大多喜町観光協会 サポーター

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小説 本多忠朝と伊三 21  (第ニ部はじまりました) 

2010年11月15日 | ☆おおたき観光協会大河ドラマ 本多忠朝

市川市在住の久我原さんの妄想のたっぷり入った小説です 

第2部  忠朝と伊三 21

 

これまでのお話 (第1部)1~20話 はコチラ

 「ケンさん、ケンさん、ちょっと待っておくれやす。もっと、ゆっくり歩きませんか?」
「何言うてんねん、勝介さん、はよ行かんと、ロドリゴさんが待ちくたびれてはりますよ。」
「そないなこと言うたかて、息苦しくてかないませんわ。」
「あんたぁ、ちょっと太りすぎとちゃいますか?」
「ちょっと、、ちょっと、、休みましょう。」
「勝介さん、ロドリゴさんとの約束の時間からもう半時ばかりおくれてますよ。休んでる暇なんかありませんよ。」
 一六十一年の一月のある日、澄み切った深い青色の空に覆われたメヒコの町を二人の日本人が急ぎ足で歩いている。一人は去年、ドン・ロドリゴと供にヌエバ・エスパーニャにやってきたケン、もう一人は京の商人田中勝介である。田中勝介(しょうすけ)は記録に残る限り、初めて太平洋を横断した日本人である。
 小太りの田中勝介は身軽なケンにせかされながら、息を切らせてケンに追い付くのに必死である。ここ、メヒコの町は標高が高く気圧が低い。メヒコに到着してから三カ月ほどたっているが、勝介は未だにこの薄い空気に慣れていないようだ。
「後生です、ほんのちょっと、休ませて、、、、お願いします。」
「しゃあないなあ、ちょとだけやで。」
「おおきに、おおきに。」
「勝介さん、あんたぁ、メヒコに来てからちょいと食べ過ぎやで。そりゃ、珍しいものを食べたくなる気持ちわかるけど、自分の仕事を忘れたらいかん。」
 田中勝介は徳川家康の命令で帰国するドン・ロドリゴに同行してヌエバ・エスパーニャにやってきた。その使命とは、イスパニアとの通商を開くための調査と準備である。家康はキリスト教には懐疑的ながら、イスパニアとの貿易には興味を示していた。これまでも、フィリピンや明を通じて、交易はされていたが、ヌエバ・エスパーニャ経由の交易の道が開けないかと考え、勝介を派遣したのであった。
 メヒコに到着した当初、勝介はケンを通訳にメヒコの商人との商談を積極的に進めていたが、直接言葉が通じないので、思うように成果が上がらず、このところ少々嫌気がしてきていた。その成果が上がらないのはケンの通訳があてにならないからだと思っていた。
「ケンさん、そんな言い方はないやろ。私は大御所様のために、なんとかええ商売ができたらと、一所懸命にやっているのに、あんたの通訳があてにならんで。ちゃんと私の言うことを通訳してはりますか?」
「勝介さん、うちの事信用してないんかいな?」
「そんなことはあらへんけど、どうも腑に落ちん事もあるもんでな。」
「どういうことや?」
 ケンはむっとして、勝介に詰め寄った。
「そんな、こわい顔しなさんな。この前の、れろっほ(reloj = 時計)っちゅう時を計る仕掛け箱を見せてもらうって言う話、次の日の約束だったのに、相手は来なかったやないか。ちゃんと約束したんかいな。」
「勝介さん、あんときはあんたもちゃんと聞いていたやろ。相手もアスタマニャーナいうてはったやないか。」
「それが、あてにならん。アスタマニャーナがあしたまたなって言う意味やなんて、洒落みたいやないか。ほんまにそういう意味なんか?」
 勝介は商談の約束が守られなかったことを、ケンがしっかりと相手に約束を取り付けていなかったからだと思っている。しかし、それはケンの責任ではなかった。ここはメヒコ、日本とは違う時が流れているのである。アスタマニャーナ(Hasta mañana)というのは確かに明日また会おうというような意味ではあるが、ここメヒコの人の間では別れの挨拶以上の意味を持たない。同様にアスタ・ラ・ヴィスタ(Hasta la vista)、アスタ・ルエゴ(Hasta luego)という別れの挨拶も「また後で。」と言う意味だが、その「後で」と言う日がいつ訪れるかは神のみぞ知るである。
「ほんまやで。」
 ケンはそう言って、ふくれっ面をした。
「なんや、その顔。まだあるで。三日前に、ここの酒一升でなんぼや聞いたとき、ケンさん、えらい長い時間話し込んでいたけど、結局その値はわからずじまいだったやないか。」
 ケンは話好きで、勝介から聞かれた事以外の話をついつい、長々としゃべってしまうことは自分でもわかっている。それでも、ケンにはケンの考えがあってのことだった。直球で商売の話をするよりも、世間話を織り交ぜて相手の気持ちをこちらに引き付けるのも大切なことだと思っていた。三日前の話とはこんな具合であった。

 ケンと一緒にメヒコのめしやで食事をしているときに、勝介はワインの味が良いのでケンに仕入れは一升でいくらかを聞いてくれと言った。するとケンは店の若い女性にスペイン語でこう話しかけた。
「セニョリータ、ちょいと聞きたいことがあるんだけど。この酒、ワインって言うんでしょ。僕たちは日本と言う、太平洋の向こうの遠い国から来たんですけど、このブドウで造った酒がすっかり気に入ってね、日本に持って行って売りたいと思っているんですよ。日本の酒は米から作るんですけど、このワインはぶどうから作るんでしょ?そんな講釈つけて売ったら日本でも飛ぶように売れると思うんですよ。見た目は血みたいで、味も渋いけど、飲み付けるとやめられなくなる味ですよ。これ、仕入れは一升でいくらですか?」
 このインディオみたいな顔をした小柄な男にべらべらと話しかけられて、給仕の女性はこう答えた。
「日本?日本って何のこと?それに一升ってどういう意味ですか?」
「あちゃあ、そうか、日本も一升もわからないか。」
 それから、延々とケンはドン・ロドリゴの遭難の話から、自分たちがここにいる事情を説明した。
「ああ、日本ってフィリピンの近くにある国なのね。それであなたたちはそこからメヒコに来て、商売をしようとしている。でも、その一升っていうのが、どのくらいの量かわからないわね。」
「そうですか。まあ、国が変われば言葉も計り方も違う。しゃあないなあ。ねえ、セニョリータ、面白い事教えてあげましょうか。」
「なあに?」
「この店、こちらの言葉ではタベルナ(taverna=小料理屋)って言うでしょ。日本語でタベルナって、食べてはいけないと言う意味なんですよ。」
 ケンの話に、若い給仕の女性は大笑いをした。勝介は何を話しているのだろうと思っていたが、ケンからの返事はこうだった。
「勝介さん、残念やけどわからないそうや。」

 メヒコに向かうブエナヴェントゥーラ号で初めて顔を合わせた、ケンと田中勝介は同じ西国の生まれということもあり、すぐに打ち解けて、気の合う仲間となった。長く、大変な船旅もケンの陽気さで勝介の心も和んだ。
 ところが、メヒコに着くと言葉がわかるケンはメヒコの人々と気性があったのか、時に勝介をそっちのけで話が弾んでしまうことがある。勝介はメヒコ人と談笑するケンのそばでおいてきぼりにされた気持ちになることがしばしばであった。

「勝介さん、そないこわい顔しなさんな。うちも勝介さんの役に立ちたいと思って一所懸命なんやで。」
「それは、わかってますわ。はあ、それにしても、、、」
「それにしても?」
「日本に帰りたい…….」
 メヒコでの新商品開拓が思うように進んでいないので勝介はメヒコでの商談に嫌気がさしてきていた。なれない風習、通じない言葉。日本ではあんなに商売がうまくいっていたのに、ここではさっぱりである。ところが、ケンはその陽気さがメヒコの人情が通じ合ったのか、毎日毎日楽しそうだ。それがまた腹立たしくもあった。
「しかし、ロドリゴさんは何の用事やろなあ。」
 勝介が言うと、
「きっと、ええ商人でも紹介してくれるンとちゃいますか?」
とケンが答えて、勝介の肩をもみだした。
 ケンの笑顔を見ると勝介は思った。
(はあ、この人は腹は立つけど、憎めない人や。)

 そのころ、約束の時間になっても現れないケンと勝介の事を気にするでもなく、ドン・ロドリゴは屋敷である人物と話をしていた。
 一昨年、遭難したイスパニア人たちをヌエバ・エスパーニャに送り返してくれた徳川将軍家への答礼使として元フィリピン司令官のセバスティアン・ビスカイノが日本に行く事になり、その報告を兼ねてロドリゴの家を訪ねていたのであった。
 ビスカイノはロドリゴがフィリピンに赴任する前に司令官としてフィリピンに滞在したことがあった。二人はフィリピンでの思い出話をし、ビスカイノはロドリゴに日本がどんな国かをたずねた。
「日本の国民はまずしいが礼儀正しく、親切です。しかし、国中が長く戦争状態なので、その軍隊は恐ろしく強い。その戦争地帯は国内だけにとどまり、海を越えることはないので海軍は一部を除いては未熟ですが、陸軍の歩兵は強い。前の皇帝であったヒデヨシは朝鮮を攻めましたが失敗しました。海戦であれば、わがイスパニア軍の敵ではありませんが、上陸戦になるとどうでしょうか。仮に我が国が日本を征服しようとするならば、軍事力で攻めるよりも政治力を使った方が効果があると思われます。」
「なるほど。それで、力攻めではなく、友好的な手法を使った方が良いと思われるのですね。では、あなたならどのように日本を征服しますか?」
「はい。私なら、キリストの力で抑えたいと思います。日本は宗教的には未熟な国です。我々の様な絶対的な神と言う存在はありません。彼らが言うところの神と言うのは、我々が感じる精霊の様な存在です。例えるならばギリシャの神々の様なもの。もし、日本を征服するならばキリストの教えを広め、彼らの心を征服することが重要かと思います。しかしながら、彼らの神々を認めることも必要かと。例えば、ここメヒコでもキリストと土着の神が融合していますが、日本でも同じ様な状況になるのではないかと思います。」
 ビスカイノは日本を征服しに行くのではなく、ロドリゴ救助の答礼として派遣される友好的な使節ではある。しかしながら、この機会に日本との通商を強固にし、敵対するオランダやイギリスなどの新教徒の勢力を駆逐したいと考えている。
「そういえば、今日は日本から派遣されている商人がこちらに来るとのこと。その商人も一緒に日本につれて行くということでしたね。」
「そうです。徳川皇帝の命令で通商の調査に来たのですが、どうやらあまり成果が上がっていない様子。そこで我が国の銀の製錬法を手土産にできないかと持ちかけてみようと思うのですが。」
「そうですか。銀の製錬法を伝え、その産出された銀と我が国の物産を交換する。その商人も良い土産になるでしょう。」

 ロドリゴとビスカイノがそんな話をしているところに、ケンと田中勝介が現れた。勝介は時間に遅れたことを気にして、ロドリゴに詫びをしたが、ロドリゴはさして気にする風でもなく、笑顔で二人を迎えた。慇懃な態度の勝介とは対照的にケンはロドリゴと握手をして、早速スペイン語で談笑を始めた。
 ロドリゴからビスカイノが答礼使として、三月に日本に出発すること、田中勝介もその船で日本に帰ること、ビスカイノは日本に新しい銀の製錬法を伝えたいと言うことを聞くと、固かった勝介の表情が緩んだ。
(これで、私がここへ来た成果がやっとつかめた。)
 珍しい物産を手に入れることも良いが、新しい技術を手に入れることの方が家康も喜ぶのと思ったのである。
 一通り、日本行きの話が済むとロドリゴがケンにたずねた。
「ケンは日本に帰るのか?」
「私はここに残りたいと思います。もともと、フィリピンでドン・ロドリゴの船に乗ったのはメヒコに来ることを望んだからです。」
「そうか。残るのか。お前が日本に帰るのなら頼みたいことがあったのだが、、、」
「それは、どんなことでしょう?」
「ホルヘの事だ。」
 ロドリゴは日本に残ったホルヘが気になっていた。言葉も通じず、慣れない土地に一人残り、不自由をしているのではないかと心配だった。ケンが日本に帰るのなら、ホルヘへの手紙を託したかったのである。
 二人の話を聞いていたビスカイノがロドリゴに聞いた。
「そのホルヘと言うのは誰なんですか?」
「私の命の恩人だ。」
 ロドリゴは嵐の時にホルヘに助けられたこと、ホルヘはフィリピン人だが、父がイスパニア人であることなどを話した。話を聞いていたビスカイノは顔色が変わってきた。ロドリゴはその表情を見逃さなかった。
「ビスカイノ殿、まさか、ホルヘの父親について心当たりでもあるのですか?」
「いや、そのホルヘと言う青年の年齢からすると、彼が生まれたのはちょうど私がフィリピンに司令官として赴任していたころのこと。」
「まさか、あなたが、、」
「いや、勘違いされてはいかん。私は彼の父親ではないが、話からすると当時の私の部下の中にホルヘの父親がいる可能性があるのではないかと思ったので、、」
「ビスカイノ殿!やはり何か知っているのですか?ホルヘの父親の事を知っているのであれば、ホルヘに知らせてやりたい。」
 ビスカイノは腕組みをして考え込んだ。今更、ホルヘの父親を探してもメヒコと日本では、親子の再会はかなうまい。いたずらに知らせてやることがホルヘのために良いとも言えまいと考えた。
「別に心当たりがあるわけではないが。いいでしょう、昔の仲間にそれとなく探りを入れてみましょう。でも期待はしないで下さいよ。」
「ありがとうございます。よろしく頼みます。いずれにしても、ホルヘには手紙を書きますので何らかの方法でホルヘに届けていただきたい。」
 ロドリゴはビスカイノに頭を下げた。
「ケンさん、ケンさん。どないしたんや。二人とも難しい顔して、何かよくない事でもあるんかいな?」
 言葉がわからず、またもや蚊帳の外の勝介がケンにたずねた。
「いや、ええことや。気が変わった。うちも日本に帰ります。メヒコは性に合ってたけど、まだまだ日本で面白いことがありそうや。」

 その後。
 勝介は銀の製錬現場を視察したり、ビスカイノの紹介で有力商人と会見することができた。ケンは商談の時は通訳として勝介に着き従っていたが、帰国すること決めるとなぜか、一人でどこかに行くことが多くなった。勝介がケンにどこに行くのか聞いても決して教えてはくれなかった。
「さよか。また私はのけものか。」
 勝介はふてくされた。
 その年の三月、ビスカイノの答礼使節と勝介とケンたち日本人を載せた船が日本に向けて旅立っていた。
 その日もメヒコは雲ひとつない快晴だった。   

続く

*画像は城西国際大学様よりお借りいたしました。コチラ



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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (もへじ)
2010-11-17 08:27:13
第二部ヨロシクです
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Unknown (久我原)
2010-11-17 19:28:52
もへじさん、よろしくお付き合いください。
おそらく、、
一部以上に長くなると思います。
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正月 (もへじ)
2010-11-17 19:47:29
このノリは正月の十二時間のスペシャルドラマみたいです
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伝言やらいろいろ (ジャンヌ)
2010-11-17 20:04:49
>もへじさん
12時間ドラマで取り上げてもらう運動からでもいいですね。その前に2時間ドラマもありますが、この流さでは無理っぽいですね。

>久我原さん

小説の書き出しで、読みたいものか、そうでないものか決めちゃうのが私流です。

>「ケンさん、ケンさん、ちょっと待っておくれやす。もっと、ゆっくり歩きませんか?」

こんなふうに軽快な「動」で始まる文章は、ジャンヌのツボです。

それにしても、知識が豊富で驚きが宙返りしています。


先日のバスツアーで、久我原さんの小説に田舎の爺さんも驚いていました。

そのバスツアーには、前町長さんもご参加されました。
いつだったか、大多喜町の前町長さんが「ドラマには、恋話がなくちゃ! それを書いてくださいね~アハハ」と、久我原さんにおっしゃったことがありましたね。
あれはたしかメキシコの方達が大多喜城にいらした日のことですね。
そのことを覚えていらっしゃいまして、「何でもいいから、どんどん名前を有名にしてください。大多喜町の人には、どんどん情報を流すということがなかなか出来ないのでよろしくお願いします」と、おっしゃっていました。
さすが、町長さんだったお方、妄想小説でも、潔く責任を取ってくれそうな予感がしました・・・(*o☆)\バキッ!


>タベルナ
いいことを教えてくださいました。
・・・あれ、これって妄想じゃないですよね?
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Unknown (久我原)
2010-11-18 21:53:27
tabernaはスペイン語で居酒屋のことです。

初めて知った時に、飲み屋だから食べちゃだめと覚えました。

スペイン語の発音は日本語に近いので、似たような単語たくさんあります。

come コメ = 食べる
hasta manana アスタ マニャーナ = あした またな

ところで、hasta la vista の意味はまた会いましょうというような感じですが、そのまたという日はいつ来るかはわかりません。
Terminator 2では 「Hasta la vista, baby.」というセリフが出てきますが、字幕では「地獄で会おうぜ、ベービー。」となっていました。
なるほど、という感じでした。

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クガハラサマ (ジャンヌ)
2010-11-19 00:27:53
モシヤアナタハ スペインジンデスカ?

と、スペイン語で聞きたくなります。

>come コメ = 食べる
>hasta manana アスタ マニャーナ = あした またな


面白いですね(●^o^●)

掲示板にただともさんが、梅ケ瀬のアドバイスをしてくださっていますよ~。

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田中勝介、初めて知りました。 (鍋之助)
2010-11-19 14:54:36
田中勝介、初めて知りました。日本人として初めてアメリカ大陸に渡った事に、
サンフランシスコ号漂着事件が関わっていたのですね。
日本の外交の魁に本多忠朝公やドン・ロドリゴが関わっていた。
その辺も想像しながら読むと実に楽しくて、ためになります。
久我原さん、引き続き執筆頑張ってください。
返信する
鍋之助様 (久我原)
2010-11-19 18:31:26
田中勝介は偶然発見しましたが、実態はよくわかりません。小太りで、メヒコの商売がうまくいかずにいじけているのは、当然僕の妄想です。

こんなページを見つけました。

http://joancode.blog.ocn.ne.jp/blog/2009/06/post_6184.html

実際には家康から派遣されたぐらいですから、やり手の商人だったのでしょうが、関西人同士、ケンと漫才みたいな出だしになってしまい、またまたご本人には申し訳ないと思います。
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