきなり問いかけた。正純は頭を下げ、
「さすが高台院様、ご明察でございます。」
と言った。
「大御所様ご上洛の時にあなたが参られれば、用事は決まっている。こんなこともあろうかと、すでに加藤殿、福島殿、浅野殿が大坂に向かっている。淀の方が首を縦に振るまでは生きて大坂城からは出ぬ覚悟で出かけて行った。」
「高台院様にはお気づかいいただき、ありがたきことでございます。」
「なあにが、ありがたきじゃ。大御所様がすでに京に参られているこの期に及んで、秀頼君上洛を催促に来るとは、下心が見え見えじゃ。これで秀頼君がご上洛されなければ、それを種に大坂に難癖をつけるつもりであろうが。大御所様のなされようとは思えません。上野介殿、あなたの策略か。」
 これには答えずに、
「御配慮ありがとうございます。」
と、正純は頭を下げた。高台院は「ふうん。」とため息をつき、
「豊臣家については、このばばができることがあれば、ご協力するゆえ、くれぐれも手荒なまね、はかりごとなどなさらぬようにと、大御所様にお伝え下され。」
と言って、立ち去った。
 正純がこのことを報告すると、家康はにこりと笑った。
「ほお、高台院様がそのようにな。それはそれは、高台院様にもご心配をおかけした。これで久しぶりに秀頼に会えるかな。いや、会えそうな気がする。きっと会えよう。これで両家の間もうまくいこう。なあ、上野。」
「はい。仰せの通り。誠にめでたい事と思われます。」

 大坂城の大広間には険悪な雰囲気が漂っていた。上座には豊臣秀頼とその生母、淀の方が座り、加藤清正、福島正則、浅野幸長が対面している。清正は今この時、徳川との対面を拒むことは豊臣家にとって良いことはない、良いことはないばかりではなく危険なことであり、豊臣家の安泰のためには京で家康に会うことは避けて通れないことを延々と話し続けたが、淀の方は聞く耳を持たなかった。
「ならん、ならん。主計頭よ、あなたは誰の家臣ですか。先日も織田の叔父が同じ話をしに参られた。豊臣家に恩義があるものが皆、豊臣を見捨てて徳川に従っている。ああ、情けない、ああ、悲しい。」
「お方様、それは違います。みな、豊臣家の事を思って、大御所との会見をお勧めしているのです。」
「ふん。」
 淀の方は清正から視線を外し、横を向いた。その時、清正の目から涙こぼれた。
「おふくろ様、お願いでございます。腹を切れと言えば切りまする。このたびは、なにとぞ、なにとぞ。」
 清正が両手を就き頭を下げると、それまで一言も口を利かなかった秀頼が声を発した。
「主計頭は余が京に行かないとそんなにつらいのか?」
「つろうございます。この清正の命に代えても秀頼様を京にお連れしたく、、、、」
「母上、主計頭が可愛そうじゃ。願いを聞いてやったらいかがでしょう。」
 秀頼は他人ごとの様な事を言ったが、清正は秀頼にやさしい声をかけられて、感動に肩がふるえた。しかし、淀の方の返事は冷ややかだった。
「なりません。上様はこの城を一歩も出てはいけません。城の外には悪霊がさまよい、一歩外へ出れば、上様はとり殺されてしまいます。」
 この言葉に福島正則はあきれた。
(悪霊に取りつかれているのはおふくろ様だがや。)
 淀の方のあまりの言いように、広間は静まり返った。どれほど時が流れたか、福島正則が唐突に秀頼に問いかけた。
「秀頼様は城の外をご覧になりたいとは思われませんか?」
 淀の方がぎろりと正則を睨んだが、正則は構わずに続けた。
「高台院様も寂しがっておられました。太閤様の十三回忌にたった一人のお世継ぎ様がおいでにならなかった、殿下もさぞ悲しんでおられようと。」
 淀の方の眉がつり上がったが、正則は無視し、去年の秀吉の十三回忌の京の様子を語り、大きな声では言えないが、京の人々は今でも秀吉を慕っていると言った。
「左様か。では、遅ればせながら余も父上のために京の豊国社を詣でることにいたそう。よろしいか、母上。」
と言って、秀頼は淀の方を見た。その顔は有無を言わせぬ迫力に満ちていた。それまでは淀の方には口応えができない秀頼の事を(いつまでも子供な)とひそかに思う家臣もいたほどだが、この時の秀頼の態度にその場にいた全てのものが度肝を抜かれた。
「い、いけません、上様。城の外には、、、」
「魑魅魍魎ですか。織田の大叔父から聞きました。魑魅魍魎など人間が勝手に作りだしたもの、外に出ることをこわがってはいけないと。」
 淀の方はぽかんと口を開けた。
「父上の供養のために豊国社を詣で、そのついでに江戸のじいに会ってまいる。ついでじゃ、ついで。京へまいる目的は父上の供養です。それなら、よろしいでしょう、母上。」
 淀の方はそれでも納得はしなかった。おろおろしながら立ち上がり、こう言った。
「心配じゃ、心配じゃ。誰ぞ上様のお命をねろうて、、、」
 その言葉をさえぎるように加藤清正が立ち上がった。
「我らが命がけで秀頼様をお守りいたす!心配ご無用!」
 淀の方はへなへなと座り込んだ。
「わかりました。お頼みします。」

 御殿から外に出ると正則がにやにやしながら、清正を見つめた。
「市松、気味わるいのう、おりゃの顔になあにかついとるだかね。」
 正則はにやにやしながら首を小さく横に振った。
「おお、気味が悪い。」
 首をすくめる清正を見ながら、正則は思った。
(おりゃには、腹切ってもええことはないというとったが、自分で腹切ると言い出すとはあきれかえったでかんわ。)

 正則と清正の努力がみのり、ついに秀頼は京の二条城で家康と会見することになった。
「命にかけても秀頼君をお守りいたす。」
 その言葉通り、加藤清正は秀頼のそばにぴたりと張り付き、一時も離れることなく京まで秀頼に就き従ってきた。しかし、京へ向かう秀頼一行のなかには清正の盟友正則の姿はなかった。
「どうも、体の具合が良くない。」
と、大坂に残ることになった。実は、病と言い会見には欠席したが、万が一のために大坂から京までの街道筋を一万の大軍で警護をするためであった。
 上洛途中、家康の息子、義直と頼宣が出迎えた。義直が、立ったまま、
「秀頼殿、ご上洛御苦労に存ずる。」
と言った時、それまで腰低く秀頼に付従っていた清正が大喝した。
「それが故太閤殿下の御子息にして、右大臣であらせられる秀頼公に対する態度か!無礼であろう、軽々しく秀頼殿など呼ばず、右府様とお呼びするのが礼儀である。」
 まだ子供であった家康の二人の息子は、清正の大音声に驚き、膝をつき、
「右府様には、わざわざのお出まし、恐れ入り、、、、」
と言葉を改めた。
 二条城に帰った義直が家康にそのことを報告すると、
「そうか、そうか。清正の申しよう、もっともである。そちたちもまだまだ子供じゃ。礼を重んじることを学ばねばならんな。それにしても、清正に怒鳴りつけられたとはのう。驚いたじゃろう。」
と、笑顔でやさしく諭した。年老いてからできた孫の様な二人の息子が可愛く仕方がないらしい。
「それにしても、この家康の息子を怒鳴りつけるとはのう。」
 家康は笑顔で言ったが、その眼は決して笑ってはいなかった。

 そして、ついに秀頼と家康の会見の日が来た。会見の直前に小さな騒ぎがおこった。秀頼の従者に対しては別室が設けられ、家康との会見には高台院が秀頼の保護者として同席することになっていたが、別室に案内しようとする徳川の家臣に清正は自分も同席をすると言ってきかないのである。困り果てた家臣が家康にそのことを告げると、
「なに?」
 ぎろりとその家臣を睨んだが、すぐに笑顔になり、
「忠義者の主計頭のこと、許してやれ。その代わり、部屋の隅でじっとしているようにと申しておけ。」
と言った。家臣は家康の言葉を伝えるために清正のもとに向かった。
「よろしいので?」
 本多正純が家康に問うと、
「主計頭には困ったものよ。まあ、今日のところはわがままを聞いてやろう。」
と答えた。
 淀の方が心配したように、豊臣方には家康が秀頼に対して害を及ぼすつもりがあるのではないかと考えるものもいて、清正は「まさか。」とは思うものの、念のために大坂城に戻るまでは秀頼からは決して離れない覚悟をしているのである。豊臣方にそのような心配があったが、家康にはその意図はなかった。今日の会見を実現させる目的は二つ。一つは今や天下人となった徳川家に対し、豊臣家も服する事を世間に知らしめること。一つは秀頼という人物を家康が自分の目で確かめることであった。
 家康には豊臣家に服従させる意図があるものの、実は秀頼との会見には気を使っていた。家康は隠居とはいえ前征夷将軍、つまりは武家の棟梁であったのに対して、豊臣秀頼は今や一大名にすぎないが、官職は正二位右大臣である。結局、席は相対すること、、要は上も下もなしの同等の座を設けると言うことに決まった。また、家康に害意がない表れとして、親交のある高台院を秀頼の保護者として同席させたことでも秀頼に気を使っていることがわかる。
 家康は対面の間で着座し、秀頼を待っていた。家康は幼いころの秀頼は知っているが、大人になった秀頼とあうのはこの時が初めてである。
(はたして、どのように成長したことか。)
 と、ふすまが開き、大柄の貴公子が部屋に入ってきた。豊臣秀頼である。秀頼が着座するとその堂々とした風貌に家康は思わず頭を下げてしまった。しまったと思った時、
「お久しゅうございます。」
にこりと笑い、秀頼も頭を下げた。先に頭を下げてしまった家康は頭をあげると胸をはり、
「おお、おお、久しい。御立派になられた。江戸のじいもうれしゅうござる。」
と言った。
(思ったよりも大きな男だ。さて、その器量はどのようなものか。)
 家康は京の様子など語ると、
「大坂を出たのは今回が初めて、外の世界がこの様に華やかとは思いませんでした。」
と、答えた。その後も家康は江戸の様子を語ったり、故秀吉の思い出話などをしたが、秀頼は「はい、はい。」と家康の話にうなずくだけである。
 その後も、ほとんど家康だけがしゃべり会見も終了となった。
「今日はお目にかかり、うれしゅうございました。」
と、秀頼が言うと、
「お送り致そう。」
家康も腰をあげた。控えていた本多正純は瞠目した。家康が退出して会見は終了で、家康が秀頼を見送るという予定はなかった。家康は秀頼を二条城の大手門まで見送った。秀頼は家康に向き直り、一礼して門から出て行った。その時である。門の外から歓声が沸き起こった。京の町民が秀頼と家康の会見が無事に終了したことへ歓呼のどよめきであった。京ではいまだに豊臣人気は根強い。
 その歓喜の声を家康と正純主従はどうの様に聞いていたのであろうか。  

 続く

 大多喜手作り甲冑隊は、いろいろな場所でPRを行っています

各地で甲冑試着体験なども行っています。

大多喜町観光本陣には、大多喜の竹を素材にした手作り「本多忠勝像」「小松姫(忠勝の娘)」を展示。

 いすみ市の奥村さん制作。


小説 本多忠朝と伊三 30

2011年06月19日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

大多喜城ドラマ小説の時間です!

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説で~す 

久我原さんからメッセージです 「舞台も大多喜から京へと移ってしまい、忠朝と伊三からはかけ離れた話のようにもお思いでしょうが、僕としてはこの家康と秀頼の二条城での会見は、忠朝の運命の大坂の陣へと続く重要なエピソードと思っていますので、もう少々御辛抱を。

ところで、今回は正則と清正が幼馴染みという雰囲気を出すために、尾張弁でみゃあみゃあしゃべらせてしまいましたが、ちょいと悪乗りな感じもします。それに尾張弁をきっちりとわかっているわけではないので、誤用もあるかとも思いますが、その辺は多めに見て下さい。尾張出身の方に校正していただけたらとも思っています。」 
 

これまでのお話 1~29 は コチラ

第1部          10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20

第2部 21 22 23 24 25 26 27 28 29 

 

第2部  忠朝と伊三 30

「市松よ、このたびは、是が非でも、秀頼様にもご上洛していただかにゃあならんで。」
「そのことよ。おりゃあ、この命にかけても説得するつもりだがや。」
 市松と呼ばれた福島正則は、右手の親指を自分の脇腹に押しつけた。その姿を見て、加藤清正は渋い顔になり、
「おみゃあが腹切っても、何のええこともにゃあでえ。もっと、頭を使え。人間生きているうちに頭をつかわにゃあ。なんぞ、ええ知恵は浮かばんか。」
と、正則の額をつっついた。
「なんぞ、ええ知恵かね。ああ、おりゃあ、おみゃあみてぇにええおつむりを持っとらんでかなわんわ。」
 正則はつつかれた自分の額を右手でこすって、それからぺちぺちと軽く叩いた。
「口実だがね。なんぞ、秀頼さまがご上洛いただく口実だがや。おふくろ様が文句もつけようがにゃあ口実を考えにゃあ。」
「なぁるほど、口実かあ。やあっぱり、お虎はおつむがええでえ。おりゃあとは大違いだがね。」
「なあに、いうとりゃあす。おつむが良けりゃ、とうの昔におふくろ様を説得しとりゃあすがね。なんぞないかぁ、なんぞないか。」

    

加藤清正          福島正則  

 イラスト 提供:天守/戦国画

 

 加藤清正と福島正則は若いころから亡き豊臣秀吉に臣従し、まだ戦乱のうち続く世の中を競い合ってきた良きライバルであり、幼馴染である。二人きりになると、その幼名、お虎と市松と呼びあい、尾張弁丸出しの田舎侍に戻ってしまう。その尾張の悪ガキの二人も今や、安芸広島五十万石の城主福島左衛門大夫正則と肥後熊本七十五万石の城主加藤主計頭清正である。
 秀吉のもとでの二人の活躍はすさまじく、秀吉が柴田勝家と信長亡きあとの覇権を争った山崎の合戦では「賤ヶ岳の七本槍」と讃えられる働きをした。また、朝鮮出兵の際の清正の虎退治の話はあまりにも名高い。
 若いころは猪突猛進、戦場での手柄で出世した二人であったが、年を取ってからは論語を読み込む勉強家の清正に福島正則は一目置いていた。豊臣家のために、と思い関ヶ原の戦いで奮戦した正則であるが、戦後、徳川が天下を掌握してしまうと、
「これよかったのかのう。」
と、酒に鬱憤を紛らわすこともあった。一方、加藤清正は、徳川家康に従いながらも豊臣家への忠義は忘れず、徳川の世になり、諸大名が大人しくなり始めた今となっても戦国大名の気骨を残す数少ない男になっていた。はたからはそれが時代遅れだと見られても、清正は気にせず堂々としたものである。徐々に平和な世の中になりもはや実戦向きの城は不要となり始めていたが、大熊本城を築き、幕府からの詰問に対しても、
「徳川の泰平の世を守るために西の守りを堅くする備えじゃ。どこがわるい。」
と、豪語した。家康も「主計にはかなわん。」とあきれかえっている。
 余談ながら。明治維新後の西南戦争の時、熊本鎮台が置かれた熊本城を攻撃し、大敗したとき、
「政府に負けたんではない、清正公に負けたんだ。」
と言わしめたと言う。
 また、家康の側室の息子の義直のために名古屋築城命令が発せられた時、正則が
「なんで、妾の子供の城をわしらが作らにゃいかんのだ。」
と愚痴を言った時に清正は、
「ぐずぐずいうなら、広島に帰って兵をあげろ。」
と言ったとか、言わないとか。
 泰平の国造りのために労を惜しまない一方、豊臣家への忠義をあらわにして、堂々とした親友の清正を正則は、
「お虎が言うことを聞いとりゃ、間違いはにゃあ。」
と、頼りにしている。
 頼りにされている加藤清正であるが、この夜は秀頼上洛の名案はついに浮かばず、
「これは、かか様に相談するしかにゃあで。」
と、かか様、つまりはこの二人を悪ガキのころから母親の様に面倒を見てきた秀吉の未亡人、高台院に意見を聞くことになった。
 

 かか様に相談するのはいいが、自分たちにはいい知恵が浮ばず、腕を組み、瞑目し、押し黙っているところにお冬が肴と徳利を持ってやってきた。
「まあまあ、お二人ともこわい顔をなされて。ちょいと一服したらいかがですか。」
 その、お冬を見て、清正は愕然とした。
「い、市松よ。こ、この人は、、、こさと、、、かあ?」
「ふふ、おみゃあもそう思うか?」
 それまで渋い顔をしていた正則の顔が笑顔にゆがんだ。
「いや、こさとがこんなに若いはずにゃあ。」
 こさと、とは。それは、正則と清正がまだ若いころ、正則が熱をあげた村の娘のことだ。秀吉の家来になるかならぬかのころである。こさとは土臭い、真っ黒な顔をした百姓の娘であった。背が低く、背中を丸めて歩く姿を村の若者は
「だんごむし、だんごむし。」
と、からかったが、市松と名乗っていた福島正則はこさとを好ましく思っていた。市松はころころとしたこさとに、
「こさと、誰が何を言おうと気にするでにゃあ。おみゃあをいたぶる奴はおれが懲らしめてやる。」
と、肩を抱いて慰めた。市松は大人になったら、こさとと夫婦になろうと思っていたが、面食いの主人の秀吉が、
「なあにを好きこのんで、こんな団子みたいな娘と一緒になることはにゃあが。俺がどえりゃあ別嬪をさがしてやるがね。」
と、言われその時はさすがに市松も口答えはできなかった。それから秀吉にひきまわされて、忙しい市松はいつの日かこさとの事を忘れてしまった。いや、忘れたわけではないが、こさとのことを考える暇もない忙しさであった。こさとは、、、きっと尾張の百姓のせがれと夫婦になり、今はいずこかで土と共に生きる大年増になっていることであろう。
 秀吉のもとで寝る間もなく働き、こさとの事など忘れかけていた福島正則であったが、やはり秀吉の家来であった津田長義の娘と結婚してからは、ふと、こさとの事を思い出すことがあった。津田長義の娘は美しい顔だちをした女房であったが、いかんせん気性が荒い。それに嫉妬深い女だった。正則はしばしば、
(美しい顔をした鬼よりも、だんごむしの様なこさとのほうがどれだけかわゆいか。)
と、思うようになった。その女房も関ヶ原の合戦の後、正則の息子正利の出産の際、難産で亡くなった。その後、正則は徳川の家臣、牧野康成の娘と再婚したが、その待女の中にお冬がいた。初めてお冬を見た時、正則は胸の奥に心地よい痛みを感じた。だんごむしと呼ばれたこさとの、顔を洗い、化粧をほどこし、少しやせて大人にすれば、目の前にいるお冬になるのではないかと、正則は思った。
「似ている。」
「だろう。」
 清正の茫然とした顔を正則はにやにやと見つめている。
「いやですよ。誰に似ているっていうんですか。」
 二人の男はそれには答えず、お冬の顔を見つめた。
 清正は正則がお冬を妾にしていると考えたが、そのようなことはなかった。正則も、もう年である。今更若い妾を相手にしようとは考えてはいなかったが、ただ、お冬を見ているとほろにがい青春時代を思い出すことが心地よいだけである。お冬の手を握って戯言を言うだけで十分であった。
 お冬がその場を去ったあと、しばらく正則と清正は話をしていたが、
「さて、雨もやんだようだし、今日はもう帰ろう。」
と、清正が帰り、それを見送った正則は部屋に戻り一人酒を飲んでいたが、そのうちに眠ってしまった。再びお冬が来て、正則に布団をかけてやったが、正則はそれには気がつかず、お冬は明りを吹き消すとしばらく正則の横にじっと座っていた。
「さて、さて、今日は蛇もネズミもおとなしいようで、殿さまのお休みを邪魔することもないかしらん。」
 お冬は独り言とは思えぬ大きな声で言ったかと思うと部屋から出て行き、その後は正則のいびきが聞こえてくるだけであった。正則のいびきだけがひびき渡る部屋の縁の下から庭に出ると、甚太は音もなく、屋敷を抜け出した。その気になれば正則の首をとることもたやすく思えたが、今の甚太の使命は正則の命を狙うことではない。福島屋敷を後に甚太は思った。
(あの女、やはり只者ではないな。)

 翌日、正則と清正は二人揃って、高台院の元を訪ねた。
「あんれま、お虎に市松、二人揃ってどうしたかね。」
「やっとかめだなも、かか様。」
 二人は高台院に出された茶をすすりながら、今回の家康の上洛に際して、秀頼にも上洛させる手立てがないか相談に来たと話すと、高台院は、
「ほお、ほお。」
と、にこにこしながら聞いているだけで、何とも返答はしなかった。
「かか様、なんぞええお知恵は・・・」
 清正が問いかけると、高台院は今の話を聞いていたのか、いないのか、
「太閤が亡くなられたのは、暑い日であったがねえ。」
と、言って庭を見たまま、また黙り込んでしまった。
「はあ。」
 正則も清正もうなずくしかなかった。ちんまりと座って庭を見つめる高台院に二人はそれ以上話しかけることもできずにいると、
「殿下の十三回忌はいつじゃったか。去年じゃったかのう。」
と高台院がぽつりといった。秀吉が死んだのは慶長三年八月十八日であるから、慶長十五年の命日が十三回忌である。正則と清正が高台院を訪ねたこの日は慶長十六年の二月であるから、京都の豊国神社で秀吉の十三回忌が催されたのは去年の八月十八日であった。
「そうそう、去年の夏だがね。そんときゃあ、秀頼も参らんで、殿下もさぞ寂しかったろうがのう。」
「?」
 正則はわけがわからぬと言う顔で高台院を見ているが、清正が
「なあるほど。その手があったなもう。」
と両手をぱちんと叩いた。
 高台院はにっこりと笑い、
「お虎、わかったかい。でも、秀頼に無理強いしちゃあなんねえぞ。秀頼が自分から豊国様にお参りすっといわせにゃなんねえ。わかるな。」
と言った。つまりは秀頼が自主的に自分の亡き父の法要のために豊国神社を参拝したいと言い出せば、大坂のおふくろ様、淀君もそれを止めることはできないだろうと言う作戦だ。
「はい。わかりもうした。しかし、どうやって、秀頼様にその気にさせるかのう。」
 すると、高台院が清正の額を人差指でつつき、
「頭は生きているうちにつかうもんだで。」
と笑った。昨夜、清正に同じことをされた正則もつられて笑い、
「さあすが、かか様とお虎だ。」
と、自分の額をぺちぺちと叩いた。その後、三人は秀頼にその気にさせる方法は無いかと相談をし始めた。

 そして三月、駿府の大御所、徳川家康は後陽成天皇譲位の儀式のために京へ向けて出発したが、秀頼に対しての上洛の催促は、いまだに届いていない。


小説 本多忠朝と伊三 29

2011年06月06日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

本多忠勝をNHK大河ドラマに!! の応援活動の時間です。 この小説の主人公は本多忠朝と架空の人物・伊三。本多忠朝は、本多忠勝の次男で、上総大多喜藩二代目藩主です。大河ドラマが実現した時に、彼は欠かせない存在です。ということで・・・本多忠朝も有名にしたい!! 

 

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説で~す 

 これまでのお話 1~28 は コチラ

第2部  忠朝と伊三 29

 

大多喜に戻った長田は早速、粟又での平沢の様子を中根忠古に報告をした。中根は相変わらず無表情でうなずいているだけであったが、長田の話が終わると、
「御苦労であった。」
と、一言だけ言ってその場から去ってしまった。
(やはり、お役にはたてなかったかな。)
 長田はがっくりとして、自宅へと帰った。
 しかし、中根は長田の報告に興味を覚えていた。平沢のことではない、炭焼きの事である。中根は忠朝の新田開発事業に奔走しているが、事業は始まったばかりでまだまだ実収が上がっているとは言えない。将来の収穫の見込みがあるものの、開発のための費用が回収されるまでには数年の時を待たなければならないだろう。中根は長田から聞いた炭焼きという仕事が有益な産業になると考えたのである。
 中根が忠朝にそのことを報告すると、
「ふうむ。」
と、忠朝は腕を組み考え込んでしまった。その表情は険しい。
「殿、いかがされました。質の良い炭が作れるようになれば、有益な収入源になるかと。」
「それは、わかっている。しかし、問題があろう。」
「問題?」
「うむ。忠古、粟又は我が領地ではない。天領である。粟又で作る炭を勝手に我らが取り扱うことはなるまい。」
「はい。仰せのとおりでございます。」
 平沢の住む粟又は現在の行政区分では大多喜町に属しているが、当時は大多喜藩ではなく天領、つまり幕府直轄の領地であった。当然、中根はそのことはわきまえている。
 粟又で炭作りをするために幕府の委任を受けてその管理を請け負うか、粟又の炭焼き人を大多喜に移住させて炭焼きの技術を広めると言う方法を中根は語ったが、忠朝も中根も炭焼きに関しては素人である。大多喜で炭焼きが、産業として根付くどうかと言うことには自信がなかった。
「いづれにしても上様に相談する他はあるまい。」
 近いうちに江戸に使者を送り、粟又での炭の生産について将軍秀忠の意見をうかがうことに話はまとまった。

 その夜。粟又のことである。
 平沢の小屋に一つの影が忍びより、小屋の裏手に回ると小さくうずくまり動かなくなった。影は呼吸を小さくし気配を消した。たまたま誰かがその影を見かけても、平沢が焼いた炭の山ぐらいにしか思わず、まさかそれが人であるとは気づくまい。
 平沢はその影に気づくこともなく、しばらくは小屋の中でごそごそと動いていたが、そのうちに静かになった。眠りについたのであろう。影はしばらく、気配を消したまま、動かなかったが、ふわりとその周りに生気を取り戻すと、音もなく走り出した。闇に包まれた粟又でその影に気付いたものはついにはいなかった。
 この影は、この正月、忠朝が江戸から帰国するときに服部半蔵が放った影、伊賀の源七であった。

 さて、服部半蔵はもう一つの影を放っていた。その影は福島正則を追い、その行動を観察していた。こちらの影は甚太といい、源七同様伊賀同心、つまりは伊賀の忍びの者である。伊賀同心の取り締まりの役をはずされた半蔵が、伊賀同心の二人を自由に使うことはできないはずだが、、、
 東海道を上る福島正則を尾行することには甚太はさほどの苦労はしなかったが、あるときから正則の近くに張り付くことはできなくなってしまった。なぜか正則に近づこうとすると、何か別の力が自分を押しつぶすような感覚にとらわれてしまう。その力が何かと言うことは甚太にもわからなかった。

福島正則  天守/戦国画


 しかし、その夜、甚太は伏見にある福島正則の屋敷の庭に忍びこむことに成功した。その庭に面した部屋の縁側には福島正則が一人、月を見ながら酒を飲んでいる。今日はあの得体の知れない力に襲われることはなく、ここまで忍びいることはたやすいことであった。正則は甚太の存在に気付いているようすはなく、酒をあおると大あくびをして、ごろりと横になった。その気になれば正則の首を取ることもたやすいだろうと甚太は思った。
(もう少し近づいてみようか。)
と、思ったところに、女が徳利をもって、部屋の中から縁側に出てきて、寝転がった正則の後ろに座った。
「殿さま、こんなところでごろごろなさらず、奥でお休みんなったらいかがですか?」
 正則は寝転がったまま、顔だけを女の方に向けた。
「これよ、これ。こんなところでごろごろするのが気持ち良いのじゃ。」
 女は口に手をあてて、くすくすと笑った。
「大分暖かく、なってきたな。空気のにおいも冬とは違ってきた。月も霞んで見えるのは、春が近い証しだな。」
「でも、まだ夜は冷えます。さあ、お部屋にお入りください。」
 正則はむくりと起き上がると、女の手を握った。女はその正則の手にもう片方の手をおいて微笑んだ。
「殿さま、さ、お部屋にお入りください。来月には駿府の大御所様のご上洛を控えて大事な時でございましょう。お風邪でもひいたら大変です。」
「風邪をひく?このわしが?」
 正則はにやりとした。
「まあ、それも面白いかもしれんのう。大御所様はなんとおもわれるか。天子様の譲位の儀式の時に、わしが風邪で寝込んでいたら。やっぱり、おこるかのう。おこるじゃろうのう。」
と、言って楽しそうに笑った。
「まあ、御冗談を。」
「それより、お冬。お前も飲まんか。春の月見もまたよいもんだで。」
「私は結構です。さ、お部屋にお入りください。」
「まあ、良いではないか。今宵はさほど冷えこんではおらん、二月とは思えぬ暖かさだ。」
「暖かくなったり、寒くなったり。少しずつ春に向かいます。」
「春か。大坂にも春が来るとよいがな。」
「そうですね。」
 女は庭の片隅をじっと見つめて、
「でも、春になると空気は霞むし、蛇やら蛙やらがごそごそと出てくるので、私はきらいです。しんと空気の透き通った冬の方が好きでございます。」
と言った。
「なるほど、それで名前がお冬か。」
 正則の言葉に女は両手をパチンとたたき、
「ふふ、そうでございました。」
と、笑った。正則も楽しそうに笑った。女はそこに甚太がいる事を知るはずもないのに、庭の片隅を指差した。
「殿さま、あそこにはねずみまで出てまいりました。おお、嫌なこと。」
「どれどれ、何もおらんわ。」
 甚太はドキリとした。
(なんだあの女、妙になれなれしいな。奥向きの待女と思われるが、正則の妾か?それにしても、女は感が良いと言うが、まさか俺がいることに気付いたわけではあるまい。)
 その後、半時ほど正則と女、お冬は取りとめのない話をして、部屋の中へ入って行った。
 さて、正則とお冬が話題にしていた、駿府の大御所とは徳川家康の事である。時の天皇、後陽成天皇譲位の儀式のために家康は来月の三月に京に上ってくることになっている。関ヶ原の戦いで西軍に勝利して征夷大将軍となり、江戸に幕府をひらいた家康は、今や朝廷の人事、つまり天皇の譲位にまで影響力を持つ強大な存在となっていた。これは、信長、秀吉でさえ成し遂げることができなかったことである。
 その人生の大半を我慢と努力を重ね、そして苦しい戦いを乗り越えてついに天下を掌握した家康であるが、大坂に存在する豊臣秀吉の遺子、秀頼は目の上のたんこぶであった。徳川の天下を永く保つためには邪魔な存在である。秀頼という個人が邪魔なわけではなく、徳川にしぶしぶ従っている大名や関ヶ原以来浪人となっている者どもが、秀頼をかつぎあげ、徳川に再び反旗を翻すことを恐れている。
 今まで家康は度々、秀頼との会見を申し入れてきたが、ことごとくはねつけられてきた。秀頼の母、淀の方は、
「江戸のじいが上様を呼び出すとは、何事じゃ。お会いしたければ、家臣たる家康が大坂に挨拶に参るのが筋じゃろう。」
と、徳川の使者はそのたびに追い返されている。
 露骨には言わないが、名実ともに、徳川家が武家の最高権力者と言うことを世に示すために、秀頼に臣下の礼を取らせようとしていた。淀の方は秀頼を上様と呼び、未だに豊臣が天下人であると言う呪縛にとらわれているが、今や豊臣家が一大名にすぎないことは誰もが知っている。豊臣家の忠臣であった福島正則や、その盟友加藤清正、ましてや秀吉の未亡人である高台院でさえ、そのことはわきまえている。旧豊臣家の実力者たちは、徳川の世で一大名として、豊臣家が存続することを願っている。時勢である。その時勢に大坂の城内の人々だけが取り残されてしまっている。
 さて、今回の家康の上洛に対して、大坂がどのような対応をするか、それが福島正則の心配の種である。「大坂の春」と言ったのは、家康の将軍就任以来ぎくしゃくとした大坂と江戸の冷戦状態に雪解けの時が来ることを望んでいるからだ。今回の上洛には是が非でも秀頼にも上洛してほしいと願っている。ところが、、、
 江戸よりは秀頼上洛については何も言ってこない。
「大御所には何かたくらみがあるのではないか。」
 正則は大御所の沈黙に返って不安を抱いている。

 伊賀の甚太は正則の屋敷の庭の片隅でじっとしていたが、夜半に急に冷え込んできたかと思うと風が吹き始め、そのうちに強い雨が降り始めた。
(これは、良い。)
 それまで、自分の力だけで気配を消していた甚太であったが、風邪と雨が甚太の気配、においさえも消し去ってくれた。甚太は思い切って、正則の部屋の縁の下に忍びこんだ。じっと耳を澄ませたが、聞こえてくるのは風邪と雨の音だけで、屋敷内で人の動く気配はない。
 その日は一日中雨が降り続いた。夜になると、甚太のもぐりこんだ縁の下の上でガタガタと人が動く物音がした。正則に訪問客があったようだ。
「お虎よ、やっとかめ。どえらい雨の中、ご足労願ってすまなんだのう。」
「何をいう、市松、おみゃあとわしの仲でないか。」
 そのひげ面の大男の客は小柄の正則の肩を抱き、親しげな笑顔見せた。縁の下の甚太にはその様子は見えないが、気持ちが高揚してきた。
(これはいいところに忍びこんだ。おおきな土産ができるかもしれん。)
 ひげ面の大男は、秀吉のもとで福島正則と共にその勇名をとどろかせた加藤清正であった。

加藤清正  天守/戦国画

 

ライトアップされた大多喜城と粟又の滝は、いすみ鉄道ファンtassさんから、戦国画は福田彰宏さんのHPよりお借りしています。

 

 


小説 本多忠朝と伊三 28

2011年05月17日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

 市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説で~す 

第2部  忠朝と伊三 28

これまでのお話 1~27 は コチラ

 

 

 

 長田と伊三が目指す嘉平の住む小屋は、国吉原から南西に直線距離で三里半(およそ十六キロ)、道のりにして約六里(二十四キロ)の粟又と言うところにある。朝早く国吉原を発った二人が養老川を目の前にした時、陽はすでに天の中央にかかろうとしていた。養老川に沿って粟又に向かうだらだらとした上り坂に、朝から歩き通しの二人はさすがに疲れを感じ始めていた。
「伊三、少し休むか。」
 長田はそう言って、行く手の右側にある寺の境内へと入って行った。二人が本堂の前で手を合わせていると、小坊主が現れた。長田が
「粟又に知人を訪ねに行くところだが、少し休ませてくれぬか。」
と頼むと、少し困ったような顔をしたので、
「境内でかまわぬ。」
と言うと、無言でこっくりとうなずいた。
 ここは水月寺という禅寺である。
「長田様、その粟又と言うところはまだ遠いんですか?」
 体力に自信のある伊三だったが、朝から歩きづめで疲労しているところに、だらだらと続く上り坂に足が思うように動かなくなってきた。
「もう四半時もかからないと思うが。どうした、疲れたか?」
「へえ、こんなに歩いたのは久しぶりなもので。」
「すまんな。今日中に大多喜に帰るつもりで急いでしまったが、今日は泊まりになるかもしれんな。」
「・・・・・」
「どうした?」
「いや、なんでもねえ。」
 二人はサキが持たせてくれた弁当を食べ始めた。握り飯と梅干、それにゆでた菜の花。菜の花の食べ方はサキが長田の妻のきよから教えてもらったのだという事を聞くと、
「そうか、きよがな。」
と、長田は満足そうに菜の花を口に含んだ。
「うまいな。」
 長田のうれしそうな顔を見て伊三は思った。
(はて、これがそんなにうまいかのう。)
 自分たちよりもよっぽどうまいものを食べているだろうに、こんな野の花をゆでたものをうれしそうに食べる長田様の気が知れなかった。
 二人が、弁当を食べ終わるとさっきの小坊主が住職らしい僧を連れて境内に現れた。
 小坊主が長田と伊三の方を指さし、住職らしい僧に何か言うと、その僧はこちらを見ながら、うんうんとうなずいていたが、特に小坊主に何か言うでもなく、こちらをじっと見ているだけであった。
「伊三、迷惑をかけてはいかん。そろそろ行くか。」
 二人が僧に向かって頭を下げると、僧も頭を下げて本堂へと消えていった。

 

 それから、四半時後、、、
 伊三と長田は目指す山小屋にたどり着いた。
「確か、この小屋だと思う。ごめん!平沢殿はこちらにおられるか。ごめんくだされ。」
 小屋の前で長田が声をかけたが、返事はない。
「ここに間違いないのですか?」
 伊三に問いに
「間違いはない。確かにこの小屋のはずだ。嘉平、おらぬか。俺だ、長田だ。」
と、長田は嘉平の名を呼びながら戸を叩いたが、やはり返事はない。
「嘉平、俺だ。」
 長田は強引に戸を開けた。薄暗い小屋の中に人の気配はなかった。
「ふむ。留守の様だな。」
 長田と伊三は、主のいない小屋の中に入った。
「伊三、とりあえず、ここでやすみながら帰りを待とう。」
 そう言って、長田はごろりと横になった。そのとたん、すうすうと寝息をたてて、眠ってしまった。朝から歩き通しで疲れていたのだろう。伊三もその横にしゃがみ込み、うつらうつらと起きているような、寝ているような状態になった。
 どのくらいの時が流れたか、小屋の入口に人の気配を感じ、伊三は立ち上がった。
「誰だ?」
 小屋の入口に現れた人影が聞いた。
「伊三でございます。」
「伊三?」
 伊三は思わず名乗ったが、その人影が伊三の事を知っているはずもなかった。
「勝手に人の家に上がり込んで、そなたは盗人か。」
 影は足を引きずりながら伊三に迫ってきた。
「いや、おれは平沢様と言う方を訪ねてきたものです。」
「なに?俺が平沢だ。お前は何者だ?」
 静かだった小屋の空気の流れに長田が目を覚まし、
「伊三、どうした?」
と、体をおこすと、小屋に入ってきた人影に気づき、
「嘉平。久しぶりだな。おれだ、長田だ。」
と言った。
「ながた?」
 薄暗い小屋の中に平沢は目を細め、小屋の中の影が昔の仲間である長田だと気づくと、がっくりと膝をつき、
「な、長田。本当に長田か。」
と、長田に近づきその肩に両手をおいた。そして、二人は抱き合い、、
「生きていてよかった。」
と、長田が言うと、
「ふ、ふざけるな・・・」
と平沢は長田の頭をわしづかみにした。
「すまん。嘉平。お前を一人残して、、、でも、、、生きていてよかった。」
「おまえもな、、元気そうだな。」
 平沢は長田の頭から手を離した。
「二度会うこともないと思っていたが、訪ねてくれてうれしいぞ。」
 平沢の目には涙が浮かんでいる。
 長田は本多忠朝が万喜原の新田開発を計画し、その開墾のため新たな人手を求めている事を話し、今日訪ねてきたのは、平沢にもその仕事を手伝ってほしいためだと言った。しかし、平沢はそれには答ずにじっと長田の顔を見ているだけであった。
「嘉平、どうだ、手伝ってはくれぬか。昔のように一緒に働こうではないか。」
「昔のように?」
「そうだ、昔のようにだ。」
「断る。」
「なぜだ?」
「お前は、元の主人を討った仇のもとで働きをしていて、恥ずかしくないのか?」
「そ、それは、、、はじめは俺も本多は土岐様を滅ぼした憎い仇とは思っていたが、、」
 長田は大多喜での町作り、新田開発、治水事業など民政に力を入れ、本多忠勝は戦場では鬼の様な大将だったが、忠勝、忠朝と二代にわたり、旧土岐家の者もわけへだてなく取り立てている人情のある家だと言うことを話した。
「だめだ。俺はお前の様に昔のことを忘れることはできない。」
「忘れてはいない。それは、土岐家が滅んだのは悲しいが、、、、」
「うるさい!」
 平沢が長田の言葉をさえぎって叫んだ。伊三はビクリとした。長田は言葉を切って、平沢を見つめた。平沢は立ち上がり、不自由な足を引きずりながら狭い小屋の中を歩き回った。
「おれのこの顔を見ろ。本多の放った火に焼かれた。この足を見ろ。本多の撃った鉄砲のせいだ。」
「嘉平、、」
 長田は返す言葉がなかった。この山奥にひっそりと住み暮らしてきた理由の一つとして、その焼けただれた顔を人前にさらしたくなかったということもあろう。万喜落城から二十年近く、不自由な体でこの山奥に暮らしてきた日々は想像以上に辛いものであったろう。
 長田はそれ以上、平沢に本多家への仕官を勧めることはできなかった。長田が黙っていると、平沢はつぶやいた。
「いまさら、サムライが百姓の真似などできるか。」
「?」
 長田は思った。
(嘉平は勘違いをしているようだ。)
 長田は平沢に新田開発の仕事を手伝ってもらいたいということは、なにも土いじりをしろと言うことではなく、新田開発の監督の手助けをしてほしいのだと言った。
「ふっ。」
と、平沢は力なく笑った。
 薄暗い小屋の中で、二人はしばらく黙りこんでいたが、平沢は伊三がいることにあらためて気づいたように言った。
「それにしても、長田。随分と出世したもんだな。」
「出世?」
「ああ、こんな家来を連れてくるとはな。えらい強そうな家来ではないか。」
 長田はがっちりとした体つきの伊三をちらりと見た。
「こいつは家来などと言うものではない。国吉原の百姓だ。ちょいととぼけたところがあるが、よく働くやつでな、殿様にも可愛がられている。」
「殿さまに可愛がられている?そうか、、、」
 平沢はこんな百姓を忠朝が可愛がっていると言うことに少なからず驚きを覚えた。
「まあ、今すぐに本多に仕えることを決めろとは言わん。行元寺の定賢様からお前の事を聞き、今日会えたことだけでも良かったと思う。」
「そうだな。ところで、これからどうするんだ?大多喜に帰るのか?」
 陽はすでに山の向こうに隠れていて、養老川の渓谷は薄暗くなり始めている。
「もう暗くなり始めている。今日は帰るのは無理だろう。迷惑でなければ、今晩はここへ泊めてもらいたい。」
「俺は構わぬが。」
と言った平沢の顔は少し嬉しそうに見えた。その夜、長田と伊三は平沢の小屋に泊まることになった。長田が持参した酒を酌み交わし、二人は昔の思い出話に夜遅くまで語り合った。

 

 翌朝。
 伊三が目覚めると、長田の姿はなく、平沢がごそごそと出かける支度をしていた。
「平沢様、おはようございます。」
「おお、やっと起きたか。家来が主人より遅くまで寝ているとはな。」
「も、申し訳ないことで、、、」
「長田なら、河原に行っている。お前も川で顔でも洗ってこい。」
「へえ。」
 伊三が河原に降りていくと、そこに長田はいた。刀に手をかけ、じっと虚空をにらみつけていた。その気迫に伊三は立ちすくみ、声をかけることができなかった。
「やあ。」
 長田は刀を抜くと、目の前の空気を切りさいた。振り下ろした刀を、振り向きざまに構えなおし、ゆっくりと三歩前に進み再び空気を斬った。繰り返し、刀お振り下ろす姿が伊三には目に見えない敵と戦っているように思えた。
 刀を鞘に納めると長田は茫然としている伊三に気がついた。
「伊三、起きたか。」
「お、おはようございます。」
 普段はやさしげな長田が鬼の様な気迫で刀を振る姿に伊三は、なにか近寄りがたいものを感じ、一歩も動くことができなかった。
「どうした伊三。」
「い、いや、いつもの長田様と違う人みてえで、おっかなくって。」
「そうか?毎朝のならいだ。」
 長田が伊三の方に近づくと、伊三は後ずさりをした。
「どうした、伊三。何故逃げる。」
 伊三はいつもと違う長田の気迫に押されて思わず身をひいてしまった。命がけの心をこめて真剣をふるっていたため、自分では気がつかないが、長田の体からは殺気が抜けきっていない。
 肩をすくめる伊三に背を向けて、長田は川に向かい、川の淵でしゃがみ込むとじゃぶじゃぶと顔を洗い始めた。伊三は恐る恐る長田の隣にしゃがみ込み、同じ様に顔を洗った。
「ぷはあああ。」
 長田は大きく息をふきだし、
「どうだ、気持ちよかろう。」
と、顔を洗っている伊三の肩をつかんだ。伊三はビクリとして、長田の顔を見た。いつものおだやかな長田に戻っている。
「それに、どうだ、この滝は。ちょいと寒いが、夏に来たら気持ち良いだろうな。」
 二人は房総最大の滝をしばらく見入っていた。

 小屋に戻ると平沢の姿はなかった。
「どこへいったのか?」
 長田は平沢を探そうと小屋から出ると森の中から一筋の煙が上がっているのを見つけた。
「あれは何だ?のろしか?」
 長田と伊三は、緊張しながら煙に向かって森の中に入って行くと、煙の小さな小屋からもうもうとたち上っている。その小屋の前で杖をついて背を向けて立っているは平沢だろう。
「嘉平。」
 呼ばれて振り向いた平沢のやけどの痕が残る顔はうっすらと黒ずんでいる。その不気味な表情に長田はぞっとした。
「どうしたんだ、その顔は?」
 長田が聞くと、
「炭を焼いているところだ。」
と、平沢は答えた。平沢は粟又の山の中のこの小屋で炭を焼き、その炭と交換に近在の猟師から日々の食べ物を手に入れて暮らしているのだという。長田は思わず噴き出した。


「ふふふ、嘉平。サムライが百姓などできるかと言いながら、炭焼きとはな。」
「な、何を言う。炭焼きとて生きていくうえでは大切な仕事だ。」
 平沢の言葉に伊三は言い返した。
「百姓とて、立派な仕事だ。」
 珍しく伊三はむきになって、平沢を睨みつけた。ぼうっとした印象の伊三が目を吊り上げているので、平沢はたじろいだ。
「ま、まあな。俺は、別に伊三の仕事をさげすんだわけではないが。気を悪くしたか。すまん。」
と、平沢は頭をさげた。
「あ、いや。平沢様、そんな事なさらんでくだせえ。」
 思わず声を荒げた伊三が、今度は恐縮すると長田が声をあげて笑った。平沢もつられて笑い出した。
「長田。良い家来を持ったな。うらやましい。うらやましい。」
「家来ではないと言うに。」
 再び二人は笑い出した。その平沢の笑顔を見て伊三は思った。
(おや、平沢様はいいお顔をしてなさる。やけどがなければ立派なお顔だちだ。)
 美男子、、とは言い難いが、確かに太い鼻筋と大きな光る目だまの平沢の顔はやけどがなければ精悍に見えるだろう。髷と着物を整えた平沢の武者姿を伊三は想像した。
 長田は再度、忠朝に会う事を勧めたがついに平沢は首を縦には降らなかった。
「残念だ。しかし会えてよかった。いづれにしても達者でな。また参る。」
 長田と伊三は平沢をひとり残し、大多喜への帰途についた。しばらく歩いて振り向くと、見送る平沢が手を振り叫んだ。
「長田ああ、また来いよ。伊三もなああ、、待ってるぞ。」
 大多喜には行きたくないが、平沢は長田と伊三に会えたことがうれしかったようだ。

まだまだ 続く

*挿入の画像は、大多喜町HP養老渓谷ふる里を守る会(炭焼き)よりお借りしました。


小説 本多忠朝と伊三 27

2011年03月02日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

      

本多忠勝     画像提供HP     本多忠朝

 

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説で~す 

第2部  忠朝と伊三 27

 

 

これまでのお話 1~26 は コチラ

伊三が風邪で三日寝込んでから、およそ一カ月がたった二月のある日。
 寒さが緩み、国吉原の田んぼの周りには黄色い菜の花がポツリポツリと咲いている。その菜の花を摘むサキとホリベエの姿を伊三はぼんやりと眺めている。
(サキはキヨに似てきた。)
 あの三日間の夢の中で、キヨがサキになり、サキがキヨになった事を思い出し、伊三は胸が締め付けられる思いがした。伊三はホリベエがサキと仲良く菜の花を摘む姿に嫉妬を覚えていた。キヨが生きていれば、、、二人の姿を自分とキヨの姿に重ね合わせた。
 そんなことを考えているとは知らずに、サキとホリベエが伊三のところにやってきて、
「おとう、あったかくなってきたな。ほら、こんなに採れたよ。今日の晩のおかずだ。」
と、伊三の目の前に菜の花を差し出した。
 サキは長田の妻、きよから菜の花をゆでて、醤油につけて食べる方法を教わってきたので、伊三にも食べさせてやろうと、この日は菜の花摘みに伊三を誘い出したのであった。風邪をひいて寝込んでから伊三は元気がない。もともと口数は少ないが、丸一日、黙っている事もあってホリベエとサキは心配していたので、春の陽気に誘われて元気づけようと伊三を外に連れ出したのであった。
「こんなもんが、食えるのか?」
 伊三は菜の花をじっと見つめた。
「ああ、長田様の奥方様に料理の仕方を教えてもらったけど、おいしいよう。」
「そっか。楽しみだな。」
・・と言う割には伊三の顔は全く楽しそうではなかった。風邪はすっかり治っているが、なぜか伊三のこころはすっきりとしない。あの三日間の間に見た夢が気になって仕方がなかった。特に忠勝の悲しそうな顔が伊三の頭の片隅にこびりついて、軽い頭痛を感じることもあった。
 せっかく連れ出したが、ぼんやりと座り込んでいる伊三を見て、サキは誘い出した事が必ずしも伊三のためにはなっていないのかと思いなおした。
「おとう、疲れてるみたいだな。帰るか?」
「ああ。」
「迷惑だったか、、な?」
「なにが?」
「無理やり連れ出しちまったみたいで、、、」
 サキの申し訳なさそうな顔を見て、伊三は力なく笑い、立ち上がった。
「そんなことはねえ。ありがとよ。」
 家に帰り、サキが湯を沸かし、菜の花をゆでていると長田がたずねてきた。これから、行元寺に行くのだが、伊三もついて来いと言うのだ。はて、何の用だろうと思ったが、長田は理由も言わずにさっさと歩きだしてしまった。
 行元寺に着くと、定賢が二人を出迎えた。
「おお、伊三も一緒に参ったか。御苦労、御苦労。」
 定賢にいざなわれて、本堂に上がった長田と伊三は祭壇に手を合わせた。不思議と伊三はわずかに心が静まる感じがした。その伊三の表情がかすかに和らいだのを見て、
「伊三、何か悩みでもあるのかな。一人、心にしまっているよりは口に出してしまった方が身も心も楽になるぞ。」
と定賢が言われて伊三はあの三日間に見た夢の話をした。
「なんであんな夢を見たのか。おれは忠朝様の家来になることをあきらめていたのに、忠勝様の霊が現れて忠朝様の家来になれと言う。おれはこれから殿様のためにうめえ米が作れる百姓になると決めたのに、忠勝様は家来になって忠朝様をお守りしろとおっしゃった。やはり、仰せに従わなければいけないのでしょうか。おれはどうすればよいのか分からなくなりました。」
「ふむ。伊三、わしが思うにそれは忠勝様の霊ではあるまい。」
「いや、間違いありません。一度しかお会いしたことはありませんが、あのお顔は先代の殿様に間違いはありません。」
「いやいや、そう言うことではない。お前の心に潜む願いが忠勝公のお姿を借りて夢の中に現れたということだ。」
「??」
「伊三、お前はもともと忠朝様の家来になりたいと思っていたろう。」
「はい。」
「それが、わしのもとで暮らし、米を育てていくうちに、今度は立派な百姓になろうと思い始めた。ついには家来になりたいと言う気持ちよりもうまい米を作りたいという気持ちが強くなってきた。」
「ええ、まあ、そうだと思います。」
「ところが、病に伏した時に、知らず知らずに抑え込んでいたお前の希望が忠勝公の姿となって夢に現れたのだろう。」
「でも、夢の中には、岩和田の茂平さんや、長田様も出てきました。」
「それは、全てがお前の気持ちの現れだろうよ。生まれ故郷への思い、恩人である長田殿への感謝。みな、お前には大切な人々だろう。自分がどうすれば、誰が喜んでくれるかを考えて、その人々を夢の中に呼び出してしまったんだろう。それにしても、わしが出てきて出家しろとは、うれしい事よ。」
「じょ、冗談ではありません。なんになるにしても、、、、坊主だけは嫌だ。」
「ほほ、正直な。しかし、まあ、わしの事も慕ってくれているということには違いあるまい。うれしい事じゃ。」
 伊三は、はずかしくなりうつむいてしまった。
「まあ、いずれにしても、伊三、好きなように生きろ。誰もお前をしばりはしない。米を作りたければ、米を作れ。岩和田に帰りたければ、岩和田に帰ればよい。忠朝様に奉公するなら、それも良い。それとも、出家するか?わしはそれが一番良いと思うがな。」
「いや、そればかりは、、、」
「ほほ。やっぱり嫌か。」
 それまで定賢の話をじっと聞いていた長田が口を開いた。
「定賢様、そのような事を申されては困ります。伊三が勝手に岩和田に帰ったり、お城に奉公することなどできようはずがありません。」
「長田殿、そうこわい顔をされるな。本当に岩和田や大多喜のお城に行けと言っているのではない。自分の本当の気持ちを押し殺すことはないと言っているのだ。忠朝様の家来になりたいと言う希望を捨てきれないのに、自分にうそをついて、米作りをするのは良くないと言うことだ。希望を捨てるのと、かなわぬまでも夢を持って今の仕事にむきあうのでは、おのずから作る米の味も違ってくる、と言うことだ。」
「なるほど。しかし、夢を持つと言うのは欲望の現れともいえませんか。煩悩を捨てろと言う教えに反するのでは。」
「なに、まあ、そんなことを言っても生身の人間じゃ。希望をもちつつも、つまらぬ煩悩を捨てる努力をするぐらいが伊三にはちょうど良い。」
 定賢の言葉に伊三は頭を下げた。
「ありがとうございます。よくわからないところもありましたが、気持ちは楽になりました。」
 定賢はにこりとうなずいた。伊三は長田にも頭を下げた。
「長田様、おれが悩んでいるんで、誘って下すったんですね。ありがとうございます。」
「いや、お前がそんなことで悩んでいるとは知らなかった。実はな、、、」
 長田が本来の用件を話だした。
 伊三が風邪で寝込む前に行元寺を訪れた日に出会った異相の浪人平沢嘉平のことを、定賢は長田に話をした。長田も元は万喜城の土岐家に仕えていたので、もしかしたら平沢の事を知っているかと思ったからである。知っているどころの話ではなかった。万喜城が落城したあの日、長田は平沢と共に戦っていた。敵は今の主人、忠朝の父、本多忠勝であった。
 その平沢が養老渓谷の山小屋でひっそりと暮らしているという話を定賢から聞いた長田は、中根忠古にそのことを話した。忠古は黙って、長田の話を聞いていたが、
「お前に任せよう。」
とだけ言った。
 長田はとにかく、平沢に会いに行ってみようと思い、今日は定賢から平沢の様子を詳しく聞くためにやってきたのだ。なぜか、渓谷には伊三も連れて行こうと思い、それで、伊三を連れてきたのだが、伊三が忠朝の家来になるか、百姓を続けるかというとんでもない悩みを抱えているとは全く知らなかった。少々、あきれてしまった。
「定賢様、実は嘉平を渓谷まで連れて行ったのは私でございます。」
 長田は落城の日とその後の事を話し始めた。
 本多軍の猛攻撃の前に、土岐軍は敗色濃厚、城主の土岐為頼は自刃したとも、わずかな側近と供に万喜城を脱出したともいわれ、落城のときには行方がわからなかった。長田と平沢たちが隠れていた米蔵には火をかけられ、平沢の顔のやけどはその時のものだと長田は言った。
 万喜城に入城した本多忠勝は、城に残った土岐家の旧臣を集め、本多家に仕える気持ちがあるものは召し抱えるが、その気がないものは万喜からは追放する旨を伝えた。長田は決心がつかず、とりあえず万喜城を出て、意識が戻らない平沢をつれ、養老渓谷へと向かった。
 城を出た時にいた仲間のほとんどは途中で離ればなれとなり、渓谷にたどり着いたのはわずかに四名だけだった。その仲間のひとりの親類に当たると言う年寄り夫婦の小屋に身を寄せることにした。
「はじめは、容赦のない本多勢の攻撃に忠勝公は鬼のような人だと思い、復讐を考えないでもありませんでしたが、山奥で静かに暮らしているうちに、忠勝公が万喜城を出て、大多喜に新しい城と町を作ると言ううわさを聞き、平沢を残し、三人で大多喜を探りに来たのです。すると、元土岐家の者たちが嬉々として働いているではありませんか。話を聞くと、戦場では鬼の様な忠勝公も普段は情が厚く、土岐為頼様の事も敵ながら豪勇の武将と称賛しているとのこと。何よりも土岐家に仕えてきた者たちを、町づくりに重く用いているとのことを聞き、、、」
「長田殿も忠勝公に仕える気持ちになったと。」
「はい。三人で相談して、嘉平のことは養老渓谷の年寄りに任せて、本多家に奉公することにいたしました。」
「なるほどな。」
「嘉平の事は気になっていました。もしや、もう死んでいるのではと思っていましたが、定賢様とお会いしていたとは。」
「で、長田殿はどうなさる。」
「はい。とにかく、嘉平に会い、忠朝様のお考えを話し、なんとか私と一緒に仕事をしてほしいと思います。不自由な体でございます。無理はできないとは思いますが、山奥で恨みを持ち、寂しく暮らすよりは、再び万喜で働く事の方が幸せかと。」
「山に暮らすのと、万喜に戻るのと、どちらが幸せか、、それは平沢殿が決めること。まあ、行くだけ行ってみるがよい。平沢殿の話では、老夫婦が亡くなった後も、その小屋に暮らしているそうだ。」

 三日後の朝、、長田は伊三とともに、養老渓谷へと向けて出発した。

                                          まだまだ 続くよ(●^o^●)

 

 


小説 本多忠朝と伊三 26

2011年02月16日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

3月25日(金)~4月10日(日)18:00~22:00、千葉県立中央博物館大多喜城分館では、大多喜城周辺の桜の開花に併せて天守閣のライトアップを行います。 夜空に浮かびあがる大多喜城と、夜桜を見物しに来てみませんか。

『本多忠勝・忠朝を大河ドラマに』勝手に応援団、

市川市在住・久我原さんの妄想の入った小説で~す

第2部  忠朝と伊三 26

これまでのお話 1~25 は コチラ

 風邪で寝込んでしまった伊三の枕元でホリベエが心配そうにその顔を覗き込んでいる。鼻がつまっているせいか、伊三は大口を開けて、ピーピーと妙な寝息をたてている。
「オトウ、ダイジョウブカ?」
 伊三の苦しそうな寝顔を見ながら、ホリベエは独り言を言った。
 その独り言が聞こえたかのように、伊三はゆっくりと目を開いた。
「ああ、ホリベエか。」
と言うと、口を開けたまま、ホリベエの顔をぼうっと見ている。
「オトウ、ダイジョウブカ?」
 今度は独り言ではなく、伊三に問いかけた。
「ああ。のどがひりひりする。水を持ってきてくれ。」
 ホリベエは土間に行き、水がめから水を汲んできた。
「ハイヨ。ミズ。」
 伊三は水を一気に飲み干した。
「ああ、ありがとう。ふう、楽になった。でもまだ頭がくらくらするな。もう少し寝るから一人にしてくれ。」
「オヤスミナサイ。」
 ホリベエが頭を下げると、伊三はまたピーピーと言いながら再び眠り始めた。
 浅い眠りであった。「・・・ホリベエさん出かけるよ・・・・」、というサキの声を聞いたような気がした。伊三にはそれが夢の中なのか、現実のサキの声なのかは良くわからなかったが、どうやらサキとホリベエは二人でどこかに出かけたようだ。一人っきりの家の静けさの中で伊三はどのくらい眠っただろうか、、、、

「伊三、伊三。」
 誰か、女の声が呼びかけてくる。
「ああ、サキか?もう帰ってきたのか?」
 それにしても、いつもはオトウと言うのに伊三と呼び捨てにしたことに違和感を覚えた。ぼんやりとした頭の中で、(ちがうかお客かな?)と思っていると、また同じ声が呼びかけてきた。
「伊三、これで良いか?」
 それは女の声ではなかった。子供の声だ。
「これならもっとやさしいだろ。」
 目の前には少年時代の忠朝が『伊三』と書いてある紙を伊三に向かって突き出している。忠朝の横には忠勝が座っている。ああ、ここは大多喜城のお屋敷のお庭だと気がつくと、伊三は、ひれ伏して泣いた。そして、ありがとうございます、ありがとうございます、と繰り返している。すると忠勝がいきなり刀をぬいて一喝した。
「伊三!泣くな!そのようなことで、忠朝の家来になることができると思うか?」
「もうしわけねえ。若様はおらがお守りします。」
 顔を上げると、忠勝は悲しそうな顔をしている。
「伊三、忠朝のことを頼むぞ。忠朝を助けてやってくれい。」
「へい。命がけでお守りします。」
と頭を下げると、今度は聞きなれた忠朝の声が聞こえた。
「大げさなことを言うやつよ。伊三、死ぬなよ。わしは今宵の戦で果てるやもしれんが、お前は死んではならん。わしが死んだ後の大多喜はお前に任せたぞ。」
 再び、顔を上げると、そこには成人した現在の忠朝が陣羽織をまとって床几に腰かけている。空には星が輝いている。これからどこかに夜襲をするつもりらしい。
「殿さま、おれも戦う。殿さまをお守りするんだ。」
 忠朝がふふと笑うと、
「よし、では出撃じゃあ!」
と命令した。えいえいおおと、押し出してきたのは、国吉で働く農民仲間だった。
「かまえい。・・・撃てえっ!」
 組頭の長田の号令に答えて、戦いの火ぶたが切られた。と、言っても放たれたのは銃弾ではなかった。農民仲間は普段の仕事着のままで、一斉に石を投げ始めた。その先にいたのは、何と岩和田の漁師仲間で、同じように石を投げ返してくる。その先頭にはなぜか鎧を付けた名主の茂平が、
「負けるな。負けるな。」
と号令を下している。伊三は驚いて、
「やめろ、やめろ。」
と国吉農民隊と岩和田漁師隊の間に走り出した。
「やめろ。なんで、お前らが喧嘩するんだ。」
 茂平が答えた。
「おめえを取り戻しに来たんだ。」
 伊三は茂平に向かって言った。
「おれはもう岩和田には帰れねえ。殿さまの家来になったんだ。」
 気付くと、伊三の腰には刀が差してある。
「やめろおおおお。」
と、その刀を抜くとその重みに伊三は右に左にふらふらし、しまいには前のめりに倒れた。倒れた伊三の尻をだれかが蹴飛ばした。
「いてええ。」
 伊三が尻を押さえて立ち上がるとそこには幼い忠朝が、
「しっかりせえ、しっかりせえ。」
と、あかんべえをしている。
「若様、なにすんだ。」
 伊三が忠朝に向かって手を伸ばそうとすると、あかんべえをする忠朝が誰かに首根っこを掴まれ宙に浮き、足をじたばたし始めた。忠朝をぶら下げているのは父親の忠勝である。片手で忠朝をぶら下げたその形相はやはり悲しそうであった。
「伊三、忠朝のこと、頼んだぞ。忠朝を助けてやってくれ。」
「殿さま、お任せ下さい。」
「頼んだぞ、、頼んだぞ、、、頼んだぞ、、」
 忠勝の声がだんだんと遠ざかっていく。伊三はゆっくりと目を開けた。
「夢か。」
 何とも脈絡のない夢だったが、妙に忠勝の悲しげな顔が気になった。のどがひりつく。
「サキ、サキ。」
 呼んでみたが返事はない。伊三は起き上がろうとしたが、力が入らずに再び眠りに付いてしまった。

 それから、どのくらいたっただろうか。香ばしいにおいに伊三は目を覚ました。
 ゆっくりと体を起こすとサキとホリベエの後ろ姿が見えた。
「サキ、水をくれ。」
「うん?おとう、起きたか。ちょっと待ってくれ。」
 サキは伊三の方を振り返らずにホリベエに何か言うと、ホリベエが立ち上がり水がめから水を汲んできた。
「オトウ、ミズ。」
「ああ、ありがとう。」
 伊三はホリベエに助けられ、上半身を起して水を飲みほすと、
「ふうううう、、」
とうなった。
 サキは振り返らずに伊三に話しかけた。
「おとう、腹減ったろ。ホリベエさんと一緒に魚釣ってきたから、いっしょに食うべ。」
 そうか、香ばしいにおいがするかと思ったら、魚を焼いていたのか。去年の秋、米の収穫が終わり時間に余裕ができると、ホリベエは長田から釣りを教えてもらった。大多喜と国吉をまるで蛇のようにくねくねと流れる夷隅川は大多喜城の天然の堀の役割をしている、と同時に住民にとっては貴重な水資源であり、そこから捕れる魚も重要な栄養源となっていた。
「このごろ、ホリベエさんもだいぶ釣れるようになってきたよ。今日は、ホリベエさんの勝ちだ。」
 釣りを始めたころは、サキの方がよく釣っていたが、コツを覚えたのか運が良いのか、近頃はホリベエの方が多くの魚を釣るようになっていた。
「ごほっ、ごほ。」
 伊三はせき込んだ。
「いや、腹は減ったが、なんとなく食べるのがおっくうだ。」
 サキは立ち上がり、伊三のところにやってきた。
「おとう、なんか食わねえとよくなんねえぞ。そんなら、おかゆでも作るか。」
「ああ、頼む。」
 伊三はおっくそうに、横になり、
「ピー、ピー。」
と、あの不思議な寝息を立てて眠ってしまった。
「ピー、ピー。」
 ホリベエが伊三の寝息をまねるとサキは口を押さえて、くくくくっと笑った。
「オトウ、ダイジョウブカ?」
「うん、寝てれば治ると思うんだけど、おとうが風邪をひくなんて珍しいな。」
「メズラシイ?」
「うん、おとうが風邪で寝込んだことなんか、なかったと思うんだけど。」
「オトウ、カワイソウ。」
「そうだな。おとなしくしていると気味悪い。早く元気になるといいな。」
「オトウ、ゲンキ、サキ、オラ、シアワセ。」
「そうだね。お、焼けた、焼けた。ホリベエさん、食べよう。」
 二人はとれたての川魚を食べ始めた。
「うんめえのにな。」
 サキの言葉に答えるように伊三のピーピーが突然止まり、グフッと言って寝がえりを打った。

 その夜、伊三はまた夢を見た。
 畳を敷いた広い部屋の中央に伊三が座っている。その周りを六人の男が車座に座っている。伊三の目の前には本多忠勝と忠朝が、忠朝の左に、定賢、長田、岩和田の茂平、大宮寺の和尚の順番でぐるりと伊三を取り囲んでいる。
「伊三、忠朝の事、頼んだぞ。助けてやってくれ。守ってやってくれ。」
「父上、何を申されます。伊三はここで百姓になりました。家来にはいたしません。」
「忠朝!わかったような事を言うな!お前は伊三の力に気づいておらん。」
(おれの力?何の話だろう?)
 みんなはおれを取り囲んで何の相談をしているのだろうと考えた。
 昨日から伊三はほとんど眠っているが、その時間が長いせいかほとんどが浅い眠りで、夢を見ては目覚め、夢と現実の区別がつかなくなってきている。この夢も伊三はすっかり、風邪が治って、現実のことだとおもっている。
「殿さま、そいつは勘弁して下せえ。早く岩和田に戻してやって下せえ。」
 そう言ったのは茂平であった。
(なんで茂平さんがここにいるんだろう。)
 そう、聞こうと思っても伊三の口はパクパクするだけで、声が出ない。
(あれ、風邪のせいで声が出なくなっちまった。)
「なあ、和尚もそう思うだろ?」
 茂平に問いかけられた、大宮寺の和尚は、それには答えず、ニコニコしながら、
「伊三、良かったな。立派な侍になれて。」
 伊三は自分の着ているものを見ると、忠朝や忠古の様な立派なものではないが、袴をはいて、脇差を差している。
(ありゃ、組頭みてえな格好だな。)
「和尚、何をいう!伊三がいなくなってから、不漁続きだ。おまけに嵐や津波が来てろくなことがない。」
「茂平さん、大丈夫だ。伊三が殿さまになって、わしらを助けてくれる。」
 忠朝は気色ばんだ。
「何?伊三が殿さまになる?どういうことだ?」
「いやいや、わしも若いころはそんな夢を見たものです。伊三がその夢をかなえてくれる。」
「聞き捨てならん!」
 忠朝が脇差に手をかけると、
「坊主、いい加減にせい。」
と、忠勝のごつごつした手が忠朝のほおをつまんだ。
「いててて、、、」
「和尚、すまんな。こ奴、また酒を飲んでいる。」
「とにかく、伊三を帰してください。」
 茂平が忠朝に向かって土下座をしている。嘆願する茂平に、長田が怒鳴りつけた。
「茂平!何度言ったらわかるんだ。伊三は万喜原の新田開発になくてはならん男だ。帰すわけにはいかん。」
「勝手なことをいうなあ。漁師が田んぼで働けるわけねえべ。」
「勝手はおぬしじゃ。百姓が海に出られるか。定賢様、何とか言ってやってください。」
「伊三は出家する。わしの弟子になったんじゃ。百姓でも、漁師でも、侍でもない。伊三は僧侶になりたいのじゃ。」
(なんだ、どうなってんだ。おれはどうすりゃいいんだ。でも、坊さんにだけはなりたくねえ。)
 伊三は定賢に向かって口をパクパクさせたが、定賢は微笑みながらうなずいた。
「そうか、そうか、そんなに出家したいのか。」
 ちがうちがう、と思っていると。忠朝が立ち上がった。
「ええい、静まれ!伊三!どうするつもりだ!」
(どうするつもりだって、、、)
「岩和田に帰ってこい。」
「伊三、出世して殿さまになるんじゃ。」
「万喜原の事はお前の働きにかかっているぞ。」
「出家して立派な坊さんになれ。」
「忠朝を助けてやってくれ。守ってくれ。」
「伊三!どうするんだ?」
 六人の男たちに同時に言われて、伊三は混乱した。すると、その六人の顔がゆらりと歪むと、目の前が真っ暗になった。

「あんたあ、あんたあ、、、、、」
 どのくらいの時間がたっただろうか、だれかが自分の事を呼んでいる。
「あんたあ、サキはどこ?」
「キヨ!」
 伊三に呼びかけているのは、亡くなったはずの女房、キヨである。
「おまえ、、どうして、、」
「ああ、やっと起きた。いやな夢での見てたのかい?うなされていたよ。」
「やはり、夢か。ああ、なんだか、頭がくらくらする。」
 キヨは伊三の額に手を当てた。
「まだ、熱があるねえ。サキはどこに行ったの?おとうが寝込んでいるのに、ちゃんと面倒を見てやらなきゃだめじゃないか。」
 伊三はキヨの手を握った。冷たい手だ。
「なんだ、お前随分手が冷たいな。」
「永いこと、海の底にいたからねえ。」
「そうか、、すまねえ。助けてやれなかった。」
「いいんだよ。あんたのせいじゃない。」
「すまねえ。うう、、、」
 伊三が泣きだすと、
「泣かないで。それよりも、サキの事お願いしますよ。」
 キヨは立ち上がって、伊三に背を向けた。
「キヨ、行かないでくれ。」
 伊三の呼びかけに振り向いたのは、キヨではなくサキだった。
「サキ!キヨはどこ行った。」
「ああ、おかさんなら、畑に大根を取りに行ったよ。」
 そう言うサキの姿はゆらりと揺れると消えてしまった。
「サキ!キヨ!どこに行った。おれを一人にしないでくれ。」
 伊三は一人の暗闇の中で泣いた。

「あんた、あんた。」
 しばらくすると、またキヨが呼びかけてきた。うっすらと目を開くと、キヨが心配そうに自分のことを見ている。
「キヨ、戻ってきてくれたのか。」
 伊三は起き上がり、キヨに抱きついた。
「おとう、やめろ、なにすんだ。」
 ハッとして、顔を見るとそれはキヨではなくサキだった。
「おとう、随分うなされていたけど、おかさんの夢でも見てたのか?」
「サ、サキか。夢だったのか。」
「いきなり、抱きついてきて、おらの事をおかさんと間違えたな。」
「ああ、すまねえ。」
 伊三はあらためて思った。サキはキヨに似てきた。キヨが生きていれば、きっと姉妹のように見えるだろうと。
「おとう、腹減ってねえか?二晩もねっぱなしで水しか飲んでねえんじゃ、元気にならねえぞ。お粥作ったから。」
 サキはかまどから粥をよそって持ってきた。
「きのう、ホリベエさんが釣った魚の身をほぐして入れてみた。」
 伊三は粥を一口すすり、
「うめえ。」
と舌なめずりをした。何を思ったか、伊三の目から一筋の涙がこぼれた。
 サキとホリベエは顔を見合わせた。
「こんなに、うめえ粥は初めて食った。うめえ、うめえ。」   

久我原さんの小説は、まだまだ続くよっ


小説 本多忠朝と伊三 25

2011年01月12日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

本多忠勝・忠朝応援チーム2011年初登場です。

本年もよろしくお願いします。

NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の第5話より本多忠勝公が登場するようで、皆様ワクワク、ドキドキですね 大河ドラマをもっと楽しくご覧いただける話題を!!

三重県の とし様、『無明堂というサイトで本多忠勝公を主人公に合戦師」、本多忠朝公を主人公に戦鬼の血脈を書いていらっしゃいます。歴史小説を書く練習作品とのことですが、まるでその場にいたかのような情景描写や心理描写には、読み手はグーッと引き込まれてしまいます。NHK大河ドラマ「江~姫たちの戦国」の歴史背景や、忠勝公の見た戦国が、よりリアルに味わえると思います。皆様も是非ご訪問ください  三重県&千葉県「本多忠勝公を大河ドラマにしよう!」がスタートしました。ね?

 

キハ52~姫たちの大多喜城~ ?

NHK大河ドラマに負けない、美しい大多喜城の姫さま達  

  

鍋之助さんのイラストです。 左から「於久と本多忠朝」「小松姫」「乙女と本多忠勝」

では、久我原さんの妄想の入った小説第25話、はじまり~はじまり

第2部  忠朝と伊三 25

これまでのお話 1~24 は コチラ

 岩和田から国吉に戻る前に、伊三は大多喜城に立ち寄り組頭の長田をたずねた。新年の挨拶と岩和田への使いの報告のためである。岩和田の名主茂平が、新田開発に人が必要なら協力は惜しまないと言っている事を誇らしげに報告した。長田は、
(殿様は伊三を岩和田に帰らせる口実を与えただけだから、特に茂平の返事は期待していないだろう。)
と、思ったが、伊三があまりにも誇らしげに報告するので、
「わかった。よく、やったぞ。」
と、長田はまるで子供の使いを褒めるようにうなずいた。伊三は挨拶と報告だけを済ませて帰ろうとしたが、長田は、
「まあ、良いではないか。雑煮でも食っていけ。」
と、伊三を引きとめた。
「いや、とんでもねえ。サキもホリベエも一緒だから、御迷惑になる。」
「だから、もうしばらくゆっくりしていけと言っているんだ。」
「?」
「まあ、そのなんだ、サキもホリベエも去年は良く働いてくれた。ねぎらいのつもりだ。遠慮するな。」
 長田は伊三が一人で来ていたら、ひきとめはしなかったが、サキとホリベエが一緒に来ている事を知り、いっしょに正月を祝いたい気分になっていた。長田に勧められて、伊三は表で待たせているサキとホリベエを呼んできた。
「ほんじゃあ、お言葉にあまえて、、、」
 伊三たちはすまなそうに長田の家に上がり込んだ。
 サキは長田の前に座り、手をついて新年の挨拶をした。
「おお、サキ、去年は御苦労であったな。今年もよろしく頼むぞ。」
 長田はにこやかにサキの挨拶を受けた。サキも長田に声をかけられてうれしそうである。
「あのう、奥方様は、、、」
「あいつなら畑に大根を取りに行っている。もうそろそろ帰ってくるだろうが、、、、」
 サキは去年、ホリベエと共に城に来た時に長田の妻、きよと共に過ごした時の事を思い出していた。偶然、自分の母親と同じ名前の長田の妻と台所仕事をしているとき、
(ああ、おかさんが生きていればこんなかんじなのかなあ、、、)
と思った。しかし、伊三はそんなことがあったことは知らないので、長田とサキが親しげにしている事を不審に思った。
「ただいまあ。あら、お客様ですか?」
 そのうちに、長田の妻きよが帰ってくると、サキは立ち上がり入口まできよを迎えに出た。
「奥方様、お帰りなさい。明けましておめでとうございます。」
「あら、サキちゃん、来てたのね。明けましておめでとう。今年もよろしくね。でも、その奥方様って言うのはやめてちょうだい。主人が真似して、『奥方、奥方』っていうもんだから、気味が悪くて。ゆっくりしてらっしゃい。私は、これから大根を漬けものにするから、終わったらゆっくりお話ししましょう。」
 玄関の外には畑から引っこ抜いてきたばかりの大根が三本ほど転がっている。サムライといっても長田の様な下級藩士の家では畑仕事ぐらいするのは当たり前のことであった。
「お手伝いします。」
「いいわよ、あがって主人の相手をしてあげて。あの人、サキちゃんみたいな娘がいたらなあって、いつも言っているのよ。」
 サキは頬を、赤らめながら、
「むすめなら、、、、、おかさんのお手伝いをするのは当たり前のことだ。」
と言って、大根を抱えて井戸端で洗い始めた。その様子を部屋の中で聞いていた長田が伊三の顔を見た。
「いい娘だなあ。お前にはもったいねえ。あんな娘がほしいと言っているのはきよの方だ。」
 長田にそう言われて、伊三はなるほど、母親がいないサキは長田の妻になついているのかと合点がいった。長田はホリベエに向かって、
「どうだ、ホリベエ、サキと一緒にうちの養子にならないか?」
と言った。
「ヨウシ?」
「そうだ、養子だ。」
 ホリベエは長田の言っている事がわからず、伊三の顔を見た。
「そ、そんなことできるわけねえべ。組頭、からかわないでください。漁師の娘と異国人がサムライの養子になるなんて、、、」
 長田と伊三のそんなやり取りがあったことなど知らずに、きよとサキが楽しそうに話しながら家に入ってきた。
 こうして、伊三親子は長田夫妻の親切なもてなしを受け、国吉に帰って行った。

 翌日、どんよりとした冬の空の下、伊三は行元寺を訪れた。本堂に向かう伊三は、懐に妻キヨの位牌を抱えている。。
 本堂からは読経の声が聞こえてくる。行元寺の住職、定賢が朝の努めをしているところである。伊三は本堂の前で立ち止まり、合掌をした。
 読経の声が止むと伊三は本堂に声をかけた。
「定賢様、おはようございます。伊三でございます。」
「ああ、伊三か。帰ってきたのか。」
「はい、昨日帰ってまいりました。お陰さまで岩和田でキヨの墓参りができました。それに、、」
と、キヨの位牌を懐から取り出した。
「今度は、キヨも国吉につれてきました。」
 定賢は伊三からキヨの位牌を受け取り、祭壇に安置すると、お経をあげ始めた。
 定賢の読経が終わると、伊三は礼を言った。
「ありがとうございます。定賢様にお経をあげていただき、キヨは幸せ者でございます。」
「伊三、これで心おきなく、国吉で働けるな。良かったな。」
 伊三は、ハッとした。今まで、定賢のことを尊敬しているはいるものの、こわい存在だとも思っていた。こんなにやさしい言葉をかけられたのは初めてだと思った。
「はい、ありがっがっが、へっくしょい!」
「なんだ、どうした。」
「あ、すみません。なんだか、昨日から体がだるくて、、、風邪でも、、、くっしょい!」
 定賢はくすりと笑い。
「そうか、風邪か。それはいかん、早く帰って、寝た方がよい。」
「はい、そうします。あらためて、、、へっくしょい!」
 伊三は頭を下げると、本堂に背を向けた。すると、定賢が怒鳴りつけた。
「これ!伊三。」
 伊三は驚いて、振り返ると、
「キヨさんをおいてきぼりかい?」
と、キヨの位牌を祭壇から取り上げた。伊三はあわてて定賢からキヨの位牌を受け取り、頭を下げた。
 ふらふらと行元寺の参道を降りてくると、伊三は笠をかぶった男に出会った。みすぼらしいなりはしているが、さむらいの様である。伊三が頭を下げると、その男はちらりと伊三を見たが、片足を引きずりながら、参道の坂を上がって行った。
(足がわるいのか?戦で怪我でもしたのかな?)
 伊三は見かけない人ではあると思ったが、特に気にも止めないで家に帰って行った。伊三はそのまま、三日間寝込んでしまった。

 さて、伊三と出会ったその浪人風の男は行元寺の本堂の前で立ち止まると合掌した。合掌を解き、しばらく感慨深げに本堂を見つめていたが、一礼して参道の方へもどろうとしたとき、本堂から声をかけられた。
「どなたじゃな?」
 男はピクリとして立ち止まり、ゆっくりと振り返り、それが初老の僧であることをみとめると、
「もしや、定賢様ではございませんか?」
と問い、笠を外した。異相である。顔の右半分は焼けただれていた。
 定賢はその顔を見ても何も動じる様子もなく、
「はい、定堅でございます。」
と、答えた。
 異相のさむらいは、わなわなとふるえながら、
「私は、、、、、旧土岐家家臣、、、、平沢嘉平と申します。」
 浪人風の男、、、平沢嘉平はじっと定賢を見たが、定堅は平沢の顔を見つめて、
「ほう、土岐の、、」
と言って沈黙した。
「定堅さま、、、、」
 平沢の呼び掛けに、
「ま、、まあまあ、こちらに上がられよ。」
 定堅は平沢を本堂へといざなった。
 異相のさむらい平沢は本堂に上がると、振り絞るような声で話をしだした。

 平沢は旧土岐家の足軽組頭であった。天正十八年、豊臣・徳川連合軍による北条攻めの時、北条方に味方した土岐氏は徳川軍の本多忠勝により、その本拠地、万喜城を攻められ落城した。
 平沢はその時、鉄砲で右足を撃たれ戦場に倒れた。必死になって槍を杖に立ち上がったが、その後の記憶はない。気がついた時は養老渓谷の山小屋の中にいた。
「嘉平、大丈夫か?・・・・」
と言う声を聞いたが、顔にひどい痛みを感じ再び気を失ってしまった。平沢が起き上がれるようになったのは半年も過ぎての事だったと言うが、平沢自身はその間、自分が生きているのか、死んでいるのかわからなかったと言う。
 誰が平沢を戦場から救い出したのはわからないが、山小屋には老夫婦がいて平沢の世話をしてくれた。その老夫婦も五年ほど前に亡くなり、それ以来、平沢は養老渓谷でひっそりと暮らしていると言う。

「定賢様。土岐が滅んで二十数年たちますが、未だに私はあの時の夢を見ます。戦場に倒れた仲間の屍の上を鬼の様な本多の軍勢が走り抜けていく姿を、、、、」
 平沢は床に手を付き、肩を震わせて泣き始めた。
 定賢は黙って平沢の事を見つめている。
 平沢は再び話し始めた。
「機会があれば、かなわぬまでも本多に一太刀でもきりつけてやりたいと、、、、しかし、私も年をとりました。それにこの体では何もすることができません。」
「平沢殿、今でも本多様をうらんでおられるか?」
「いや、恨みと言うものはもう、とうのむかしに忘れました。忘れましたが、、、」
 平沢の言葉が途切れた。
「忘れましたが、どうされた。」
 定賢の問いに平沢は小さい声で答えた。
「恨みは忘れましたが、、、、悔しい、、、、」
「悔しい?」
「はい。弱いものが滅びるのは戦国の掟であることは、わかっております。我が主、土岐頼春様が御存命ならば、土岐家の再興に力を尽くしたいとも思いますが、今となってはそれもかなわなぬ夢のこと、、、ひっそりとこの身が朽ち果てるまでと思っていましたが、本多の新田開発のうわさを聞き、私の胸の奥から何ともいえぬ悔しさと怒りがわきあがってまいりました。」
「新田開発が何故、お前様の怒りを生み出したのかな?」
「はい。土岐家の旧家臣が本多に召し抱えられているということを聞きました。そやつら、何を考えて、本多のもとでめしを食っているのかと思うと、腹がったって仕方がありません。それに、、、」
 平沢は定賢をぎろりとにらんだ。
「この行元寺も、もとは土岐家の祈願寺。なれど、今は本多と徳川の親交が深いと聞きます。」
 定賢は瞑目した。
「この地を治めていた土岐家は次第に忘れられていく。土岐家の恩を受けた者たちが敵である本多のもとで新年開発を進めている。私は本多を憎むよりも、その昔の仲間が許せないのです。・・・・・・・・私は間違っているのでしょうか?」
 定賢は瞑目したままである。二人の間に沈黙が続いた。
 静かな時が流れていく。平沢は瞑目する定賢を睨み続けている。定賢はゆっくりと目をけると、静かに話し始めた。
「平沢殿。お前様の悔しさは良くわかる。体に傷を負い、山奥で暮らした歳月、さぞつらかったろう。主を失い、本多への恨み、悔しさを持つのは当然じゃ。それが人の心と言うもの。わしのことも恨んでいるのであろうな。わしも本多が民を苦しめる暴君であれば、土岐の再興を願うことであろうが、本多は先代の忠勝公、その後を継いだ忠朝公も民のことを慈しむ名君であるぞ。今回の新田開発もこの土地を豊かにしたいという思いから。土岐家の旧臣の本多への反抗が続けば民に迷惑がかかる。それを避けるために旧土岐家の人々を召し抱え暮らしが成り立つようにして、この土地の平穏を生み出そうと言うのが、今の殿さま、忠朝公のお考えじゃ。」
「そ、、、そうですか、、では定賢様は土岐ではなく、本多が治めた方がこの国は幸せだと、、」
「そういうことではない。民が望んでいるのは本多でも、土岐でもない。安心して働ける平和な世の中を作ってくれる領主さまだ。それが今では本多と言うこと。」
 平沢の鋭い眼光が弱まり、「ほう」とため息をついた。
「では、私はどうすれば。」
「それは、お前様ご自身で決めること。養老渓谷に帰って静かに暮らすか、万喜で忠朝公に協力するか。それはわしが指図することではない。それとも忠朝公を闇うちでもするかな?」
「うう、、、、」
 平沢は再び手を付き、唸るように泣き始めた。
「定賢様、、愚か者の私にはどうしたらよいかはわかりませんが、今日はお会いできてうれしゅうございました。実のところ、本多の新田開発がどんなものかをこの目確かめてみたく、やってまいりました。懐かしいこの地に来て、思わずこちらに伺いましたが、お目にかかれてうれしゅうございました。なれど、今は山に帰り、静かに暮らしたいと思います。」
 平沢は足を引きずりながら、参道の緩やかな坂を下りて行った。その後ろ姿を見つめながら、定賢は思った。きっと、平沢は再び戻ってくるだろうと。

続く


小説 本多忠朝と伊三 24

2010年11月29日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住の久我原さんの妄想の入った小説です 

今回は伊三の奥さんが死んだときの話ですが、慶長の大地震にひっかけてみました。
当然妄想です。慶長5年に大地震があり、岩和田でも津波の被害あったようです。
今回も妄想大爆発、大宮寺(現大宮神社)を現代で言うところの広域避難場所みたいに使ってしまいましたが、当時そのような制度があったかどうかはわかりません。
地震と津波の被害も具体的には良くわからないので、書きあげてみるとなんとなくバクバクとした話しになってしまいましたが、お許しを。なにか情報があれば、書き直しますのでよろしくお願いします。(by 久我原さん)

 

第2部  忠朝と伊三 24

これまでのお話 1~23 は コチラ

 伊三は一年ぶりに岩和田の浜に立って、目の前に広がる太平洋を見つめていた。空は雲ひとつなく、晴れ渡っていたが、海から吹きよせてくる風は肌をさすように冷たい。伊三は背を丸めてガタガタと震えながらも、海を見つめ続けていた。
「キヨ、、、すまねえな。おめえ、一人この海に残して、俺は大多喜にいっちまった、、」
 おととしのあの日同様、伊三の横にはサキがいる。サキも腕を組んでガタガタと震えている。冷たい風に顔をしかめながら、二人は浜に立ち続けていた。
 伊三が海に向かって両手を合わせると、サキもそれにならって手を合わせた。
「なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
 伊三がつぶやくと、サキも伊三に続いて
「なんまんだぶ、なんまんだぶ。」
とつぶやいた。
「おとう、おかさんはこの海のどこにいるんだろ。冷たい海の中に一人ぼっちで寂しかろな。」
「・・・・・」
 伊三は答えなかった。黙って海を見つめ続けている。
 昨年の正月、反対する名主の茂平の説得を振り切り、新田開発の仕事をするために大多喜に移り住んだ伊三は一年ぶりに岩和田に帰ってきた。去年、岩和田を去る時、茂平に、
「うまい米ができるまでは帰ってきてはなんねえ。」
と言われていたが、農業経験者のホリベエの力を借りて、思いのほか米作りはうまくいった。まだまだ、収穫量は少ないが、忠朝が「うまい。」と言うほど質の良い米ができた。その米を土産に伊三は岩和田に帰ってきたのであった。

 昨年の暮れ、預けられていた行元寺から忠朝の許しを得て、サキの待つ家に帰ると、伊三は死んだ女房のキヨの事を思い出した。まだ足を引きずるホリベエの世話をするサキを見て、キヨの面影とだぶらせたようだ。
「サキ、ホリベエさんの足はまだよくなんねえのか。」
「ああ、本人はもう痛くもないとは言ってるけど、、、もう治らねえのかもしんねえ。」
 サキは悲しそうに答えた。ホリベエは
「ダイジョウブ、ダイジョウブ。」
と言ったが、はたから見るとやはりつらそうである。
「そうか。」
 ホリベエは、
「オトウ、シンパイナシ。」
と、たどたどしく言った。来日して、一年と少しが過ぎ、ホリベエは片言ではあるが、日本語も大分話せるようになってきた。ホリベエに「おとう」と言われ、伊三はなんとなく背中がくすぐったい感じがした。ホリベエとサキはまだ夫婦になったわけではないが、一緒に暮らすうち、ホリベエはサキをまねて伊三の事をオトウと呼ぶようになっていた。
「サキ、冬は田んぼの仕事もねえ事だし、岩和田に一度帰ってみるか。」
「どうしたんだ。何かあったのか?」
 行元寺から帰ってくるなり、伊三はいきなり里帰りの事を言い出したので、サキは驚いた。
 伊三は無我夢中で大多喜に来てしまったが、実は死んだキヨをおいてけぼりにしてしまったことを気にしていた。そのことを行元寺の僧、定賢に言うと、
「それは、女房殿も寂しがっておろう。一度、墓詣でをして、大多喜での仕事ぶりを伝えてやるがよい。」
と、帰郷して墓参りをすることを勧めてくれた。
「そっか、そうだな、おかさん、一人岩和田においてきちまったからな。うん、おらも帰りてえ。でも、勝手に帰るわけにもいかねえべ。殿さまの許しをいただかんきゃなんねえだろ。」
 サキにそう言われて、伊三は翌日、組頭の長田に相談した。長田はそのことを中根忠古に報告すると、
「なに?伊三が帰郷したいだと?まだ国吉に来て、一年もたっていないではないか。ならん、ならん。」
と、忠古はあきれ顔で答えた。しかし、伊三は死んだ女房の墓参りに一時帰郷したいのだという長田の話を聞くと、
「そうか。では、殿にも相談してみよう。」
と言った。伊三は大多喜藩の領民の一人にすぎない。本来、こんなことで領主の指示を仰ぐ立場ではないが、忠朝と伊三の関係を良く見てきた忠古は、忠朝に相談することにした。
 父親を亡くしたばかりの忠朝は、
「そうか、身内の死を悼むのは良い心がけだ。わしの使いと言うことで、岩和田に行かせてやれ。」
と、快く許しただけでなく、とれたばかりの新米まで土産に持たせてくれた。名主の茂平に国吉での新田開発はうまくいっているが、今後も人手がいるであろうから、協力するようにとの伝令の役を伊三にやらせようと言うのである。
「殿さまは、お優しい。岩和田にただ帰るんでなく、ちゃんとした仕事を与えて下さった。」
 伊三は忠朝の心遣いに感謝したが、こんなことが感じられるようになったというのは、やはり定賢のもとでの修行(?)の効果があったものか。

 里帰りし、キヨが眠る太平洋に向かって手を合わせた伊三とサキは名主の茂平の家に向かった。去年、岩和田を飛び出した伊三親子には帰る家は無かった。しかし、今回は忠朝の配慮で忠朝の使者と言うことになっているので、伊三とサキ、それにホルヘは茂平の家を宿としていた。去年はあれだけ、伊三の事をバカだバカだと言っていた茂平だが、今は殿さまのお使いとして伊三親子を丁寧に扱っている。サキは、
「茂平さん、気味悪いよう。泊めてもらってんだ、台所のこととか、掃除とかやらせてくれよう。」
と茂平に家事の手伝いを申し出たが、
「何をいう。ゆっくりしてろ。」
と茂平は言った。しかし、性分である。サキはそう言われても、台所に出入りして、食事の支度の手伝いをした。
「伊三、サキはおめえにはもったいない娘だ。体がでかいから、村の男どもから敬遠されていたみたいだけど、ホリベエさんとなら似あいでねえか。」
「茂平さんもそう思うか。おれも、最初はあんな異人なんてとんでもねえと思っていたけど、一年も一緒に百姓仕事していたらなあ、情が移るっているか、今じゃ家族みてえな気持ちだ。でもなあ、言葉がよく通じねえのが困るんだが、、、」
「まあ、ゆっくり様子を見ることだな。」
「へえ。」
「しかし、サキは本当によくはたらくな。ありゃ、やっぱりおめえよりも死んだキヨに似たんだな。」
 伊三はうなずいた。最近、めっきり女らしさを増したサキにキヨの印象を重ねることが多い、伊三であった。

 伊三はその日の事を思い出していた慶長九年十二月十六日の事である。夜もふけ、そろそろ床に着こうとした戌の刻(午後九時ごろ)であった。横になった伊三の背中が何かごつごつとたたかれ様な感じがしたかと思うと、天井がみしみしと音を立てた。ハッと思った瞬間に大きく家が揺れ始めた。柱はめりめりと音を立て、表では物が倒れてぶつかり合っているよう音がする。今までに感じたことのない大地震だ。
 当時、まだ十歳ぐらいだったサキは飛び起きて、キヨにしがみついた。
「おかさん、こわいい。」
 伊三は寝床の上でキヨとサキを抱きかかえ、揺れがやむのを待った。どれほどの時がたったかわからない。実際には数十秒の出来事だったのだろうが、伊三には小半時も揺れていたように感じられた。
 揺れがやんで、静かになった。すると、今度は表で人の声が聞こえ始めた。地震に驚いて近所の人たちが外に出てきたのである。伊三は外に出た。人々は右往左往している。ところどころで火が燃えている。火事が起きていたのである。
「キヨ、大変だ。今の地震で火事が起きてる。」
 伊三がキヨとサキを表に連れ出すと、家がメキメキと音を立てたかと思うと、傾き始めた。
「あんたあ、家が倒れそうだ。」
 キヨが言った。伊三は家に戻るのは危ないと思い、
「ど、どうするべえ。キヨ、もう家には戻らねえほうがいいなあ。」
とサキを見た。サキはガタガタ震えている。十二月十六日と言えば現代の暦では二月である。一年で、もっとも寒い時期だ。そんな夜の大地震で外に飛び出したのだから、たまらない。
 伊三は近所の人々とともに焚火を起こし、暖をとることにした。伊三は家族三人肩を寄せ合い、寒さと戦った。サキはキヨの胸に抱かれて、ぐずぐずと泣いていたが、そのうちに眠ってしまった。
 どのくらいの時が過ぎたのか、伊三は起きているような眠っているような、うつらうつらとしていると、誰かが叫ぶ声が聞こえた。
「ここは危ねえ!みんな、大宮寺の裏山に逃げろ!」
 ぼんやりしていたキヨが伊三に話しかけた。
「あんたあ、なんだべ。あれ?あれは名主の茂平さんじゃねえか?」
「茂平さん?ああ、そうだ。茂平さんだ。おーい、茂平さん、どうしたんだ?」
 闇の中から焚火の炎の明りに浮かびあがってきたのは、確かに名主の茂平だった。
「おお、伊三か。キヨとサキは無事か?」
 伊三の後ろでサキを抱きかかえてたっているキヨを見つけると茂平は、
「ああ、みんな無事か。良かった。」
と、笑いかけた。
「伊三、こんなところでぐずぐずしていちゃいかん。これだけの大地震だ、津波が来るかも知んねえ。」
「ツナミ?」
「ああ、津波だ。大きな波のことだ。」
「なんで、そんなことがわかるんだ。」
「言い伝えがあるんだ。明応の大地震の時も津波が来て、大勢が死んだという事じゃ。」
「メイオウ?」
「ああ、もう、そんなことはどうでもいい。とにかく高台に逃げるんだ。」
 明応七年(一四九八年)といえば、このころから約百年前の事であるが、大地震がおこり、房総半島を津波が襲った。茂平には地震と津波の関係のメカニズムはわかってはいなかったが、地震の後に津波が発生する事があると言うことは知っていたのであろう。
 茂平に言われて、村人たちは大宮寺に向かった。
「もっと、上だ。もっと上に登るんだ。」
 茂平は村人たちを急かした。急ぐあまりに伊三は途中でキヨとサキとはぐれてしまった。伊三は立ち止り、あたりを見回したが、大宮寺の境内にはキヨとサキの姿は見当たらなかった。
「キヨ、キヨ?」
 伊三はキヨを探した。人々の多くが大宮寺の裏に去っていたが、参道の方で話し声が聞こえてくる。ああ、キヨの声だと思い、参道の方に向かった。キヨはこわがって泣いているサキと参道の階段に座り込んで話をしていた。サキの小さな肩を抱いているキヨの姿を見つけ、
「何やってんだ。早くいかねえと、津波が来るぞ。」
と、伊三が近づくと、キヨは立ち上がった。
「サエさん、どうしたの。」
 海女仲間のサエが参道をふらふらと降りて行くのが見えた。
「キヨ。」
と、伊三がキヨに声をかけた時、海の方からゴオーという音が聞こえてきた。
「キヨ、キヨ。」
 伊三はキヨに声をかけ続けた。嫌な予感がした。キヨは伊三に気がつき、
「ああ、あんた、ちょっとサキをお願い。サエさん、どうしたの。どこ行くの。」
と、伊三にサキを預けて、サエのあとを追った。伊三はサキを受け取り、海の方を見ると水面が盛り上がってくるのが見えた。
「キヨ、危ない。津波だ。津波が来るぞ。」
 伊三が叫んだ。キヨもそれに気がつき、サエに向かって叫んだ。
「サエさん、危ない。津波だ。津波が来るよ。」
 しかし、ふらふらと歩くサエには二人の声が聞こえなかったようだ。キヨは階段を駆け下りて、サエの肩をつかんだ。サエはそれを振りほどき、走り出した時、海から襲ってきた津波がサエを飲みこんだ。それに追いかけてキヨも盛り上がる水の中に飲みこまれえてしまった。
「キヨー!!!」
 叫んだ伊三の声は波の音にかき消された。
 キヨは仲間を助けようとして、津波の中に飲みこまれてしまった。
「キヨー、キヨー!」
 叫び続ける伊三はサキを抱きしめてその場にがっくりと膝をついた。波はひいたが、キヨの姿も、サエの姿も、もうそこにはいなかった。伊三はサキを抱きしめながら、
「キヨー、キヨー。」
と叫び続けるしかなかった。伊三の胸では、なにが起きたのかわからずサキが泣きじゃくっていた。伊三もサキを抱きながら泣いた。それは一瞬の出来事であった。

 伊三は今でも、あの時、キヨを止められなかったことを悔やんでいる。
 伊三はその時の事を思い出して、涙をこぼすと、茂平が伊三の肩をたたいた。
「どうした、伊三?」
「いや、あの、津波の晩を思い出しちまって。」
「ああ、あのときのことか。」
「おれは、キヨを死なせちまった。助けることができなかった。」
「伊三よ、お前のせいじゃねえ。おまえのせいじゃねえよ。」
 茂平は伊三を慰める言葉が見つからずに、「お前のせいじゃねえ。」というだけだった。

 翌日の朝、サキはホリベエと一緒に岩和田の浜に立っていた。
「サキ、オカサン、カワイソウ。ナンマンダブ、ナンマンダブ。」
 ホリベエは海に向かって、手を合わせた。
「ホリベエさん、ありがとうね。おかさんのために手を合わせてくれて。」
 ホリベエはどの程度、キヨの遭難を理解しているかわからなかったが、この海で死んだことは理解しているようだ。
「ウミ、ムコウハ、ヌエバ・エスパーニャ。ドン・ロドリゴノクニ。オラノオトウノクニ。」
「え?ホリベエさんのおとうの国?」
「サキ、シアワセ、オトウガイル。オラ、オトウイナイ、オカサン、イナイ。」
 ホリベエは一人ぼっちで日本に残っている。サキには母親はいないが、父の伊三がいる。時々母親のキヨを恋しく思うこともあるが、バカな父親でも、伊三と一緒にいられことは幸せなことだと思った。
「ホリベエさん。おらとおとうがいるだろう。寂しくないだろ。」
 サキはホリベエに笑いかけた。その笑顔を見て、ホリベエも微笑んだ。
「サキ、オトウ、オラモシアワセ。」
「そうだべ。」
 サキが笑いかけると、ホリベエはサキの手を握った。サキはドキリとしたが、胸の奥で心地よい暖かさが広がってくるのを覚えた。

 伊三とサキ、それにホリベエが大多喜に帰る日、大宮寺の和尚が茂平の家にやってきた。
「伊三、今日、大多喜に帰るんだとな。今度はキヨさんも連れて行け。」
と言って、キヨの位牌を渡した。
「和尚様、これは?」
「なに、勝手なことしてしまったが、キヨさんの位牌だ。もう、キヨさんを置いてけぼりにしてるなどと言わずに、仕事に精進せえよ。」
「和尚さん、ありがとうございます。」
 伊三はまじめな顔つきでに礼を言った。
「伊三、定賢様によろしくな。お前は、あのように立派な住職の薫陶を受けて幸せ者だ。私も教えをうけたいものよ。うらやましい。うらやましい。」
「和尚さん、いつか、国吉に来て下せえ。そんときは一緒に定賢様のお話聞きましょう。」
(さすがは名高い定賢様、伊三も変わることだ。)
 大宮寺の和尚は改めて定賢の人徳を思った。

 伊三たちは岩和田の人たちに送られて国吉に帰って行ったが、伊三は二度と岩和田の浜を見ることはなかった。

 続く

大多喜城(千葉県立中央博物館、大多喜城分館)の紅葉も綺麗です。

(写真提供:いすみ鉄道ファン・tassさん


小説 本多忠朝と伊三 23   

2010年11月25日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住の久我原さんの妄想の入った小説です 

第2部  忠朝と伊三 23

 

これまでのお話 1~22 は コチラ

忠朝の目の前から正就が消えたそのすぐ後のこと。
 秀忠は始まったばかりの西の丸の石垣の工事を視察していると、行く手に小さな男がうずくまっている。服部正就である。
「正就、やはり来たか。」
「は、上様にはご機嫌麗しゅう。」
「何がご機嫌麗しゅうじゃ。今日江戸に来るとだけ書いた署名のない書状がきたから、お前だとは思っていたが、良くもわしの前に現れたものよ。」
「はい。その節の事、誠にお恥ずかしゅうことでございます。」
「正就!わしに会いに来たということは何か手土産を持っての事であろう。申せ。」
「先ほど上様が退出された後、出雲守に会いました。」
「ほう。出雲に会ったか。それでいかがした。」
「上様は真田信之をお疑いとの事を聞いております。九度山の昌幸と信繁も今はおとなしゅうしていますが、有事の際はどのような動きをするかわかりません。出雲守はその信之とは義兄弟の仲。上様も出雲守の動きが気になることと存じました。それゆえ私がその監視の役目をさせていただければと思い、参上いたしました。」
「出雲の動き?あれは大丈夫じゃ。忠勝に似て、豪傑で潔し。徳川への忠心も厚いとみた。いざとなれば使える男よ。奴の監視は無用のことじゃ。勝手なことはせんで良い。」
「いやいや、甘い、甘い。出雲守が徳川家に義を尽くしても義兄の信之は疑わしい。出雲守自身に自覚は無くとも信之に動かされて、知らず知らず、徳川家に不利に動くやもしれません。」
「ふむ。知らずに、、か。バカ正直な奴だ。信之にだまされると言うことはあるかもしれんな。」
「それゆえ、私に監視の役を。」
「それは無用じゃ!出すぎた真似をするな。」
 ぐふふ、とくぐもった笑いをし、正就は立ち上がった。
「上様、出雲守は今後、忠勝に滅ぼされた土岐の旧臣を召し抱えると言っておりました。大丈夫でしょうか?土岐の旧臣には徳川家を恨んでいるもおります。今は安房に抑え込まれておとなしくしている里見も、西が動けばそれを機会にと、怪しげな動きをするかもしれないと思いますが、いかが。」
「そ、そんなことは、わかっておる。房総の抑えについてはわしも考えがある。お前の力などいらん。お前は徳川の臣ではない。余計なことはするな。」
「徳川の臣ではない?」
「そうじゃ。」
「では、上様の命令に従う言われもないということ。」
「なに?」
「では、浪人として、勝手にいたします。」
「ふん。相変わらず、可愛げのない奴。勝手にいたせ。」
 正就は再び地面にひれ伏し、
「ありがたき幸せ。」
「これは異なことを。」
「勝手にいたせとの御指示、承りました。ありがとうございます。」
 そう言うと、正就は立ち上がり、一礼すると早足でその場から立ち去った。
「本当に勝手な奴じゃ。利勝、今の男、わしは知らんぞ。勝手なことを独り言し、勝手に立ち去った。良いな?」
 秀忠に従い、一部始終を聞いていた老中の土井利勝は、
「はい?今、何やら、イタチか狸でもいましたかな。」
と、とぼけた。

 服部正就は父正成の後を継ぎ、伊賀同心の支配役となったが、徳川家から預かった伊賀同心をまるで自分の家来の様に取り扱い、殿さま気取りであった。そのため伊賀同心は反発し、正就の解任を要求する騒ぎとなった。そのことを逆恨みした正就は伊賀同心の一人を切り殺した。これに激怒した秀忠は正就の職を取り上げ、伏見に放逐した。正就は家康の信任厚かった服部半蔵正成の跡継ぎとしての誇りがあり、世に出る機会を狙っていた。どのように伏見を抜け出したかは知らないが、やはり伊賀忍び血が流れているのであろうか。しかし、正就は忍者ではない。正当な伊賀忍びの上忍であれば伊賀同心の心が離れることはなかったであろう。
 このお話ではこれからこの正就をなじみのある、二代目服部半蔵の名で呼びたいと思う。

 同じころ。
 服部半蔵が消えた後、将軍秀忠に強引に拝謁したことなど知らずに、忠朝は大手門を出て、まあたらしい大名屋敷が立ち並ぶ大名小路を大原と歩いていた。
「殿。何やら、楽しそうなお顔をされている。上様とのお話はなにか面白いことがありましたか?」
「いや、上様の話はさほどでもなかったがな。」
「はい?」
「そのあと、面白い男にあった。大原は服部半蔵という名を知っているか?」
「さて、聞いたような、、、おお、そうだ、伊賀忍びの頭領では?」
「がははは、大原。お前も半蔵殿は忍びだと思うたか。」
「はて、ちがいますか?」
「まあ、忍び集団を使ってはおられたが、半蔵殿自身は忍びではない。それに、今日会ったのは世に名高い服部半蔵の息子の正就という男だ。」
「左様で。」
 大原長五郎はさして興味もなさそうな生返事をした。
「ささ、殿。急ぎましょう。今日中に帰国の準備を整えねば。」
 面倒くさがりの大原が、今日はやけに帰国の準備に熱心である。
 忠朝は立ち止り、大原の顔を見てニタリと笑った。
「ははあ。わかったぞ。」
「なにがでございましょう。」
「面倒な仕事をさっさと片付けて、どこやら遊びに行こうと言う魂胆だな。」
「いや、いや、そのような、、私は別に、ただ、江戸は初めてのことで、、、その、あの、」
と忠朝に考えている事を言いあてられて大原はしどろもどろになってしまった。
「正直に申せ、どこに行くつもりじゃ。」
「先日、、、」
と大原が言いかけたところへ、一人の武士が忠朝に声をかけてきた。
「本多殿ではござらんか?そうだ、そうだ、忠朝殿だ。おなつかしい。」
「はい。私は本多忠朝ですが、、」
 忠朝はその小柄な武士を見て、はて誰だったかと、すぐには思い出せなかった。その武士は背が低いが精悍で壮年ながら若々しい顔に不似合いな口髭を蓄えていた。先ほど会った服部半蔵同様に背は低いが、細身の半蔵とは違い、がっちりとした体つきであった。
(背の低い伊三の様な体つきをしておるな。)
とそう思った時、忠朝はこの武士が誰か思い出した。
「福島殿。福島正則殿ではございませんか。これはこれは、このようなところでお会いできるとは。」
「このたび、年賀の挨拶に江戸の出てきたら、本多殿も参られているとのことで、お会いしたいと思っていた。いや、それにしても立派になられた。」
 小さな伊三の様な武士は福島正則であった。福島正則と言えば、関ヶ原の合戦のおり、秀吉子飼の武将ながら、西軍の大将石田三成憎しと、徳川に味方したのであった。福島正則は島津軍と本多軍の激戦を目のあたりにしている。その時、初陣で大活躍した本多忠朝は当時、十八歳であったが、今は三十歳の青年大名に成長している。
「関ヶ原以来、十年ぶりでござろうかの。どうじゃ、再会を祝してこれから我が屋敷で一献、馳走させてくれんか。」
 忠朝はのどがごくりとなったのを感じたが、
「これは、ありがたいお申し出ですが、本日中に帰国の準備を済ませねばなりませんので、お気持ちだけいただきます。」
と丁寧に断った。
「そうか、忠朝殿も国に帰られるか。わしもそろそろ帰国せねばならんで。お互い帰国したら、また会う機会も無くなる。では、今宵はどうであろう?帰国の準備が終わったら、屋敷に参られよ。名残の酒じゃ。な、よいであろう?な、な。」
 福島正則、なぜか女でも誘うかのように顔を赤らめながらしつこく誘ってきた。実は政則も酒好きである。なにか理由をつけて飲みたかったものか、、
「殿、良いではありませんか。帰国の準備もあとわずか、急げば日が沈むころには整うかと。」
 忠朝は大原をぎろりと睨んだ。さっきまでの大原の様子では帰国の準備は今日中に終わるかどうかと思えたが、今は日没までに終わると言うのだ。
(やはり、こ奴、仕事をさっさと片付けてどこかに行こうとしていたのだな。)
「福島殿。わかりました。では、お言葉に甘えて、お伺いすることにしましょう。」
 すると大原続いて言った。
「できるだけ早くうかがえるように、準備を急がせます。」
「大原。」
「は?」
「誰も、お前を招待しておらんぞ。」
「あ、そうで、ございましたか、、な?」
 すると正則が、
「忠朝殿、そちらの御家来もおつれくだされ。」
と言った。
「は、喜んでお伺いします。」
 大原、即答である。
 屋敷に戻ると大原は働いた。忠朝はあの怠け者の大原が良くもこれだけ働くものだと、感心するよりも薄気味悪さ感じた。

 大原の奮闘のお陰で帰国準備は予定よりも早く終わり、福島家からの迎えに従って、忠朝と大原は正則の屋敷に向かった。

「いや、おまたせ、おまたせ。思ったより、早かったな。」
 忠朝主従が待っている客間に入ってきた正則は砕けた口調である。
「お招きいただきありがとうございます。この大原のお陰で帰国の準備も全て整いました。いや、福島殿のお誘いをいただいて、張り切りましてな。普段は怠け者で困っております。」
「それは戯言でござろう。忠朝殿は良い家臣をお持ちだ。」
「ありがとうございます。私、大原、殿のために日々粉骨砕身努力しております。」
と、大原が正則に礼を言うと、
「うそを申せ、粉骨砕身したものがこの様に腹がでているものか。」
と、忠朝は大原の腹をポンポンとたたいた。
「ははは。働けば腹が減る。腹が減ればめしを食う。めしを食えば腹が出る。のう、大原殿。」
 正則にそう言われ、大原の額から汗が噴き出した。
 それにしても、今日の大原はよくしゃべる。
 江戸で最近はやりのそばを食べて、そのうまさに驚いたこと。初めて清酒を飲んだが、自分は大多喜の濁り酒の方が好きだなど。更には、本多家には中根忠古と言う家臣があり、くそまじめで面白くもない奴だが、殿は自分よりも忠古を可愛がっているなど、余計な事までしゃべりだした。
「これ、大原。余計な事を言うな。」
「も、申し訳ありません。」
 大原もしゃべりすぎだと反省したようだ。殿と一緒に猛将福島正則と酒を酌み交わすことができたうれしさのあまりに、調子にのりすぎた。大多喜では酒の席に呼ばれるのは常に忠古であるが、今回は大多喜で留守居をしている。
(やれやれ、これだから大原とは飲みたくないのだ。わしが酒を楽しむことができなくなる。)
「忠朝殿、まあ、良いではないか。そう言えば、その中根と言うのは織田信長公の縁戚の者ときいたが。」
「はい。信長公の甥にあたります。」
と、忠朝はおととしのロドリゴ救援と忠古の話をした。正則は感心した。
 その話をきっかけに正則は信長と秀吉の思い出話を始め、忠朝と共に戦った関ヶ原の事になると、身ぶりを交えて楽しそうだった。忠朝と大原も正則の武勇譚に、笑ったり、真剣に聞き入ったりしていた。酒好きの三人の宴がはおおいに盛り上がった。
 ところが、正則は突然話をやめて、目がうるんできた。
「しかし、これで良かったのかのう。」
「なんの事で?」
「わしは、家康様に従って三成を打ち倒したが、それも豊臣のため。三成がいては豊臣家がだめになると思ったればこそ。徳川家が天下を掌握するのも一時のこと、いづれは大坂の秀頼君へ天下は返上されると思っていたが、家康様が将軍になり、秀忠様が二代目将軍となり、徳川将軍の世襲が決まってしまった。」
「・・・・・」
「いや、勘違いされては困る。わしに徳川家への叛心があるわけではない。大坂の豊臣家安泰ならばそれで良い、と今ではそう思っている。」
「お気持ちわからないでもない。我が義兄、真田信之も父、昌幸殿と袂を分かち苦悩しています。今日は上様より信之に叛心があるのではないかと言われましたが、そのようなことがあろうはずもない。」
「そうか。実はな、今日、わしも上様に会いに行ったのじゃ。豊臣家の事をどうするおつもりか聞いてみようと思ってな。しかし、多忙との事でお会いできなかったが、客とは忠朝殿のことであったか。」
 正則は言葉を切った
 忠朝は正則が少し哀れに思えた。自分は三河以来の徳川の家臣であるが、正則は豊臣に恩を感じながら、今は徳川に従っている。真田信之は徳川に家臣であることに覚悟を決めているが、正則のこころは江戸と大坂の間で揺れ動いているようだ。
「忠朝殿、どうか徳川と豊臣の間がうまくいくようにお力をお貸しください。」
 正則の言葉が急にあらたまり、頭を下げた。
「福島殿、頭をあげられよ。私には何もできませんが、心には留めておきましょう。」
「お頼み申す。お頼み申す。」
 正則は忠朝の手を取り、懇願した。頼むと言われても何をすればよいのかは思いつかない忠朝であった。

 こうして、忠朝と福島正則は友交を深めて、領地に帰って行った。しかし、それぞれの一行を怪しい人影が追っている事に忠朝も正則も気がつかなかった。 続く

 *挿入の福島正則イラストは、福田さんからお借りしています。こちら


小説 本多忠朝と伊三 22  (第ニ部)

2010年11月19日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

ちょっと挿入してみました。「二代目のあり方」を考える ~森祇晶 (徳川秀忠を通して)

市川市在住の久我原さんの妄想の入った小説です 

第2部  忠朝と伊三 22

 これまでのお話 1~21 は コチラ

 江戸の空も晴れていた。メヒコで田中勝介とケンがドン・ロドリゴと会見をした同じころ、慶長十六年正月のある日のことである。。
 江戸城の客間で
本多出雲守忠朝将軍秀忠のお出ましを待っていた。
 年賀のあいさつのため江戸に来ていた忠朝だが、将軍家へのあいさつが終わり、正月に江戸に集まっていた大名たちと親交を深め、大多喜への帰国の準備をしているところに秀忠から呼び出しがかかったのである。
 忠朝のところに来た使いの者は随分とあわてた様子だったので、急ぎの用事かと思い駆けつけたのだが、客間に通されたまま、もう小半時(一時間)ほど待たされていた。
 小姓が三度お茶を替えに来たが、三杯目のお茶はすでに冷たくなっている。
「殿、上様はまだお出ましにはなりませんかね。もう一時(二時間)も立つのではありませんか。こちらは帰国の準備で忙しいというのに、、、」
 忠朝は供の大原を睨みつけた。
「大原、わざわざのお呼び出し、上様はこの忠朝に特別の用があるのであろうよ。それに屋敷を出るとき供を願い出てきたのはお前ではないか。文句を言うならもう帰れ。」
「い、いや、とんでもない。これは口が過ぎました。申し訳ありません。」
「ふん。」
 忠朝が大原を一瞥して鼻を鳴らした時、廊下に人の気配がした。障子が開くと将軍徳川秀忠が薄気味悪い微笑みを浮かべながら忠朝と大原が待つ部屋に入ってきた。
「いや、いや、出雲守、待たせてすまなんだ。」
 秀忠が部屋に入ってくると忠朝と大原はひれ伏した。
「そちの屋敷に使いをやった後、彦左衛門につかまってなあ。年寄りは口うるさくてかなわん、いつまでも子ども扱いしよって。いや、いや、ご苦労であった。帰国の準備の忙しい中、急に呼び出してすまなんだ。」
 秀忠がすまなんだ、すまなんだと繰り返すので、忠朝はひれ伏したまま答えた。
「とんでもないことです。こちらでも、帰国の前にご挨拶をと考えていたところでございます。」
「そうか、そうか。まあ、表をあげよ。徳川と本多は三河以来の主従、親戚も同然じゃ。そう堅苦しくせんでもいい。」
 忠朝は頭をあげた。目に飛び込んできた秀忠の顔は口元は笑っているが、目が笑っていない。能面のような中根忠古の表情には慣れている忠朝だが、この二代目将軍の目の奥には忠古とは違う不気味な光が宿っている。
「わざわざのお呼び出し、光栄にございます。久しぶりに江戸に参り、大多喜の田舎では味わえない思いをさせていただきました。」
「出雲。」
「はい。」
「いや、特別な用事があるわけではないがのう、帰国の前に話をしたかったのでな。」
「?」
「まあ、世間話じゃ。別に内密の話ではないが、できたら二人だけで話をしたくてな。いや、なに、ちょいと思い出話をしたくなってな。」
 秀忠は忠朝の後ろに控えている大原をちらりと見た。忠朝は振りかえって大原に目で席をはずせと指示した。大原は無言で一礼すると部屋から出て行った。
 忠朝は世間話と言いながら、何か内密に重要な話があるのではないかと緊張した。
 大原が部屋から出て行くのを見送り、秀忠は渋い顔をした。
「何じゃ、無愛想な男だのう。」
「申し訳ないことです。あれでもなかなかの忠義者。私にとっては大切な家臣です。」
 忠朝が答えると、秀忠は天井見つめ、腕を組んで黙り込んだ。
 しばらくすると秀忠は腕を解き、忠朝の顔を見ないで話し始めた。
「上田攻めの時に感じたのだが、、、」
「上田攻めと言うと、関ヶ原の合戦の時の事でございますか?」
「そうじゃ。そちの義兄の信之な、本当に徳川に臣従しておるのかのう。」
 信之と言うのは忠朝の姉の
小松が嫁いでいる真田信之の事である。関ヶ原の合戦の時、西軍に味方した父の真田昌幸と袂を分かち、信之は徳川に従った。秀忠は中山道を通り、関ヶ原に向かう途中、真田昌幸が籠る上田城を囲んだ。信之は義弟である本多忠政と供に真田昌幸に降伏するように説得したが、失敗に終わった。その後、信之は戸石城に籠る弟信繁と対峙するが、信繁はあっさりと兵を引き、一方、上田を囲む秀忠率いる徳川本隊は少数の真田軍に翻弄された。本多正信の時間を費やすよりも早く家康と合流した方が良いという進言を取り、秀忠は関ヶ原に向かったがついには決戦には間に合わず、大勢の家臣の前で家康に叱責された。その時の屈辱は今でも胸の奥に重い塊となって残っている。
 上田攻めに手間がかかり決戦に間に合わなかった秀忠は、上田での真田信之の振る舞いは時間稼ぎだったのではないか、と疑っている。
「あの折は、父上、いや大御所様に大叱責されてなあ、廃嫡も覚悟した程じゃった。」
「お言葉ではございますが、兄上(信之)のその後の振る舞いをみれば徳川に忠誠を誓っているのは明白。血縁の情がありますれば、昌幸殿の命乞いはしたものの、それは私の父も同じこと。」
 忠朝がそういうと秀忠はあの薄気味悪い微笑みを浮かべた。
 関ヶ原の戦後処理を決めるとき、秀忠は昌幸と信繁の親子の切腹を主張したが、真田信之と本多忠勝の体を張った命乞いに家康は真田親子を紀州九度山に流刑としたのであった。悔しかった。父、家康は息子の秀忠よりも家臣の忠勝の意見を取り入れたのである。
「そちは忠勝と供に島津相手に大奮闘したからのう。わしはみておらんがの。大御所様からおほめの言葉もいただいた。あの時はそちの兄、忠政も悔しがっておったぞ。」
 忠朝は去年、父を見舞うために桑名に言った時に兄に同じ様なことを言われたのを思い出した。
「あの時、供に中山道を行軍したからというわけではないが、わしは忠政の気持ちはなんとなくわかるんじゃ。」
「兄上の気持ち?」
「嫉妬じゃよ。」
 秀忠にそう言われて、忠朝は背筋に冷たいものを感じた。言葉にこそ出さないが、忠朝はそのことを感じていた。
(兄は私をうらやんでいる。)
 思わず曇った忠朝の表情に気付いているのか、いないのか、秀忠は話を続けた。
「存じてはおろうが、わしには信康と言う兄がおった。わしが生まれた年に、信長公の命令で自害してしまったがな。お陰でわしは今、将軍様だ。」
 秀忠はまた、にたりと笑った。
「じゃが、一度だけ父上が『信康が生きておればのう。』とつぶやいたのを聞いたことがある。わしは兄の事を知らんが、羨んだ。父は兄を惜しんでいる。そりゃ、親が子供の死を悼むのは当たり前だが、兄と比べられて劣っていると言われているようでわしは辛かった。」
「上様、そのような、、、」
「まあ、聞け。忠朝。」
 忠朝はドキリとした。今まで、秀忠は忠朝のことを官職で「出雲」と呼んでいたのに、初めて忠朝の名前を口にした。
「忠政も同じ様に思っているのではないか?関ヶ原で手柄を立て、今回の遺産の件でも忠朝潔しと言ううわさはこの江戸でも評判じゃ。忠政もすぐれた男であることはわかっているが、常に弟と比べられて、そちに嫉妬しているのであろう。」
 忠朝は考え込んだ。秀忠は何故この様な話をし始めたのか?
「兄と弟の立場は違うが、わしは忠政と同じような境遇、、、いや、すまんすまん。こんな話ができる相手はなかなかおらんでな。ついつい思い出話にしゃべりすぎたわ。」
 とても、思い出話には思えない。兄を差し置いて出しゃばるなと言う忠告であろうか?忠朝はそう考えた。
「お言葉、十分に胸にしみわたりました。肝に銘じます。」
「肝に銘じる?ただの世間話じゃ、つまらん愚痴と忘れてくれ。」
「はは。」
「ところで、上総の事だが、土岐の家来どもはどうしている。」
「はい。土岐の旧臣、我が本多家で召しかかえるか、多くは帰農しております。まだ、一部、浪人となり怪しい動きをするものもいますが、事あるごとに捕縛、処分しております。」
「そうか。上総、安房は永らく小豪族が争いあった地だ。うまく治めるのは難しかろうが、よろしく頼むぞ。」
「はは。お任せ下さい。近々、新田開発を行いますが、その仕事に土岐の旧臣を使おうと思っています。仕事を与えれば余計なことは考えないのではないかと。」
「そうか。それは良い。できることがあれば、わしからも援助いたそう。」
「滅相もない。これは、我が領地の事。私どもの力で成し遂げてご覧にいれます。」
「そうか。さすが、忠朝じゃ。」
 また、秀忠はにたりと笑った。
 その後、秀忠は取りとめのない世間話をし、
「おお、そうじゃ、今日は他にも客があるでな。まあ、さっきの話は気にせんでくれ。桑名にいる桑名よりも、大多喜にいるそちの方がこの江戸には近いことだ、これからも色々と協力してもらうこともあるだろう。よろしく頼むぞ」
と、言って客間から出て行った。
(上様は一体何を言いたかっただろう?)
 一人残された忠朝が考えを巡らせていると、背後に人の気配を感じた。
「大原か?」
 振り向くとみたことのない、四十がらみの小さな男が座っていた。
「お、お手前、どちらかな?」
 忠朝がたずねると、その小さな男は、
「服部半蔵と申す。」
と短く答えた。
「服部半蔵、、殿?生きておられたのか。父から御活躍の話は聞いております。お会いできて光栄です。」
 忠朝は思ったより若い半蔵を不思議そうにみた。服部半蔵と言えば小田原の戦の後、死んだものとばかり思っていたが、、
「ふん、私の活躍?忠朝殿にも知られているとは私もまだまだだな。」
「?」
「ぐふふ、いやいや、冗談でござるよ。忠勝殿から聞いたという服部半蔵とは父、正成のことでござろう。」
「それでは、あなたは。」
「服部半蔵正成の息子、
半蔵正就でござる。」
 今忠朝の目の前にいる服部半蔵は徳川家康のそば近く仕えた半蔵正成の息子正就であった。
 服部半蔵はその出身が伊賀であり、伊賀忍者の統率をしていた上忍(忍者集団の頭)と思われているが、半蔵自身は武将であり、得意なのは手裏剣ではなく槍であった。
「そうですか、いや、思いのほかお若いと思いました。そうですか、あの半蔵殿の御子息。私は本多忠勝の息子本多忠朝にござる。以後、よろしゅう。」
と言って、忠朝は頭を下げた。下げた頭をあげるとそこにはもはや正就の姿はなかった。
 忠朝はニンマリとした。
(さすが伊賀者。)
 音もなく正就が去ったところへ、ふすまが開いて大原が顔をのぞかせた。
「殿、そろそろお帰りになりませんか。帰国の準備もせねばなりません。」
「おお、そうだな。ところで、今、背の低い四十がらみの男に会わなかったか?」
「いいえ。」
「そうか。」
「上様の他にだれか来たのですか?」
「いや、なんでもない。気のせいかもしれん。」
 忠朝は正就とたった今会ったことが、ふと一瞬のゆめっだたのではないかと感じた。」     
続く