忠朝と伊三 3/久我原
岩和田で異人の救助活動が行なわれた翌日。
大多喜城は異国船遭難の報告を受け、沸騰していた。岩和田の人々に助けられた異人たちをどう処置すべきか?助けるか、それとも処刑あるいは追放するべきか。豊臣秀吉がキリスト教を禁止して以来、いまだ鎖国政策には至っていないが、この時代、異人たちの扱いは微妙な問題となっていた。
大多喜城主、本多忠朝のもとに集まったほとんどの家臣の意見は、処刑、もしくは即時追放だった。征夷大将軍の地位を息子の秀忠に譲り、大御所と呼ばれている徳川家康はキリスト教に関しては特に弾圧する態度は取っていない。しかし、腹の底が分からない家康の不気味さに忠朝の家臣達はある種の恐れを感じていた。特に小田原の北条攻めの戦で負け、後に本多家の家臣になった房総土着のサムライたちは余計、気味の悪い恐れを抱いていた。京や江戸ならいざ知らず、こんな房総の山中には異国人など見たものいないので、天狗のような異人たちなどさっさと片付けたほうが良いとも思っていた。
少数の助けるべきだと言う意見も出たが、すぐに大勢を占める処刑の意見につぶされてしまい、その勢いがそのまま忠朝に対して決断を迫っていた。
「殿!一刻の猶予もなりませんぞ。さる慶長元年のさん・ふぇりぺ号の例もございます。なまじ、救助して後々面倒な事になるよりはすぐに処刑、それが無理なら追放すべきでございます。」
ある土岐氏の旧臣が言った。
「そうです。異人どもは日本を征服しようとしていると言ううわさも聞きます。今すぐにご決断を!」
「ご決断を!」
「ご決断を!」
忠朝は迷っていた。家康が異人たちへ対する態度を明確にしていないとはいえ、ウイリアム・アダムスという異国人に大型船を作らせていると言う話を父の忠勝から聞いた事がある。このことから、もしや異国人を助ければ大御所のお役に立てるのではないかという考えも浮かんだ。
(父上なら、どうお考えになるか?)
忠朝は長年、家康のそば近く仕え、徳川四天王の一人として恐れと尊敬を集めている父の本多忠勝なら即座に答えを出せるであろうにと思っていた。忠朝がそんな事を考えていると中根忠古という家臣が静かに話しを始めた。
「皆々様、お静かに。ここは一度冷静になり、私の意見を聞いていただきたい。」
「中根、申してみよ。」
中根は忠朝に一礼をすると家臣団に向かって話し始めた。
「結論から申し上げれば、私は異国人たちを救助するべきとの考えでございます。」
「後先考えずに物を申すな!何かあったら、中根殿が責任を取ることができるのか!?」
野次が飛んだ。すると、中根は野次を飛ばした家臣に向かって、その女のように白く細い顔に似合わぬ大音声で叫んだ。
「まずは聞かれよ!後先、考えぬのはおぬしの方じゃ!」
中根はまずは一喝した後、再び静かに話し始めた。
「駿府の大御所様が誰よりも優れた先見の明をお持ちだと言う事は皆様方、既にご承知の事である。大御所様は若き頃、わが叔父、織田信長公と同盟をされ、そのときに信長公から異国人の知恵と力を取り入れる事を教えられたと聞きます。いまでこそ当たり前になった鉄砲も、これ異国人がもたらしたもの。異国人の優れた航海技術も四方海に囲まれたわが国にとっては必ず役に立つものと存じます。」
そこで中根は一息ついた。筋立った中根の冷静な話に一同、静まり返り誰も口をはさむものはいない。
「処刑されたければ、処刑されるが良い。だが、私は反対だ。もし、大御所様がウイリアム・アダムス殿同様、その異国人たちをその技と知恵を望まれたとき、ご一同はどうなさる?もし、処刑した事が知れて、異国より復讐の戦を仕掛けられたら、ご一同はどうなさる?そのときは誰が責任を取られるのだ?」
中根はさっき野次を飛ばした家臣をじろりとにらんだ。中根の青白い顔の細い目がますます細くなるのを見て、居並ぶ家臣達は背筋が凍りつく思いであった。
「中根、そちのいい分はよく分かった。さすが信長公の甥っ子、恐ろしいまでの迫力じゃ。」
「殿、ご冗談でござりましょう。私はただ、思うことをのべたまで。」
その中根の冷徹なまなざしに、さすがの忠朝も一瞬たじろいだ。
「今日の話し合いはこれまでじゃ。遭難者の処置については後で下知する。」
忠朝は静まり返り、頭を下げる一同を後にして退室した。全ての家臣は難しい表情になっていたが、中根ただ一人が先ほどの冷たい表情ではなく、すがすがしい笑顔になっている。
中根忠古の父は織田信長の実弟である織田信照である。信照は中根氏の養子となり、中根平右衛門忠実として本多忠勝に仕えた。中根忠実は嫡男の忠晴とともに今は桑名にいる。忠古は美男の織田家の血を引くだけあって、女かと思うほど美しい顔立ちをしているが、時折、忠朝でさえぞっとする表情をする事がある。本人は気づいていないが、周りの人間は気味悪がってあまり近づかない。この中根一族はその後も代々本多家につかえたという。
遭難から数日が経った。ついに忠朝は命が下った。中根はじめ数名の重臣と数十名の家来に完全武装をし、岩和田に向かうことを命じたのである。
一方、岩和田では連日の遭難者の介抱でさすがに村人たちは疲れ始めた。一度に村の人口が倍になった為、食料も少なくなってきた。茂平がロドリゴに何が食べたいか聞いた時、豚の干し肉が食べたいといわれてぞっとしたが、幸い乗組員たちは魚を好んだので、伊三やサキたちが獲ってくる新鮮な魚貝は喜ばれた。しかし村人の精神的な疲れは限界に達していた。
それでもできるだけの事はしようと動き回っている伊三と茂平のところへサキチが走ってきた。
「大変だ。殿様が家来衆をつれてこちらにやってくる。」
「なあにが大変だ。やっと助けに来てくれたんだべよ。これでやっと休めるぞ。」
伊三が言った。
「なにのんきなこと言ってんだ。殿様は戦支度でいなさる。やりも鉄砲も担いでいるんだ。やっぱり天狗たちを殺しに来たんだ。」
「そ、そんなはずはねえ!若様、いや殿様は慈悲深いお方だ。絶対、たすけてくださるにきまっている!」
「じゃあ、なんで戦支度で来るんだ?」
「そ、それは、、、茂平さん、どうしたらいいんだべ?」
伊三は茂平に聞いた。
「そ、そうじゃな、とりあえずロドリゴさんに知らせるべえ。ケンはどこにいるかな?」
「おそらくロドリゴさんと一緒だと思う。」
伊三と茂平がロドリゴのところに行くとやはりケンはいっしょだった。数人の海女たちとケンを通訳に談笑しているところだった。
しかし、ケンからここの領主が武装をしてこちらに向かっていると聞くとロドリゴの顔は青ざめた。いずれにしても自分がこの遭難者の代表である事に違いは無い。幸い船からの漂着物の中にスペイン式の正装の服があったのでそれを着て、寺の前で忠朝一行を出迎える事にした。
しばらくすると槍隊と鉄砲隊が見えてきた。馬のいななきも聞こえる。ロドリゴと数人の身分あるものたちが正装して寺の門前に並んでいるのを見ると、槍隊を正面にして軍隊は立ち止まった。ロドリゴたちは精一杯、威儀をただしているが、顔色は真っ青である。
立ち止まった槍隊を割って、一人の武将が近づいてきた。兜の下に見える青白い顔は中根忠古だ。
「本多忠朝様の家臣、中根忠古である。名主の茂平はおるか?」
「へえ、わしでございます。」
「知らせを受け、忠朝様自らお出張りになった。ここにいるのがロドリゴ一行であるか?」
「へえ。他にもけが人が寺の境内には大勢おります。あんまり大勢なのでわしらの手だけの世話は限界でございますので、殿様の御助けを心待ちにしておりましたが、そのお支度は一体?」
「まあ、気にするな。」
そう言って中根はまた槍隊の奥に戻って行った。茂平たちとロドリゴ一行は直立不動のまま、緊張して槍隊をじっと見つめている。すると、もう一人の武将が槍隊の中から騎乗のまま現れた。伊三は思った。
(あっ、あれは若様、いや殿さまではないか?)
伊三の思ったとおり騎乗の武将は忠朝である。忠朝は馬から降りると言った。
「ロドリゴ殿というのはどなたじゃ。」
ロドリゴは自分の名前を呼ばれたので答えた。
「Si, yo soy Rodorigo.(はい、私がロドリゴです。)」
忠朝はロドリゴに近づいた。ロドリゴの緊張は極度に達したようで、大きく目を見開いた。すると、忠朝はロドリゴに近づき、ロドリゴの手をとって言った。
「よくぞ、参られた、ロドリゴ殿。このたびは大変な目にあわれたましたな。」
ロドリゴは忠朝の言葉が分からずにケンの顔を見た。
「Dice que bienvenido a Japon! Bienvenido a Japon!(ようこそ日本へとおっしゃっています。)」
ロドリゴは信じられないというような顔で忠朝を見た。忠朝が言った。
「お見かけしたところ、ロドリゴ殿はさぞご立派なサムライなのでござろう。」
「いえ、イスパニアにはサムライという言葉はありまへんが、身分のある旦那さまがたのことをカバレーリョと言わはります。」
ケンが答えた。
「かばれいりょか。ロドリゴ殿は立派なかばれいりょじゃな。」
ロドリゴは大きく鼻の穴から息を抜き、
「Muchas gracias, vuestra merced.(ありがとうございます、閣下。)」
と言った。緊張していたロドリゴの顔に安堵の色が広がって行った。そこへ、茂平が忠朝に声をかけた。
「殿様、ロドリゴさんたちはどうなるのでございます?」
「その方たちも大変であったのう。一行のうち身分のあるものは城に連れてまいる。下々のものどもは御苦労であるが、もうしばらく面倒を見てやってくれ。とりあえず米と着るもの、それに油などを持ってきたので、足しにして呉れ。」
「しかし、そのお姿は?」
「おお、戦支度に驚いたか?そうか、それでロドリゴ殿も青い顔をされているのか。城の年寄りどもが心配するもので、一応の支度だ。それに、イスパニアのかばれいりょ殿をお迎えするのにはこのくらいの準備が礼儀じゃろうよ。ははははは、そうか、おどろかせたかのう、があ、ははははは。」
茂平が伊三に声をかけた。
「伊三、良かったな。」
それまで、茂平の後ろでじっと我慢していた伊三が忠朝の前に飛び出した。
「これ、伊三、無礼であろう!!」
「若様、いや殿様、ご無沙汰しております。伊三でござんす。」
「伊三?」
忠朝は突然出てきた大男を不審の目で見た。
「覚えていらしゃいませんか?殿様がまだ小さいころにお情けを頂いた伊三でござんす。」
と言って、たどたどしい字で「伊三」と書いた紙を忠朝に見せた。
「伊三、??、伊三、、、もしや、あの伊三か!?」
「へえ、おもいだいしてくれましたか?」
「当たり前だ。おまえには迷惑かけたものよ。思い出すとはずかしい。があ、はははは。そうか元気であったか。これは良い。があ、はははは。」
忠朝は大声で笑い出した。茂平は驚いた。伊三が殿様の世話になったというのは本当のことだったのだ。
伊三は忠朝の笑い声を聞いて、
(先代の殿さまに笑い方がそっくりだ。)
と思いにやりとした。その笑顔見て、忠朝が伊三の肩をポンポンと叩いた。