忠朝と伊三 4/久我原
伊三は岩和田村で生まれ育ったが、大多喜には二年ほど住んだことがある。そのほかの土地には行ったことがない。先代の殿様、本多平八郎忠勝が大多喜にやってきた天正十八年に、城の普請と新しい街づくりのために村から人を出すことになり、その時伊三もかりだされたのであった。その殿様にはさらにその上の主人が江戸というところにいるらしい。徳川家康というのがその大殿様のお名前らしい。その徳川の主人が都にいて、その都の主人の命令で徳川の殿様が江戸に来て、その徳川の殿様の命令で本多の殿様が大多喜に来たという話を聞いた。話には聞いたが、江戸も都もどんなところか分からない。徳川の殿様は江戸を都のような立派な町にすると言っているそうだが、立派な町と言うのがどのようなものなのか、伊三には想像がつかなかった。
大多喜の町が出来上がりつつあるとき、工事の監督をしている組頭である侍に、
「お頭、今度江戸という立派な町ができると言うことですが、やっぱりこの大多喜みたいに大きな町なんだべか。」
とたずねた。すると、組頭は大声で笑い、
「お前、江戸と言うのはこの大多喜よりも何百倍も広い土地があり、住んでいる人も何百倍もある。こんな田舎とは大違いじゃ。おっと、こんなこと言っちゃお咎め受けちまうな。」
と言って、首をすくめた。
「何百倍、、、」
伊三は頭の中に霞が張っていくような感覚がした。何百倍ってどれくらいの数だ。俺だって百まで数えられっけど。道を舗装するための土砂と石ころを運びながら、、
「何百倍、、、何百倍、、何百倍、、、」
と、呟いていると、組頭に、
「おい、伊三、ぼっとしてねえでしっかり歩け。」
と怒鳴られた。驚いた伊三は「へえ。」と、組頭のほうを振りかえり、バランスをくずして転んで、天秤棒で担いだ土砂と石ころを散らかしてしまった。
「こら!何やってんだ!しっかりせえ!」
ころんだ後ろから組頭に尻を蹴とばされた。
「いってぇ。」
と言って起き上がろうとすると、どこから来たのか八つぐらいの子供が
「しっかりせえ!」
と、組頭のまねをして伊三の尻を蹴った。
「なにすんだ、このガキ。」
十八になった伊三は子供に馬鹿にされたので、かっとなり子供の方を見て飛びかかろうとしたが、格好が侍の子らしかったので、思いとどまった。
その子供は笑いながら、走り去ってしまった。
「ははは、伊三、あんな子供にまで馬鹿にされては悔しかろう。しっかり仕事せえよ。」
と、さっき尻を蹴った組頭が伊三が立ち上がるのを助けてくれた。
「すまねぇ。」
ころんだ事よりも子供に尻を蹴られたことが恥ずかしく、伊三はその日一日、一言も口をきかず黙々と働いた。
翌日。
伊三が組頭のところにあいさつに来た。
「昨日は申し訳なかった。今日はしっかりやるので勘弁して下せえ。」
「ははは、気にするな。おめえは力があるから、こんな仕事には役に立つ。ちっとぐらいすっ転んだからってどうってことねえべ。」
組頭は伊三が転んだことを恥じているのだろうと思っているようだが、伊三はそれより子供に尻を蹴られ、その子が侍の子だったので自分が何もできなかったことに腹が立っていた。
この日、伊三は土砂を運びながら、
「しっかりせえ、しっかりせえ。」
とつぶやいていた。そんな伊三を一緒に働いている仲間たちはにやにやしながら見ている。
伊三は体が大きく、力も強くよく働くが、口数が少なく、見た目がぼっとしているので仲間たちには良くからかわれた。伊三は嫌われているわけではなく、つらい労働の息抜きに仲間はからかっているだけであった。しかし当人にとっては面白くなく、うっぷんがたまっていた。
「しっかりせえ、しっかりせえ。」
時折、仲間にはやし立てられると、むっとしたが、昨日のような失敗はしたくないのできこえないふりをしていたが、今度は
「しっかりせえ、しっかりせえ。」
とはやしたてる子どもの声が聞こえた。声のする方を見ると昨日の子供が頭の上で両手をひらひらさせながら伊三の後を付いてくる。
(このやろう。)
心の中で思ったが、伊三は無視することにした。子供はまた笑いながら走り去ってしまった。
そのあとの休憩時間に、建築中の民家の家の前で休んでいると、仲間の一人が声をかけてきた。同じ村から来た同い年の平吉である。
「おい、伊三、昨日は災難だったなあ。すっころんで尻を蹴られるは、変なガキにはおちょくられるは。あのガキ、サムライの子だったみたいだけど、お頭も叱りつけてやればいいんだよ。小せえころのあんないたずらをゆるしてちゃあ立派な侍にゃなれねえよな。」
「へいちゃん。いいんだ、どうせ俺はうすのろだから。」
「みんなも、もうちっと伊三に優しくしてやるといいんだけどな。おまえは口数が少なくて人付き合いも下手だから。でも本当はみんなお前のことを好いてるんだ。よく働くから頼りにしてるんだけど、どうもお前を見てると、ついからかってみたくなるんだとよ。」
「ふ~ん、そうかあ。」
伊三は平吉と話をしながら、建築中の家の外壁を塗っている職人の仕事を見ていた。すると、またあの侍の子供がやってきて、外壁を塗る仕事を見つめていた。するとその子は塗ったばかりの外壁に近づくと両手の平を壁に押し付けた。
「よう、できた。」
その子はそう言って、職人を見るとにやりとした。職人はやはり、むっとした顔をしたが相手が侍の子なので、黙って壁に着いた手の平のあとを塗りなおした。いたずら坊主はまた手の平のあとをつけ、職人は塗りなおす。それが何回か繰り返された。伊三の組のお頭も、そのほかの侍たちもその子を注意しようとしない。
(なんなんだ、あのガキは。)
手の平のあとをつけ、塗りなおし、そんなことを繰り返していたが、とうとう子供は足をあげ、壁に足跡を付けた。それ見ていた伊三はすくっと立ち上がり、子供の方へ向かって歩き出した。
「おい、伊三、何すんだ。やめろ。」
平吉は声をかけたが、伊三は子供の襟首つかみ宙づりにすると子供の尻を平手で叩いた。宙づりにされた子供はジタバタしながら逃れようとしたが、どうにもならなかった。伊三は子供を地面におろして、今度は子供のほっぺたをつねった。
「おい、このガキ。いい加減にしろ。俺達、、、、」
と、子供に話しかけた時、近くにいた侍たちが伊三を取り押さえた。手を後ろに縛られまるで罪人扱いだ。その侍の中には伊三の組頭もいた。
「伊三、おめえ、なんてことしたんだ。」
伊三は何が起きたのかよくわかっていなかった。
「な、何すんだ。俺はいたずら小僧を叱っただけだ。なんでこんな目に会うんだ。」
「ばかやろう。おめえは本当にバカだ。なんてことしたんだ、なんてことしたんだ。」
組頭が言った。伊三は縛られ侍たちに連れて行かれてしまった。あの侍の子供も一緒に連れていかれた。
平吉が組頭に聞いた。
「かしら、いったい何なんです?いくら相手が侍の子だからって、あれじゃ罪人みてえじゃねえか。あの子はそんな偉い人の子供なんですかい?」
組頭はうっすら目に涙を浮かべて、
「あの子は本多の若様だ。若様に手を上げたんだ。伊三、どんなお咎めがあるかわからんぞ。」
と、言った。
「なんだって?あれが若様か?なんで教えてくれなかったんだ!伊三はどうなる?」
平吉は組頭の襟首をつかんで泣き始めた。組頭はされるがままで
「すまん、すまん。」
とつぶやいた。仲間たちはそれを遠巻きに心配そうに見ていた。
伊三は縛られたままで城に連れて行かれた。城に連れて行かれる途中であの子が城主本多忠勝の次男、忠朝であることを聞かされた。
(あれが若様?あんないたずら坊主が本多の若様?)
伊三はあきれるとともに恐怖心を覚えた。若様に手を挙げてしまった。一体、おれはどうなるんだ?どんな罰を与えられんだろう?まさか殺されちまうんだろうか?そう思うといてもたってもいられず。
「うぉー!」
大声をあげて暴れ出した。しかし、大勢の侍に取り囲まれ、すぐに地面にうち伏せられた。伊三は涙が出た。再び立ち上がって歩きだした。もうだめだ。そう思った時、縛られた手のひらを誰かが握った。振り返ると、なんと本多の若様がすまなそうな顔で伊三を見上げている。
伊三は屋敷の庭に連れて行かれた。目の前にある殿さまの屋敷は伊三が働く城下の家々に比べれば随分立派だ。こんな立派な建物は初めて見た。伊三は自分の立場も忘れて見とれていた。しばらく三人の侍に押さえつけられていたが、屋敷の縁側に一人の侍が現れ、こう言った。
「縄を解いてやれ。」
伊三はその男の顔を見た。鋭い眼光と大きな鼻。真一文字に結んだ口のその顔は伊三には鬼のように見えた。
「わしが城主の本多忠勝じゃ。おぬし名前は?」
伊三は心臓を握りしめられたような思いである。これが、あの本多の殿?噂では戦でも傷を負ったことが無い、まさに鬼神のような大将だということを聞いていた。伊三はがたがた震えながら答えた。
「い、い、いぞう、、と申します。」
「いぞうか。」
と言うとにやりと笑い。
「今日、町でおぬしがひっぱたいた子供がわしの子だと知っておったか?」
「と、と、とんでもねえ。しりましぇんでした。すまねえこってす。すまねえこってす。」
伊三はそう言って下を向き、ぽろぽろと涙を流した。
「はは、そうか。知らずにひっぱたいと。いぞう、では、もしわしの子だとわかっていたらやはりひっぱたいたか?」
「とんでもねえ。そんなこと、、、」
「しなかったか?」
「いや、わ、わからねえ。」
伊三はしまったと思った。はっきりと殿さまの子と分かれば手は出さなかったというべきだった。わからねえでは殿さまの子だと知りながらもひっぱたいたかもしれないということだ。これは殿さまに対する反抗だ。もう殺される、、、そう思った時。
「があ、ははははは、」
忠勝は大口開いて笑い出した。
「正直な奴だのう。まあ、良くやってくれた。」
よくやってくれた?伊三は耳を疑った。
(殿は今俺をほめてくれたのか?)
「実はな、あやつには困っていたんじゃ。目を離すと城の外に出ていたずらばかりしているらしい。部下どもはわしを恐れて、忠朝の悪さを見て見ぬふりじゃ。古くからの部下は叱ってくれるが、城下の新参の家来どもは遠慮があるらしい。」
忠勝の話では、城下町の建築を担当しているのは大多喜に来てから取り立てた新しい家来であるという。伊三の組頭ももともとは万木城の土岐氏の家来だったということ聞いていた。
「よくぞ、叱ってくれた。礼を言うぞ。」
忠勝に礼を言われ、それまで緊張していた伊三の心が溶けた。声をあげて泣き始めた。
「ありがてえ、ありがてえ。」
「まあ、泣くな。つらい思いをさせてすまんのう。わしもこの町が初めてもらった領地だ。おぬしらといっしょによい町を作っていきたい。これからもよろしく頼むぞ。」
「ありがてえ、ありがてえ。」
伊三は泣きながら繰り返すだけである。
「おい、忠朝!こっちに来い!こっちに来て、いぞうに謝れ。」
忠朝はしょんぼりして忠勝のもとにやってきた。伊三に頭を下げ
「すまなかった。」
と言った。伊三はひれ伏し、
「とんでもねえ。若様とは知らずご無礼でした。」
と言った。
「ところで、いぞう、忠朝を叱ってくれた礼に褒美をやろう。何か欲しいものは無いか?」 忠勝が聞いた。
「欲しいもの?欲しいもの?」
考え込む伊三に忠勝が言った。
「なんでも良いぞ、望むことを言ってみろ。」
「それじゃ、お願いが、、、」
「なんだ、言ってみろ。」
「俺は字が読めねえから、自分の名前がどんな字で書くかは知りません。殿さまなら、わかりましょうか?」
すると、そばに控えていたサムライが伊三をたしなめた。
「これ、殿さまに名前の文字をつけていただこうとは。殿さまの温情に甘えて、調子に乗るな。」
「いや、そんな、名前をつけていただこうなんて。友達は字が読めるのに、俺は自分の名前の字も知らねえから、殿さまが知っていれば教えてもらおうと思って。」
その言い草と伊三のおろおろした態度がおかしくなり、忠勝は笑いながら言った。
「があ、ははは。面白い奴じゃ。よいよい。ではわしがお前の名前を書いてやろう。だれか紙と筆を持ってこい。」
紙と筆が忠勝に渡された。
「いぞう、いぞう、、、こう書くのかな。」
忠勝は半紙を持ち出し「伊蔵」と書いた。
「これがいぞうと読むんですか?難しい字ですね。」
伊三は自分の名前が文字になるとずいぶんと厳めしい感じがするなと思った。眉にしわを寄せて忠勝が持つ「伊蔵」という文字に見入っていた。
「そうか。もっと簡単な字の方がよいか。」
「父上、この字はどうですか?」
今度は忠朝が「伊三」と書いて、伊三に見せた。
「どうだ。これならもっとやさしいだろう。」
「へえ、こ、これなら、、、」
忠朝はその紙を伊三に渡して、
「また、遊んでくれ。」
と言った。
「もったいねえ。」
伊三は忠朝に手を上げたことを許された上に自分の名前に字まで当ててもらい、うれしさのあまりに初めて笑った。すると忠朝も笑った。笑ったと思ったら今度は伊三に向かってあかんべえをした。伊三はなんてガキだ、、いや若様だとあきれ顔になると、忠勝が、
「これ、忠朝、なんじゃその顔は!伊三、遠慮はいらん。いつでも忠朝を叱ってやってくれ。」
と言った。
「へへえ。」
伊三はひれ伏したが、
(そんことできるわけねえだろう。)
と心の中でつぶやいた。