都立高専交流委員会ブログ

都立高専と城南地域の中小企業(特に製造業)との交流・連係を図り、相互の利益と地域社会・地域経済の発展を目指します。

写真ニュ-ス 中小企業家経営塾 第1講 ~ インターンシップ経験交流会 ~ 産技祭

2013年11月09日 | Weblog

 
   ☆★☆☆ 都立高専交流委員会  写 真 ニ ュ ー ス 2013.11.09 ☆☆★☆
 
 
 
 (画像はクリックすると大きくなります。
 
  もう一度クリックすると、更に、大きくなります。)
 
 
 
 
 10月25日(金) 中小企業家経営塾 平成25年度 第1講
 挨拶をする 内田亨 塾長 (株式会社 京浜工業所 副社長)
 
 
   
 中小企業家経営塾 第1講
 講義する 旭東ダイカスト 株式会社 専務 山森勝利 氏 (硬い表情!)
 
 
  
 中小企業家経営塾 第1講 授業風景
 
 
    
 中小企業家経営塾 第1講 講義が終わるとグループ討論
 
 
  
 中小企業家経営塾 第1講 授業が終了して挨拶 (最初の写真と比較??)
 
 
     
 学校の図書館に寄贈させていただいた書籍が図書館の中央に展示されました。
 最後の写真は、これまでに展示させていただいた書籍のコーナー
 
 
 
 11月1日(金) 専攻科 インターンシップ 発表会
 
 
  
 11月2日(土) インターンシップ 経験交流会
 実施企業、先生方、学生の参加により、
 インターンシップをより充実したものにする課題を明確にしていきました。
 
 
   
 11月2日(土)~3日(日) 産技祭(学校の文化祭)
 鉄道総合研究部の展示
 
 
  
 産技祭 / かわさきロボット競技
 
 
   
 産技祭 / アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテスト の ロボット
 縄を廻すロボット と 縄を飛ぶロボット
 ロボットは、人が近づくと自動的に動き、縄を検知すると自動的に飛びます。
 
 
 
 産技祭 / ロボカップジュニア サッカーチャレンジ 自走式サッカーロボット
 


11月27日 学校にて 産学合同忘年会 の ご案内

2013年11月09日 | Weblog
 皆さま
 
 
 来年度、交流30周年 を迎える 私どもの産学連携
 この節目を踏まえ
 
 東京中小企業家同友会 大田支部 都立高専交流委員会 と
 東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス 地域交流室 が、開催する
 産学合同「望年会」を、ご案内させていただきます。
 
 
 
     地域産学連携の深化と新しい課題の実現のために
 
 東 京 都 立 産 技 高 専 / 産 学 合 同 望 年 会
 
     ~~ 交流30周年へむけて、新年度を展望する ~~  
 
  11月27日/午後5時より学校にて懇談会+近隣にて「望年会」
   
 
■ 日 時 平成25年11月27日(水) 午後5時より
■ 会 場 東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス
     東棟2階 269 地域交流室 展示コ-ナ-
      http://www.metro-cit.ac.jp/information/access/shinagawa/

     (京浜急行鮫洲駅9分/東京都品川区東大井1-10-40 TEL 03-3471-6331)
  
■ 参加費 3~4千円(移動後の飲食費として)  
■ 参加お申し込み/お問い合せ
       gc-t@ac.auone-net.jp
  03-5746-3041
      (グローバル・コミッション 田中)   
 
 
 私ども東京中小企業家同友会と都立産業技術高等専門学校との交流が、
 来年度で30周年を迎えます。
 
 中小企業家経営塾(+学生海外派遣)、
 インターンシップ受け入れ、シンポジウムの共催など、
 豊富な内容をもつ産学連携を継続、発展させることができましたのは、
 関係者の皆さまのご支援の賜です。
 厚く御礼申し上げます。
 
 さて、
 来年度は、学校にとっても、新しい長期計画を立案する起点の年となるそうです。
 
 これを機会に、多くの皆さまにお集まりいただき、
 
 学校の先生方を交え、
 これからのものづくりや産業の担い手の課題、
 次世代人材育成、産学連携の進め方などについて、大いに語り合い、
 私たちが取り組むべき課題について明確にし、共有する輪をひろげげていきたく考え、
 
 「産学合同望年会」を開催させていただくことになりました。
 「忘年(年忘れの)会」ではなく、「望年会」にいたしたいという趣旨でございます。
 
 当日は、
 学校長、教務主事をはじめとする学校の先生方が参加されます。
 
 学校にて、来年度以降の課題などについて問題提起させていただいた後、
 近隣の飲食店に移動、懇談を深めさせていただきたく考えております。
 
 地域の産業、地域社会のための公共機能として産学連携を発展させること、
 産学の共同事業としての産学連携、
 産学をはじめとする地域の多様なセクターの協働による地方自治が、
 私たちの基本課題となるものでしょう。
 
 平素のご厚誼に感謝し、
 改めて、多くの皆さまに、ご参加、ご参画を賜りたく、ご案内させていただきます。
 
  

中小企業家経営塾 第2講 アールシーソリューション 栗山章 氏 行動しなければ何も変わらない!

2013年11月09日 | Weblog
 
 皆 様
 
 
 都立高専 中小企業家経営塾 平成25年度 第2講 は、
 
 インターンシップ でも、大変、良い成果を上げていただいている
 アールシーソリューション 株式会社 栗山 章 氏 に
 講師をお願いさせていただきました。
 
 多くの皆さまにご参加いただきたく、ご案内させていただきます。
  
 
 
   11月22日(金) 都立高専 中小企業家経営塾 平成25年度 第2講
 
       行 動 し な け れ ば 何 も 変 わ ら な い !
   
     ~~ 小さな事を始める/始めたら続ける/あきらめない ~~
 
  講師 : アールシーソリューション 株式会社 代表取締役 栗山 章 氏
 
  
■ 日 時 10月22日(金) 午前10時25分 ~ 12時
■ 会 場 東京都立産業技術高等専門学校 品川キャンパス
      西棟6階 PBL多目的教室 (参加費 無料) 
      http://www.metro-cit.ac.jp/information/access/shinagawa/

 
■ 昼食懇談会 中小企業家経営塾終了後(正午より1時間程度)
        学校にて、講師を囲み昼食懇談 (弁当代千円程度)
 
 参加お申し込みは、直接、当方にお願い申し上げます。 
  gc-t@ac.auone-net.jp 
 03ー5746ー3041 (田中)
 
 
 
   ヒューマンセキュリティネットワークの想いを
 
       《ゆれくるコール》 400万人ダウンロードへ!
 
 
 学生時代から、
 北米、東欧、南欧、中米、南米へとひとり旅を続けていた 栗山章 氏、
 感じ続けてきたのが、他の国にない日本の《安心/安全》な社会環境です。
 
 資金が途絶し、海外訪問を続けられなくなり、就職したのが、
 バブル全盛期のソフトウェア業界。
 
 突然、プロジェクトリーダーを任され、
 顧客のニーズに応える仕事のやりがいに目覚めたといいます。
 先輩と共に独立しますが、下請けとして大手企業に翻弄される現実を前に、
 
 「理想の会社の創業」を志して設立したのが アールシーソリューションです。
 
 かつての海外旅行の経験は、事業のキーワードとして生き、
 東北大震災前に、アプリ《ゆれくるコール》をリリース、
 400万人にダウンロードされることになりました。
 
 栗山章氏に、この事業を進めてきた思いをお話しいただきます。
 
 1.会社設立の経緯 
 2.安全・安心に関わるシステムへの取り組み 
 3.継続することの大切さ、大変さ
 4.これからの展開  
 5.学生の皆さんへのメッセージ(若い時の経験から)
 
 
■ アールシーソリューション 株式会社 について
 
  2002年 設立。
  2007年より セーフティネットワークシステムの開発を開始。
  同年、《ゆれくるコール》をリリース、
  東北大震災を介し、400万人にダウンロードされる。
 
  ITを、利用する人に必要とされるヒューマンな技術とし、
  使う人の手、人の声、人の感触と触合する道具としてのソフトウエア開発、
  スマートソリューションを進める。
 
  受託開発/自主開発の二つの仕事をする社員を、
  ポリシーで一体化することに心を砕いている。
 
 
■ 都立高専 中小企業家経営塾 について
 
  都立高専 中小企業家経営塾 は、私共とこの学校が共同で実施ている授業です。
  1時間の講義のあとグループ討論をおこないます。
  企業の皆様には、学生のコミュニケーションの促進役として、
  このグループ討論に ご参加いただきます。
 
 

極東ダイカススト 専務取締役 山森勝利 氏 / 中小企業家経営塾 講義 原稿 ①

2013年11月09日 | Weblog

 

 10月25日に実施された 本年度の中小企業家経営塾 平成25年度 第1講 
 
 「グローバル化の前線で戦う覚悟を胸に…… 
  後継者に甘えなし、自らの手で実績を積み上げる」 の
 
 講師、極東ダイカススト 株式会社 専務取締役 山森勝利 氏 より
 事前に、長文となる講義の原稿をいただいております。
 
 とても、1時間の講義に収まる内容ではなく、少し心配心配していましたが
 当日は、このエッセンスを、うまくまとめて、お話しされました。
 
 中国ビジネスや研究開発の前線に立って、
 次の時代を事業を切り開いている 極東ダイカススト 専務 の 山森勝利 氏
  
 何を糧に、この道を歩んできたか?
 そして、そこから何を学び、何を身につけてきたのか? が、克明に書かれています。
 
 この講義の原稿を、3回に分けて、掲載させていただきますので、
 お時間のある方は、是非、目をお通しください。 
 
 
 
 
 
  製造業のグローバル化対応と事業継承の難題をのりこえ、
 
                           どのように歴史を積み上げていくか?
 
   ~ 学生から社会人へ ……
 
        心構え/必要なスキル/自分以外の人間に必要とされる存在になるには? ~
 
 
                 旭東ダイカスト 株式会社 取締役専務 山森勝利 氏 
 
 
 
  目 次
 
1.はじめに(会社概要&沿革)
2.学生から社会人への歩み
3.ドラマ制作の仕事・現場で学んだ社会人としての基本
4.はじめは契約社員として弊社に入社、新事業に向けての研究開発責任者に任命される。
5.中国現地人材育成から、グローバル化の前線へ
6.新しい課題に取組む中国ビジネス
 
 
 
 これから、私の学生時代から社会人になるまでの実体験と、
 現在中小製造企業を継承している上で、製造業としての弊社創業80周年を迎え、
 以後20年すなわち100周年を迎えるための事業計画、歴史を刻み続けるための企業努力、
 会社という船をどのように操舵していかなければならないのかという観点から、
 話をしていきたいと思います。
 
 
    1.はじめに(会社概要&沿革)
 
 
 弊社は、1932年8月1日私の母方の祖父である、福永清 が創業しました。
 資本金は4,250万円で、
 2002年までは、東京都大田区下丸子に本社工場、
 埼玉県に嵐山工場・神奈川県に山北工場・北海道苫小牧に北海道工場と、
 日本には計4箇所もの工場がありました。
 
 バブル崩壊以降の中小製造企業は、大手メインバンクなどから運転資金の貸しはがしを受け、
 手形の不渡りや返済・支払金未払いなどが増え、倒産する企業が相次ぎました。
 弊社は、いち早く工場の合理化集約を果たし、現在の神奈川県足柄上郡山北町に本社登記変更も済ませ、
 金型・設備など良いものだけに選別し移設しました。
 この時、合理化集約できなかったことから倒産する中小製造企業は少なくありませんでした。
 この事は小泉内閣の痛みを伴う政策の典型的な事例でしょう。
 この頃から日本経済の発展に貢献してきた中小製造企業が姿を消し始めていきました。
 
 弊社はこの合理化集約にて、
 “捨てる・削る・止める、から創る”を合言葉に、大胆な構造改革をやり続けてきました。
 1995年いち早く中国の上海・寧波に合弁でダイカスト工場を設立しグローバル化を図りました。
 1999年には、難燃性マグネシウムダイカスト製造法・給湯機・溶解保持炉設備の研究開発を、
 東京都の助成金を受け着手し、大田区産業プラザPiOにて成果報告発表を行いました。
 
 2007年には中国寧波市寧海県にKSTという表面処理工場を立ち上げ、
 2008年には寧波市にKMTという貿易商社を設立いたしました。
 これは、ダイカストだけではない関連する異業種の分野に着手した、
 一貫生産による更なる合理化コストダウンに中国も対応してゆく為に取った手段です。
 2012年現在、寧海県開発区内に満を持して独資で1万坪の工場を建設中です。
 詳しくは後半にお話します。
 
 以上の歴史的流れから、
 創業100年を目指す事業戦略として"持続的発展"を続ける企業を目指しております。
 会社の企業理念として、“団結と挑戦”を掲げ
 【団結】は各職場・全従業員が強い連帯感を以て協力し、【挑戦】は現状に甘んじることなく、
 常に問題意識を持って工夫・改善を怠らずに日々の仕事に全力を尽くすということを、
 全社員が実際の行動で示すことができるよう個々の能力を高めております。
 
 
    2.学生から社会人への歩み
 
 
 私は高校受験のとき、
 当時三教科でマークシート方式であった東海大学高輪台高等学校に絞り、合格することができました。
 これは、運が半分以上占めていたと自分では思っております。
 マークシートの記入欄がずれていることに最後の方で気づき、
 直す時間がなかったので、最後の方のまだ解いていない問題は、
 マークの流れから適当にまとめて埋めるという事態になってしまったのです。
 これで合格したのですから、マークシートのお陰です。
 
 更に当時この高校は、大学への推薦入学率90%ということでしたので、これも選んだ理由の一つでした。
 高校では電子工学科にて3年間、
 主に勉強になったのは実験レポートの作成が今思えば自分の財産となっております。
 大学への推薦は、成績の良い順から学科が選べた為、私にはあまり選択権が無く、
 これまた当時あまり人気の無かった物理・原子力・海洋学部の3種類からしか選べなくて、
 原子力は嫌でしたし湘南校舎に通いたかったので物理学科へ行くことにしました。
 
 ここでは、高校で培った実験レポート作成技術が役に立ち、一般受験入学者たちとギブアンドテイクで、
 授業ノートの写しと交換で実験レポートを貸し出して持ちつ持たれつの関係を作っていました。
 何とか現役で卒業できることにはなりましたが、
 その年バブルがはじけ就職難の時代にぶちあたってしまいました。
 
 まわりをみていて、
 とりあえず就職できるところに就職するのだという考えに違和感を覚え、父親に相談し、
 親族の中で理学部物理学科を現役で卒業するといった事例が今までに無かったことを認めてもらい、
 自分がやりたかった特殊メイクアップアーティストの専門学校に行くことにしました。
 
 この専門学校では、
 エクソシストに出てくる少女のダミー人形で首が回るといった特殊メイクを手がけたディック・スミス氏、
 プレデターのモンスタースーツを手がけたスクリーミング・マッドジョージ氏、
 ミンボーの女の特殊メイクをてがけた佐和一弘氏他、
 日本講師陣では、
 円谷・東映の美術・特殊効果の関係者がそろい、充実した2年間を送ることができました。
 
 父親の大学時代の同級生であった ある国会議員に頼んで
 アメリカ永住権、俗にいうグリーンカードを入手し、ハリウッドで働く予定でいたのですが、
 卒業間際に、その国会議員が汚職事件で逮捕され、
 グリーンカードが入手できず就職できないという事態となってしまいました。
 
 その時専門学校では卒業制作作品を撮影中で、
 私は製作総指揮を任され製作資金管理と総合プロデュースをしていた為、
 その能力を評価されてTV局のプロデューサーの紹介を受け、フリーランス(自営業)で
 日本テレビ・フジテレビ・テレビ朝日の3社でドラマ専門の制作を手がける仕事に就きました。
 
 
 
 下記につづく
 
 

極東ダイカススト 専務取締役 山森勝利 氏 / 中小企業家経営塾 講義 原稿 ②

2013年11月09日 | Weblog
 
 極東ダイカススト 株式会社 専務取締役 山森勝利 氏 による
 本年度の中小企業家経営塾 平成25年度 第1講 の 講義の原稿です。
 下記と併せて、お読みいただけば幸いです。
  
 
 
 
 
    3.ドラマ制作の仕事・現場で学んだ社会人の基本
 
 
 3ヶ月の連続ドラマがメインで、平均睡眠時間が3時間。
 ギャラは20万円/月で3食付、製作車両とスタジオ仮眠室での生活を5年以上続けました。
 
 ただの仕事として考えるならとても割の合わない業種で、街中での撮影では常に一般人に頭を下げ、
 裏家業の人たちと警察には必ず事前に筋を通して・手続きを済ませ、
 現場が常に安全に撮影できるよう注意を払い、
 ロケセットの交渉やスポンサーとの競合が無いかに目を配り、
 体力や精神力をすり減らしながら仕事をしていました。
 
 実力主義の世界でしたので、私は2年半で製作担当という制作進行・製作主任の上で
 プロデューサーの次に責任のある役職につくことができましたが、
 下の担当者を育てようとしても既に私より若い年代の方たちは忍耐力が無く、
 早い人は2時間で現場を放り出して逃げ出す人もいました。
 
 あるフジテレビの連続ドラマの作品で、
 幕張にある技術系企業の本社ビルで撮影したいとの監督からの要請があり、交渉しました。
 総務部に電話したところあっさり断られました。
 ですが、私が大学生時代に父親の車の運転手をしたときに、
 ゴルフ場送迎で、この会社の社長が同乗したことがあり、面識があったことを思い出したので、
 当時、父親が現在の旭東ダイカストの専務をしていて、
 取引先としてこの会社とのお付き合いがあったことから、
 社長へ直接交渉する為のためのアポイントを取ってもらうお願いをしました。
 そのときの交換条件として、その交渉に父親が同席するという条件をつけられました。
 
 おそらく、私がどのような仕事をしているのか、一度見てみたかったのでしょう。
 父親同席のもと、セイコーの社長に撮影交渉をしました。そして、見事撮影許可が降りたのです。
 大手メーカーの自社ビルでの撮影許可は降りないのが業界でのセオリーでした。
 なぜなら、企業秘密が詰まっており、機密漏洩のリスクがあったからです。では、
 なぜ許可が降りたのでしょう? それは、私が大学生時代に車の運転手をして面識があったこと。
 そして、機密漏洩しない計画を台本に沿って綿密に立て、
 このときはフジテレビ社長の誓約書をつけて交渉したことが認められたようです。
 
 おまけとして、社長からの提案でビルのワンフロアー丸々空いている階があって、
 撮影期間中ロケセットをそこに作りっぱなしで設置しておいてもいいと提案をしてくれたのです。
 これには、プロデューサー・監督・撮影スタッフ皆が驚愕しました。過去に例が無かったからです。
 フリーで仕事をしていましたから、この実績はあっという間に業界に知れ渡り、
 様々な局から仕事のオファーをいただけるようになりました。
 
 ここでいえることは、交渉時に押してだめなら引いてみる。
 手段は決して一つではない、どんな仕事でも答えが一つということは決して無いということです。
 また、コネがあるなら例え親でも有効に使うということが大事でしょう。
 下手なプライドや羞恥心はいらないのです。
 仕事を完遂させる為に手段を選んではいられない。結果が全てだということです。
 私の社会人としての基本は、ここで培われたといえるでしょう。
 
 そして、ギャラ(給料)は二の次で仕事が認められれば自然についてくるものなのだということ。
 私のこの仕事の場合、
 作品のエンディングテロップに自分の名前が出ることで一つ一つの仕事の区切りがつき、
 基本的な仕事の流れ(始まりから終わりまで)を理解することができました。
 
 かくして、
 父親に私の仕事をしている姿を見せることができ、社会人として一つの区切りを向かえることができました。
 いつまでもヤクザな商売をしているのではないと言われ、
 始めに話しました小泉内閣による痛みを伴う政策により、中小企業である父親の会社も例外なく影響を受け、
 大変な時期にあることも分かっていたことから、旭東ダイカストに入社する決意をしました。
 
 
    4.契約社員として入社し、研究開発責任者に任命される。
 
 
 旭東ダイカストに入社するのも、息子だからといって簡単なことでは決してありませんでした。
 当時、東京都の助成金を受け、Mgダイカスト技術・設備を開発する契約社員として入社し
 このMgプロジェクトの研究開発(3ヵ年)に成功した暁に正社員として迎えるという条件付きでした。
 ここに旭東ダイカストの取締役専務として立っているということは、
 なんとか成功したということの証といえますが、決して楽な条件ではありませんでした。
 
 ここから少しダイカストはどういうものか説明していきたいと思います。
 合金(主にAl・Zn・Mg)の塊をインゴットと呼びますが、
 それを炉で溶かしダイカストマシンに製品を形作る金型を搭載し、溶けた合金を流し込む。
 この溶けた合金を流し込み、金型で成形された製品を取り出すという作業を、
 大きさにもよりますが、20秒から50秒のサイクルで繰り返す製造方法をダイカスト言います。
 同じ金属製品を大量に作り出す製造法で、主に自動車部品の製造に使われてきました。
 
 弊社は現在の会長(私の父親)へ代が変わったところで、いち早くこの自動車部品の仕事から脱却し、
 当時のダイカストメーカーが決して手を出さなかった、多品種・小ロット・高付加価値製品に切り替え、
 このような条件の製品でも利益が出る工場の不稼働時間低減と
 最適ロット・金型交換時間を削減できる金型設計などの技術を磨き、他社との差別化を計ってまいりました。
 しかしながら、全く自動車業界と関係が無いわけではありませんでした。
 どういった製品であったかというと、
 自動生産ラインのロボットや搬送装置に使われる空気圧制御機器部品でした。
 これは、自動車メーカーはもちろん、半導体メーカーや医療機器メーカーの生産設備に使われております。
 
 自動車部品専門に商いをしているダイカストメーカーと何が違うのかというと、
 ダイカスト部品1つの単価が違うということ。
 これは、自動車部品では大量に生産できるということから、あまり付加価値を乗せることが
 客先から認められず、更にコストダウンも厳しいということが挙げられます。
 弊社はその逆ということです。そして、何より景気の動向に受注が左右される場合に、
 自動車業界だけではない為リスクヘッジになっているという違いがあるといえます。
 
 私が入社する場合の条件として挙げられたMgダイカストの技術確立を命じられたのはなぜかと言うと、
 先にも述べましたダイカスト技術でまだ他社がやっていないことを1番にやるということです。
 常に同業他社との差別化を計り、生き延びて歴史を積み重ねなければならないのです。
 
 一般的にMgダイカスト技術が今までなかったという訳ではありません。
 ドイツのビューラーというマシンメーカーが、専用設備を開発しており
 その設備を使って生産していたダイカストメーカーがごく少数ではありましたが存在していました。
 
 なぜ普及しなかったかというと、Mgの特性が燃えやすい(発火)事が理由でした。
 扱いが極端に危険だったのです。Mgは空気と触れると水素を発生し、
 例えば静電気などでも着火要因となり文字通り水素爆発を引き起こすのです。
 
 私が当時この材料の難燃化と給湯設備(溶湯をダイカストマシンへ搬送する設備)の設計開発、
 溶湯を保持する為の炉の開発やダイカストマシンの射出スペックの高速化などを研究開発しました。
 この設備開発がMgダイカストの普及に繋がると考え、東京都からも助成金を受けることができたのですが、
 それでも当時普及することはありませんでした。
 理由は、日本のメーカー(家電や自動車など)が何処も製品の材料として採用しなかったからです。
 
 その頃、Mgダイカストが使われていたのは、
 PCの筐体・携帯電話の筐体・デジタルカメラの筐体といった薄いダイカスト製品にのみでした。
 これは、次第に材料として扱いやすい樹脂製品に変わっていきました。
 初めから樹脂が採用されなかったのは、強度不足が致命的欠陥だったからなのですが、
 樹脂材料の研究開発が進み、
 比重の軽い金属として採用されていたMg合金でなくても強度をある程度保てるようになったからです。
 
 弊社はAlダイカスト技術において、肉厚の機能部品を得意としていました。これは、
 真空装置を使い金型内部の空気を減圧し成形する技術で現在はポピュラーな製造方法となっております。
 ここで肉薄と肉厚のダイカスト部品の成形にどのような問題があるのか説明しますと、
 肉薄製品は主に筐体といった外装部品として使用され、表面のきれいさが求められます。
 ダイカスト鋳造で溶けた金属を金型に流し込み製品にする場合、例えば温度が低すぎると、
 途中で凝固が始まり、湯境ができてしまって表面がマーブル模様になってしまうことが問題となります。
 (塗装してもムラができてしまう。)
 そして肉厚の製品を作る場合は、金型内部の空洞部分が多くなる為、
 空気の抜けが悪いと製品内部に空気を巻き込み、切削加工などを行うと別々の加工通路が同通してしまい、
 空気圧・油圧で制御するときに誤作動を起こしてしまうことが問題になります。
 
 Mgは凝固スピードがはやいため、Al合金よりも扱いが非常に難しいので普及しませんでした。
 ですが、一応技術としての確立はできたので、大田区産業プラザPIOにて研究成果を発表し
 開発終了を迎え、はれて私は正社員採用となったのです。
 
 ちなみに現在は、新たに経済産業省の戦略的基盤技術支援事業(通称サポイン)の助成金を受け、
 電動カーコンプレッサー向けMgダイカスト技術の研究開発なるものを手がけております。
 これは、これから先の自動車業界における車両の航続距離を伸ばす為のもので、
 更なるエコカーの開発に軽量化は欠かせないと考えたからです。
 AlとMgとでは比重が違う為、同じ体積でもMgの方が軽いのです。
 
 この技術を確立できたら、量産は中国で考えております。
 なぜか? 中国ではMgが資源として豊富に取れる国だからです。Mgの精錬設備においても、
 日本では取扱いに危険を伴うこともあり、1箇所くらいしか出せるところがありません。
 
 このような理由から、これからの日本製造業としてのあり方は、先進技術の開発・試作量産までに留まり、
 量産は新興国などを主に必要とされる国での現地生産に切り替わっていくのではないかと思います。
 日本での製造業の限界、それは資源を持たない国だからです。
 
 
 
 下記につづく
 
 

極東ダイカススト 専務取締役 山森勝利 氏 / 中小企業家経営塾 講義 原稿 ③

2013年11月09日 | Weblog
 
 極東ダイカススト 株式会社 専務取締役 山森勝利 氏 による
 本年度の中小企業家経営塾 平成25年度 第1講 の 講義の原稿です。
 下記と併せて、お読みいただけば幸いです。
  
   
   
 
    5.中国現地人材育成から、グローバル化の前線へ
 
 
 続いては、弊社のグローバル化についてお話をしましょう。
 弊社は1995年に中国の上海と寧波の2ヶ所に合弁でダイカスト工場を立ち上げました。
 そのきっかけとなったのは、中国人研修・実習生の受入れでした。
 これは現在も続いており、20年以上に渡り100名以上の研修・実習生を育ててきました。
 当時からこのような人材はヘッドハンティングにあい、北米やヨーロッパのメーカーに
 取られるという現象が取りざたされましたが、弊社も例外ではありませんでした。
 しかし、それでも弊社はやり続けました。その結果、
 弊社の現地工場に留まった人材は、立派な幹部に成長し信頼の置ける中国人に育ってくれました。
 製造業は人が財産であると昔から言われてきました。海外に拠点が移ってもそれは変わりません。
 そして、現在も未来もこの人材教育を続けていくことは、弊社の基盤になると確信しております。
 
 現在はチャイナプラスワンとよく報道されておりますが、
 弊社のプラスワンは、やはり、中国にありと考えております。
 華東地区(中国の海沿いをさす)がいち早く発展を遂げていますが、
 その発展を遂げている市と市の間には、まだまだローカルな地域があり、
 そのエリアの交通のインフラ整備は確実に行われ進んでいることから、
 寧波市からさらに南下したところにあります寧海県(中国は日本と違い市の下に県がある)の開発区内に
 約1万坪の用地を受け、新しいダイカスト工場を独資で建設しているところであります。
 
 中国のダイカスト工場は日本の異業種分業化と違い、1つの工場内でほぼ完成に近い状態にして出荷します。
 ダイカストの前後の異業種を取り込むということです。
 金型→ダイカスト鋳造→製品仕上げ→機械加工→洗浄→熱処理→含浸→表面処理→塗装
 (→部品供給があればセミアッセンブリまで)工程があります。後半の含浸・表面処理・塗装の分野は、
 どちらかというと化学的分野のため取り込むには非常に難しくハードルが高いという状況下にあります。
 そして、環境問題に直接影響するため、許認可の取得が極めて難しいという状況がありました。
 しかしながら、現在政府から弊社に許認可が降りたのは、
 先だって合弁工場含め、日本的外注製作方法をとりながら先行して仕事を請けていて、
 そこにはもちろん中国既存の表面処理メーカーとの合併、技術・設備の導入により
 環境問題に対応した日本的管理方法と専用設備を導入し、
 約6年かけて実績を積み上げてきた事が認められたのだといえます。
 
 また、新興国の人件費高騰は当たり前のことであって、台湾や韓国を見ても明らかです。
 それでも日本人ほどの人件費が高騰することはありませんでした。
 中国でも日本人ほどの給料高騰はしないと考えておりますが、
 最終的には製造業の生産設備の自動化は避けては通れない事実であるとも弊社では考えております。
 
 日本人に限らず、ダイカストマシンオペレーターの教育指導において、
 実習生全員や日本人作業者が、必ずしも高いレベルに育っていくとは限りません。昔ダイカスト業界は
 3K(きつい・汚い・危険)産業と呼ばれ、体力に自信のある人の採用がほとんどでした。
 近年就職難民が増えて、現役で大学を卒業したとしても必ずしも就職できない時代となり、
 業種を選ぶ余地がなくなってきました。それは、
 ようやく中小企業の3K産業にも大卒などの高学歴の人材が回ってくるようになったということです。
 
 先にも述べました、ダイカスト業界といえども少しづつ進化していっており、
 最低限中間管理職以上は化学や電気工学・金属材料といった知識を持つ人材が必要となってきております。
 日本は採用募集を掛けて応募してくる人材のレベルが上がってきたのに対し、
 中国の人材は今まで実習生を実習期間中に教育し現地に戻って管理職になっていましたが、
 今後は、現地で採用する段階である程度の高学歴者を採用し、現地で現場経験をつませ
 その中から優秀者を選抜し日本への実習が可能となる仕組みに変えていくことにしています。
 
 昔から“ものづくりは人づくり”といわれており、
 製造業は過去も未来もその人たちが会社の基盤となるのです。
 歴史を重ねていく為には、携わる人が死ぬまで勉強し知識と知恵を使って
 経済危機等グローバルレベルでのターニングポイントで生き延びる術を見出していかねばならないのです。
 
 
    6.新しい課題に取組む中国ビジネス
 
 
 今建設中の新工場では、最新式の電動サーボ制御ダイカストマシン(東洋機械製)を4台発注済で、
 これは今までの油圧制御ダイカストマシン消費電力の60~70%カットすることができる
 省エネタイプのダイカストマシンであります。
 
 ダイカストマシンには主に2種類ありまして、ホットチャンバー・コールドチャンバーと呼ばれております。
 違いとして、ホットはダイカストマシンと炉が一体で金型まで空気に触れることなく鋳造でき
 酸化しにくいのが利点で、射出圧力が弱く金属組織を細密化できにくいのが不利な点が特徴です。
 そしてコールドは、ダイカストマシンと炉が別体で給湯装置なるもので溶湯を搬送しますが、
 その時に溶湯は空気に触れ表面が酸化するという不利な点があり、
 有利な点は射出圧力が高い為金属組織を細密化できる利点があります。
 
 溶解保持炉は省エネタイプを採用し、停電対策を考慮した設計にしています。
 開発区には、ガスエンジンによる発電機やバッテリーによる蓄電システムの導入を検討してもらったり、
 日照条件の悪い中国ですが太陽光発電の導入も調査・検討することにより、
 停電が起こりにくくする対策も同時に検討しております。
 水の純水処理システムも、現在合弁している表面処理工場で採用している
 設備の実績・評価を政府より受けていて認可されていますので、その設備を採用します。
 寧海県でのモデル工場となるよう目指しているのです。厳しい環境基準に準じた、
 エコな未来志向の工場として雇用問題・環境問題を考慮した地域に密着した製造業を目指すのです。
 
 世界中何処の国でも同じことが言えますが、
 1つのことを最後まで責任持ってやり遂げることのできる人が他人からの信頼を得ることができ、
 周りから必要とされる人間になるのです。
  
 中国人実習生も
 20年以上掛け100人以上輩出しましたが、定着した実習生上がりの管理者は20名いるかどうかです。
 ですが逆に考えるとその20名は、本当に信頼を置ける人材であると言え、
 望んでも簡単に得ることのできない深い関係にあるということです。
 これは、弊社中国工場において掛替えの無い財産であります。
 
 中国での事業は難しいと言われておりますが、一流メーカーが撤退しないのはなぜか?
 それは圧倒的消費量が見込めるからです。
 中小企業がグローバル化に対応するため中国進出を図るか否かは、自分の目で確かめるべきと私は思います。
 
 私は2011年3月13日(東日本大震災の2日後)まで約3年弱寧波市に駐在して、
 新工場の登記登録であったり銀行口座開設であったりと事前準備をしてきました。
 リーマンショック・北京オリンピック・上海万博・新幹線・リニアモーターカーなど
 中国が今までの先進国に無いスピードで発展した事実に嘘は無いことを自分の目で見ることができました。
 これは、今後、事業を継承していく私の判断材料・掛替えの無い財産となるでしょう。
 
 そして、グローバル化というのは国境を越え地球上すべての国・人をエンドユーザーと考え、
 必要とされる製品を必要な数だけ無駄なく合理的に生産・供給することが求められ、
 自分自身の人間関係もこれからの時代はグローバル化していかなければならない。
 自分以外の人々が、お金を払って手に入れたいと思う製品を作らなければ、
 他人に必要とされる自分にはならない。
 それは過去も未来も唯一変わることの無い、原理原則であるといえるのではないかと思います。
 
 私の学生時代から現在までの歩みと、
 学生と社会人の違い・製造業の歴史とグローバル化についてまとめてみました。
 いかがでしたでしょうか? 少しでも皆様の将来の展望に役立ちましたら幸いです。
 

都立高専交流委員会 写真ニュ-ス 第6回 大連学生海外派遣 特集

2013年11月05日 | Weblog
 
   ☆★☆☆ 都立高専交流委員会  写 真 ニ ュ - ス 2013.11.06 ☆☆★☆
 
 
 
   2013年9月9日~15日
  
   都立高専 中小企業家経営塾 第6回 大連学生海外派遣
 
 
 画像にて、ご案内させていただきます。
 現地での学習の姿をご覧いただけば幸いです。
 
  
  9月10日(火) 午前 大連市政府 対外貿易経済合作局 様 訪問
           午後 大連理工大学 機械工程学院 日本語強化班 様 訪問
              日本経済新聞社 大連支局 様 訪問 
 
  9月11日(水) 午前 マブチモ-タ-大連有限公司 様 訪問
           午後 大連経済技術開発区(金州新区)管理委員会 様 訪問
              大連経済技術開発区 中等職業専業学校 様 訪問
              大連浅間模具有限公司 様 訪問
 
  9月12日(木) 午前 三菱電機大連機器有限公司 様 会社訪問
           午後 三菱電機大連機器 FA制御製造部 様にて研修
 
  9月13日(金) 午前 パンチ工業(大連)有限公司 様 訪問
              キヤノン大連事務機有限公司 様 会社訪問
 
  9月14日(土) 旅順市/大連市内見学+自由行動
  
 
 (画像はクリックすると大きくなります。
 
  もう一度クリックすると、更に、大きくなります。)
 
 
 
 
 大連市対外貿易経済合作局 対外連絡一処(日本 韓国担当) 劉世偉 所長のお話を聞く。
 
 
   
 大連理工大学は、中華人民共和国建国後、最初に創設された大学 (管理棟前の毛沢東像)
 大連理工大学機械工程学院日本語強化班/日本人の教授が日本語で機械工学の講義
 大連理工大学機械工程学院日本語強化班の学生と交流、意見交換
 
 
 
 日本経済新聞社大連支局
 森安健支局長より中国/大連の現況、特派員の仕事などについて、レクチャ-を受ける。
 
 
  
 マブチモ-タ-大連有限公司にて、片山勝彦総経理にお話を伺う。
 
 
  
 大連経済技術開発区中等職業専業学校(工業高校)にて、馮建忠 副校長のお話を伺う。
 3年生(最終学年)は、1年間の企業実習
 高学歴化により、現地の工業高校にも、我が国と同じ悩みが生まれ始めている ……
 
 
  
 大連浅間模具有限公司 清水 技術部長 / 射出成形金型の説明を受ける。
 右の写真/右手の女性は、大連豊安ビジネスコンサルタント有限公司 馬艶 総経理
 昨年の 中小企業家経営塾 で、講義をしていただきました。
   
 
   
 三菱電機大連機器有限公司 / 現地スタッフに工場運営の説明を受ける。
 三菱電機大連機器有限公司 / 工場の食堂で昼食
 
 
    
 三菱電機大連機器有限公司 FA制御機器製造部 / 現地スタッフと実習の打合せ
 FA制御機器製造部 叢桂栄 副部長 / 二年にわたり、お世話になりました。
 
 
 
 三菱電機大連機器有限公司 / 不良の発生を各人ごとにチェック、日本語で掲示
  
 
   
 三菱電機大連機器有限公司 / 現場実習終了後、直ちにレポ-トを作成
 三菱電機大連機器有限公司 / レポ-トの発表、検討、意見交換
 
 
    
 パンチ工業(大連)有限公司 / 先進単位、高新技術企業、納税大戸の表彰
 パンチ工業(大連)有限公司 / 山本副総経理に生産現場をご案内いただく。
 
 
  
 キヤノン大連機器有限公司にて、菅原晃 総経理のお話を伺う。
 
 
 (それぞれの企業で、生産現場での改善、人材育成の取り組みについて
  実地のご案内をいただきましたが、その多くをご紹介できないのが残念です。)